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君恋初めし 始めなり

 文化祭も無事終了し、次なる大イベントはマラソン大会。十月初旬に行われるそれは、もちろん、夏休みに俺と龍志が交わした決闘の舞台でもある。

 龍志が一体何を心に秘めて挑んでくるのかは分からないが、あの時の真剣な眼差しからして、何かをする為の大きな『キッカケ』として捕らえているくらい、奴にとって大事おおごとなのだろう。

 しかし前にも誓ったとおり、それが何であろうと、俺は全力でぶつかっていく心構えなのは変わらない。ま、自分が負けず嫌いな性格であるというのも下敷きとしてあるのは言うまでもないけど。

 そして今、俺は大会に備えて走り込みを続けている。朝6時半に起き、1時間走ってシャワーと朝食を済ませてから学校に向かい、帰宅してからも合計2時間は走り続ける。

 陸上選手にでもなるつもり?と、瑠璃は異様なランニングの量を不思議がりながらも、それなりの理由があるという事は薄々感づいているらしく、それ以上は何も言わない。

 とは言っても、休養を挟み、自分に褒美を与えなければイヤになってしまうのは人間のサガな訳で、大会の前の最後の休日くらいは羽を伸ばす事に決めた。

 決めた筈なのだが……最近はランニングばかりしていたからか、いざ休むとなると何をしていいか分からない。しかししばらく考えて……

 思い出した。アレほどまでに俺に大きな影響を与えた、『アレ』に関する事だ。この気持ち、何かの間違いで済ませられない、至極重要な真実として確認をしなければならない。

 目覚めてからキッチンに行くと、そこには当然のように妖精が……もとい、瑠璃がこちらに背を向けて、朝食の準備をしていた。時計を見ると、まだ6時半だ。瑠璃は、休日でも平日でも変わらない時間に目を覚まし、食卓の準備をする。極めてマイペースを崩さない。

 俺が近づくと、

「あ、今日もランニングに行くの?」

 朝日を浴びて光る黒髪を纏わせて振り向き、おめざ代わりの味噌汁をテーブルに置いて言った。ややツリがちの瞳が、最近の俺の早起きを喜んでいるように見える。もしそうなら当たり前か……それまで、毎朝毎朝俺を起こそうと揺り動かしに来ていたんだから。

「いや、今日は休む。大会も近いから、身体を休めておこうかな、と」

「いいんじゃない?最近、急にランニングなんて始めたから、身体を壊さないか心配だったのよ」

 それとなしに俺の事を看ていてくれているあたり、瑠璃の細やかな気遣いには痛み入る。

「そこで、だ。瑠璃、今日は何か予定が入ってるか?」

「ううん……なにもないけど」

 そこで俺は、ちょっと言いよどんで……

「それなら、今日は俺と出かけるか」

 と告げた。すると……

「ほんと?良かった、最近お兄ちゃん、一緒に遊んでくれないから……本当をいうと、ちょっと寂しかったの」

 と、少しだけ頬を染めて、ぽつり、と言った。

「瑠璃……」

 言われてみれば、純粋に二人だけで出かけるなど、俺達が出会ってから間もなく……総合公園に花見に行って以来かもしれない。気が付かなければそれすらも忘れかけていた。

 俺の誘いがよほど嬉しかったのか、瑠璃はにこにこしている。

 ……ああ、いい笑顔だ……

 この笑顔にやられない人間なんてどうかしている。例えこの笑顔を見た人間に男色の気があろうが、また少女には興味がない人間であろうが、「人間としての幸せそうな笑顔」の代表例に選出するのは確実だ。それほどまでに、瑠璃は楽しげに、且つ柔らかに微笑んでいた。

「どこか行きたい場所とか、ないのか?」

「んー」

 しばらく思案をする。その悩んでいる表情すら愛らしい。美少女というのはつくづく恵まれたものだ。どんな顔でも見蕩れてしまうほどに絵になるのだから。

「特にない。お兄ちゃんが連れて行ってくれるなら、どこでもいいよ。お兄ちゃんと一緒なら、どこだって楽しいと思うし……」

 男として言われて嬉しい台詞ではあるが、こういう場合『どこでもいい』というのが一番困る。

「本当にどこでもいいのか?お前の好きなところでいいんだぞ」

「うん……じゃあ……」

 一瞬俺の顔を見て、

「静かな場所がいいかな……」

 困っている事を見越してか、躊躇いがちに言う。瑠璃は、その大人しい外見を裏切らず、人ごみの中は苦手のようだ。勿論、田舎育ちの俺もそれに当てはまる……あ、瑠璃も田舎育ちか。

