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睦月の桜が咲き誇るころ  作者: 白糸雪音
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第一章 十七話

 昼休みを告げるチャイムが鳴り、教室中に歓喜と惰気の混ざったものが満ちていく。それにつられるかのように俺の表情も緩む。

 しかし、これは教室の雰囲気に影響されたからというわけではない。他に理由がある。

「はい、智樹君。読み終わったよ」

「おお!で、どうだった!?」

 涼香が読み終わった脚本を俺に渡す。そう、この昼休みに俺は涼香から脚本の感想をもらうために、表情が緩んだのだ。

 いかんせん、自分の創ったものというものは愛着と自信と気恥ずかしさとが混合して何とも言えない。だが、創ったからには、見てもらいたいし、感想はもらいたいし、気恥ずかしい。

 つまり、何とも言えないような状態に陥っているのだ。自分でも何を言っているのかが分からなくなるが、かまいはしない。

 俺の感想の催促に涼香は笑顔で答える。

「すごく良かったよ!特に、主人公がすべてを投げ捨ててもヒロインを選ぶところとか最高によかった!!」

「おお!わかってくれるか!!そこにかけての主人公の葛藤と、すべてを捨てて一つを選び取る怖さに勝つまでの描写が最大の見せ場なんだ!!」

 俺は見てもらいたいところをしっかり見てもらえていてうれしくなる。それに、感想を言ってくれる涼香の表情もお世辞や無理に言っている感じもなく、本心からの感想に見え、さらに嬉しさは増していく。

 うれしさをかみしめていると、涼香が耳元まで来てささやいてくる。

「智樹君の古傷はもう治った?」

「な……なんでそのこと……!?」

 その優しく、そしてどこかいたずら心の感じる声を聴いた途端に、俺は心臓を握られたかのような錯覚を感じた。

 それは図星をつかれたからなのか、不意を突かれたからなのだろうか……。いや、どれも違う。これは、知られたくないことを、知ってほしくない人に言われたからだ。

 ここで、俺はふと考える。なぜ、涼香にこのことを知られているとまずいと感じたのだろうか?いずれ、近いうちに話すつもりでいたのだ。遅かれ早かれ知れることなのだから、今知っていても問題はないはずなのだ。

 しかし、この疑問はすぐに晴れた。

 俺は、自分の口から、打ち明けたかったのだ。誰からの口からでもない、自分の口から。それが、彼女にできるせめてものことだと思ったから。それは彼女が小学校の時に何かと気をかけてくれていたのにそのことどころか、彼女自身を忘れていたことへの贖罪からなのか。それとも仲のいい友人に対してせめてもの礼儀としてそうしたいのか。どちらなのかははっきりとはわからないし、その両方なのかもしれない。

 だからなのか、俺は彼女から自分の古傷のことを言われたときに、これほどまでに心乱され、動揺してしまったのだろう。

 俺のとっさに出た反応を見て、彼女は少し嬉しそうに微笑んだ。

「やっぱりそうなんだ」

「健斗から聞いたのか?」

 平静を取り繕うように、そんな言葉を俺はひねり出した。その言葉は震えることなく、詰まることなく、何とか出すことができた。

 依然、小悪魔のように微笑を浮かべる彼女の内心を読み取ることはできない。ただ得ることは、彼女は俺の過去を、俺以外の口から聞いたということだ。

「ううん、違うよ」

「じゃあ、なんで……」

「女の勘ってやつだよ、智樹君」

 俺の予想が外れて驚いていると、彼女は勝ち誇った表情で自分のあごに手をやってそう宣言した。

「女の勘って……」

「冗談だと思ってるでしょ?でも、当たってるでしょ?」

 非科学的で嘘としか思えない。しかし、彼女はそんな嘘をつくようなやつではない。それに、彼女はどうしようもなく優しく、素直だ。それに、普段から何かと勘が鋭い。

 俺は彼女の言葉に無言で同意する。すると、彼女は嬉しそうにうなずくと、少し照れくさそうにしながら、

「それだけ、私は智樹君と一緒にいるし、見てるってことだよ」

 そう、満面の笑顔を向けてくれた。それは、小さい子供を心配させないような、優しく、大きな笑顔だった。

 俺は、前回の会話と、この脚本を読んで気を使ってくれたのだろう。そんな彼女の気遣いが、やさしさがうれしくもあり、恥ずかしくもあって、何とも言えない気分になってしまう。

