Panic!
かくして朝日は昇り、高遠祭の日がやってきた。
俺はと言うと、万永と三浦の情熱的過ぎる逢瀬を覗いて……もとい、たまたま目にして以来、目が冴えて結局寝付けなかった。教室で雑魚寝という、いつもとは違う環境とはいえ、俺の神経はそこまで細やかじゃないと、自分では思っていたハズだったんだけど……
それでも、皆が起きる気配がする前の1時間半くらいは、進んだ時計から見るに眠っていたらしく、そう激しい睡魔が襲ってくるでもなかった。一時間半っていうのは、人間の睡眠の中でも区切りがいい数字らしく、大体この周期でレム睡眠とノンレム睡眠がやってくる……という話を聞いたことがある。レム睡眠……即ち浅い睡眠の時に起きれば、脳は眠っていないから、比較的爽やかな目覚めを得ることが出来るらしい……ふあああ……あ、と。
「みんなー、朝御飯買って来るけど、希望はあるかなー??」
三浦が、至って普通の顔で止まり込み組み全員に聞いた。さすがに制服に着替えている。ま、俺と遠藤に覗かれたなんて夢にも思っていないだろうからな……それにしても、ヤるんだったらもう少し場所を考えようぜ、万永と三浦よ。
三浦は一通り希望を聞いたが、当然てんでんバラバラになったので、結局メモ用紙に希望の品と金を預ける事になり……さも当然のように万永と三浦が肩を寄せ合ってメシを買いに行った。きっと、丘を降りたところのコンビニにでも行くのだろう。
「あの2人……デキてたんだなぁ」
何気なく龍志に言ったつもりが、
「ひょっとして……今まで気付かなかったの、矢島君?」
少しだけ意地悪な表情で、遠藤が答えた。ひょっとして昨日、俺は弱みを握られてしまったと解釈した方がいいんだろうか……
「そういう恋愛に鈍い所、亮らしいよね、遠藤さん」
「ほんと……こういうのを朴念仁っていうのかしらね。ま、それも矢島君らしいけど」
馬鹿にするか褒めるか、どっちかにして欲しいのだが……ま、どうでもいい。
「夏休みの前辺りから、2人で登下校する所を見た事、ない?」
「あー、そう言えば……そうかな?」
言われてみれば、二人してにこやかに、今みたいに肩を寄せ合って仲が良さそうだった。そんなに目立ってたんなら、クラス公認と言い切っていいんだろう。
「亮だって、女の子と付き合ってた事あるよね?」
「あるけど……そんな時は、他の子なんて目に入らないしな」
「矢島君の彼女になる子は幸せね、浮気される心配がないから」
……このセリフは喜んでいいのかな……どことなく皮肉めいた口調にも聞こえるが。
「俺の過去の話なんてどうでもいい。それより、今日はもう本番だ。聞くのを忘れてたが、女子連中の接客は大丈夫なんだろうな?」
一応は接客業の真似事をするんだから、そこが肝心要だ。金を取っている以上、それなりの意識と技術を持ってやってくれないと、口コミで流行らせるのも難しくなるからな。
「任せて。ウェイトレス一同、短期の集中特訓でプロ意識を叩き込んでおいたから」
短期でプロ意識をって言ったって……ねえ。どこぞのファストフード店じゃあるまいし……しかし、ここは彼女らの急速なプロ意識の芽生えに期待する意外にあるまい。
「ま、そこら辺は大丈夫だろ。あんな衣装を着ておいて雑な接客したら、自分たちだって良心が咎めるだろうし」
「そうそう、女子一同の底力を見てなさいって」
やけに自信たっぷりな遠藤に、俺も特に根拠はないが、命運を託してもいいかな、という気になった。俺はこんな偉そうな事を言っているが、この喫茶店の実質的なリーダーは誰なんだろうな。少なくとも、俺じゃない事は確かだが。ま、今までその必要性が論じられる事が無かった事から考えれば、特に大した問題でもないんだろう。
朝メシを買いに行っていた万永と三浦も丁度帰って来た。二人で1つの大きな荷物を持っているその様は、良く見れば確かに恋人同士にしか見えない。言われなければその事実に気付かない俺は、朴念仁と呼ばれても反論できないよな……
