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Like Silk

「あーん、終らないよお!!」

 遠藤が頭を抱えながら叫んだ。そうなんだ、修学旅行のしおり作りが、印刷〆切前日の今時分になっても書き上がらない。いろいろと情報を詰め込みすぎたのか、表紙の選定に時間を費やしすぎたのか、とにかく6時半の下校時刻を過ぎても原稿は完成していなかった。


「今までだって散々催促されたのを引き延ばしてきたんだろう?」

「そうなんだけど……。困ったなあ」

 明日まで印刷を引き延ばしてもらった条件は、朝イチで印刷担当の先生に原稿を渡すことだった。明日の昼前の学年集会でのしおり配布に間に合わせるのは、それがギリギリ。しかし、原稿の残りは未だ三分の一もある。学校にはもう居残れないが、二人じゃないと出来ない作業はまだ残っている。

「なあ、良かったら俺の家で続けないか?」

 話に聞いただけだけど遠藤の親父さんは厳しいらしいからな。彼女の家の方でやろうとしたって、見ず知らずの、俺みたいな得体の知れない金髪頭が乗り込んでいったら、無下に叩き出されるのがオチだろう。俺を連れていった遠藤の立場も危うくしかねない。

「ホント?うわあ、すっごく助かっちゃう!!じゃあお邪魔しちゃおうかな」

 遠藤は、小躍りせんばかりに喜んだ。何をそこまで喜ぶ理由があるというのだろう。俺にとっては、面倒な作業が残っているだけで億劫だというのに。

 仕事に必要な荷物をまとめて校門を出ると、

「矢島君、携帯持ってたら貸してくれるかな。家に遅くなるって連絡入れておきたいんだけど…」

「いいぜ、ほい」

 携帯を手渡し、遠藤からちょっと離れる。耳をそばだてずとも声が聴こえるのだが、なんとなく後ろめたさを感じる。  それにしても、父親が厳しいとはいえ携帯の所持まで禁止されているとは徹底してるな。

「あ、お母さん?葵です。修学旅行の仕事をどうしても今日中に終らせなきゃいけないの。同じ委員の人の家で作業するから今日は遅くなる。……うん、うん、わかった。はーい。じゃ、よろしく」

 ぴっ、とボタンを押して俺に携帯を帰した。

「ありがとう。やーね、厳しい家って。ウチ、お母さんは結構理解があるのに」

「ははは、オヤジさんはそれだけ遠藤のことを大事にしてるんじゃないのか?」

「理由は分かってはいるんだけど、ね」

 そう小さな声で呟く遠藤は、悲しそうな貌かおに見えた。

理由…か。  しばらく川べりの遊歩道を歩いていると、遠藤が済まなそうに

「ごめんね、こんな遅くまで。私が矢島君を推薦したばっかりに……これだけ原稿が遅れたのも私が欲張ったせいだし……」

「気にすんなよ。今じゃあ委員をやって良かったと思ってるんだぜ、なんせ俺の新たな才能が垣間見る事ができたもんな」

「そう言ってくれると嬉しいな。ねえ、絶対しおり完成させようね!!」

「おう、俺達なら出来るさ」

 俺はにこやかに笑ってサムアップ。だから、乗せられやすいんだと言ってるだろう?


 意気揚揚と玄関のドアを開けると、円やかなクリームシチューの香りが、玄関にまで満ちてきていた。その香りを吸い込むだけで、ぐう、と俺の腹が素直な態度を取る。その音が聞こえたのか、遠藤はくすっ、と笑った。

