第一話:終わる世界に生ける者
****第一章・第一話:終わる世界に生ける者****
数分後、健一は頭を抱えていた。
「はぁ? 俺んちに泊めろってか?」
「だめでしょうか?」
「あのなぁ、四畳半に2人暮らしって……」
「あ、寝袋さえあればボクはベランダで大丈夫ですよ」
いや、このオンボロアパート、ベランダなんて大層なものはないんだが。
ただ、このまま放って置くのも可哀想だ。この田舎じゃ、警察すら近くにないからな。
「仕方ない。今日だけな?」
「ありがとうございますっ!」
ああ、やっちまった。どうせ明日も”お願いしますっ!”って来るんだろう。
自分にそっくりなだけあって、断るのは非常に悩ましいところだ。
「これからの俺の生活、どうなっちまうんだろうな……」
ふと夜空を見上げる。変わり映えしないそれに、今は少しだけ安堵した――
――――翌朝。
「……です。マスター! 起床時間です」
耳元から聞きなれない声がして、ふいに目が覚めた。
「???」
声のした方には、誰もいなかった。
「空耳、にしてははっきり聞こえたんだがな……」
「マスター、おはようございます。10月2日金曜日、午前7時ちょうどです」
「そうか、まだ全然早いな。おやすみ~ って何だこれは!」
いつも首に下げている、十字架のペンダント。
真ん中にサファイアが入った、結構お高いやつだ。
しかし、何故コイツから声がするんだ? ペンダントが喋るなんて、聞いたこともない。
ついさっき、4時半くらいにソシャゲのイベント周回し終えて寝たから、まだ夢の中だということか?
頬をつねってみるが、普通に痛かった。
「あー、健一さん、そいつのことはアベルとでも呼んでやってください」
「アベル?? というか何だこれは」
「ボクの魔法で知性を宿したんですよ」
「ペンダントに……知性だと? まぁ現にコイツ喋ってるけど」
ケンイチは得意気に説明をはじめた。
「ボク、実は魔術師なんですよ。向こうの世界では」
うん、それは昨日の夜たしかに言ってたな。
「でも健一さん、信じてくれませんでしたよね?」
「まぁそうだな」
普通は信じないだろ、いきなり”魔術師なんだー”とか言われたって。
「それで、ボクが魔術師だって証拠を見せようと思ったんです」
「なるほど、それで俺のペンダントに―― って、いやいや明らかにおかしいだろ!」
考え方が即物的、というかマジで思考回路ぶっ飛んでんだろコイツ。
他にやり方はなかったのかよ。例えば俺の前で瞬間移動するとかさ。
「まぁ、でもこれで健一さんもわかってくれたでしょう?」
「そりゃな。普通の人間じゃまず無理だからな」
魔法を使える普通の人間なんて、もしいたらそもそも普通じゃないじゃないか。
ん? 普通の人間?
自分で言った言葉に、変に突っかかりを感じる。
「そういえばさ、お前昨日人間だって言ってたよな?」
「はい」
「魔法使いって人間なのか?」
「あー、そうですね。ボクは魔属性人間ってやつです。ただ、向こうでは魔法が使えて当たり前なので」
「なるほど、そもそも世界が違うから、こっちの常識が通用するわけじゃないのか」
魔法が使えて当たり前、なんてどんな世界なんだろう?
魔物とかがいたりするんだろうか。
ちょっと興味が湧いてきた。
「それで、健一さん。しばらくのあいだ、アベルと行動をともにしてください」
「ん、まぁいつも身につけているものではあるけど…… それはどうして?」
「アベルの知性は、まだ不完全なんです。”たま○っち”みたいな感覚で育ててやってください」
「そうか、わかった。というかお前、たま○っちなんて知ってるんだな」
「はい、たまたま知る機会がありまして」
たま○っち凄いな! 異世界人も知ってるのか。
それにしても、育てる、か。昔やった育成ゲームでは、放置しすぎてキャラが死んでしまったことがある。
こういった育成要素のあるものに、正直あまり自信はない。
だがまあ、これも何かの縁なんだろう。アベルとやらを調教……もとい、教育してやらなくちゃな。
「おい、アベル」
「はい、マスター。ご用件は何でしょうか」
「とりあえずその呼び方、変えないか?」
”マスター”なんて名前で呼ばれるのは流石にちょっと恥ずかしい。
もし外で呼ばれたらどうするんだ。そもそもペンダントが喋った時点で変な人だと思われるのは必至だろうけど。
「では、新たな呼称はいかがいたしましょうか?」
「ふむ……(しまった、考えてなかった)」
普通に”健一”? でもそれだとケンイチとかぶるんだよなぁ。
それに、この得体のしれないやつに呼び捨てにされるのはなんか嫌だ!
