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灰は、灰に  作者: 鰓(えら)
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「灰は、灰に」 第二章 餌 

 闇の住人=吸血鬼の異端児・ツァオ。その新しい餌の目覚めの話。

 どうして、なぜ。そんな問いばかり湧いて出ても、答えがあった試しがない。意志や望みを訊かれた覚えもない。与えられ、押しつけられるすべてを受け入れることで、ようやく半歩程度を踏み出せる。

 ヒトであった頃からそうだった。

 大人しく黙っていれば、みな適当に都合よく解釈してくれる。勘違いされてもそうそう気にせず笑んでいれば、溜め息混じりで許された。そのくらいの愛嬌はあるということだろう。



 伺う視線を感じて瞼を開くと、戸惑いの表情でじっとこちらを見つめる顔があった。

「ツァオ……」

 いい声だ。

 不安と飢えを孕んだ切なげな低音。この男を()に選んだ理由のひとつには、私の名を呼ぶ低い響きもあったのだなと思う。

「やぁ。気分はどうだ?」

 出し惜しみをせずに微笑んで、濃い髭のざらりとした頬を撫でてやる。

「よく……わからない。でも側に居てくれてよかった」

 なかなか素直な返答に頷いて、昨日施した刻印を指でなぞると、餌はひくりと身を震わして息を呑んだ。灰色の瞳には早くも恍惚の予兆が浮かぶ。

「側に居てくれるのは、お前のほうだよ」

 ええと、こいつの名前はなんと言ったか。記憶を辿るのが面倒で、適当に呼んでみる。

「ルカ」

 餌はふっと顔を曇らせる。やはり違ったようだがどうでもいい。

「お前は今日から私のルカだよ。気に入らないか?」

 ルカという二音を口の中で転がす餌の首を引き寄せる。昨夜はぽかりと黒く開いていた刻印の痕は目立たないほどに薄れているが、舌を伸ばして突付くと待っていたとばかりに朱く開く。

「少し、いただくよ。目覚めの挨拶にね」

 ほんの少し歯を当てるだけで、餌は悦楽に甘い息を吐く。私は刻印に唇を押し当ててちゅうと吸った。

「つ……ツァオ……ツァオ……」

 普段は私を下に組み敷いて望むままに身体を暴く男が、あられもなく切なげな声で主となった私の名を呼ぶ。同胞ならばここで餌の従順さに満足するらしいが、私はあまりのあっけなさにうんざりしてしまう。吸血鬼らしからぬと言われる悪い癖だ。

 唇と喉を潤して、ほうびの吐息を吹き込んで刻印に蓋をする。ふたつの穴は浅黒い肌の色に戻った。

「ルカ、ぎゅっとして」

 おずおずと背に回されていた腕に力が戻り、ねだったとおりに抱きしめられる。今度の餌は長い腕と脚、節がぐりっと目立つ指を持っている。それらが自分を掻き抱く力を取り戻したことに安堵する。いつぞやの餌は刻印の後には怖気づいて私を抱けなくなってしまい、えらく失望したこともあったから。

 獲物から餌へ立場が変わると、元々の性格までが一変してしまう場合もある。隷属だけを務めとして、主に自分から触れることすらしなくなるのだ。

「名前をありがとう、ツァオ」

「気に入った? 私のルカ」

 尖り歯と、吐息と、言葉で餌を縛る。同胞には餌を甘やかし過ぎだと何度も言われた。だがもうルカは私のもの。私だけの餌なのだから、私の好きにする。



 だいたい、私は狩りが好きじゃない。狩らずに済むものなら狩りなどしない。闇の住人としてそれでは生きていけぬと導師は苛立ったが、ならこのまま餓えて死ぬと私が言うと涙ながらにくちづけで精気の交流を行い、ヒトであったときのように抱いてくれた。


 導師が永の眠りにつき、だりあが私に狩りの重要さとコツ、多様な手法を教えた。嫌々ながらもだりあの熱意に負けて学んだところで、「自分のやりかたを自分で探しなさい」と突き放された。

