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レディ・メイド

 高遠祭で喫茶店をやると決まってからは、準備は急ピッチで進んだ。今までの鈍亀のような各種準備の遅さは、目標が見当たらなかっただけ、目標さえあれば任せとけ、という事のようだ。

 俺が企画したフルーツたっぷりのケーキも、瑠璃の協力を仰ぎながら、自分の家で日々改良を重ねた。当然かなりの数の試作品が出ることになったが、先ずは俺たち兄妹が率先して消費して……主にメシ代わりにケーキを食うという過酷なものだが、瑠璃は不平も言わずに協力してくれた……、余ったら近所や学校にも持っていて何とか捌き、晴れて量産型2種が完成した。

 片方は、ショートケーキをベースに、スポンジの間にアプリコットジャムを挟み、上には桜桃や白桃のシロップ漬けを細くスライスしたものを乗せた。

 もう一方は、純ココアと砂糖を入れ、更にビター感を出すべく粉末状のインスタントコーヒーを混ぜたクリームを、甘ったるくならないように、程よくスポンジの周囲に塗ったもの。

 ここで気をつけなければならないのは、コストを犠牲にしても、きちんと値段の張る、乳脂肪分の高めの生クリームを使用することだ。どんなにトッピングに工夫を凝らしても、安物のクリームを使っただけで、クドくて安っぽいチープな100円ケーキ並みのものにしかならない。勿論コスト的には厳しかったが、乳脂肪分の異なるクリームを担当者に食べ比べさせ、納得させた上で予算を多めに割いてもらった。

 しかし読めないのは、どれだけ数が出るか、だが……それに関しては、まぁ当日の口コミに頼るしかあるまい。


 遠藤を初めとする女子衣装班も、それぞれの家に泊まりこみで衣装作りに精を出しているから、そのデザインの全貌は完全にシークレットだ。女子連中は、衣装合わせはおろか製作もそれぞれの家のみでやっているようで、学校には持ち込んできていない。だから、その生地の一端すら俺たちの目には触れていないという徹底ぶりだった。とことん隠し通し、高遠祭の日に披露するまでのお楽しみ、らしい。それほどなら、出来栄えの方も期待したいところだが……いかんせん時間に追われているので、いっぱいいっぱいだと遠藤がボヤいていた。


 しかし、幾ら泣きごとを言おうが、日にちは容赦なく進んでゆく。校内も否応なしに高遠祭ムード一色に染まっていった。

 普段は醒めた目で見勝ちなこの無機質な校舎の中も、こうしていざお祭り気分に浸ってみると、なかなかに心が躍らされる。作業をしている生徒達も、口では面倒臭いと言っていても、その表情は楽しそうだった。なんだかんだ言っても、皆で1つの事で集中するのは楽しいもんな。


 しかし決定的に不足しているのが時間なのは疑いようも無い事実で、俺たち設営班は、会場の飾りつけを高遠祭前日の午後七時になっても終える事が出来ていなかった。只でさえ、時間に比して人手が足りないのに、俺が殆どケーキ製作に出ずっぱりになってしまったから、相当にキツい状況に陥ってしまったいた。

「それにしても……」

 ようやく出来た最終決定案のケーキを差し入れに教室に来、周りを見ると……その作業の進展ぶりは、約70パーセントといった所だった。

 わがクラスの内装は、ありきたりに紙の輪っかを繋げた様な安っぽい&チープなものではなく、そこそこに見れる調度品を借りてきて、教室に搬入するという手の込みようだ。これもひとえに、クラスの中に都合良く、親がアンティーク家具の店を開いている人間が居たからこそ通った企画なのだが。それにしても、売り物をどう扱われるか分からない高校の文化祭に良く貸してくれたもんだ。よっぽど子供好きか太っ腹な店主なんだろう。

 と、そのアンティークショップの息子が、青い顔をして俺の傍に寄ってきた。

「どうしよう、亮……このままじゃ明日の朝イチに来て作業をしても間に合わないよ。僕らは学校に泊り込んで作業できるように頼み込むつもりだけど……亮はどうするの?」

 そう、龍志こそアンティークショップ・「ウンテル・デン・リンデン」の息子だ。おじさんが直接ドイツに行って、良質且つ手ごろな価格のアンティークを買い付け、販売している。その品の良さと価格設定から、相当に評判が高く、客足が途絶える事はないそうだ。

「この様子じゃ、そうだろうなぁ……まぁ、俺も今まで手伝えなかったから、その分張り切るよ」

「よかったぁ……これでまだケーキも完成してないなんて言ったら、みんなパニックになる所だったけど」

「まあそこら辺は粗方片付いたから心配すんな。それより、俺も泊り込みで手伝うぜ。今までケーキにかかりっきりで、教室の方には全然顔を出してなかったからな」

「亮はケーキを作るのに忙しかったんでしょう?だから、亮の仕事はもう終わって……」

 言葉を続けようとする龍志を制する。

「水臭い事言うなよ」

 その短い一言で俺の気持ちを察してくれたのか、それ以上龍志は何も言わなかった。

「……わかったよ、亮。それじゃ、頼りにしてるからね」

 そう、この一体感をもう少し味わっていたい。この気のいいクラスの連中と何かの共同作業をするなんて、これから先、何回あるだろう。そう考えると、居ても立ってもいられなくなるんだ。どうあがいても後数日でこの宴が終わるのなら、もう少しだけ……楽しんでいたい。

