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she said "only you"

 ……

 遠藤の視線は、俺たちの顔と腕を組んでいる部分と、交互に注がれている。出会ってしまった瞬間から、三人は身じろぎ一つしなかった。

 心構えなしで遠藤に出会ってしまった困惑からか、どう動いても誤解を招くような気がする。その内打ち明けようと思ってはいたが、いざ見られてしまうと……

 ……ちょっと待て。俺は何故、こんなにも困惑しているんだろう。遠藤は基本的には俺と瑠璃の理解者だ。きっと……俺たちの事を分かってくれるに違いない。今までだって瑠璃の面倒を見てくれたし、俺も色々と相談に乗ってもらった。だから……その二人がこういう関係になったと告白しても、きっと祝福してくれるに違いない……そう、思った。

 ようやくその戒めを振り解き、遠藤に歩み寄る。

 ……遠藤は、まだ『信じられないもの』を目の当たりにしたというショックから抜けきれない様でいた。

「……取りあえずびっくりしたわ」

 商店街のど真ん中で棒立ちになっている遠藤を何とか喫茶館まで誘って、三人で席について開口一番がこの台詞だった。

 響子さんとマスターは、俺たちの不穏な空気を察してか、それとも単に気を遣ってくれているだけなのか、遠巻きにこちらを見つめている。今日に限って客が少ないから、後悔尋問でも受けている気分になるな。

「……」

「……」

 遠藤のその言葉に対して、俺たちには弁解する言葉がない。確かに、彼女が見たらびっくりするような光景だったんだろうから。まるで恋人同士のように……いや、今はそういうことなんだが……腕を組んでいたなんて、年頃の兄妹のする事ではないからな。つまり……『そういう関係』であると図らずも公言してしまっていることにもなる訳だ。

 それに……

 ちらりと隣りに座っている瑠璃を見る。

 瑠璃は縮こまって、視線を床に落としたまま……遠藤に視線を移そうとしない。珈琲が冷めるまま、時間が経つのを待っている。そんな態度を取っていると、まるで俺たちが悪いことをしているようじゃないか。

(いや……)

 再び遠藤を見る。その瞳は……ぞっとするほど冷酷だ。まるで汚らわしいものを見ているかのように……俺は、ひょっとして遠藤の性格を読み誤っていたのか。遠藤にとっては、あの光景は汚らわしいものそのものだったようだ。

「説明……してくれるよね」

 素っ気なく言い放つ。

 そう、ごまかす方法など幾らでもあったはずだ。興が乗っちゃって、とか……でも、本当にバッタリ出会ってしまったし、自分たちでも……後ろめたい気持ちがあったことは否めないよな。

「説明……か」

「ええ、包み隠さず、全部」

「……ただ単に、じゃれあっていただけ……はダメかな?」

「もしそうなら、あんなに固まることはないわよね」

「……だな」

 何を納得しているのか……どんな言い逃れをしてもムダだと分かっているからだろうな。

「瑠璃」

「……」

 アイコンタクトで了解を求めると、瑠璃も頷いた。

(言っちゃおう、お兄ちゃん)