「普通なら狩りに迷いなどしないけれど、あなたは普通じゃないから。

 まず餓えてみるのもいいんじゃない?」と。


 だりあがくれた交流の精気が尽きてくると、じりじりとした餓えが訪れた。ひとりになった私はかなり我慢強く耐えていたが、やがて朦朧とする中で本能的に獲物を求めて外へ出るようになった。


 どうしようもないくらい渇くと、街へ出掛けて軽くつまみ食いをする。遊興街で酒など舐めながら、声をかけてきた好き者に戯れを装ってくちづけしたり、耳の後ろに触れるだけでその精気を盗むのだ。

 興が乗れば男娼まがいの振る舞いをして、寝台でもつれあいながらくちづけを深くする。気に入れば情交の後で相手が一昼夜ほど起きないように加減して精気を吸い、一夜の遊びを終えて姿をくらます。

 もちろん本当は首に歯を立てて生き血をすするのがいちばん潤うし、刻印を施して餌と認めて側に置いたほうが狩りの苦労も減るのはわかっていたが、なかなかその気になれずそんな遊び事を繰り返していた。


 だが、渇きは次第に増していった。ついに渇きに抗えなくなり、後腐れがないと見越した相手を思う存分貪って殺したが、あろうことか次の日私は腹を下し、嘔吐に苦しんだ。渇きのあまり屠ったものの血は不味いだけでなく、自分に合わなかったのだ。

 確かにあれは不味かった。しかし、不味い、不味いと思いながらも、血を啜ることが止められなかった。浅ましさを恥じることはなかったが、どこかで見ていただりあがそれ見たことかと笑う声が聞こえ、闇の住人としての本能と、まともな狩りの必要性を認めるしかなかった。


 どんなに面倒でもちゃんとした餌を持ったほうがいいと思い知った。だから、選ぶ努力はしている。自分の身体に見合う血と精気を持ち、しばしの間傍に置いても煩わしくなく、私の孤独の中で息を潜めつつも肉欲を紛らわせてくれるような餌を。



 私のやりかたは同胞からは不評を買った。

 潔癖症気味の劫火(ごうか)からは罵られた。

「餌を選ぶのに何度も抱かれる必要なんてある? おまけに餌にした後も血と精気の交流だけじゃないとか信じられない」

 我が事のように憤慨する劫火をだりあが宥めた。

「確かに餌に組み敷かれるのが好きというのはどうかと思うけど、まぁそれぞれよ。貴女みたいに潔癖な同胞だってそうは居ないわ」

 だけど、と語気を荒げる劫火とだりあを前にして私は呑気に笑っていた。なんと言われようが構わないし、劫火の赤い瞳に紅蓮(ぐれん)の炎が揺れる様は美しかった。

「闇の住人なんだもの。血の誘惑で十分でしょうに……」

「悪趣味も趣味のうち、かしらね。でもツァオは横に置いて画にならない相手は選ばないわ。従属の関係もしっかりしてるし」

 私は画になるように選んでいるわけじゃないが、だりあの審美眼を愉しませているのならそれもいい。基本、だりあは私を異端児と呼びながらも常に面白がっている。またそれが劫火には特別扱いに映り、無意味な嫉妬深さを露呈するのだ。



 消息を断った劫火の歳に見合わぬ我儘な少女らしさを思い出し、ついやれやれと溜め息が出た。私の鎖骨を舐めていたルカが顔を上げて、咎めの視線で睨んだ。

「集中しろ。感度が落ちる」

 床以外では温厚な紳士なのに、事の最中には粗暴になるところは餌になっても変わらなかった。好ましい、私にとっては。


 だりあが迎えに来るまでには、まだ幾日かあるだろう。今日はこの新しい餌のあれこれを堪能することにしよう。


 身体をまさぐる執拗な愛撫が徐々に熱を帯び、私のルカは胸に鬱血の花を咲かせることに熱中し始めた。軽く歯を立てられたところを強弱をつけて吸われ、つんと鼻に抜けるような痛みが走る。悦い声を上げると気を良くしたルカが嬉しげに笑う。

 これなら当分愉しめそうだ。

「もっと」

 煽る言葉でルカを鼓舞し、まあまあの刻印になったようだと私も笑った。 





「灰は、灰に」 第二章 餌     了


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