 自分がまだまだ子供で、あの頃からたいして進歩はしてないことはわかっている。見た目だけ、知識だけ付けていっても、中身が、精神が成長していないのなら、人間として成長しているとは言えない。

 最近になって、周りの人達が自分と違って、本当の意味で大人になっているのだと痛感させられることが多く、自分で自分が嫌になってしまう。

 しかし、俺はそんな情けない自分と向き合って、受け入れて成長していかなくてはいけないのだ。すべては、あの時取りこぼしてしまったものを、拾いなおすために。

「うれしい限りだね」

「そうなの、喜びたまえ」

 恥ずかしさで赤くなった顔を隠すために、笑顔で笑い返す。そんな俺を見て、彼女は得意げに胸を張る。

 そんなやり取りをしていると、俺はぽつりと、小さく言葉をこぼした。

「ああ、本当に、うれしいよ」

「じゃあ、佐久子さんのところに渡しに言ってくるわ」

「うん、いってらっしゃい」

 俺は彼女のその呼びかけにただ手を挙げて答える。今は、言葉はいらないと思ったから。



 智樹君の脚本を読んだとき、私が最初に抱いた感想は、ただ、よかった。本当にそれだけだった。

 それは主人公とヒロインとの恋愛や、心理描写がいいとかじゃない。登場人物に感情移入できたとか、したとかではない。

 この脚本を読んだとき、私はなぜかとある放課後の帰り道、彼と昔話をした時のことを思い出したのだ。それは、本当になんで思い出したのかはわからなかった。でも、思い出したのだ。

 そして、これは彼が言っていた、彼の身に起きた出来事が下地になっているのだろうと思った。でも、この物語は彼と話した時の暗い表情とはそぐわないものだった。

 だから、きっとこれは彼がそうしたかった物語なのだと思った。

 小学校の時、彼は学校の人なんて見ていなかった。ただ、周りに合わせて、いるだけ。でも、放課後になると、彼の表情は学校では見ることのないくらい楽しそうなものになる。私はその理由が知りたかった。

 周りにはいつも人がいて、みんなの中心にいる、誰からも好かれ、誰からも注目されていた彼。そんな彼が絶対に誰にも向けない顔。

 私は、そんな彼の顔を見て、彼は外で何を見て、しているのか気になった。何者にも興味を示さない。何物にもとらわれない彼が、いったい外では何に興味惹かれ、何にとらわれているのだろうか。

 私は、そんな少しミステリアスで、無邪気でとらえどころのない彼にも無意識にひかれていたのだ。恋、していたのだ。

 でもその時に胸にあったのはいじめから救ってくれたヒーローの彼への恋。現実の、泥臭く人間味のある彼に対してではない。

 そんな気持ちに気づいたのは転校してしまってからで、もう何もできなかったし、それが本当に、本物の彼に対しての恋なのかを確かめる手段なんてなかったのだけれども。漠然と、そう思った。

 だからなのだろうか、高校になって再会して、彼は覚えてなくても、小学校の時よりも仲良くなり、距離が近くなって、私はうれしかったのだ。舞い上がっていたのだ。

 そして、私は再度気づかされた。彼のことが、智樹君のことが好きなのだと。

 小学校の時に、私は無意識にいつも彼のことを目で追っていた。そして、中学に上がって、いつもいつも彼のことを思い出して、考えて……。もう会えないのに、そんなに仲良くなかったのに、たいして思い出なんてないくせに。