「それじゃ、天気も良さそうだし……総合公園に行ってゆっくりしようか?」

「うんっ」

 瑠璃は、自身の月のような存在とは正反対の、太陽のように眩しく、直視できないくらいの笑顔で頷いた。

 公園は、休日だけに大勢の人間で賑わっていた。といっても、敷地の広い公園だけに、人ごみの中に身を置いているという感覚はない。周囲から、自動車の排気音や無用な宣伝放送の様な、自然に生まれたものではない騒音が聞こえてこない心理的効果も大きいんだろう。

 取りあえずぶらぶらと歩いて、公園中央の大部分を占める、芝生が張り巡らされた広場にやってきた。広場では、親と戯れる子供の楽しそうな姿が目立つ。そこには、なんとも微笑ましく、幸せそうな世界が広がっていた。

 芝生の隅っこに設置されているベンチに並んで腰掛け、家族達のふれあいをしばらく見守る。実を言うと、夏休み中に「漣」で、おばさんに頭を撫でてもらっている瑠璃を見た時の様に、こういった親子の触れ合いを見るのが辛い。自分がした事のない経験を、目の前の大多数の親子が幸せそうにやっているから。……普通の人間なら普通に享受するものを経験していない俺だけに、憧れも人一倍だ。

 瑠璃も……憧れがあるのかな。親父さんである岩戸教授も、俺の親父と同じ考古学の教授であったのなら、その公算は大だ。

「ね、お兄ちゃん、キャッチボールしようよ」

「はぁ?何を唐突に……」

「……ダメ?」

 可愛らしく小首を傾げる。瑠璃、そんな表情をしたら、断れる男がこの世に居ないという事をお前は自覚しているのか。出来るなら、その伝家の宝刀をむやみやたらに振り回すような人間には成長しないでくれよ。

「そうは言っても……グローブもボールもないし」

「売店で売ってるカラーボールだけでいいよ、買ってくるね」

「あ、おい……」

 俺が何か言う前に、ベンチを立ち上がってそそくさと売店の方へ走ってゆく。あいつにしては珍しく人の意見を聞かなかったな……。

 ビニール製のピンクのカラーボールを手に戻ってきた瑠璃は、さっそく袋から取り出し、俺から少しだけ距離を取って、

「お兄ちゃーん、いくよー!!」

 と、ボールを持った手を振り回して叫んだ。

「ご、強引だな……分かったから、ちょっと待て」

 よいしょ、とベンチから立ち上がり、瑠璃の返球を待った。

「せーの!!」

 思いっきり振りかぶる。見るからに運動が得意そうではない割には、肘が肩より上に上がっていて、いいフォームだ。そしてそのまま、渾身の力を込めて投じた球は!!

 


 びゅうう。


 一瞬吹いた強風にあおられ、俺達が開けている距離の丁度真ん中辺りから真右に曲がっていってしまう。

 哀れなカラーボールは、俺達から遥かにはなれた草むらに、空しくぽとりと落下した。


……

…………

………………

「ぷ」

「ぷぷ」

 吹き出した。どちらからともなく。


「うわはははっ!!」

「あはははっ!」


 そして笑い出した。どちらからともなく。

 傍目には、『笑いのツボ』の浅い、能天気なカップルと見られているんだろうな……お互い、それのどこが大笑いするほど分からないんだが……取りあえず、ボールの軌跡が余りにも間抜けていたのは確かだ。

「あは、は、そりゃ、こんな軽いボールじゃ簡単に風の影響を受けるわな」

「ほんとー、考えてなかったね」

「いや、俺は考えに入ってたぞ」

「あ、ひどーい、自分だけー!!」

 それからまたひとしきり大笑いした後、痛くなりかけた腹筋を休めるべく、再びベンチに腰を下ろした。

「なんだか、こんなに笑ったの初めてかも」

 笑いの涙に濡れた瞳を拭った瑠璃は、はあはあと荒い息をついている。笑うというのも結構なエネルギーを使うものだ。それこそ、健康な人間だからこそのものだな。

「暖かいな……」

「暖かいね……」

 まだ10月なのだから寒くないのは当たり前だが、今日は暑すぎもなく過ごしやすい天気だ。ぽかぽかお日様の下でゆっくり日向ぼっこをする……ある種、極上の休日の過ごし方のひとつかもな。