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手っ取り早く朝メシをかっ込み、今日の仕込みにかかる……前に、瑠璃に携帯電話を入れてみる。今日高遠祭に来るかどうか、の確認ではなく、何となく……声が聞きたくなった。いつも聞き馴れている声が聞けないと、少し落ち着かなくなる。毎朝、
「起きて、お兄ちゃん」
と、柔らかな声で一日が始まる心地良さといったら……何にも代えられない。起きるのを少しでも渋ると、地獄の起こしが発動するが。
「なあに?お兄ちゃん」
当たり前のように瑠璃が電話口に出るが……その声を聞いた瞬間、自分の胸の中に、ある感情が渦巻いた。
「流石に起きてたか」
その感情に戸惑いつつ、あくまで平静を装う。
携帯に時計が付いているハズなのに、教室の時計を見る。……8時をちょっと回ったところだった。
「当たり前でしょ?誰かさんじゃあるまいし」
「はは……それより、今日は何時頃来るんだ?時間が分からないと、俺も休憩を入れるタイミングが分からないぞ」
もしも忙しくなったら、そう時間は空けていられないからな。
「高遠祭が始まるの、9時からでしょ?だから……10時頃かな」
今日は土曜日で瑠璃も休みだから、余裕を持って来るということらしい。
「分かった、その時間頃に教室に来いよ。休憩を取っておくから」
「はーい」
ぴ、と通話ボタンを押して話を終える。さっき、瑠璃が出た瞬間に感じたモノは一体……と首を捻りながら振り向くと、
「何を誰と話してたの?」
「うわっ!」
遠藤がすぐ横に立っていた。
「る、瑠璃だよ。ほら、休み中にウチで勉強会やったよな?あの時来てた瑠璃の友達、いただろ?あの子も一緒に、今日遊びに来るんだと」
隠し立てするまでもないと思ったから、素直に白状した。
「ああ、愛菜ちゃんでしょ。明るい子だったから良く覚えてる。でもいいなー、優しいお兄ちゃんにモーニングコールしてもらうなんて」
「モーニングコールなんて大したもんじゃないさ。あいつは朝が早いから、そんなものは必要ないんだ。……平日どころか、たまの休日だっていつもと変わらない時間に起こされるんだから、たまったもんじゃない」
「何言ってるの、大変結構な事でしょ?矢島君も遅刻が減って大助かりって所じゃないの?1年生の頃は、朝のホームルーム中に教室に飛び込んでくるなんてしょっちゅうだったんだから」
「そうなんだよな……ホームルーム中なら遅刻はセーフ、って大目に見られてなかったら、もっと遅刻が増えてたかも……って、良く覚えてるな、そんな事」
「わ、忘れろって方が難しいわよ、あれだけホームルーム中に教室に飛び込んでくれば」
瑠璃が家にやってきてからほぼ5ヶ月が経過するが、それまでの俺の自堕落な生活は跡形もなく吹き飛んでいた。それまで、一人暮らしをしていて困らなかったのは食事の仕度だけ。男やもめの例に漏れず、洗濯物はほったらかし、部屋の掃除も月に数えるほど……と、酷い有様だった。
しかし、今はそれが大幅に改善されているのは……瑠璃さまさまであることは言をまたない。と言っても、掃除洗濯を瑠璃にやらせているのではなく、あくまであいつが俺の尻を叩いて、自分でやるように差し向けられている。そのところの乗せ方と迫力は筆舌に尽くしがたいものがあるんだ。
「で、瑠璃ちゃんたちは何時頃来るの?」
「10時頃だと。その辺りには休憩が取れればいけど……まあ午前中だから余裕はあるとは思うけどな」
「そうなんだ。大丈夫、絶対休ませてあげるから」
「そうだ、どうせなら遠藤も一緒に学校を案内してやってくれよ。あいつ、ここに進学するって言ってるから、女の視点でいいトコ悪いトコとか、色々と、さ」
「え……私が?」
「ん……イヤ、なのか?」
「イヤって訳じゃないけど……」