「ただいまー」

 声を掛けると、しばらくしてぱたぱたとスリッパの音が近付いて来る。やがてエプロン姿の瑠璃が顔を出した。

「おかえりー。あ」

 遠藤の姿を見て、瑠璃が一瞬固まった。まるで、瑠璃だけが時間の流れから取り残されたかのように、エプロンで手を拭いた姿勢のまま。

 そんな瑠璃を解きほぐす為か、遠藤は至極穏やかな笑顔で

「どうも、初めまして。矢島君と一緒に修学旅行委員をしている遠藤葵です。葵って呼んでね」

「あ、あ、はい」

「今日中にパンフの原稿終らせとかなきゃいけないから、家でやるように誘ったんだ」

一応フォローを入れといてやるか。瑠璃が固まってるし。

「あ、あの、瑠璃といいます。よろしく」

「こちらこそよろしく。という訳で、お邪魔しまーす」

「あ、え、どうぞ」

 瑠璃の言動が酷くぎこちない。緊張しているらしい。

「なあ遠藤、続きを始める前にまず腹を満たさないか?俺もう腹が減ってダメだ。遠藤も食べていってくれよ。な、瑠璃?」

 瑠璃にウィンクで合図を送ると、その意図を察したらしい。

「え、あ、はい。是非感想を聞かせてください」

 遠藤はしばらく迷っていた風だったが、結局矢島家の食卓の一員となった。とにかく何か手伝おうとする遠藤を制止して、手早く盛り付ける。レードルから零れ落ちるシチューの香りは、それが小麦粉を煎るところから始まる完全手製であることを物語っていた。



 一口目を口に含んだ遠藤は、

「瑠璃ちゃんてお料理が上手いのね。このクリームシチュー絶品だわ。これならいつでもお嫁さんになってもいいわね」

 と、いささか飛躍しすぎな、それでいて率直な感想を漏らした。そういえば、俺も同じような事を言ってからかったっけ。

「いえ、そんな事……」

 照れた瑠璃は真っ赤になってシチューを啜る。遠藤はその光景を見て、目を細めた。それにしても……今俺の目の前に、1ヶ月前からはとても考えられない光景が広がっている。長い間この家に住んでいて、食卓に三人座ることなど有り得なかったのだから。それはさておき、初対面なはずの二人だが、会話ははずんでいる。きっと、遠藤の明るい性格が人見知りしそうな瑠璃の警戒を解いているのだろう。

 やがて食事が終ると、俺の部屋で原稿の続きを上げにかかった。時間が無い事は二人とも分かっているので、瑠璃がお茶を持ってきた休憩時間以外、無駄話は一切出なかった。とにかく黙もくと作業を進める。そして……

「終わったー!!」

「なんとかなるもんだなあ、集中すると」

「その言い方じゃあ、学校で作業してるときはふざけながらやってたみたいじゃない」

「少なくとも効率のいい進め方じゃなかったろ?考えたら、お喋りが大半だったような気はするが」

「そうだったかな?うーん、まあいいじゃない、こうやって実際に終わったんだから」

 時計を見ると十時を回っていた。夕飯が終わってから3時間以上は集中していた計算になる。

「もうこんな時間なの?帰らなくちゃ」

「あ、送っていくよ」

 俺は瑠璃に一声掛けようとして、部屋のドアをノックするが返事はない。風呂かな?そう思って脱衣所の前で耳を澄ます。

どうやら脱衣中や着衣中ではないようだ……。



 俺はそう考えたから脱衣所のドアを開けたんだぞ?それなのに……なんだ、この目の前にいる白い物体は?その美しい白は、俺の目にしっかり焼き付いた。おまけに……

「きゃあああーーっ!!」

 と、耳をつんざく悲鳴を発した。そしてバスタオルで身体を隠す。俺は、金縛りにあったように動けない。いや、あまりにも美しい物を目の当たりにして、実際に金縛りにあっているんだ。丸みをおびた肩に白いふともも、細い腰……俺だって女の裸ぐらい見たことはある。ところが、モノが違うんだなモノが。今まで見た中で一番美しいだろう。もちろんそんな感慨にふけっている間にも、瑠璃は悲鳴を上げ続けている。

