表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/3

彼らの仕事の一コマ2/3

 昨日セルジュと話したあと、結局目を通すべき書類全てに目を通し処理を終えた男。


「ボス、おはようございま……っ」

「ボスおはようございます!」


 昨夜セルジュが言った通りに用意していた厚めのコートを身につけた男は、自分の部屋を出て外に出るべく階段を降り、家で言うところの玄関に向かった。

 そこで男を待っていた顎に無精髭ぶしょうひげを生やした者がその男の姿を目に、挨拶をする。が、それは最後まで果たされることなく横からの衝撃に声が途切れることになる。

 一方横から勢いよく走って、勢いがつきすぎて元からその場にいた者にぶつかった方はというと、それを気にせず挨拶をする。


「ごらああ! レオン! お前は……」

「うわ、テオさんそんなに怒んないで下さいよ。ちょっとぶつかっただけじゃないですか」

「ちょっとだと? 確かにちょっとだな。問題はな、そこじゃねえんだよ!」

「ええ? じゃあどこですか」

「それが何回も繰り返されるところに決まってんだろうが!」


 次の瞬間、無精髭を生やしたテオさんと呼ばれた方――本名テオバルドがぶつかってきた青年レオンの胸ぐらを掴む。

 そこから始まったのは少し噛み合っていない会話。

 テオバルドは初めてではないことに眉を吊り上げ、レオンはぶつかったことを怒っているのだと思っており、きょとんといったように何年も上の先輩を両手を前に宥めにかかる。


「俺だって気をつけてますよー」

「語尾を伸ばすなしゃきっとしろ!」

「言ってることがおっさんになってきてますよ、テオさん」

「あんだとお!?」

「どうどう」

「レオンお前は俺を何だと……!」


 レオンが意図したことかそうではないのか、段々論点がずれてきているのにも関わらず、テオバルドは他のことに移っても憤り続ける。

 そしてそれをレオン、こちらは無意識に煽あおってしまっている。


「テオ」


 そこに声が通る。

 二人の挨拶に口を開きかけたものの始まってしまった言い合いに一旦口を閉じ、見たのは一度ではないそれをじっと見て何かを考えていた男の声だ。

 温度差がかなりある言い合いをしていた二人は、その声が耳に入った途端に身体を向き直す。他ならぬ自分達のボスの方へ。


「は、はい! 何ですかボス!」

「そんなに声は張らなくていい。取引場所の首尾は」

「はい。整っています」

「そうか」


 今日これからの件に関して、淡々と確認すべきことを確認した男。視線を出入口である扉に向けて、止めていた足を動かし出す。

 それに合わせてテオバルドとレオンが扉をそれぞれ片面ずつに手をかけ開ける。


「テオ今日はお前に任せる」

「はい」

「レオン、お前はテオの補佐に入れ」

「はい」


 中から空気が冷える外に足を踏み出す男は、後ろに続く二人に前を向いたまま言う。

 それに真剣な面持ちになった二人はそれぞれに向けられた言葉に返事をする。

 それは今日の取引を指す言葉。取引の仕切りをテオバルドに任せ、その補助にレオンにつけというもの。


 外に出た彼らの遥か上に広がる空は薄い灰色の雲に覆われている。太陽のその光は雲を通して、僅かに地上に届けられている。そのせいもあって今日はいつもより寒いのだろうか。


