第一章 十一話
屋上に一人残った俺、笹瀬健斗は黄昏を眺めていた。
「別に親友のためとかじゃねぇよ……」
そうだ。別に親友のためだからと言ってあんなふうに感情的になって話などしない。
ただ、昔の苦い記憶と絡まって、ぶつけてしまったのだ。
「ただ、自分のためさ……」
その呟きは誰に向けたものなのだろうか。
過去の自分になのか、はたまた、あの人になのか……。
昔の自分は、他人の考えていることが分からずに、誰と話すときでも、心のどこかで疑い、おびえていた。
その日は、たまたま父親が弁当を忘れていたから病院に直接届けにいっていた。
「あら、笹瀬先生の息子さんですね。お父さんなら少し外に出ていますから、ここで待っていたらすぐに来るとおもいますよ」
受付の看護師さんが笑顔で俺にそう言った。彼女は笑顔でそんなことを言っているけど、内心何を思っているのかなんてわかったものじゃない。気持ち悪いし、怖い。
俺は言われたと通りに近くのソファーに腰かけて座っていた。そこで俺は気づいた。さっきの看護師に弁当を渡せば帰れていたのではないのかと。会話をしたくない一心で思わずソファーに座ってしまった。失敗だ。今更話しかけることはできない。
そんなことを考えていると隣に少女が座った。
「何かすごい顔で私のことを見ているけど、どうかしたの?隣に座られたくなかったとか?」
どうやら無意識のうちに少女のことを見てしまったのだろう。いきなりずけずけと座られ、少し戸惑ってしまったのかもしれない。というか、誰も座っていないソファーまだたくさんあるだろ。
僕の短い人生の経験則として、ふつうは隣に座るにしても少し距離を置く。なのに、この少女は全く距離を置かずに座ってきた。
その少女の見た目は俺と歳はそう変わりはなく、控えめに言ってとてもきれいな見た目をしている。だからと言ってどうということはない。少女が何を考えているかわからないことには変わりはないのだから。
「ああ、すいません。別に嫌というわけではないです。どうぞそのままでいてください」
僕は失礼を働いてしまったのでお詫びをし、もと見ていた方を向く。すると、今度は少女のほうから笑い声がした。
「あなた、とっても子供らしくない言い方をするのね。面白いわ」
目頭に浮かんだ涙をぬぐいながら、少女は話しかけてくる。
なんなのだ、この女は。初対面の相手に失礼な奴だ。しかし、自分の初対面で失礼をしてしまった。ここはおあいことしてひとまず水に流して置こう。
「すみません、大人と接する機会が多かったから、つい癖で……」
父の知り合いと会うことが多く、こういった初対面の大人との接し方が身についているのか、つい癖でかしこまりすぎていたのかもしれない。
「いえ、私のほうも笑ってしまってごめんなさい」
「俺のほうこそ」
そう言って、会話が止まる。
この間。この間が嫌いなのだ。この間の間に相手が何を考えているのか想像してしまう。そして、その想像は必ずと言っていいほどに悪い方向にしか走っていかない。目の前に座っている少女のついてもそれは変わらない。
「その手に持っているものは、お弁当?」
「うん、そうだよ。父さんに届けに来たんだ」
少女の疑問に僕は素直に答える。嘘をついても仕方のないことだから。
「へぇー、誰?お父さん」
さらに問いかけてくる。そんなことを聞いてどうするのだろうか。ただ会話を長引かせたいだけなのだろう。
「私、入院歴長いから、この病院の人のこと大体知ってるのよ!」
自慢げにしているが、何にも威張れることではない。というか、見た目はとても元気そうなのに、結構重い病気なのか……。
「笹瀬ですよ」
「ええ!?笹瀬先生!!」
俺が答えると少女はとても驚いていた。
「私の主治医さんが笹瀬先生なの!」
なるほど、すごい偶然だ。そして、いいことを聞いた。俺は早く帰って今日の分の勉強がしたいのだ。医者になるために。
だから、俺は少女にお願いをすることにした。
「君、頼みごとがあるんだけど……」
「君じゃないよ、私は市原朱里」
そんなことはどうでもいい。
「そうか、なら市原さん、お願いがあるんだ」
「何?」
「これを僕の代わりに父さんに、笹瀬先生に渡してくれないだろうか」
そう言って市原さんの前に弁当を差し出す。すると、彼女はきょとんとした表情をした。
「どうして?君が渡せばいいんじゃないの?」
もっともな意見だ。しかし、俺は帰りたい。
「俺には用事があるんだ、だから、お願いできるかな?」
そう言うと彼女は少し考えるとうなずいてくれた。
「いいよ、その代わり、一つ聞いていい?」
「ああ、かまわないよ」
どうせたいしたことは聞いてこないのだろう。すぐに終わらせて帰るとしよう。
「どうして、そんなに他人と話すのを怖がるの?」
思わず彼女の顔を見る。心臓が止まるかと思った。
俺の悩み事を話題に挙げられ、動悸が激しくなる。なぜ、なぜそんなことを言い出したのだろう。なぜ、分かったのだろうか。可愛らしい彼女の顔が黒く、どこまでも黒く感じてしまう。「なんで、そんな事を……」
「本でね、読んだのと一緒だったから。君が話すとき、私の目を見てるようで見てないの」
本だと……!?そんな不確かなフィクションのことをうのみにして俺にそんなことを聞いてきたのか。図星をつかれてあせってしまったのが馬鹿らしく感じてしまう。だからと言って本当のことを話しなどはしない。
「そうなんだ、でも俺は違うよ。本の通りなんかじゃないよ」
嘘だってことはばれているだろう。
「そうなんだ、変なこと聞いてごめんね。じゃあ、私がお弁当渡しとくね」
「ありがとう」
そう言って彼女は僕から弁当を受け取った。
俺はそのまま帰ろうとすると、彼女が後ろから声をかけてきた。
「今日はお話しできて楽しかったよ。またお話ししに来てね。それと、君の名前教えてほしいな」
もう会うことなんてないだろうに、なんでそんなこと聞いてくるのだろうか、分からない。
「笹瀬健斗」
くだらない、どうでもいいこと。無視してしまってもいいことなのに、答える。
「健斗君、また今度ね!」
彼女はとびっきりの笑顔でそう言った。
なんてことのない言葉。返すことが当たり前で、返せばいい簡単な言葉。なのに、俺は返すことができなかった。
顔が熱い。何を考えているのか考えることができないぐらいに、熱いのだ。
俺はこの熱を冷ます為に早足で外に出た。