 二人してベンチにもたれかかり、しばらくそのままでいる。周りからは……若いのに何やってんだ、こいつらは、と思われているんだろうが、今はそんなものどうでもいい。

 

 その後は、公園内にある小さな動物園に入ってみる。その中でも特に瑠璃がご執心だったのは、柵の中に入り、羊やらヤギやら兎やらと触れ合えるスペースだった。しかし、中で動物と戯れているのは、主に小さな子供ばかり。それでも、瑠璃が俺に向かってキラキラした瞳で何かを訴えかけて来るから、何も言わずに入場券を買ってきてやり、手渡した。すると、

「有難う、お兄ちゃんっ!!」

 本っっっ当に嬉しそうに、颯爽と柵の中に入り小さな子供に混じって、まずはモルモットを抱え、モフモフし始めた。……モフモフというのは……言葉で説明するのが難しいが、とにかく愛でているという事を表現した言葉だ。

 子供達も、自分達より随分大きなお姉ちゃんが乱入してきて、初めは驚いた様子だったが、そのお姉ちゃんが、邪念の一切見えない大層な美少女だったからか、すぐに気を許したようだ。子供は純粋だから、『人間の中身』みたいなモノに敏感なんだろう。

「お兄ちゃん見て見て、可愛いでしょう?」

 今度は白ウサギを優しく抱きかかえて俺に見せ、好奇心に満ち溢れた瞳で俺の感想を待っている。俺が見たいのは、ウサギじゃなくて瑠璃の姿なんだけどな。

「ああ、そうだな」

「可愛いと思わない?」

「可愛いよ」

「ひょっとして、お兄ちゃんって、動物あんまり好きじゃないの?」

「好きだよ。だけど、俺は田舎に居た頃に散々動物の世話をしたりなんだりしてたからなぁ……見慣れてるから、お前がそんなに喜ぶのが不思議と言うか……」

 俺が田舎生まれの人間だからどうかは知らないが、じいちゃん家のすぐ近くに、知り合いの農家がいて、よく手伝いに言ってたから、おおよそ家畜として飼われている動物について、新たな感動を抱かない。

「そうなんだ……」

 瑠璃は自分のはしゃぎっぷりが急に恥ずかしくなったかのように、抱き上げたウサギを静かに下ろしてやった。

「私、新潟にいる頃、留守番であんまり外で遊ぶ機会がなかったから……こういうところに来るとついはしゃいじゃうの……考えてみれば、周りに迷惑だったかな」

 寂しそうに微笑む瑠璃。そうか、瑠璃は、主のいない家の留守をただ一人で愚直に守っていたんだ……俺のように、肉親が身近にいたわけじゃないらしいし。それなのに、俺は何て薄情な対応をしてしまったんだろう。つくづく、自分の思いやりのなさがイヤになる。瑠璃のはしゃぐ理由くらい、見当をつけてやれないものか、と。人目がなければ、自分の横っ面を殴っているところだ。

「そんな事……!!……ごめんな、瑠璃」

「お兄ちゃんが謝らなくていいのに」

 寂しそうな微笑も束の間、瑠璃は再び笑顔に戻り、

「もっと遊んでもいい?」

 くりくりと瞳を輝かせ、訊いてきた。もちろん、断る理由などない。

「ああ、存分にどうぞ」

「はーい」

 今度は、首に赤いスカーフを巻いた、人懐っこそうな……しかし暇を持て余し、柵内をウロウロしているゴールデンレトリバーにターゲットを移した瑠璃。どうやら、子供たちは家庭で余りお目にかかることが出来ない動物の方に目が行っていて、どちらかというとありふれた種類の犬には興味が薄いらしい。瑠璃がしゃがんだだけで、遊んでくれる人間だということが犬に伝わったらしく、ふさふさした尻尾をぶんぶん振り回しながら瑠璃の方へ近づいていった。

「おいで……きゃっ」

 そして一気に、しゃがんでいる瑠璃の膝の上に前足を乗っけて、顔を近づけて嘗めはじめた。おいおい……

「あん、もう……寂しかったの?」

 嫌がる素振りも見せず、顔をべろべろされつつその犬を撫でてやっている。心の底から美しい、誰にも邪魔はさせないと思える光景だった。もっと……瑠璃に色々な経験をさせてやりたいと思っているのは前からだが、まだまだ足りてはいないようだ。

