ありがとう
さてと。
どこから話そうかな。
……そうだな、まずは瑠璃が東和吉中学校を卒業した辺りからにしようか。
親父は年始の宣言通り卒業式前日に帰ってきて、奮発したという高級一眼レフデジカメで、かなり迷惑そうな瑠璃を撮りまくっていた。しかし威勢の良かった親父も、卒業生退場の頃には涙、涙……どの卒業生よりも派手に泣いてたぞ。第一、何で親父が泣く必要があるんだ。父親をやっている時間は短いが、子を思う気持ちは人一倍強いらしいな。その十分の一でも実の息子に向けてくれれば嬉しかったんだが。
とは言ったものの、俺がその風景を目の当たりにしているということは、俺自身も高校をズル休みしてまで保護者としてて参加している事に他ならず、人の事など何も言えない。いや、断じてズル休みなどではない。これは立派に家族としての公務だ。
父子がお互いに写真の腕前を心配し合っていたため、自慢の一眼レフの取り合いをしている俺と親父を苦笑しながら見ていた瑠璃だが、気丈なのはそこまで。学校では人気者で友達には困らなかった瑠璃でも、愛菜ちゃんとは進学が別になってしまったから、いざ校門で彼女と別れる、というときには眼を真っ赤にしていた。普通の友達とは訳が違うんだなぁ。
愛菜ちゃんは、どうやら実の祖父母である『漣』のおじさんとおばさんの元へと引き取られることになったらしい。俺もちょっとだけ関与した問題だけど、とにかく色々折り合いが付いて、時が全てを解きほぐして……結果的に良い方向へと進んだようだ。未だに、瑠璃と別れる時の泣き笑顔が忘れられない。泣きが半分、笑いが半分ではなく、どちらも100%で泣き笑っていた。そう、『泣き笑い』としか表現できなかったな。
それから……親父は珍しく長めに滞在する事になって……春休みの間中、親子3人で遊び回りに行ったんだ。まずは桜前線を探し求めて南へ。沖縄、長崎、福岡、山口、四国近畿東海……様々な場所で様々なものを見て、様々な名物を喰って……家に帰ってきた時には、もう高遠高校の入学式直前。慌てふためいて準備をして、まあ忙しいったらなかったな。
で、お次は高遠高校入学式の話に行こうか。
瑠璃にとってはレベル違いも甚だしい高遠高校だから、受験そのものは余裕以外のなにものでもなかったらしい。
受験後、瑠璃が入試の点数を訊きに行ったところ、返ってきた答えは……恐らくは、全受験生中トップクラスと思しきものだった。それも当たり前、か。
で。
生徒会役員でもないのに、教師のユウさんの計略にハマって在校生として入学式の手伝いをする事になってしまった俺は、気が気でなく瑠璃の方ばかりを注目していたから、再三再四ひとにぶつかりそうになったり、足元に置いてあるものに蹴躓いてしまいそうになったぞ。
その瑠璃はといえば……この兄が懸念したとおり、クラス中……いや学年中、果ては学校中の男子と言わず女子と言わず、あらゆる人間の視線を独り占めしていた。ここは悪い虫が付かないように……と出張るのは簡単だが、学校内では俺たちの関係は取りあえず普通の兄妹という事にしておきたかったから、なるべく遠くから見守ってやることにしたのだ。
親父も眼を光らせていた……と自己申告してきたものの、俺からは高遠の制服を着た瑠璃を自慢のカメラで激写しまくっているようにしか見えなかったから、甚だ不安だった。
そんな訳だから、平静でいられる訳ねーだろ!