「やーーーーっ!!おにいちゃん!!いつまでそこにいるのよおっ!!出てって、出てってーーーーっ!!」

 瑠璃はぺたりと座り込んで、泣き出してしまった。その涙で俺はようやく体の自由を取り戻す。

「あ、あ、わわっ、ご、ごめーーーーん!!」

 俺は慌てて脱衣所を飛び出した。

「どうしたの?きゃあ!!」

 玄関にいた遠藤の腕をとって家を出ると、遊歩道まで走る。

「はあ、はあ、一体どうしたのよ、もう」

 ようやく話せる程度にまで呼吸が回復すると、遠藤をベンチに座らせて事の顛末を話した。

「そうなんだ……瑠璃ちゃんの着替えをねえ」

 遠藤は俺を白い目で見ている。うう、怖い。

「ご、誤解するなよ!!わざとじゃねーよ!!」

「じゃあ、ちゃんと謝ればいいことじゃないの?」

「そりゃそうなんだけど……どんな顔して謝ればいいんだ?」

「私に聞かないでよ。それは矢島君が一番分かっているんじゃない?ともかく、誠意を見せるのよ。女の子を泣かせたんだからね!!その事をよーく肝に命じることね」

なんか怒ってるな。美人だけに迫力がある。

「わ、分かった。悪いな、こんなこと相談しちゃって」

「もう……」

 遠藤は、それから機嫌がなんとなく悪かったが、家の近くまで来ると、

「ここまででいいわ。今日はありがとう!!」

「遅いけど平気か?」

「えっ、何の事?」

「ほら、親父さんが厳しいんだろ?もう11時だぜ」

「あ、うん。学校の理由があれば割と平気だから。じゃあ、明日は私が早めに原稿持っていくね、瑠璃ちゃんにごちそうさまって言っておいて。おやすみなさい」

 遠藤は、軽やかな足取りで歩いていった。ま、俺が心配する事じゃないかもな……遠藤の家の事だし……作業の遅れには俺の責任もあるけどさ。それより問題は瑠璃にどうやって謝るか、だ。俺は帰り道じゅう、瑠璃の状態に合わせた何通りもの謝罪シミュレートをした。例えば瑠璃が泣いていたり、怒っていたり、ふさぎこんでいたり……シュミレートNo. 13まで完成したころ、家の前に着いた。

 そーっと玄関のドアを開け、家に入る。居間やキッチンを探してみたがどこにもいない。残るは瑠璃の部屋か。RURIとネームプレートのかかったドアの前に立ち、呼吸を整える。すーはーすーはー……。よっし!!気合いを入れてノックをする。

コンコン……

「瑠璃、いるんだろ?開けてくれよ、謝りたいんだ」

 返事はない。ただし、ドアのすぐ向こうで息を潜めている気配はする。

「じゃあ開けてくれなくてもいいから聞いてくれ。あれは、その……信じてもらえないだろうけど事故だったんだよ。ドア開ける前に物音がしないかどうかちゃんと調べたんだぜ?」

 瑠璃がドアのすぐ向いにいるという俺の予想は、次の声が近くから聴こえてきた事から判断しても大当りだったようだ。

「あの時はあくびをしてたから、耳が遠くなってただけだもん。すっごくびっくりしたんだから!!」

 怒っている。無理もないか、微妙な中三の女の子が男にハダカを見られたんだもんな……。帰り道にシミュレートした内容は、いつしか頭からブッ飛んでいた。

「ほんとに見るつもりは無かったんだよ!!信じてくれよう!!」

「ウソ!!だったらどうしてすぐに出ていかなかったの?そんないいかげんなこと言っても信じらんない!!」

 うっ……痛い所を……でもそれは、瑠璃の身体があまりにも美しかったせいで……って言っても説得力ねーな、こりゃ。でもどーせ怒ってるんだ、素直に告白してみるか。

「それはな、瑠璃。俺が男で、こっちの方が重要なんだけど瑠璃の身体が無茶苦茶キレイだったからなんだ。ほら、キレイなものには目を奪われちゃうだろ?」

「……」

 しばらくの沈黙の後……。

「そうして自分を正当化するんだ、おにいちゃんって……」

 うわ、マズイ!!ドツボだ!!

「私、おにいちゃんの事信頼してたのに!!もう知らないから!!」

 それっきり、瑠璃は口を聞いてくれなかった。参ったなあ……何にせよ、最後はきっちり謝っておこう。

「瑠璃、最後に一つだけ伝えておく。俺が悪かった。ごめん」

 それだけ言うと、俺は自分の部屋に戻った。頭からふとんをひっかぶる。それにしても馬鹿な事をしちまった。あの怒り方からすると、当分許してくれそうもない……しかし、めげる訳にはいかない。長い時間がかかってもいい。とにかく、じっくりいこう。またあの時のように、ウチに来たばっかりの時のように心が氷りつかないように……。俺は瑠璃を守るって決めたんだから。


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