 と、目が語っている。いずれ言わなければ言わないなら、今言ってしまっても……同じじゃないな。遠藤に対してはどちらかというと優先度が低いと思っていたから。

「実はな……」

 オレタチ、ツキアウコトニシタンダ

 その一言が出てこない。

 その一言を言ったが最後、遠藤の今の反応から見て、あまり歓迎したくない状態に追い込まれることが分かり切っているからだろう。

「どうしたの?言えない様な事なの?」

 ……気のせいか、遠藤の物言いがやけにトゲトゲしい。虫の居所でも悪いかのような……きっと、言ってから後悔する類の心境だろう。

「いや……じゃあ言おう」

 売り言葉に買い言葉、ではないけど、どうにも……遠藤の挑発的な物言いが不快だった。それに反発するかの如く、そして自分たちの想いを知ってもらいたいと、短く

「俺たち、恋人として付き合うことにした」

 本題を、全く薄めずに、そして過大にもせず、はっきりと言ってやった。

「……」

 その内容をある程度まで予想していたのか、遠藤は……眉一つ動かさずにこちらを見つめている。その瞳が冷たすぎて……背筋が寒くなる程だ。

「本気で言ってるの?」

「冗談のように聞こえるか?」

「誤魔化さないで。本気で……心の底から、何があってもそう言える?どんなに道のりが厳しくても?」

「ああ」

 そこで遠藤は、大きな、大きな溜息を一つ。それがあまりにわざとらしくて……普段の面倒見の良い印象の姿から比べると、こんな挑発的な姿は本当に『らしく』ない。

「遠藤は……祝福してくれないのか?」

「そうして欲しかった?」

「そりゃそうだ。身よりの少ない瑠璃の良き理解者として、色々と……」

「違うわ!」

 俺の話を遮って、声を荒げた。

「違うのよ……私が瑠璃ちゃんに優しくした理由は、そうじゃないの」

「な……何?」

 今の今まで、無償でこうして俺たち兄妹の良き友達でいてくれた遠藤。瑠璃の出自を慮って、そして俺には、『妹』という女性を扱うにあたってのアドバイザーとして……少なくとも、今まではそう思っていた。それが違うというのか。

「私はね……瑠璃ちゃんが羨ましかったんだ」

「葵さん……?」

「羨ましかった、すごく、すごく。瑠璃ちゃんが矢島くんの隣りにいることが羨ましくて仕方がなかった。一日中同じ屋根の下で、一緒にご飯を食べて一緒にテレビ見て一緒にお喋りして……それがどれだけ羨ましいことか分かってる!?」

「……」

「矢島くんだって、うすうす感づいていたんでしょう?私の気持ち」

「……」

 そう。

 何故に俺は『遠藤と付き合う』という選択肢を選ばなかったのか。それは、きっと……『女友達』を無くしたくなかったからなんだと思う。俺にとって女友達なんて初めてだったし、しかも、恋愛感情抜きで気軽に接することが出来る、言わば『便利な』女友達という足かせを嵌めてしまったようなモノなんだ。だから……俺はことある毎に自分の感情から、そして遠藤の気持ちから逃げ回るような真似をしてしまったのだ。

「貴方たちが言ってくれたのなら、私も我慢する必要は無いわね。瑠璃ちゃんも大体分かってたと思うけど、私は……」

「分かったから、もう止めてくれ」

「止めないわよ。大体、何が分かってるっていうの?私は矢島くんが好き。過去形じゃないわ、こうやって付き合うと言われた今でも大好きよ。そっちがどう思っていようと、私は諦めたりなんかしないから」

 そう興奮した口調で一気に吐き出した遠藤の顔は、紅潮して……そして、目尻に涙を湛えていた。俺も瑠璃も、全く口を挟めない。そんな勢いが、今の遠藤にはあった。しかし、俺の勝手な願望がここまで彼女を追い詰めていたなんて……自分が意識していなくても、人を傷付ける例など幾らでもあるんだな。

「他の子はどうかは知らないけど、二人がお似合いだからって、二人の絆がどれだけ強くたって、私は引かない。絶対に」

 ……では、遠藤はどうするつもりなんだろう。まさか……ずっと俺を想い続けるつもりなのか。俺には、それ程の価値があるのか。

「どうして……」

 喫茶館にやってきてから、初めて瑠璃が口を開いた。

「どうして、そこまでお兄ちゃんに固執するんですか?」

 聞きようによっては、『お兄ちゃんは私と付き合うのですから、諦めて他の人を探してください』と言っているようにも聞こえる。自分の感情をなるべく後回しにし、なるべく人の事を考える瑠璃の口から出たとはとても考えられない言葉だ。