 その時から、私は恋をしているのだと、漠然と思っていた。

 そして、高校で私は昔以上に彼を目で追ってしまうことに気づき、この気持ちは間違いなく恋なのだと確信した。

 再会した彼は昔と違い、よく笑うようになっていた。学校外にしか向けていなかったのであろう表情も時たま見せてくれた。

 これはきっと彼にとって私達は彼にとってその表情を向けることができる大切な存在になっているのだと私は思った。

 しかし、それは私の勘違いでしかなかった。

 彼が向けてくれる笑顔と対照的な、ひどく暗く悲しい、なにもかもを失ってしまった顔。それをまれに見せるのに私が気づいたのは、浮かれ気分で舞い上がっていた時だった。

 私はずっと、なんで彼がそんな表情をするのか疑問だった。彼のことが知りたい、彼の悩みを、痛みを共有したいなんてずうずうしくも、私はおもいだした

でも直接聞く勇気とタイミングがなく、いつまでも聞くことができなかった。

 それに理由は勇気とタイミングのせいだけではなかった。何となく、本当にただ何となく、小学校のころと比べて何か色あせているような、寂しくなっているような感じがして、彼にその話題を振るのが怖かったからだ。

 それは彼の過去を聞くのが怖いのもあったが、一番の理由ではない。一番の理由は、大好きな彼の口から私達、いや、私よりも大切なものの話を聞きたくなかったからだ。みんなは私のことを優しく、思いやりあるいい人間だと評価する。しかし、これが本当の私なのだ。自己中心的で嫌な人間。それが私なのだ。

 そんな汚く、いやらしい私が彼の過去に、彼の暗い部分に踏み込んではいけないと呼びかけるのだ。

 そんな私に転機が舞い降りたのは彼が無断欠席をした次の日の放課後だった。その日の帰り道に、私は彼に昔の話を切り出すタイミングを見つけたのだ。

昔の話は決してしようとしない、みんなで昔の話になると必ずと言っていいほど自分に矛先が向かないようにしている。そんな彼が、あの日はなぜか自分から昔のことを思い出したと言ったのだ。これを好機と言わずしてなんというのだろうか。

 だから私はその日の帰り道に思い切って昔の話を切り出した。しかし、今まで彼が避け続けてきた話題を簡単に話すなんてことはないだろう。そこで私の汚く、いやらしい部分が出てきてしまう。

 彼と約一年過ごしてみてわかったことなのだが、彼は誰かに対して、特に身近な、したしい間柄の人に対して罪悪感に似たようなものを抱きやすいようだった。言い方を変えるならば、やけに甘いのだ。それは彼のもともとの性質なのか、何かしらの後悔からなのかは私には知りえないことだ。

 しかし、これは利用できることだ。だから、私はそれを利用した。彼が私と同じ小学校であったことや、何かと気になって話しかけていたことなどを忘れていることを使って、少しばかりの罪悪感、私に対する悪いと思う気持ちを持ってもらうことにしたのだ。そうすれば彼は必ず話をしてくれると思ったから。

 しかしそれはそう簡単にうまくいくものではなかった。だけれど、彼の苦しそうな、自分を責め立てるような表情を見て、はっきりとわかったことがある。

 それは間違いなく小学校の頃に彼には何か大切なヒトがいて、それが彼にとってのすべてに近かったということだ。そして、それは今では失われ、そのことで彼は囚われ、悩み、後悔しているということだ。

 これは私の勘でしかないのだが、それは女の子のような気がした。彼を今もなお縛り続けている存在が女の子なのだと、私はなぜか直感的に思ってしまったのだ。それは私が彼に恋をしているからなのだろうか。それとも、彼の表情が中学の時の、初恋に気づいた時にはもう遅く、芽吹くことはないのだと絶望していた時の自分自身の表情にどこか似ていたからなのだろうか。