第一、あんな美少女を飢えた野獣の中に放り込むんだぞ?俺は瑠璃の兄であり、恋人であり、そして保護者代わりなんだ。……特に、本当の保護者がまるで役に立ってなかったからな。出来れば始終傍にいてやりたいが、物理的に不可能な事に加え、論理上、瑠璃の成長を妨げることにもなる。
だから、このままで良いし、取り立てて周囲にアピールする必要もない……と思ったのも束の間。
「お兄ちゃんっ」
その帰り道。
せめて一緒に帰ろうと、校門の前で親父共々そわそわ待っている俺を見付けた瑠璃は、沢山の新入生がひしめいている中、そう言って嬉しそうに駆け寄ってきたものだから……完全に、周囲に『そういう眼』で見られ、印象を植え付けてしまうこととなった。良い虫除けにはなったかも知れないが。あとで親父に散々イヤミを言われたぞ。
卒業式が終わって、親父は夏休みの滞在を約束して再び海外へ。本当にじっとしていることが苦手な人なんだよな……。
……その後の瑠璃との高校生活は、まあ俺の方もほぼ開き直って、流石に校内でいちゃ付くまでは行かないけど、天気の良い日は二人して(多くの場合は龍志と遠藤含む4人でだが)外で弁当を広げたり、下校するときはほぼ確実に二人一緒だったり……
結局、自分に歯止めが利かずに、瑠璃と一緒の学校に通うというまたと得がたい機会をきっちりと生かしてしまっている自分に苦笑しながら、尚且つそれを反省しない自分が居る。要するに楽しいんだな。
たまには遠藤や龍志を伴い街中に繰り出し、時には瑠璃と二人で公園を散歩し、暑くなったら愛菜ちゃんと一緒に……そういえば、愛菜ちゃんは何も言わずに俺たちに微笑んでくれたっけ……『漣』でお世話になり、秋になったら山へちょっとしたハイキングに行ったり、冬になったら今度はスキーだ……
で、瞬く間に楽しい一年が過ぎて、
今度は俺が進路に困る番だった。
他の奴らはというと……
遠藤は希望通り、マスコミ編集……ではなく、過去を振り切って新しい道へ。旅行コンサルタントみたいなものを目指しているらしい。
龍志は希望通り、国大へ。三年になってからの猛烈な勉強振りには鬼気迫るものがあった。
響子さんは……大学に在学中。やりたいことが見つからない、ってボヤいてたっけ。
俺はだな。
えーと。
明確な目標もなく、瑠璃と遊ぶのにかまけていて……いや、それを理由に勉強などまるでしなかったから、志望する大学も殆ど絞れず……ハナからセンター試験を受ける気にもなれずにそのままスルー。もちろん、親父にはこってり絞られたが……瑠璃を見守るためだと言い張ったら、あっさり引き下がりやがった。どういう社会通念してるんだ、あの親父は。
不幸なことに、俺は昔から、未来への明確なヴィジョンを全く持っていなかったから、高校を出ても何がやりたいのか自分でも全く分からなかった。
かといって浪人をやる気もないから、取りあえず行き着く先はフリーター、という事になるよな。そこで、自分が喰っていけるだけの生活費を稼ぎながら、街中にあるキックボクシングジムに通うことにした。我流だけでは限界があるし、それにリングの上なら合法的に自分の力を発揮できると思ったから。
如何に自分の力に自信があるとはいえ、そこは全員が腕に覚えのある世界。流石に道のりは困難だったが、それでも周りが言うにはトントン拍子に出世して、プロでやっていくかどうかの分岐点にまで到達してしまった。
瑠璃の事を考えれば、いつ自分の身が危険にさらされるかも知れない世界に身を置くのも憚られようが、それでも自分の闘争本能、そして武道家としての血の騒ぎには勝てずに……本格的に修行に精を出すことにした。
俺が卒業し居なくなってからの高遠高校で、瑠璃はどんな風に高校生活を送っていたかというとこれがまた目覚ましく、常に学年トップクラスの成績を維持しながら、生徒会活動等に積極的に参加するなど、誰もが『才媛』と躊躇せずに口に出すほどの活躍だったようだ。
俺がジムからクタクタになって帰り、風呂で一汗流してから、輝かんばかりに眩しい笑顔で瑠璃が報告する、今日一日学校であったことを食卓で聞く。それが俺の日課だった。瑠璃のヤツ、こんな性格と容姿だからとにかく友達が多いんだろうな。中には邪な思いで近づいてくる輩も居るのだろうが、そこらへんも上手く捌いてしまってるようだ。
このご時世、学校のことを嬉々として語る女子高生がどれだけ居るだろうか?それを考えれば、ただ俺と通いたいというだけで選んだ、高遠という自由な校風の私立校への入学もあながち間違っていなかったと言えるだろう。今の瑠璃は輝いている。きっと、全てが楽しくて仕方がないんだろうな。
俺との『恋人』としての関係はというと……まあ、そこは上手くやってると思う、色んな意味で。
瑠璃がこの家にやってきてから、早三年。
当初は感情を素直に表に出さなかった瑠璃。
ヘタをすれば小学生かと見紛うほど華奢だった体格も、身長が伸びた今は俺と頭一つも違わない。来たばっかりの頃は、俺とぴったりくっつくと頭頂部が見えたからな。
肉付きも……かなりふくよかになった、というよりは女性的になった……と言った方がいいのか?何しろ、今まではとにかく細くて華奢だというのが第一に来ていたからな。
取りあえず現在は……いろいろな場所が少しは膨らんできているぞ。そりゃ、全国の平均から比べると少々見劣りするのは否めないが、そんなことはどうでもいい。何でそんなことが分かるというと……その辺りはいちいち記すのは野暮ってもんだな。
しかしまあ……個人的に身体の起伏的な好みを言わせてもらえれば、もう少しだけ……ほんの少し、ほんの少しで良いんだ。何しろ、瑠璃は一般的に言えば貧
「お兄ちゃん、何やってるの?」
「おわっ」
そこまでタイピングしたところで、急に後ろから声を掛けられた。
「な、何でもない、あはは。ちょっと日記というか、今までの事を回想して、文章にしておこうかな、と」
「ふー……ん」
彼女は、合点が行かないようながらも、それでも俺のプライベートだということを分かってくれたのか、一回大げさに肩をすくめただけでそれ以上の追求はしてこなかった。ふう、本当に物分かりが良くて助かる。それに甘えてばっかりいてはダメだけど……今のように。
「それより、もうそろそろ家を出なくて良いの?」
「ん?もうそんな時間か?」
今使っているパソコンにも時計表示はされているが、時の経過が綺麗サッパリ思考から消えていた。今までの想い出を引張り出してきているだけで、何分何時間でも楽しんでいられる。多分、一日中でも想い出をつまみに酒が飲めるんじゃないか?
