Boy meets girl
次の日。俺は、高遠高校の掲示板の前で、クラス分けを確認していた。なーんだ、主だった友達とはほぼ同じクラスじゃないか。新鮮味はないが、その分ほっとする。知らない奴らに囲まれて黙りこくるなんてイヤだからな。もしそうなっても、自分から話しかければ良いだけの事なのだけど。そんな事を考えていると、
「やあ亮、また同じクラスみたいだね」
と、背後から声を掛けられた。振り返ってみると、そこにはあまり背の高くない…いや、こんな言葉でごまかしても仕方が無いな…はっきり言って背の低い(俺の肩辺りまでしかない)美少年が、女性ならだれでも見とれそうな微笑みを浮かべて立っている。こいつは、榊原 龍志。俺とは入学時以来の親友だ。ドイツ系とのクウォーターで、ドイツ名は……確かエーリッヒ・リュウジ・サカキバラ。ゲルマンの濃そうな血が、日本人の、しかも薄口の血と見事に融合していて…こいつを美少年と言わずして、誰を美少年と呼ぶのか…ってなもんだ。もちろん、女の子連中からの支持は絶大。見ての通りの美少年系だから、それ程表立ったものではないらしいけど。しかし本人は、その優しそうな顔立ちからも推測できるようにかなりのオクテ。『龍志君ったら、すぐに赤くなっちゃって可愛いっ』と言われているかどうかは定かじゃないが、特に三年生のお姉様に可愛がられている。しかし、そんなことは俺と龍志の間には何の関係も無い。俺が龍志を気に入っている理由は、おっとりとした性格と、極めて礼儀正しい態度を取るからだ。亡八国に成り下がったこの日本で、何よりも大切なのは、やはりモラルだと思う。その辺りが、龍志に惹きつけられて止まないのだ。
「おう、龍志。そんなことだから、ひとつ今年もよろしくな」
「うん。よろしく。ふふふっ、何だか新年の挨拶みたいだね。さ、行こう。顔ぶれは一年の時と殆ど一緒みたいだから、心配が無くていいよね」
龍志は、ごく自然に俺の隣へ並んだ。柔らかそうな金髪が、俺の肩の辺りで揺れる。男の俺でもどぎまぎするほど、それは美しかった。
教室に入ると、前のクラスでも一緒だった佐竹が、ニヤニヤとイヤらしい笑みを浮かべながら俺の首に腕を巻き付けてきた。
「よう、矢島ァ。お前、やるねえ」
「何の事だ?」
「とぼけるなよ、女子中学生と同棲してるって噂だぜ。お前の家から、中学生くらいの子が出てくるのを見た奴がいるんだよ」
いやあ、見られてるもんだな。悪い事はできねえや……って、思わずノリツッコミをしそうになったが、後々のこともあるし、ここは一丁言ってやらねば。
「その事か……。あの子は俺の妹だ」
「有りきたりの言い分だな、姉妹とか親戚とかって。大体がお前に妹がいたなんて初耳だぜ?」
「つい最近できたんだから仕方なかろう。あの子は親父の親友の娘さんだったのを、訳ありで俺の家族になったんだよ。これで説明不足なら戸籍抄本でも見せてやろうか?」
勤めて冷静に説明してやると、佐竹の顔が引きつって行く。
「な、なんだ。そうだったのか、俺はてっきり体で逃げられない様にしていたのかと……ははは、それならいいんだ。あはは……は」
俺の顔に焦りが全く見られないことを悟ったのか、佐竹はこのネタが役に立たないと見限り、しょんぼりして教室から出ていった。すごすご退散していく佐竹の背中に、
「たまにはオナニーでもしろよ!!心身に悪ィぜ!!」
と、誰かお調子者が追い打ちを掛けると、教室内がどっと湧いた。どうやら、俺の味方をしてくれる奴は多いらしい。しかし何故か…あいつは俺を陥れようとしてるな。恨まれるような覚えは無いのだけれど…人間、どんなところで恨みを買っているか分からないモノだし。しかし、俺を揺するには随分と底の浅い情報だったようだな。
「良かった。矢島君がそんな事するように見えなかったから、佐竹君の話を聞いた時はびっくりしたわ。だけど安心した」
話かけてきたのは、一年の時も同じクラスだった遠藤 葵あおいってコだ。ショートカットにしている事からも推測できる様に、活発でアネゴ肌の女の子だ。ややツリ目の勝気な美人で、運動着になると以外な程の肉感的な身体が露わになる。着やせするタイプらしい。…要するに、『そういう眼』で見てたわけだ。恋愛感情ではないけれど、やっぱり可愛い子は目の保養によろしいからな。 そんなスキの無さそうな彼女なのに、一年間全く浮ついた話をぜんぜん聞かないっていうのは、学校七不思議の一つに成りかねない。これだけの美人なのに、なぜだろう?
「それでも半分くらいは信じてたろう?」
「まあね、人の好みは三者三様だもん。年下が好きでも邪魔できる権利なんて誰にもないわ」
「ご理解のあることで」
俺は肩をすくめた。
「ま、そんな訳だ」
佐竹とのやりとりを聞いて唖然としていた龍志に向き直る。
「そうなんだ、妹さんができたんだ」
「うん、来た時はびっくりしたぜ。突然お世話になります、だもんな」
「妹さんって事は女の子だよね。ねえ、何歳?」
「え?」
龍志が自分からそういうことを聞いてくるのは非常に珍しい。何せオクテだからなあ。しかし、どういう風の吹き回しだろう?