「今日の取引は無駄になる」


 停められている車に向かう男はただ前を向いてそう溢こぼす。まるで、そんな気がするというだけの口調で。

 僅かに聞こえる程度の声を、言葉を拾った後ろの二人は視線を数秒のみ交かわす。そしてまた前を見る。


「ボスはそれでも行かれるんですか?」

「……ああ、声に出してたか。そんな気がするだけだからな」


 それがたとえ小さな取引だとしても。

 男はテオバルドの問いに自らの呟きを思い浮かべながら答える。


「血が流れなければいいが」


 開けられたドアから車に乗り込みながら、これは溢してしまったものかどうなのか、また男の呟きが小さく落ちる。

 それを耳ざとく拾ったテオバルドは自らの服の下を手で密かに確認し、気を引き締め直した。





 車の窓から見えるのは曇り空の下、人通りが多くなってきている街並み。

 人々は仕事に向かい、仕事を始め、または学校か買い物か。昨日とかわらぬ日常を始めようとしている、今日も。

 その光景を肘をついてただ見ている男。目に、頭にその光景が入っているかは別として。


「レオンもう少し速度を落とせ」

「これ以上落とすとノロノロになっちゃいますよ?」

「なるか!」


 ハンドルを握るレオンと、スピードが少々出すぎているために注意を促すが相手にされないテオバルド。どちらが先輩か、言葉遣いがなければ分からない。

 運転席と助手席で交わされる会話を、耳から耳へと流して聞きながら男は窓の外から目を向けたままだ。

 車が次に止まるまで。





 やがて彼らを乗せた車が止まったのはとある地下。

 男は車から降り、地下に繋がるドアの前に向かっていた。

 そこには両側にスーツを着た者が立っている。ドアが開いた先には通路があり、そんなに長くはないその先にまたドア。そこを開けると、たいして物のない殺風景な部屋がある。

 地下であるため、もちろん窓はない。どこか寒々しい印象を与える部屋だ。それはもしかすると、実際に気温が低いだけかもしれないが。


「お待ちしておりました」


 そしてそこにはすでにスーツの者が数人と、スーツではない者が数人いた。

 スーツではない者三名がドアから遠い側――机の向こう側――におり、その傍らには何かが入っているだろう木箱が置かれている。

 その三名の背後の壁際にはスーツ姿の者が二名それぞれ左右に立っており、男が入ってくると僅かに頭を下げ挨拶の代わりとする。

 男が入ってくるなり椅子にただ一人座っていた者が立ち上がり、ぎこちない笑みを顔に浮かべて声をあげる。

 それに対して男はドアに近い方の壁際。テーブルに備え付けられている椅子の、後ろに置かれている椅子に腰を下ろす。声の方に一度だけ向けられた目はすぐにどこを見ているか分からなくなった。


「お前が新しくここで大々的に商売をしたいという奴か」

「はいそうでございます」


 この場を任されるテオバルドが机につき、この場でスーツではない者たちに声をかける。それに、いくらか自然になってきた笑みで椅子に座り直した者が腰を低く応じる。


「私共が扱うのは……」


 男が後ろの方で傍観する中、始まった話はトントン拍子に進む。それはこれまでの形をなぞって。

 そう、これは本来考えてみるとボスと呼ばれる地位にある男が赴おもむくほどのことではないのだ。他の者に任せればいい部類のもの。しかし男は違った。出来うる限り目を光らせることを彼は選んでいる。時間の許す限り。


 スーツでない者たち――商人たちが傍らにある木箱からさらに小さな箱を取り出して、テオバルドとその横に立つレオンに見せるようにして机の上に箱の蓋をとって置く。

 その中にあったのは何の変鉄もない葉巻だった。箱の中に並べられた、一般のものに比べいくらか大きさにばらつきのあるそれを見てテオバルドは確認を含めて口を開く。


「葉巻か」

「はいそうでございます。こちら多少形や大きさが気になる方もいるやもしれませんが、かなりの安値となっているのです。もちろん品質には問題はありません」


 形が異なる部分があるのは安値を実現するために大量生産を行ったためだと言う商人。その口調には淀よどみはない。


「それに葉巻といいましてもたくさんの種類がございますので私共は各葉巻を取り寄せ、売ることを商売としているのです」


 木箱から小さな箱を次々と出し、蓋を取ってみせる商人。なるほど、現れた葉巻は長さや太さが箱ごとに異なり、つけられている印も違う。銘柄が異なるらしい。


「値段も色々でして、ここでやっていくのにもその辺りも手探りして行きたいと思っております」


 机いっぱいに広げられた葉巻の入っている箱。テオバルドはそれらを一通り見て、出す葉巻は終わったらしい話を続ける商人を見る。レオンはまだ葉巻を興味深そうに眺めている。


