第一章 十四話
「智樹は元に戻ったの?」
いつもの帰り道を二人で歩いていると陽菜が今日の話について結果を聞いてきた。
「もちろんさ」
俺は簡単に結果を伝える。
「戻ってもらわないと困る。そうじゃないと、俺がここまでした意味がない」
そうだ、戻ってもらわないと困る。そうでなければ俺はもう一度智樹を奮起させるために叱咤を飛ばさなければいけなくなるから。あんな役回りはなるべくしたくない。
「そうね、そうよね」
陽菜は返ってくる答えがわかっていたかのようにうなずく。
「ああ、約束はたがうつもりはない」
「朱里との最後の約束」
陽菜の口からこぼれたソレは今もなお、俺達を縛り続けているのだ。いや、すがっているのかもしれない。幼いころのあの時間を、想いを忘れないために――。
俺と陽菜は朱里に呼び出されていた。
「どうしたの?話したいことって?」
「そうよ、それに、智樹君がいないし……」
俺達は今自分たちが置かれている状況が今ひとつわからずにいた。すると、今まで暗い顔で黙っていた朱里が話しはじめる。
「私、そんなに良くないんだ。だから、東京の病院に移ることにしたの……明後日」
彼女から出た言葉は耳を疑うものだった。
「何で急に……!?」
「もっと早くに言ってくれたらよかったのに……!?」
俺たちの言葉に彼女は苦しそうに、悲しそうに言葉少なく返す。
「言えなかったんだよ……」
「「え……」」
「楽しい毎日が続くと思ってた……ただみんなで話しているのが楽しかった……」
その声は、だんだんと濡れていく。
「でも、そんなにうまくはいかなかったの……悪いのはわかってた、覚悟もできてた……はずだった」
最後のほうは消え行ってしまいそうなほど弱々しい声。そこで気づく。俺たちは表面上は元気だった彼女の、本当は傷ついていた内面に気づいてあげることができなかったのだ。
「それもこれも、智樹の……みんなのせいなんだよ?」
彼女は無理やりにも笑う。それが俺には痛々しく見えて、とてもじゃないが見ていられなかった。
「だから、お願いがあるの……聞いてくれる?」
そう静かに告げる彼女の声には確かな強さが感じられた。だから、俺達はただ静かにうなずくことしかできなかった。
「ありがとね」
彼女はそう微笑み、続ける。
「私が死んじゃったら、智樹はすごく悲しむと思うの。何もする気が起きなくなっちゃうくらいに……」
それは、容易に想像できることだ。朱里のためだけを想って生きているようなやつだ。陽菜も俺と同じことを思っているのか黙って聞いたままだ。
「だから、私は智樹を突き放すことにする。だから、二人はもし知樹が私のところに来ようとしたら全力で止めてね」
訳が分からない。好きなのなら、死んでしまうのなら、思い出を作ろうと、楽しいことをしたいと思うのではないのか?
「なんで……会いたいんじゃ、好きなんじゃないのか!?……あっ!」
失言してしまった。そうすぐに思った。しかし、陽菜は構わず俺の言葉に便乗する。
「そうよ!好きなんじゃないの?一緒言いたらいいんじゃないの?朱里!」
「そうだよ、好きだよ、大好き。でもね、私達はお互いのことよくわかるんだ。だから、想うの。私達はそばにいたらお互いつらい思いしかしないって……」
「そんなこと……」
ないとは言えなかった。わかってしまうから、想像できてしまうから。
「私は智樹がいたら未練を残してしまう。死ぬのが怖くなってしまう」
まるで死ぬのが怖くなかったみたいな言い方だ。彼女にとっては、死ぬことはいつ自分の身に降り注いでもおかしくないことなのだ。
「智樹は私といると、私の死に直接対面しなくてはいけなくなってしまう……智樹の心が壊れてしまうかもしれない……いや、きっと壊れる」
自分よりも、何よりも大切にしているものが壊れてしまったら、人はどうしようもなく壊れてしまうと思う。それは、智樹も例外なくだ。
飲み込み、受け入れるには、俺たちの歳ではまだ早すぎる。
「だから、約束……してね?」
「「……っ!」」
本当は、嫌なくせに。どうしても離れたくないくせに、大人ぶりやがって……。
俺は彼女に対して激しい怒りにも似た想いを抱いた。これは、怒りなのか、悲しみなのか、それは激しすぎてよくわからない。しかし、彼女にしてあげられることは、俺たちには一つしかない。
「ああ、わかった。約束するよ……」
陽菜も、言葉なくうなずく。
それを見て満足そうに笑いながら彼女は言うのだった。
「ありがとう!二人とも!」
その笑顔はどこまでもはかなく、淡く、悲しいものだったのを覚えている。
病室を出て、俺は陽菜と一緒に公園まで歩いていた。
俺は病室での最後の彼女の笑顔を思い出す。
「……なんで、そんな顔すんだよ……笑うなよ……、ほんとは一番自分が傷ついてるくせに……」
勝手に涙が出てくる。怒りと悔しさでとまらないのだ。
「健斗君は、守るの……?」
陽菜が小さく問うてくる。俺は涙をぬぐいながら即答する。
「守らない」
「私も」
陽菜もまた、同じく返す。
あの最後の笑顔を見てしまったら、答えはおのずと決まってしまうのだ。
「本心から望んでいないことなんて、俺は認めない」
「私も、朱里は絶対に望んでないと思う」
互いの心は一つに決まる。彼女と彼が一つになっているように、俺達も。
「だから――」
「だから――」
「「約束は別の形で守る!」」
望んでいないことをかなえるほど、俺達は善人ではない。なら、望む形に変える。
「折れて立ち上がれなくなった智樹が」
「もしまた朱里に会うために立ち上がるなら」
互いに確かめ合うように宣言する。
「俺たちが全力でサポートして」
「朱里のもとに送り出す!」
互いに誓い合うように宣言する。
「「これが、約束だ!!」」
これが、俺たちを縛るもの。これが、俺たちがすがるもの。彼女の約束から生まれた、俺たちの違うことのない絶対の約束だ。
これは、動き始めた物語。
動かした物語。
朱里を中心とした、私たちの群像劇なのだ。
今日、それはようやく開幕した。
「ちょうど、この場所だね」
私は昔にした約束を思い出しながら空を見上げた。
健斗も同じことを考えていたのだろう、懐かしそうな顔をしていた。
「そうだね、ちょうどこの場所、この日だったな……」
運命的なものを感じてしまう。だからだろうか……今まで以上に、健斗のことが恋しくなったのは。
私は確かめるように彼の手を握り、問いかける。
「約束、絶対守ろうね……」
「当然だ……」
彼もまた、同じように握り返しながらささやくのだった。
「俺たちの思い出は、いつも楽しそうに笑っていただろう……?」
縛られているのだ。彼も、彼女も、私達も。
それは自分の行いだったり、相手への想いだったり、自分たちの約束だったり……。私達は、形は違えど、縛り、縛られている。
これがほどけるのはいつになるのだろうか……。
それをほどけるのは彼だけなのだろう。
私達は色あせない過去とまだ見ぬ、焦がれている未来に思いはせながら、強く握り合っていた。