「……それは」

 言い淀む遠藤。もっとも、人を好きになったその理由を説明しろというのも困難だろうが……

「矢島くんは、私が久し振りに好きになれた人だからよ」

「久し振り……?」

「それに……これ以上、貴方たちが間違った方向に進むのを見てなんていられないもの。私が矢島くんの目を覚まさせてあげたい」

「そんな、どうして間違っているなんて言える?俺たちの思いは本物」

「例え矢島くん達がどれだけ強く思っていようとも!」

 丁度BGMの途切れた店内に、遠藤の声が響く。

「……例え義理でも、二人は兄妹よ。しかも、籍まできちんとしているんでしょう?立派にアブノーマルな関係だわ」

「だからって……」

「とにかく」

 言い放ち、テーブルの上に千円札を置いてから遠藤は立ち上がった。

「私は貴方たちを認めるつもりなんてないし、諦めるつもりもさらさら無いから、それだけ」

「おい、待てよ……」

「……」

 引き留めると、やはり何か言い足りないのか、店を出かかっていようとしたその歩みを止めた。

「何?」

「遠藤……お前、今日はおかしいぞ。いつもなら、こんな冷たい言い方をするような人間じゃない」

「矢島くんに私の何が分かるって言うの?今までは猫を被っていただけかも知れないわ。これが本当の私の姿かもよ」

「そんな筈はないな」

「どうして言い切れるの?」

「もし皮を被っていただけなら、あそこまで親身になって瑠璃の面倒を見てやってくれているはずがない。それに……演技だったら、いつかは必ずボロが出るもんだ」

「……」

 遠藤……俺に背を向けるその細い肩が、少しだけ……震えている。やっぱり、どう考えても、俺たちにわざと悪い印象を与えようとしているとしか思えない。悪人は善人の演技が上手いこともあるかもしれないが、得てしてその逆は……有り得ない。

「葵さん……」

「遠藤……」

 俺たちが非難されるのは当たり前かもしれない。だが……だからといって、そんなことを言われたからといって、遠藤を嫌いになることなんて出来やしない。

「ほーんと、参っちゃうな、貴方たちには」

 振り返った遠藤の顔は……笑いながらも涙に濡れていて、今しも雫が頬を伝って落ちてゆく所だった。

 結局、遠藤はそのまま出て行ってしまう。涙に驚いた俺は、もう一度引き留める事も忘れ、バカみたいに立ちつくすのみだった。

 残された俺と瑠璃は、それ以上……何も言えずに喫茶館を後にする。遠藤の声を聞いてしまっただろう響子さんは、俺と目を合わせても特に反応はない。その代わり苦笑いもしないが……遠藤の心境を慮っているのかもしれない。俺は、とにかく様々な思いを込めて……響子さんに頭を下げた。それを見て、ようやく彼女は苦笑いを返してくれたのみだ。いつもの、『親しみやすく、何でも相談できるお姉さん』の顔で。

 夜。

 キッチンで瑠璃が料理している。コトコトと何かが鍋で煮える音が断続的に聞こえるから、何か鍋物でも作っているのかと思いきや……

「お兄ちゃん、ちょっと味を見てみて」

 居間から足を運んでみると、セーターにロングスカートという温かそうな服装、そしてその上からエプロンを羽織った瑠璃が、こちらに小皿に入ったスープを差し出している。それを受け取り、口に含んでみると……

「ミネストローネか」

「うん。ちょっと薄いかな?」

「そうだな……いや、あともう少しだけ胡椒を効かせてくれればいいや」

「うんっ」

 瑠璃は近くの戸棚からペッパーミルを取り出し、ごりごりと数回捻って味を調えた。そして再び味見用の小皿を俺によこす。

「……ん、いい感じ」

「良かった、初めて作ってみたから、上手くできるかどうか心配だったの」

 鍋に蓋をしたあと、にっこりと微笑む。そんな些細なことでも、今日一日の重苦しさに比べればずっと晴れ晴れする出来事だ。しかし、俺にとってはその笑顔があまりにも……これから先、すがってしまいたくなるような心地良さを持っていたのも事実で……

「あ……」

 瑠璃がまな板に向かおうと背を向けた瞬間、そっと背後からその小さな身体を包む込みようにして抱き締めた。

 驚いたようだが、拒否もせず……そのまま俺の手に自分の手を重ねる。今まで料理をしていた所為もあってか、その温もりがどうしようもなく優しく感じられて、胸の中にじんわりと心地良く染み込んで来る。

 肩口くらいの位置にある瑠璃の頭に自分の顔を近づけ、耳にそっとキスをした。息がくすぐったいのか、身をよじるが……それでも特別嫌がる素振りは見せない。さらに、その女の子特有の甘い香りを吸い込むに至って……

「お、お兄……」

 何か言うのも許さず、瑠璃の身体を真正面に無理矢理回して唇を奪う。

「んっ……」

 長い長いキス。

 そのままどれくらい唇を重ねていたろう、瑠璃が所在なさげに身体を捩るので解放すると、真っ赤な顔をして荒い息をついていた。

「苦しかったのか?」

「うん……」

「そういう時はな、鼻で息をするんだよ」

「でも、息が顔に」

「もう一度試してみな」

「え?んっ……」

 再び、長いキス。

「ん、ん……」

 苦しいような、鼻に掛かったような……普段の慎ましやかな15歳の姿からは想像も付かないような艶めかしい吐息が漏れる。今回は、教えられた通りに鼻で息をしているらしい。それでも苦しそうな顔をしているな……まだまだ慣れが必要か。それより……そろそろ、こっちもむずむずしてきたが……