「そして、よろしければこちら私共が扱っているもので最高級品となっているものです。どうぞお受け取り下さい」


 机の上のもので持ってきたものは終わりかと思いきや、最後に商人はすっと黒い箱を机の隅に差し出す。テオバルドの方へ。正確にはその後ろに座る男へ。

 テオバルドはそれをちらりと見やり商人に目を戻すと、商人はぎこちなさのなくなった笑みで彼を見ていた。


 商人は強かだ、とテオバルドは思う。最初に部屋に入ったときのぎこちなさはどこへやら、商談に入ると自分を取り戻しやがる。と。


「もちろん商売を許されるにあたっての引き換え条件も分かっております」


 これは、取引なのだ。

 外から現れ商売をしようとする者は、後から言われてはならんと()()()()申し出、そして主な商品の検分と共に商売をしていく過程

()()()()『納める』ことになる。それ相応の対価を。

 それを、この商人は言っているのだ。先ほど彼が差し出した最高級品の葉巻は、ただの挨拶の品の代わりに他ならない。


 どうやら彼らは、外からの商人のこの土地へ入るにあたっての暗黙のルールは調査済みらしい。


「それなら話は早えな」


 隅に差し出された箱の中身をちらりと確認し、話が早そうだと腕を組み話し始めるテオバルド。


「お前ら外からの商人は納め続ける限り、ここで許される限りの商売が出来る」

「分かっております」

「いいか、余計なもん持ち込もうなんて思うんじゃねえぞ」

「……分かっております」



 商人の返答に僅かな間が空いたことに、いやテオバルドの言葉に商人の後ろに立つ者たちが緊張する。

 緊張したことを男が感じとる。そしてその目をテオバルドの後ろから商人に向ける。彼からは半分だけ見える、その商人に。


「その木箱の中には、もう何も入っていないのか」


 発される声。その言葉に、男の目の前で商人の笑みにぎこちなさがまた少し姿を表し始める。

 もう終わりが見えたかと思われた取引に、何かが付け加わり出した。

 今まで後ろで傍観していた男によって。


「持って参りました葉巻で……」

「ここまで持ってきたのなら見せていったらどうだ」


 男は木箱に目は向けていない。ただ机についている商人にその目を向けている。

 そして淡々と促す。

 商品で伺うかがいを立てたいから持ってきたのだろう、と。

 テオバルドやレオンたち、その部屋にいる他の者たちはそれをじっと聞いて商人の挙動を見ている。


「……では……」


 商人はまた少し間を置いたが、何を頭の中で考えたのかは分からないが、再び役目を終えたと思われた木箱に手を伸ばす。出来るだけ自然に。

 そして、ぎこちなさの見える笑みを張り付けたまま話し出す。


「昨年遠い北の方で流行った病をご存知でしょうか?」

「北で?」


 新たな小さな箱を葉巻の箱の間に置きながらの問いにテオバルドが疑問で返す。

 それに笑みを深める商人が頷く。


「はい。北での季節の変わり目にそれはもう広く流行った病があったのです」


 話し出すとなぜか声に僅かに現れていた緊張もなくなり始め、するすると話を続ける商人。その手は取り出したばかりの箱の蓋にかけられている。

 部屋内の視線はそれに向けられている。

 男の視線だけが商人に向けられている。


「それが今年は各地に広まるという予測が立てられまして。いえ、今年でなくとも遅かれ早かれ広まるでしょう……ということで早くにこれを持ってこの地にやって参ったのです」


 開けられた蓋。

 中身のあらわとなった箱には、大きめの錠剤らしきものが詰まっている。ひとつひとつが薄い紙に包まれて。


「察するにこれがその流行り病の薬ってか」


 箱の中の錠剤を覗き込んでから椅子の背もたれにもたれ直したテオバルドが、腕を組んだまま視線で錠剤を示して言う。


「そうでございます」


 ご明察、というかのように軽く頭を下げてみせる商人。その笑みから再びぎこちなさは消えかけている。


「なら葉巻と一緒に出しちゃえば良かったんじゃないですか?」


 レオンがこの場の者の疑問を率直に商人にぶつける。


「……実は、まだ流行ってもいないと分かったので流行らない内に出してしまいますと怪しいものにならないか、と思ってしまいまして。申し訳ございません」


 眉を下げ、申し訳なさそうな笑みになり淀みなく答える商人。

 その様子にレオンはテオバルドを見る。

 どうやら深刻ではなかったようだ、と。

 テオバルドもレオンの視線を理解しながら、それ以外は怪しい部分の無かった商人と、机に広げられた葉巻と出されたばかりの薬を見て、大抵の商人たちと同じように問題がなさそうだと考える。