そう考えていたところに、ケンイチが口を挟んだ。
「ボクみたいに、”健一さん”って呼んではどうでしょう?」
「いや待て、家にいるのにそんな他人行儀で接してくる輩が2人もいたら、アットホームな雰囲気がぶっ壊れるだろ」
というか、とりあえずさん付けはダメだ。もちろん呼び捨てもダメだが、もうちょっとラフな感じでできないものか。
「うん……なかなかいい案が浮かばないな」
「あのぉ、マスター、私はどうしたら良いのでしょう」
「もういい、好きに呼べ」
「了解いたしました、では引き続きマスターと呼ばせていただきます」
その後、アベルにはスリープ機能があるとか、動力は水だ、といった諸々の説明を受けた。
もちろん聞き終わってすぐにスリープにしてやったさ。
はぁ…… なんかどっと疲れた感じがするのは気のせいだろうか?
昨日の今日で家がいつになく賑やかになっちまってるし。
とにかく、これからの生活が安泰とはかけ離れたものになるであろうことは、このヒキニートにも想像するに容易かった。
「ふぅ。そろそろ朝飯食うか」
いつもならまだぐっすりと寝込んでいる時間帯なのだが、なんせ朝からこんな一騒動あったんじゃ眠気も吹き飛ぶ。
以前スーパーで買い込んでおいた食パンを朝食にとり、特等席――ゲーミングPCの前に座る。
毎日恒例のFPSタイムだ。
とはいえ、このゲーム自体は始めてそこまで経っていないので、そんなにやりこんでいるわけでもない。
食パンにかじりつきながらゲームにログインし、いざ戦闘開始。
自分で言うのもアレだが、いつも通り順調にステージを進めていく。
――――と、そこにケンイチが声をかけてきた。
「健一さん、健一さん。そろそろ、ボクがここに来た理由を話しておきたいんですが」
「おう、そうか……(カチャっ」
「ボクがここに来たのは、健一さんに協力頂いて、世界を救いたいからだと言いましたよね?」
「おう、言ってた言ってた……(ガチャガチャガチャ――」
「あのー、健一さん、聞いてますか?」
「あー、今話しかけないでくれ! せっかく10キル0デスなんだ、今」
(ブチッッ!!)
「あれ?(ガチャガチャ……」
画面が暗くなった。音も消えた。PCのファン音も――――
「っておい!! なにコードぶち抜いてんだコラ!」
「いやー、あまりにも健一さんが聞いてくれないんで、この紐をイジって待ってたんですが……」
「馬鹿者、それは電源コードだ!」
はぁ…… あとちょっとで無敗記録を積み立てられたのに。
「で? 何だ、ケンイチ」
「あ、はい。ボクが来たのは、世界を救うためだって言いましたよね?」
「あぁ、言ってたな」
「最近、この世界に異変を感じませんか?」
「いや、特に何も変わらないと思うが? 強いて言うなら地球温暖化くらいか?」
「そうではなくてですね、雨が異常に降り続くとか、地震が頻発するとか、そういう話です」
「特に何か変わったようなことはないぞ?」
俺の記憶が無い頃――まだ2歳とか、そのくらいの時のことなんて記憶にないが、少なくとも
この数年で急激に変わった感じもない。まぁ俺がヒキニートだから気づかなかっただけかもしれないが。
「そうですか……、とするとこの世界はまだ安定期の中なのかもしれませんね」
ケンイチは、一人納得したというように頷いた。
「世界を救うとか、安定期とか、俺には全くわからないんだが……どういうことなんだ?」
「健一さんが住んでいるこの世界を、仮に”1の世界”と名付けたとしましょう」
「はぁ、1の世界か。ということは2の世界、3の世界があるとでも?」
「そういうことになります。ボクがいた世界を2の世界と仮定した時、1の世界と2の世界は並んでいるのです」
「え? いや、説明ふっ飛ばしすぎてないか?」
いきなりなんで並ぶ事になっているんだろうか?
何も、異世界はこの世界に対して過去や未来に位置していてもいいじゃないか。
2の世界が、1の世界の過去や未来である可能性がないとは――――
「あっ!」
「わかりましたか?」
なるほど、2の世界が1の世界の過去とすると、そこには明らかな矛盾が生じている。
1の世界の現在を基準とした場合、1の世界の過去が2の世界であるという考え自体がありえないのだ。
だってそうだろう? 1の世界の過去は1の世界の過去。2の世界でも3の世界でもないのだから。
もしあるとすれば、それは親殺しのパラドックスの如く、非常にカオスな状況になるだろう。
その線から考えて、まず過去や未来、という可能性は消えた。
そして、ケンイチのようにその1の世界と2の世界をまたぐことができる者がいるのであれば、
それらはまず平行でなくてはならない。パラレルワールドってやつだ。
先程説明した通り、もしケンイチが未来から来たとして、現在を改変してしまうとそこには矛盾が生じてしまう。
結局、”可能性分岐の平行世界”を考えるしかないのだ。
「パラレルワールドは、可能性の世界。どこかの世界でかつてあったかもしれない可能性を具現した世界ということです」
「なるほど」
ケンイチは、可能性分岐の世界の分岐条件は2つの起こり得る事象がそれぞれ限りなく50%に近い確率で可能性を有すること
だと説明を加えた。