 このこともあってか、私はこの時に強く彼から昔のことを聞き出すことはできなかった。しかし、彼は私に時が来たら、近いうちに必ず話してくれると約束してくれた。私はそんな口約束に、微笑んでうなずくことしか出来なかった。なぜなら、私は結局彼の物語にとって役はなく、ただの脇役でしかないのだから。いや、もしかすると彼の物語に登場さえできていないのかもしれない。どちらにせよ、蚊帳の外なのだ。

 そして時は飛んで今日、彼の書いてきた脚本を読んで確信した。彼の心を縛り、過去にとらえているのは一人の少女なのだと。健斗君と話した後の吹っ切れた様子から、これは彼にとっての望む世界、つまり今とは真逆の世界をかいたものなのだと。

 だからなのだろうか。私がただ、よかったとしか感想が出なかったのは。これで彼を縛り付けているものはなくなったと、そういうことなのだろうから。

 しかし、何とも情けない話だ。私は最初、なぜか今まで考えていたことをただ忘れて、あの時の帰り道のことを思い出し、そしてなぜそんなことを思い出したのかを理解することができなかった。散々彼のことを考え、想い、恋い焦がれていたのに。そして、彼の昔を知りたいと願い、彼の後悔に、自責の想いに私は心痛めながらも慈しんでいたというのに。

 私はそんなものすべてをかなぐり捨てて、ただよかったとしか出てこなかった。それは私が実はそんなに汚くいやらしくない人間なのだということなのだろうか。それとも、そんなことしか出てこなくなるくらいに私が打ちひしがれたということなのだろうか。

 答えは後者なのだろう。私は無意識のうちに理解してしまったのだ。私に入る余地などないことを。そしてそのあとから、次々とせき止められていたものが流れ出てくるように、私の中で濁流として渦巻いたのだった。それは彼に対する祝福であったり、顔も名前も知らない少女に対する嫉妬であったり、私自身に対する叱咤のようなものであったりと、いい感情から悪い感情までいろいろなものが混ざって濁り、汚く、そして荒々しく渦巻くのだ。

 だからなのだろうか。私が演じてしまうのは。自分の中にいいものや悪い物、汚いものからきれいなものまで見境なく混ざり、濁っているから、私はそんな汚く統制のとれない私を隠すため、統制のとれた、きれいな自分を演じてしまうのだろうか。

 いつだってそうだ。あの帰り道も。本当はもっと聞きたかった。待ってなどいられなかった、すぐにでも聞きたかった。でも、自分の中の意味のない、実に自己中心的できたなく、自己防衛に長けた理想の自分が私を、本当の私を止める。そして彼にとって、自分にとって表向きだけ都合のいい自分を演じるのだ。実に滑稽じゃないかと、私は私自身を嘲笑う。役者を気取っていくら演じようが、私の出たい物語には出ることはできない。なのに、私は本当の自分を隠して演じているのだ。偽った自分では彼の物語には何があっても出ることはできない。それは何となく分かっている。もっと自分を押し出し、彼に主張しなくては、一つの物しか見ていない彼の目には映ることはない。なのに、私は怖くてその一歩を踏み出すことができない。この薄っぺらで、分厚いこの仮面を脱ぎ捨てることができないのだ。

 だから、私は彼の前でわかっている女を演じてしまう。都合のいい女にしかなることができない。それ以上にはなることはできないのだ。私のなりたい、彼にとって大切な、大好きな女にはなることはできないのだ。

 だから、私は自分が本当に言いたいことを押し殺して、彼を見守り、見送ることしか出来ないのだ。

だから、私には笑顔を浮かべることしかできない。それしか許されない。いや、私自身が許さない。

 私は、彼に『私だけを見て。昔なんかより、今を見て』

 そんな言葉はきっと言うことはできないのだろう。短い、簡単なはずの言葉。しかし、意味は重く、難しい言葉。私がどうしても彼に伝えたい、そんな言葉は、私が仮面をかぶり続ける限り。私が演じ続ける限り。永遠に……。


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