 あとの手順は簡単だ。この商人に簡単な契約書に名前、拠点にする場所等を明記させるだけ。テオバルドは用意していた折り畳んだ紙を取り出すためにスーツの中に手を入れる。


 そのときびくり、と見ていた者になら誰にも分かるくらいに、実際に交渉を行う商人の後ろに立つ者が肩を跳ねさせる。

 スーツ姿の者たちはその視線の先、スーツの中に手を入れているテオバルドを見て内心苦笑する。何を取り出すと思ったのだろうかと。


 テオバルドが紙を取り出し机にそれの端がついたと同じくらいに、男が口を開いた。


「それは具体的にどういった効能をもつ薬だ」


 男の目は商人に向けられている。商人には再びの問いに顔にぎこちなさが戻る。


「先ほど申し上げました流行り病の特徴のひとつとして、激しい頭の痛みが上げられます。それを和らげることが出来るのです」


 それでも商人はつらつらと薬の説明をしてみせる。残った矜持をかき集めて。


「副作用はないのか」


 だが、男の薬への追及に、


「……ございません」


 そのぎこちなさはどんどん増していく。

 元々部屋にあった緊張感。閉塞感のある部屋とあちら側の人間に囲まれている感覚。さらには男の異様な存在感を放つ目。

 商人はここに来るまでにあった余裕が段々と剥がれ落ち、なくなっていくのを感じていた。


「お前が言っている北の流行り病」


 その様子をじっと見続けている男は商人の主張を聞いて、またそれまでと同じように口を開く。


「俺が聞いたところによると、その流行り病の際に出回った薬の中に強い依存性をもたらす副作用のある薬があったとか」

「……それは他の薬のことでしょう。私もその話については存じております。それはどこから持ってきたかも分からぬ得体の知れない薬でした。私も見たことがあります」


 その話を聞いて疑うことは分かるがそれはこの薬ではない。と言う商人。

 そのとき商人の目の前に座るテオバルドは、机に置きかけていた紙を元のように折り畳みスーツの中にしまっていた。その横に立つレオンも葉巻の箱を興味津々に見ることを止め、背筋を伸ばした状態で商人を見て立っている。

 今や、この部屋の中の人間の視線は商人に向けられている。


「その薬の色は黒の粒の混ざった薄い緑」


 男が商人の言うことを無視して自分の言葉の続きを言うやいなや、レオンが薄い紙に包まれている商人の前の錠剤に手を伸ばす。中身の薬の色を確かめるために。

 商人の後ろの者が息を止める。商人の表情は固まっている。その視線は薄い紙を取られあらわになろうとしている薬に向けられている。


「わお、当たりです」


 紙を取った錠剤を指先で摘まんで男に見せるレオン。

 彼の呑気な口調とは裏腹に部屋の空気は変化する。緊張の張り詰めたようなそれに。


「そ、それは偶々たまたまでございます! それに、問題の薬は……粉末上のものです!」

「粉末だろうと錠剤だろうとんなもん大した違いにはならねえだろうが。あ?」


 色が一緒なのは偶然。それに形状が違うとがたりと椅子から立ち上がり言い張る商人。その顔には汗が流れている。

 もはや明らかなそれにしらを切ろうとする商人にテオバルドが立ち上がる。凄みのある表情と共に。


「最後に聞こう」


 一人座ったままの男が全く変わらない声を商人に投げ掛ける。


「これは本当に偶然か」


 最後のチャンスを。本当は何度もあったチャンスの最後のそれを。


「……こ、これは……」

「調べれば何もかもが分かるが」

「……ひっ……!」


 向けられていることが嫌でも分かるその目。しかし一度としてその目と合わせることを避けていた商人は、そのとき目をさ迷わせていたためそれとかち合わせることとなってしまった。