瑠璃をあれだけ可愛がってくれている遠藤だけに、色よい返事が返ってくるものとばかり思っていたから、遠藤の煮え切らない態度には、ちょっと戸惑った。
「まあいいわ、可愛い後輩になるんだったら、協力しますか」
「有り難い。取りあえず開店までは、俺は家庭科実習室に篭りっきりになるから、時間になったらそっちに行くわ」
「分かったわ。それじゃぁ準備のほう、よろしくね」
「任せとけ」
口では威勢良く言ったものの、頭の中では、さっきの遠藤の反応が気になっていた。俺の家に来るたびに、瑠璃を自分の妹のように扱い、また瑠璃も、そんな遠藤を姉のように慕っているように見えたからこそ、ああいう頼み事をしたんだけど……何か都合でも悪かったのかな……自分でも何か他に予定があったのに、俺に頼まれたから断れなかった、とか……いや、遠藤の性格だったら、きちんと断る筈だしな……本当に良く分からない。
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それから、9時の開幕にあわせて、ひとまず今日前半を見込んだ量のケーキを焼いてしまうことにした。実習室では、俺と助手代わりのスタッフ一同6名が動き回っている。なにしろ、来客数が皆目見当も付かないだけに、スポンジを焼く数の設定も分からない有様だったが、取りあえずスポンジ一台ケーキ8個と計算して、10個は焼いておくことにした。季節が季節だから、常温ではあまり持たないが、それすらも計算に入れ、どれだけ余ってもいいように、大きめの冷蔵庫まで借りてこれたのは卓見だった。無論、その分のコストもかなり掛かったが、近所のリサイクルショップと話をつけ、相当数の家庭用冷蔵庫もサブとして控えて置いてあるから、ケーキとしての在庫数は、軽く100個を貯蔵できる計算になる。
それにしても、家庭科実習室を占拠できた事自体が非常に大きいことだ。それもこれも、わが校に調理部が存在しない上に、他にも飲食店系出し物のクラスがあるにも関わらず、ウチのクラスだけが調理室を使える様に、学校側と折り合いを付けてくれた誰かのお陰だ。それにしても……ウチのクラスに交渉事に強い奴なんて居たかな……??もしかすると、担任のユウさんが便宜を図ってくれたのかも知れない。普段は飄々としていて、生徒の事など知らぬ顔、というユウさんも、中身は俺たちの事を第一に考えてくれている熱血教師だという事実は、皆が知っていることなのだから。
スポンジの焼き加減を見たり、可愛い助手たちのクリーム類の飾りつけを見ている間に、
「ご来客の皆様、今年も高遠祭の始まる時間となりました。この二日間、生徒達が今年1年の間に蓄えた力を存分に発揮いたします。それでは生徒の晴れの舞台をお楽しみください。生徒一同、精一杯おもてなしいたします」
という校内放送が流れ、高遠祭開幕となった。こちらの準備は、取りあえず午前中分のケーキ類は確保できるまでに整っている。あと残った仕事といえば、しばらく客の流れを見て、午後に焼くスポンジの量を見極める事かな。窓から外を見ると、校門の辺りには既に客が大挙して押し寄せている。山間の辺鄙な場所にある学校だけど、祭りの盛大さは周囲に聞こえているらしい。そういえば、去年も結構な人手に驚いた記憶がある。
瑠璃との約束の時間までにはまだ間があるが、取りあえず、自分のクラスの入りは気になる。まあ、お客もここに来たばかりで休憩するとも思えないから、午前は暇かもしれないな……などとタカをくくりながら教室の前まで歩いてくると、
「うお」
思わず声を上げるほど、入り口付近に人だかりが出来ていた。
「一列に並んでくださ〜い」
「お客様、焦らずにぃ〜」
普段からその声なら、クラス中の男が放って置かないような猫なで声を出す女子が、飢えた野獣と化したお客を裁いている。そのあまりに異様な光景に引きつつ、客引きの女子に苦笑い交じりの挨拶をして、教室内の暗幕で覆われた即席キッチンに入る。