「ぷは」

 唇を離した。これ以上キスしていると、絶対抑えが利かなくなるから……自分から一線を越えかねない行為を仕掛けておいてなんだが、今は『ケジメ』が大切だ。他の人にとっても、ここが自分らの家の台所であるという点からも。

「はあ、はあ……もう、お兄ちゃんったら……」

 瑠璃もその事が分かって、しかも俺の求めがキスだけと分かっているからこそ、こうして応じてくれている……と思いたい。

「ごめんな」

「ううん……私も、いつ……キスしてくれるかって思っていたから」

 頬どころか顔や耳、そしてセーターの襟首から見える素肌まで真っ赤に染めて、そう小さく呟く瑠璃は……今更ながら思うのだが、どうしようもなく美しい。どれだけ見つめたって見飽きることなど無い。

 あまりに可愛く、そして美しく……もっともっと愛でてしまいたいとは思うのだが、やはりやめておいて賢明だろう。なにしろ……瑠璃はまだ15だしな。『そういう方面』への事を気遣ってやるのも、また彼女への誠実さを見せる機会になっていると良いのだが。

 台所でかいがいしく動く、小さな後ろ姿を見つめながら、この子が幸せになる一番良い方法を何とか模索しようとしていた……。

 翌日。

 学校に遠藤の姿はなかった。ほぼ毎日と言っていいほど、俺より先に姿を見せているのだが……その代わりといっては何だが、今日は龍志が出てきている。しかし……昨日のことがあるから、どうにも気まずいな……しかし、龍志は俺の懸念をよそに

「おはよう、亮」

 と、いつもと変わらぬ笑顔にいつもと変わらぬ調子で、そう挨拶してきたのだった。要するに、昨日のことは昨日でおしまい、と言ってくれているのだ。

「おはよう、龍志」

 龍志がいったいどれだけ布団の中で泣き、考えたのかは分からないが、普段通りでいるのはせめてもの龍志の意地か、それとも俺への気遣いか……とにかく、普段と全く変わりがなかったのは有り難い。その分、その心中をイヤでも察してしまうが……

「……」

「……今日は遠藤さんが休みなんだね……珍しいなぁ」

 危うく無言になりかける所を、龍志の方から話を振ってもらった。いかんいかん、これではいかんのだ。龍志は平静を……あくまで表面上だが……取り戻しているのだから、俺もそれに従わねばならない。

「そうだな……」

「……何か心当たりでもあるの?」

「あると言えばある。ないと言えばないという事もさも無きにしもあらずんば」

「要するにあるんだね……」

 まさか、告白されたなどと直接は言えないしな……

「ああ。だけど……これは俺たちの事だから……」

 言って、少しだけ後悔した。これでは、『瑠璃と俺の問題に、お前はもう無関係だ』と言い放っているような気がしたから。しかし龍志は、

「そうだね……」

 と、寂しげに微笑んだだけだった。

「悪い、そんなつもりじゃ……」

 こんな時は、自分に腹が立つ。何故もっと相手を思いやる言い方が出来ないのだろうか、と。俺はたった17年しか生きてないけど、それ位の配慮を身につけるには十分過ぎるだろうに。

「亮……そんなに恐縮されると、僕の方が困るよ」

「……!」

 それでも……龍志は強かった。龍志は、自分の気持ちにケリを付けている。俺も……いつまでもこの気持ちを引きずっていては龍志に辛い思いをさせるだけなのだ……。

「ね?」

 にこ。

 誰にでも愛されそうな、爽やかな笑み。そんな顔をされてしまっては、俺の負けだ。

「……分かった」

「……うん。でも、亮達の事情か……それじゃ、僕が何か口を挟む事なんてなにもないね」

「そう、これは俺たちの事情だ」

 今度ははっきりと、しかし龍志の意図を全て酌んだ上で告げてやる。その意図を更に酌んでくれた龍志は、一点の曇りもない笑顔で

「頑張ってね」

 と一言、これからの困難を暗示するような、そしてそれに立ち向かう俺を励ましてくれたのだった。


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