「そして、それらの世界は、合計100%という数値をもって、均衡を保っています。しかし、向こうの世界に今、綻びが生じているのです」
それぞれが可能性を具現した世界である以上、それらの末路もまた違うものになるはずだ。
それらが互いに交わるようなことがあってはならない。
「ケンイチ、それならなぜ”この世界を一緒に救いましょう”なんて言ったんだ?」
昨夜、ケンイチは俺に向かって”この世界を一緒に救いましょう”と言った。しかし、崩れはじめているのは向こうの世界だというのだ。
「それは、先程申し上げたとおり、100%という可能性指数によってそれぞれの世界が互いに均衡を保っているからですよ」
ケンイチはさらに続けた。
「世界間の均衡が崩れ、片方が崩壊に至ったとすると、もう一方の世界にも多大な影響を与えるんです」
そういって、ケンイチは近くに落ちていた紙切れに数直線を書き始めた。
「ここが世界の分岐地点だとします。例えば、魔法発現に成功した向こうの世界と、成功しなかったこっちの世界はここで分かれたのです」
先程描いた数直線の先に樹形を描いて、その横から直線を二本平行に引いた。
「しかし、魔法発現に成功した向こうの世界が、何らかの理由で綻び始め、崩壊したとします。するとどうなるでしょうか?」
魔法発現させたほうの世界が滅ぶわけだから……
「”魔法発現できる可能性”が消えるな。つまり、魔法発現できなかった1の世界の50%の可能性だけが残る」
ということはつまり、
「100%で均衡を取るのに、片方がなくなっちまったらこっちはどうなるんだ? 崩壊する2の世界と一緒に道づれか?」
「そういうことです。ボクの世界がなくなることで、魔法発現の成功・失敗を分けた行事自体が歴史から抹消されますから」
「!!!」
「向こうの世界が崩れることで、こっちの世界の歴史も大きく変わってしまうんですよ」
つまり、当時魔術を研究し、魔法発現させようとした人間がいたとすると、その儀式までが0の世界、そこから
儀式が成功し魔法が発現した世界と、失敗し発現しなかった世界の2つに分かれたはずだ。
だが可能性指数はそれぞれ50%の合計100%で均衡を保つ。本来あったはずの50%を失えば、
一見関係ないように見える、綻んでいない1の世界も不安定になる。
「歴史の強制力はとても強力です。矛盾する因子を排除し0の世界の延長へ誘うために、関わった人間とその周辺、および子孫が排除されるわけです」
なぜ、子孫までもが消えなきゃいけないのか。そいつが魔法発現なんて考えないようにしてしまえばいいじゃないか―― という質問に対して、健一の答えは“そういう遺伝子ですから”というものだった。
そしてケンイチは、俺のことも例外じゃないかもしれない、と付け加えた。
「ですから健一さん、向こうの世界に来てもらえませんか? 向こうの世界の綻びを直すために、健一さんの協力が必要なんです」
なるほどねぇ…… ただ、わざわざ俺である必要は感じられない。 まあ、容姿がやたら似てるところからして何か縁は感じるんだけど。
「これは、健一さんじゃないと頼めないことなんですよ…… ボクもそう長くここにいることはできません。こちらの世界に綻びを生じさせないともかぎりませんから」
まぁそこまで言うなら仕方ねぇか。どうせ家にいてもやることなんてネトゲくらいだ。たまには外に出ないと体に悪そうだしな。
「行ってみるだけ行って決めるってのならいいか? 第一、行けるのかどうかが不安だが」
「わかりました。では、今夜出発しますので、数日間生活する程度の準備だけお願いします」
「今夜か…… 案外早いもんだな」
どのくらいの時間滞在することになるのだろうか。
とりあえず3日程度と見込んで下着の類を探すが、数が揃わない。
最近全然買っていないので、使い古すばかりで減る一方なのだ。
「おい、ケンイチ。 俺、ちょっくら近くのスーパーに行ってくるわ」
「わかりました」
青果をメインに扱う地元のスーパーに、手ぶらでパンツだけ買いに来る男……
俺自身、なかなかシュールだと思ってしまった。というか、レジの兄ちゃんの視線が痛い。さっさと会計を済ませて帰ることにした。
+ + +
スーパーから戻り、昼食をとる。
適当に暇を潰していると、あっという間に夕方になった。
「健一さん、そろそろ出発の準備、整ってます?」
「ああ、さっき終わった」
「だんだんと時空の歪が出てきているようなので、ちょっと早めに出発したいんです」
時空の歪みは数日の間隔で起きているらしく、歪みが激しい時期は向こうの世界に行けないのだとか。
「わかった。それならもう出発しよう。案内してくれ」
「わかりました」
俺達は、揃ってアパートを後にした。
――――昨日の今日で、いきなり俺を取り巻く環境ががらりと変わった。
出会って間もない規格外の野郎と異世界に行くなんていう人生、普通はありえないだろう。
だが、それは俺を家の中に閉じ込めておく理由にはなりゃしない。
このちょっと活動的なニート、高倉健一は、終わりゆく世界に、久々のリアルな興奮を覚えていた。
この目で、かならずやそれを確かめてきてやる。世界が滅ぶ前にな。
いや、救ってやらなきゃいけないのか。
まあ、どっちでもいい。
その終わりゆく世界とやらを、まずは見てやろうじゃないか――