「すごい入りだな」
コーヒーを入れている遠藤を見つけ声を掛けてみた。
「ほんと……これ、ひょっとしたらシャレにならないかもよ」
「確かに……開始10分でこの繁盛っぷりだもんな……校門で客引きやってるの、誰だっけ?」
「妙子と美沙。ウチのクラスでも胸を張って推薦できる位のコだから、かなりのインパクトになってるんじゃないかな」
「川村と三浦か……そりゃぁなあ……今が瞬の素材だし、可愛い子があの格好で外に立ってりゃ、それはそれは宣伝効果抜群だろうな……」
「もちろん。結構ノッて宣伝してるから、まだまだお客は増えるかもよ?」
そういって、トレイにコーヒーカップを4つ乗っけて、忙しそうに外に消えていった。これは……スポンジを焼く数も、大幅に上昇修正しなけりゃならんかな……遠藤と入れ替わりにキッチンに入ってきたのは、駒田理恵だった。
「駒田、ケーキの注文って、結構入るのか?」
「入るどころじゃないです、今持っていくところで教室にある分は無くなりました。早く持ってきてください!」
と、お叱りを受ける始末。
「そ、そんなにか!!」
「はい。そとで宣伝している2人が、ウリはケーキと宣伝してくれていますから。それに、物珍しさだけじゃなくて、本当にケーキが美味しい店、と評価されてるみたいですよ」
はは……確かに、並みの百円ケーキよりはシンプルでいいものが出来たと思ったが……開店30分で祭り中にこの店のなが知れ渡った、って事か。よしよし、滑り出しは上々だな……って、それどころじゃない!早く引き返して、スポンジの増産をしなけりゃ!!
……ふと気になり、もう一度接客をしている女子を見てみると……「女子に見える人間が一人混じっていた」。あいつ、本当に目覚めたんじゃなかろうな???場を盛り上げる為と分かってはいたが、こうして第三者の視点だと、生き生きと働いているように見える……客の中には、熱視線を送っているのもいるぞ……正体が男だとしたら、ひっくり返ること請け合いだ。
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さて、意気込んで実習室に帰ってきたものの、スポンジがそうそう量産できるものでない事は明らかな訳で、教室の連絡員からは矢のような催促、こっちはこっちでヒィヒィ言いながらケーキの増産に励んで……いつしか時間が過ぎて行き……
「あ!」
気が付けば、瑠璃との約束の時間は当に過ぎていた。時刻は既に正午過ぎ。今の今までケーキ作りに没頭していたが、それでも品薄が解消されるどころか、ますます教室の方から要求される量が多くなっている始末だ。これは……瑠璃を案内してやるどころの騒ぎではないかもしれない。
学校の案内なんて……安請け合いするんじゃなかったと後悔しつつ、黙々と作業を進める。瑠璃の付き添いも勿論大事だけれど、こうして喫茶店の中核を担った以上、取りあえず瑠璃たちには、一息つけるまで待ってもらうほかない。……勿論個人的にはかなり心苦しいのだが。そう思っていると、
「矢島君!!」
遠藤が、短いスカートを翻しながら実習室へ駆け込んできた。
「な、なんだ……おわっ!」
驚きから力加減を誤り、生クリームを床の上にブチ撒けてしまう。
「ああ、もったいない……」
「それどころじゃないわよ!!」
「な、何をそんなに怒ってるんだ?」
遠藤は、腰に手を当てて仁王立ちだ。かなり……コワい。
「瑠璃ちゃんと愛菜ちゃん、ずっと待ってるのよ!?しかも、客として座ってると後のお客さんに悪いから、って言って、教室の外で立ちっぱなしで!!」
「え……」
他人を気遣っているのはいかにも瑠璃らしいが、それにしたって立ちっぱなしとは……他の出し物でも見に行けばいいのに……
「俺が家庭科実習室に居るっていうのは言ったのか?」