「確かに……そろそろ行くか」
「こんな時間に出て、ウォーミングアップとかは大丈夫なの?」
「そこは任せとけ。自分なりのやり方があるんだよ」
「……まあ、お兄ちゃんの事だから大丈夫よね」
今日は、後楽園ホールでデビュー戦だ。何のって?勿論、俺の、キックボクサーとしての。
取りあえず修行に修行を積んだ。俺はかなり有望だと思われているらしく、とことん下積みを積んだが、それも修行、自分を磨く行為だと思えば何のことはない。そして、今夜いよいよデビューとなったんだ。
刃物を持った人間の前に、素手で立ち向かうようなことを平気でやっていた俺といえど、やはり緊張する。ヘタをすれば自分の命すら危うい世界だけに、尚更。
だから、いざ会場へ出かける前となったら、急に今までの事……瑠璃と出会い、成長していった全てを思い出し、形として残しておきたかった。
しかし。
普段からキーボードを叩き慣れていない上に、文章を書くことすら稀だった俺だから、纏めるのに手こずり……結局、書こうと考えていたことの半分も文章に出来ずに時間切れとなってしまった訳だ。
「さて、それじゃ行きますかね」
「緊張感ないんだ〜」
「今から緊張してたら疲れちまうよ」
そう嘯き、パソコンを待機状態にして椅子から立ち上がる。
「……応援してるからね」
「相手を応援したって良いんだぜ?どうやら、なかなかのいい男らしいしな」
瑠璃が応援してくれる。本当は嬉しいクセに、ついついそんな軽口が飛び出してしまう。瑠璃も俺の心境が分かっているからこそ、気を悪くすることなく、笑顔で
「だって、私が応援してあげなかったら、他の人の応援がないときはどうするの?」
と。
あまりに可愛いジョークに、思わず
「ぷ」
噴き出してしまった。
「なによう、笑わなくたっていいじゃない」
「ごめーん」
はひ、はひ、と笑いは止まらないが……無理矢理、手の甲をつねってでも止めないと、幾ら瑠璃とはいえ機嫌を損ねるな。
手の甲とケツをつねり、痛みで強引に笑いをかき消す。しかし……あかん。試合中に思い出し笑いしたらどないしよ。
荷物をもって部屋を出る。すると……
「にゃ」
足元にすり寄る一匹の大きな白猫。
「あら、あなたもお兄ちゃんを応援しに行きたいの?」
瑠璃はよいしょとばかりに白猫を抱きかかえ、喉の辺りを掻いてやる。白猫は、さも気持ちよさそうに喉をぐるぐる言わせ始めた。
コイツの名は『小桜るび』。
瑠璃が不幸な境遇の猫を再び保護してきた。さくらの苦い記憶があるから当初は及び腰で、出来るなら生き物は飼いたくなかったが……時が経つにつれ、むしろさくらの時の罪滅ぼしのような、そんな気持ちになった。だから、名前も和風にそう付けた。
小桜も、境遇が境遇だけに当初は全く人に馴れていなかったが、今度こそは、と引っかかれようが何されようがとにかく傷だらけになりながら獣医へ連れて行き、健康診断に連れて行ったのだ。
それから……飼うという責任を果たすために手厚く面倒を見て……その甲斐あってか、今ではこの通りに打ち解けてくれている。……初めて頭を撫でても逃げられなかったときは、嬉しくて泣きそうになってたな……お、俺じゃなくて瑠璃が、だぞ。
「でも、お留守番しててね」
瑠璃がそう言いながら小桜を床に降ろすと、
「うな」
短く、『分かった』かとでも言うように答える。ま、そう聞こえるというだけの都合のいい解釈ということは分かってるけどさ。
・
・
・
いよいよ。
出番が近づいてきた。
椅子に座り、頭からすっぽりとバスタオルを被って精神集中に励む。
俺の両手にはグローブ。身には派手な色のトランクスとリングシューズ。セコンドについてくれる会長がなにやら言っているが、全く耳に入ってこない。しかしそれは、俺が興奮しているからではなく頭が冷静すぎるくらいに冷静だからで、全く別の事を考えていたからである。