 小腹も空いた所で、園内の池の傍に建てられているレストランで昼食を取ることにする。家族連れよりは、男女の二人だけで来店している姿が目立った。家族連れは弁当持参で家計を浮かせるからなのか、メシ時だというのに空席が多い。まあ、市の税金で経営しているようなもんだから、売り上げはあまり経営に関係ないんだろう。

 それにしてもあれから、瑠璃はかなり長い時間動物に塗れていた。ウサギや犬と戯れているまではまだ良かったが、ポニーに乗りたいと言ったり、終いには園内の野良ネコにまで足を止めていたから、引き剥がすのが大変だったぞ。そうでもしないと、夜になってもそのままそこに居そうだからな。

 それにしても……無邪気に動物と遊ぶ瑠璃は、本当に可愛かったな……俺がカメラマンだったら、一体何本のフィルムを費やしていたか分からない。

「お兄ちゃん、何にする?」

 向かいに座っている瑠璃が、メニューから顔を半分出して訊いた。そう言われて、自分がメニューとにらめっこしつつ、メニューを全然見ていないことに気が付いた。

「あ、ああ、そうだな……」

 適当にめくって、軽めにサンドウィッチとコーヒーに決めた。瑠璃も、同じモノを注文する。特に何かに決めようという気は無く、最初から俺と同じものを注文するつもりだったらしい。

 ひとまずそれらをかきこんでから、コーヒーを啜ると……

「マズイ」

「まずい」

 二人して素直過ぎる感想が口をついた。

「何だか……『喫茶館』の珈琲が飲みたくなっちゃったな」

「同感だ」

 意見が合う。『喫茶館』の珈琲を飲み慣れている上にこんなコーヒーを飲んだら当然か。

「俺も最近は脚が向いてなかったから、今日の帰りに行ってみるか」

「うん」

 瑠璃は、にこにこして返事をする。……それにしても、ここまで機嫌のいい瑠璃というのも珍しい。何も、普段はぷりぷりしてるって意味ではなく……表情が生きていると言う意味だ。様々な事柄を見る、感じる度に、様々に表情を変えるその姿は、どんなに歯が浮きそうな台詞と言われても、この世に姿を現した妖精と形容するに相応しい。

 また、今日の瑠璃の服装はというと、白のカットソーに黒のプリーツミニ、とモノトーンで統一してある。ともすれば……例えば、出会ったばかりの頃の瑠璃なら……、暗いイメージを抱かれかねないが、今の明るい顔でなら、きっと……ただ単に「落ち着いた子」という好印象を与えるだろう。

 半年……そう、僅か半年。俺と瑠璃が、一つ屋根の下で過ごした時間はたったそれだけだ。だけど、今の俺は……そんな数字上の時間よりももっと長く、瑠璃と共に居るような気がした。

 半年前、父親を亡くし、綺麗ながらも常に翳っていたその顔は、今ではもう見違えるほどだ。これも一重に、龍志や遠藤、愛菜ちゃんや……そして俺の影響もあるんだろうか、なんて自惚れてもいいのかな。

 レストランを出、そろそろ秋の香りが匂ってくる園内をしばらく散歩する。落葉樹の葉の色が変わるまでにはまだ間があるけど、それでもそろそろ秋の気配はそこら中に見え隠れしていた。

 今日はまだまだ、今俺が着ている半袖のTシャツ一枚でも肌寒さを感じないような、少し歩けば汗ばむような陽気だから、いい加減に涼しさが恋しくなってはくる。これが本格的に寒くなってきたら、今ぐらいの陽気が恋しくなるのは目に見えているのだが、だからこそ、今の内にこの陽気を楽しんでおきたい。



 何となく考え事をしながら歩いていると、不意に、左手を握られる感触があった。びっくりして、隣を見ると……瑠璃が頬を染めながら、控えめに俺の手を握っていた。

 視線に気付いたのか、恐る恐る俺を見上げる。

(………………!!)