「言ったわ。だけど、忙しいんなら邪魔しちゃいけないから、って……」
「そっか……相手をしてやりたいのはやまやまなんだが……今俺がここを空けても平気かな?」
実習室を振り返り、頼もしい俺の助手を見渡す。すると、
「矢島、何の話をしてるんだ?」
万永が声を掛けて来た。
「矢島君の妹さんと、その友達が遊びに来たのよ。だけど、矢島君ったら、2人をほったらかしにしてんのよ」
俺の代わりに遠藤が答えた。
「好きでやってる訳じゃねぇよ……クラスがこんな状態だから、待ってもらってるんだ。穴を空けるようなマネをしたら、瑠璃に逆に怒られる」
要するに、どっちを取っても筋が通らない。それなら、瑠璃達には悪いが、公を尊重したい。
「矢島、それならそうと早く言えよ!!今なら、俺達だけで何とかできるから。午後になったら、とても暇なんて取れないかもしれないだろ?」
「でも……」
「喫茶店をやると決めてから、矢島がずぅーっと頑張ってきたのは、みんなが一番知ってるぜ。それに、矢島がこうして先頭切ってメインメニューを考えてくれなければ、今頃どうなってたか……みんな言葉にはしないけど、お前に感謝してるんだぜ?だから、当日くらい息抜きしたって誰も文句言わないって」
万永は、そんな嬉しい事をも言ってくれる。見れば、実習室に居る全員が頷いていた。
「みんな……」
ケーキの開発を請け負ったのは、半ばムリヤリにやらされたようなモンだったが……こんなに感謝される事を考えると、素直にやってよかったと心から思える。目頭が熱くなってきそうだった。
「あの……矢島亮太郎……さんは居ますか」
むせび泣きそうになった所に、聞き覚えのある声が。その声は、それ程音量が大きくない割には良く通るもんだから、全員の注目が一箇所に集中した。見ると、瑠璃が実習室の入り口から恐る恐る顔を出している。その後ろには、愛菜ちゃんも興味津々といった面持ちで顔を覗かせていた。
「瑠璃……」
高遠の中で見る瑠璃があまりにも新鮮だったから、思わず駆け寄る。瑠璃が別人のように美しく見えたのは、たった一日会わなかったせいだけだろうか。
「やっぱり来ちゃった……あんまり忙しそうなら、ムリして案内を頼むのも悪いかな、と思ったんだけど……」
「そっか……ごめんな、いままでほったらかしで」
「お兄さんが忙しいっていうのは、葵さんから聞きましたから、気にしないで下さい。もし何でしたら、私達だけで遊んできますから」
愛菜ちゃんもフォローしてくれる。
「えー、何々?この子が矢島君の妹さん??」
「うわー、かっわいいーー!!」
「お友達もお人形さんみたーい」
しかし、俺の忠実なる女子の部下が、堰を切ったように瑠璃へ群がる。同性からコレだけの人気を集めるとは……瑠璃と愛菜ちゃん恐るべし、だ。瑠璃はというと、すがるような目つきで俺を見ている。
「ほーら、矢島君。早く連れ出さないと、2人ともクタクタになっちゃうよ?」
う……確かに。瑠璃と愛菜ちゃんは、揉みくちゃにされて、目がマンガみたいな渦巻きになっているのが見えるようだ。
「分かった……じゃあ、お言葉に甘えて行ってくる。遠藤も来てくれるんだろ?」
「私は……教室の方が忙しいから、やっぱり行けない」
「そ……そんなに忙しくなってるのか?」
「うん。どんどん客が増え続けて、そりゃもうすごいんだから」
俺がちょいと顔を出したあの時より……か。衣装のチカラとは凄まじいもんだな……。遠藤は、それに、と付け加えて、
「お邪魔そうだしね」
と、寂しそうに、ちいさな声で呟いた。
「え?」
「なーんでもない。それより、ちゃんとウチの学校のいいところを吹き込んでおいてね」
「あ、ああ」
そのあまりにもちいさな声は、一体どういう意味があったのか。お邪魔って……いったい、何がお邪魔だと思ったのか。俺には、そこのところが全く理解できなかった。
「よし、それじゃあ行くか」