何を考えていたかというと……ちゃんと来てくれるかな、と。チケットを送った彼らが、きちんと見に来てくれているかな、と、そればかり。試合中にそれを確認するのは流石にヤバイから、きちんと見ておかないとな。
控え室のドアが開き、関係者から入場を促される。
さ、出番だ。
通路の先からは喧噪と、俺が選んだ入場テーマ、『After Burnner』が響いている。うん、我ながら悪くない選曲だ。お気に入りの曲をバックに意気揚々と通路を出るとそこには、
別世界。
非日常の喧噪がそこにはあった。熱気、と一言で表せればいいが、それだけではない。渇望、審議、期待……それらのナマの人間の感情にちょっとだけ気圧されながらも花道を進む。どうやら、俺の一身には期待の新人という眼もかなり向けられているようで、あちこちから目の肥えた視線がばちばちっと飛んでくるのを感じる。熱くて焼け焦げそうだぜ。
颯爽とリング・イン。
自分がこれほど注目を集めることなど今までの人生の内でどれ程あったろう……十指で数えたって片手が余るな。それ位の人数からの視線を感じ、ちょっとした恍惚感を感じるが……後から入場してきた対戦相手と、そのセコンド連中だけは別。『殺してやるぞっ!』な敵意がむき出しだ。しかし、そんな視線を向けられることは分かり切っていたから、思いっきり無視。
そして……
俺の名乗り。それに片手を挙げて会場に応えるように一周する。
!
その瞬間、信じられない光景が飛び込んできて、喜びに胸が震えるのを押さえるのが難しかった。
今すぐ、彼らの元に飛んで行きたかった。でも、それは試合後の楽しみと思って強引に押さえておかなきゃ。そう思わなければ、堪えきれないくらいだ。
だって……リングサイドに居るんだよ、何人も並んで。
左から、愛菜ちゃん、瑠璃、親父、本村……いやお袋、遠藤、龍志。
みんな、みんな来てくれた。
嬉しい。
瑠璃のヤツ、何も知らなさそうなフリをして、しっかりお膳立てしていたんだな。特に、親父とお袋が一緒に並んでいるのは……俺が産まれて初めて見る姿ながらも、そこに居るのは紛れもない、どこからどう見てもお似合いの夫婦だ。
……これだけのゲストを前にしちゃあ、負けるわけには行かないよな。この矢島亮太郎、今までに培ってきた格闘技の、いや、人生の全てを賭して打ち克ってみせる。
相手も、それはさせじと来るだろうが……そんなことはどうでもいい。
ゴングが鳴った。
いきなり、リングシューズの音を響かせながら相手との距離を詰める!なんてマネはしない。あくまで、冷静に。そうでなければ、これまで修行してきたことを無意味にしてしまうじゃあないか。
相手の眼光は鋭い。
だけどな。
きっと俺も同じ……いや、それ以上の眼をしてるだろうよ。
ジャブを繰り出す。
タイミング良く。
スキが出来たところでローキック。脚を戻しぎわに痛打を喰わないように、細心の注意を払いながらも大胆に。
それを繰り返していると、相手の手数が見る間に減っていった。そして……相手の身体がふらついた。ブラフじゃない、明らかに効いている!
見ててくれ、決めてやるから。そう決めて、右脚を浮かせた。
リングの上で、思う存分、『自分』を吐き出す。
それが、こんなに気持ちよく、嬉しいことだとは。
自分の人生を一挙手一投足に込めて繰り出す。
自己表現。
そう、これは今までに出会った人たちへの感謝、そして、
俺の。
俺たちのこれからなんだ!
上段ハイキックでの表現なんて、いかにも俺らしいと思うけどな。
どうだい?みんな。
どうだい?
……瑠璃。
R・U・R・I・
了
全三十八話で完結です。今から読むとやや時間が経っている感じもありますが、ありのままを……ということでそのまま投稿いたします。