 あまりにも、

 その表情に内包される感情が多すぎて……

 一瞬、言葉を失ってしまった。顔は口ほどに物を言い、どころではない。今の瑠璃は、口よりもずっと多くを、表情で俺に伝えてきている。その情報量が余りにも多くて、こっちがパニックになりそうだった。しかしそれでも、少しは瑠璃と一緒に人生経験を積んだ所為か、身体が勝手に最適な行動を取った。

 即ち。

 俺の左手を握っているというよりは、余りに控えめな為「つまんでいる」と表現した方が正しい位の小さく柔らかなその手を、きちんと「握っている」といえるように、しっかりと自分の左手で包み込んでやったのだった。

「……」

「……」

 俺を見つめる瑠璃の頬が、季節外れの……といっても、もうそろそろ季節も近い……紅葉を散らしたように、じんわりと紅く染まってゆく。


 その顔を見た瞬間、俺の頭の中央が、焼けた火箸を突っ込まれたように、かぁっと熱くなった。守ってやりたい。

 他の誰でもない、この俺が。

 他の誰にも任せてなどおけない。

 瑠璃と出会った頃は、誰か任せるに足る男が現れるまで、俺が守ってやろうと思っていた。……でも、今は……そんな男を捜している暇があったら、自分で生涯を掛けて守ってやった方が確実じゃないか。

 渡したくない、この微笑を。

 渡したくない、この小さな身体を。

 渡したくない、この聡明な女の子を。

 瑠璃の事を一番よく知っているのは、現在この世で一人だけ。俺だ。

 可能ならば、今すぐにでも瑠璃の全てを独占してしまいたい。

 そう、俺は今、この瞬間、瑠璃を愛している事を認めざるを得なかった。

 何故、突然こんな気持ちが頭を突き上げたのかは定かではない。ただ、今の瑠璃のなんとも言えない表情が引き金になった事だけは確かだ。

 それでも、俺の気持ちに偽りはない。

 問題は……それをどう瑠璃に伝えれば良いか、だけだった。

 こればかりは……上手くやらないと、全てをぶち壊しにする可能性すらある。瑠璃の俺を慕う情が、「肉親」としてだけだったら、俺は潔く身を引こう。瑠璃の気持ちを捻じ曲げてまでは、彼女を束縛したくはないから。

 まずはその辺りを慎重に探る必要があるな。今、こうして手を繋いでいるのだって、ただ「肉親としての兄への甘え」ではないと誰が言える。


 ……ともかく、それまでは……何事もないかのように、瑠璃に自分の気持ちを悟られないように振舞わなければな。全ては……タイミングだ。

 しかし、隠し通す自信があるかといったら、無いと言わざるを得ない。何故なら……俺は、好きなものを好きと言わなければ気が済まない、直情型の人間なのだから。

 再び、隣の瑠璃をちらりと見やると、ちょうど視線が合い、慌てて目を逸らした。


 ……義理とは言え、妹に惚れてしまった俺は、これからどうすべきか……ま、答えは簡単だよな。どんな結末を迎えるにしろ、瑠璃を傷つけるようなマネだけはしない。これだけだ。例え自分がボロボロになろうとも、それは大丈夫。一番に守るべきは、この世に二人と存在しない、この可憐な妖精なのだから。

 しばらく園内を散歩した後、日も傾いてきたから、家に帰る前に「喫茶館」に寄る事にした。あの不味いコーヒーの口直しだな。考えてみれば、二人して「喫茶館」に入るなど、俺達が出会ってすぐ以来かもしれない。お互い、別々には結構な回数を通っているんだが。

 瑠璃も同じ事を考えていたらしく、半年前の事……あの時は何を注文しただとか、何を話しただとか、俺でさえ忘れている様な事を色々と俺に言って聞かせる。あの時は、急に妹が出来てただただ混乱していたから覚えてなかったんだ、と言い訳してみるが、瑠璃には通用してないだろうな。

 そんな風に楽しくお喋りしながら「喫茶館」のドアを開けると、いつものように、マスターと響子さんのいつもの笑顔が……んん??

「どうしたの?響子さん」

 響子さんは、優しい声での「いらっしゃい、亮くん」も忘れて、ただ俺達二人の一箇所を見ているだけだ。その視線の先をたどって行くと、

「あ」

 俺と瑠璃の声が重なった。

 何故なら二人とも、仲良く手を繋いだままだったから。

 慌てて手を離すが、しっかり見られた後ではもう遅い。しかし有り難い事に、響子さんはそれについては何も触れずに、ただ苦笑いをして、

「いらっしゃい、亮くん、瑠璃ちゃん」

 と、やや遅めの「いつもの」をくれたのだった。


 それを見て、俺達は何だか……忍びなくなり、無言で極上の珈琲をすするのだった。まあいいさ、話など家に帰ってからいくらでもすれば。今はただ……珈琲の芳醇な香りを愉しむ瑠璃の顔を見ていたいんだ……

 しかし俺は、後々響子さんの反応の意味を知る事になる……。





 

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