 その喉の奥から怯えた声が出る。本人の意図したことではなく、思わず。

 その証拠に商人は声の出た口を塞ぐ。目は怯えて。


「ボスが偶然かって聞いてんだろうが」


 商人よりも背の高いテオバルドが、目線の下で途中の余裕など消え失せた様子を見ながら凄む。


「……この、く、くすりは、」

「俺が言っている薬だな」


 口から手を離し話し始めたものの、言葉がつっかえる様子に何を思ったのか男が言葉を挟む。

 それに商人は目をさ迷わせたままこくこくと頷く。もちろん縦に、勢いよく。


「も、申し訳、ございませ……」

「どうやらここの事情に通じていたのにも関わらず、それに背を向けたようだな」


 今ならまだ逃れさせてくれるかもしれない。いや、逃れなければ。そんな望みを、考えを抱きながら商人は突如謝り始める。

 これ以上ここでしらを切り、ごねると危ない。そう感じて。

 しかしそこでまた発される声に身を強ばらせる。頭を下げたまま、固まって。

 椅子に座ったまま言葉を続ける男が、部屋にいる他のスーツの者たちに合図をしているのも見ずに。いや、見ていたとしてもその身を強ばらせるしかなかっただろうか。


「まだ持ってきているんだろう。それを」


 その頭の近くに、そして自分達の周りに向けられるその存在が商人は否応なしに分かった。

 そしてもう何もかも見透かされているのだと、理解する。


「置いていけ」


 そろりと顔を上げた商人の目に映るのは。


「……っ」


 突きつけられる銃口。それを目の前に二つ見る。

 後ろに立っている二人も自分と同じように身を強ばらせ縮こませていることを感じながら、商人は詰めていた息を吐いて慎重に声を出す。


「お、おっしゃる通りに……致します」



   ◇◇◇



「くそっやられた!」


 何時間もあと。ようやく解放された商人たち。空が厚い雲で覆われ日中なのにも関わらず薄暗い中、彼らは歩いている。

 最後には余裕の欠片もなくなった自分に苛立ち相手に苛立ちながら、悪態をつきながら。


「入ってしまえばこっちのものだったのに畜生……! 一旦見せて騙せれば表で堂々と売れると思ったが……」


 まさか遠い北の流行り病の件ばかりでなく、そのどさくさでの件についても知っているとは。

 取引での口調などどこへやら。荒い口調をあらわにする商人の頭の中には、持ち込んだものを全て巻き上げられた先ほどのことが渦巻いている。


「ど、どうするんですか? このまま帰っても……」

「ああ、ああ分かっている!」


 商人の後ろを疲れきった様子で歩く二人の内、一人が恐る恐る商人にこれからのことを尋ねる。商人はそれに対しても苛立ったような態度で返す。

 図星を指されたからだ。

 商人の頭に中にも、あの地下の部屋に持っていっていなかった荷を取りに行かされたときからそれが回っていた。そして解放されてからは、苛立ちと共に頭の大きな割合を占めるようになってきていた。


 結局商売をする権利さえ貰えなかった。中に入れればこちらのものだったのに、中にさえ入れない。

 その結果を持って帰ることでどんな処分が自分を待っているか、商人は考えたくなかった。しかし戻らなければ、これからも見えない。

 その狭間に彼らは今いた。


「とりあえず一度戻るしかない」

「しかし、」

「もう一度チャンスを貰えるよう、頼むんだ。だがその代わり今度は」


 失敗出来ない。その言葉は発されることなく商人の口の中で消える。けれども、その場にいる三人が違わずそれを思い浮かべる。唾を飲み込み彼らの喉が上下する。


「舐めていた。そう舐めてかかっていただけだ。今度はより安全な道を行けばいい。中で商売をしていく権利さえ貰えればこちらのものなんだからな!」

「ですが、顔がばれています」

「そんなものどうにでもなる! お前たちはもう一度チャンスが欲しくないのか!?」

「も、もちろん欲しいですよ!」

「なら俺の言う通りにしてろ!」


 商人はもうすでに再びこの地に戻ってくる算段を組み立て、光景を見ていた。

 無意識にか元々のくせか、人通りのない通りを選んで歩きながらぶつぶつと呟く。


「裏で売ればいい。裏で。ばれない小細工なんていくらでも出来る。だいたいあの薬を巻き上げてどうするってんだ。あああいつらが売りさばいて儲けるに違いないそうだ……」


 これからの計画と、先ほどのことへの恨み。元々人目などないが、人目など気にせずにそれは止まらない。


「こっちが金を払ってやるんだから黙ってりゃいいものを。すかしやがって……」


 だが、彼らは分かっていなかった。

 そもそもなぜ荷を巻き上げられただけで、脅しだけで、一度二度殴られたもののほぼ危害は加えられることなく解放されたのか。

 周りを囲まれ命の危機を彼らが感じていただけで、なぜスーツの者たちがあの場においては命を奪う気がなかったのか。


 気づいていなかった。

 男が「偶然か」と尋ねたあれが本当の最後のチャンスではなかったことに。

 最後のチャンスは、あの質問からあとだったことに。


 そして今も気づかない。

 自分達の後ろから、前から横から聞こえない足音が迫ってきていることに。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