「あ……お仕事はいいの?」
瑠璃と愛菜ちゃんの手を引き、女子の群集の中から2人を救出する。
「大丈夫だ。今を逃すと、今後は益々手が離せなくなるみたいだからな……」
遠藤の言葉に若干の違和感を覚えつつも、まずはどこから案内してやろうかと、頭を強引に切り替えたのだった。
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俺の隣を歩いているのが、瑠璃と愛菜ちゃんというとびきりの美少女達だから、人目を引くのは当然なんだが、2人はそれを全く気にしないほど、高遠祭にのめりこんでいた。中学の文化祭とは全く規模の違う催しに、目を丸くしているといった風だ。ま、その気持ちも分からないでもない。只でさえ高遠祭は並の学園祭に比べて大規模というし、増してや公立の中学校と比べると……そういう俺だって、一年の時にはかなり興奮した覚えがあるが。
結局、2人に付き合ってやれたのは、小一時間ほどだった。クラスの皆はああ言って送り出してくれたが、やはり一人でも欠けるというのは、相当にキツかったらしい。
「2年生の矢島亮太郎くーん!!至急家庭科実習室まで戻ってください!!人手が足りません!!」
なんて、校内放送で業務連絡まで入れられては……ね。
「……というわけだ、すまないな、2人とも」
「ううん、短かったけど、楽しかったよ、お兄ちゃん。私、お兄ちゃんが活躍してる所を見られて良かったな」
「そうか?」
「やっぱり、私がこの学校に入ろうとしたのは正解だったみたい。だって、すごく活気があるんだもん」
学園祭なんて、単なるイベントとしてか思っていなかったけど、こうして来客者がその学校に興味を持ってくれるんなんら、やはり特別なイベントなんだろうな。
「瑠璃ちゃん、ひょっとして……お兄さんに惚れ直しちゃった?」
「うん……って、何言わせるの、愛菜ちゃん!!」
「あーあ、認めちゃった〜!!やっぱり、瑠璃ちゃんとお兄さんはラブラブなんだ〜」
変に明るくはやし立てる愛菜ちゃんを、瑠璃が必死になだめている様は、とっても可愛らしい。……が、
(俺に惚れ直した……か)
その何気ない言葉の奥に潜む深い意味に、俺は気付いていたのか気付いていない振りをしたかったのか……
「取りあえず、今日はここでお別れだ。本当に済まない。この埋め合わせ、必ずするから……」
折角来てくれたのに、ロクな案内も出来ずに終わってしまった。ま、2人がそこかしこの模擬店に興味を示すから、時間が足りなくなったのもあるんだが……それは言わないでおこう。
「ううん、気にしないで、お兄ちゃん。私だって、案内よりも模擬店の方に目が行っちゃったから」
「私も、瑠璃ちゃんの付き添い出来たようなものなのに……ごめんね、瑠璃ちゃん」
自分たちで気付いていたか……ま、この2人なら同然かな。こういうところが彼女らの清々しく、且つ美点だ。
「じゃ、行くから。愛菜ちゃん、今度、手製の料理でもごちそうするから」
「はい、待ってます」
「じゃあね、お兄ちゃん」
はにかんだ笑顔で手を振る瑠璃。俺はその眩しい笑顔を横目に、走って実習室に戻った。いくら急いでいるといっても、走っていったって、大して所要時間が変わる訳ではない。でも……今のこの心臓の鼓動を、激しい運動の結果として誤魔化してしまいたかった。
正直な所、今の自分の急激な心境の変化に、自分の頭が付いてゆかない。これ程までに急に……人は心変わりするものだという事実を、俺自身が全く飲み込めていなかった。
今は……自分の気持ちに整理を付けられない。安易に整理をつけてもいけない。これは……今の俺の存在を根底から揺るがす問題なのだ。
……ああ、くそ……気付かなけりゃよかった。
決して気付いてはいけない感情が、これから俺にとってどのような意味を持ってくるのかは……当然、分かるはずも無い。