「そうか龍志、お前も女の子に興味が出てきたか!!」
「ち、違うよおぉ!!ただ僕は、友達として亮の新しい家族に挨拶したいだけなんだよ」
何だ、そういう事か。コイツは折り目が正しすぎるから、そういうところにも気を遣わないといけないと思っているんだろう。
「そうか、分かった。じゃ、今日にでも家に来るか?」
「うん!!是非お邪魔させてもらうよ!」
いやに嬉々として答えた龍志。一体、どうしたというんだろう。
始業式が終った後、とりあえず携帯電話で家にかけてみる。今の時間なら瑠璃は帰ってきてる頃だ。四回目のコールで瑠璃が出た。
「もしもし?俺」
「お兄ちゃん?どうしたの?」
「今から友達連れていくけど、いいか?」
「いいよ。でもお昼御飯はどうするの?」
「何か買って帰るよ。何がいい?」
「何でもいいよ…あ、この街でお奨めの、美味しいものがあったら、それがいいな」
「おう分かった、じゃあな」
今思うと、初めて会ってから一週間強しか経っていないのに、声がずいぶん明るくなって、会話そのものの量も増えたような気がするな。いいことだ。
「何、ニヤニヤしての?」
「うぐっ、な、何でもない。さ、早く行こうぜ」
「たっだいまー」
「お邪魔します」
俺達が玄関を開けると、すぐに瑠璃が出迎えた。
「おかえりなさーい。あ」
あ、という反応から見て、俺が友達を連れて来るというのを殆ど忘れていたらしい。
「あ、あの、おにいちゃんのお友達ですね。わたし、瑠璃といいます。よろしく」
龍志はというと、口をあんぐりと開けたまま瑠璃に見入っているようだった。
「ど、どうかしましたか?」
瑠璃が心配そうに聞くと、我に帰ったようだ。
「いや、あの、僕、榊原龍志です、初めまして。不躾ながら一つ聞いてもいいですか?アイドル事務所にスカウトされたこと、有りませんでしたか?」
おい龍志、突然何を言い出すんだ?テンパっているにしても質問が唐突過ぎるぞ。
「あ、一回だけ……」
お、おい、マジかよ?俺だってそんな話聞いた事無いぞ!!何で龍志には話すんだ?聞かれなかったから話さなかった、って言われたらそれまでだけど、『スカウトされた者同士』でしか通じ合えないものでもあるのか。
「実は、僕もスカウトされた事があったんです」
まあ、誰が見ても美少年だからなあ。街を一緒に歩いていて、擦れ違った女の子が振り向くなんてのは、珍しい事じゃない。
「その時は受験で忙しいし怪しげだったから断っちゃいました。瑠璃さんはどうしてその道へは?」
「べ、別に興味がなかったから……」
「そうかあ。でも、それもいいかも知れませんね。アイドルも大変らしいし。しかし、これから高校生になるともっと声を掛けられるかもしれませんよ」
「えっ、それって……」
龍志は、急に頬を染めてうつむいた。どうやら、今まで自分が遠回しに可愛いと言っていたのにようやく気付いたらしい。
「あ、ぼ、僕、初対面の人は苦手な筈なのにどうしてこんなに長く話を……。すみません」
「い、いえ、あ、お兄ちゃんも榊原さんも玄関にいないで、上がってください」
二人につられて俺まで動きがギクシャクしていたのか、靴を脱ぎ損ねて転びそうになった。
それから龍志と瑠璃は長い間、話をしていた。女に免疫が無い筈の龍志がこれだけ冗舌になるのを、一年間の付き合いで初めて見る。
「あ、もうこんな時間だ。帰らなくちゃ」
「もう帰るのか?夕飯を食っていけよ」
瑠璃も頷いて同意する。
「いや、今日の所は用事もあるし」
なら、無理に引き留めるのは止めておくか。龍志を見送りに外まで出ると、
「僕、女の子とあんなに話をしたの初めてだよ。すっごく楽しかった。また瑠璃ちゃんとお話しに来ていいかなあ?」
これが普通の男の台詞だったら要注意なのだが…何しろ龍志だからな。安心できる。
「ああ、来てやってくれよ。瑠璃も喜ぶぜ」
「うん。じゃ、また明日……は休みか。またあさって!!」
龍志は、手を振って走っていった。瑠璃とは、よっぽどフィーリングが一致したんだろう。瑠璃にとっても人と会話をするのはいい経験になるし。部屋に戻ると、瑠璃はエプロンをつけて台所で夕飯の準備を始めた。俺は、作業をしている瑠璃の後ろ姿をしばらく眺めてから言った。
「一回スカウトされたって本当か?」
「うん。こっちに来る前…小学生の時、友達と地元を歩いてたら……。」
「何て?」
「いくつ?とか何してるの?とか聞かれて、私、何なにプロダクションの者です。て言って、名刺渡されたの。興味が有るなら電話してくれって事だったんじゃないのかなあ」
「ふーん」
この時、正直言って、俺は瑠璃がそういう世界に興味が無くてほっとした。そう考えて今、俺は瑠璃抜きの生活が想像できなくなっている事実に、狼狽した。わずか十日しか一緒に暮らしていないけれど、渇いた俺の心に、瑠璃という潤いは大きかった。
「なあ、龍志はどんな感じだった?」
「ん、すごく話し易くて、いいひと……」
それを聞いて、俺は二人が親近感を抱いたように感じた。今度、龍志を誘ってどこかへ遊びに行こうか……。