 時は過ぎて、時計はもう午後10時。設営も順調に進んで、設営の進み具合も完成の9割にまで達していたから、俺たちも一息付こうとしている所だった。

「皆さーん、進み具合はどうですかー?」

 そこに、教室の入り口から遠藤が首だけ出し、中を伺っていた。

「まあ、間に合わないって事はないな。それより、肝心要の衣装部の方はどうだ?」

「それがね……」

 遠藤は一瞬照れた後、廊下に目配せをした。どうやら、他にも誰かがいるらしい。その直後……

「じゃーーーん!!」

 大袈裟な効果音を口で言いつつ、衣装担当の女子連中が、遠藤の背後から教室になだれ込む。その姿を見た瞬間、

「おおおーっ!!」

 クラスの男子全員が感嘆の声を上げた。何故なら……

「本日、衣装が完成いたしましたー!どうぞご覧になって下さーい。あ、おさわりは禁止ですのでー」

 そう、今、遠藤と川村を含む、教室に入ってきた女子衣装担当10名は、何と言うか……当初のコンセプト・メイド喫茶に忠実な、モノトーンで統一され、フリルを可愛らしくあしらった、いわゆるメイド服を身に纏っていた。

「本当は、当日までお披露目は取っておこうと思ったんだけど、接客の練習と、「目」に慣らせておかなきゃ、という事で急遽公開となったわけでーす」

 川村が努めて明るく、はしゃぎながらそう言った。いかに明るい川村といえど、多分に照れ隠しが入っている事は否めない。だって……正直に言っちゃうと、結構短いぞ、スカートが。一番長めと見える、大人しい駒田理恵が穿いているものでも、太ももの中ほどまでの丈しかない。その駒田は、頬に紅を散らし、涙目になりながらスカートのスソを一生懸命抑えている。可愛そうではあるが、それはそれで可愛い。

 露出した足元を彩るストッキングも、ガーターで吊ってある本格派だ。全体の生地も、ありがちなテカテカした生地のコスプレレベルではなく、素人の俺でも分かるくらいに高級そうなものだ。

 頭には、カチューシャとでも言うんだろうか、とにかく「メイドの証!!」とでも言わんばかりのものを乗っけている。こりゃ、相当に力を入れて作ったんだな。

「大変よろしいものであるのは分かった。でも、これだけのものを作るとなると……結構コストが掛かったろう?」

 目のやり場に困る衣装だから、慎重に視線を選び、なるべくイヤらしく見えないように努めながら、しかし本当に感心してしまった。

「ちょっと矢島君、何ニヤニヤしてるの?」

「痛っ」

 遠藤が、俺の脇をつねった。

「ニヤニヤなんてしてないが、したっておかしくないだろ、これは」

 つねられた箇所をさすって、遠藤に抗議する。……でも、良く見ると目は怒ってない。それよりも……

「遠藤、お前もかなり……」

 そう、似合ってる。素材がいいのは一目見りゃ分かるが、そんな次元を超えた……清楚な中にも、どこと無く艶っぽい面が見え隠れするのが、いつものボーイッシュな姿とのギャップから、かなり新鮮だった。

「やだ、あんまり見ないでよ……これでも恥ずかしいんですからね」

「あ、悪い」

「……もう」

 そんなにじっくり見ていたつもりじゃないんだけど……それにしても、衣装が変わると、女の子はこんなにも印象が変わってしまうものなのだろうか……馬子にも衣装と言ったら、よってたかってボコボコにされそうだからやめておくが……ともかく、女の子というものは、やはり多分に生まれながらにして役者の素質を秘めているものらしい。

「元はと言えば私が発案者なんだから、一応矢面には立つつもり。中には気乗りしない人だっていたかも知れないし、もしそういう人がいたら、代わりに私が出ずっぱりでいるつもり」

 何となく初々しくはしゃぐ女子連中を遠目に見ながら、遠藤は言い切った。

 そこには、いつものアネゴ気質の遠藤が居る。やたらに可愛らしい格好の遠藤にうろたえる一方で、いつもと変わらぬ遠藤が居る事に安堵もした。

 喫茶店をやるからには、重要なのはケーキだけではなく珈琲も重要だ。ここでも俺が教官役となり、従業員の即席錬成も手がける。と言っても、俺は「喫茶館」で、マスターの珈琲の淹れ方の見よう見まねをしているだけだが。そういう意味なら、同じ「喫茶館」の常連である遠藤も手伝ってくれて良さそうなもんだが……何故か、遠藤は俺の手際を見ているだけだった。 その後、女子は模擬店で出す練習がてら珈琲を淹れてくれ、それを啜ってしばしの休息だ。

 しかし、これほど気の休まらない休息というのも記憶に無い。何しろ、目の前で短いスカートのスソがふわふわ揺れるのだ。真に目の毒と言うか何と言うか……そういう目で見るのは失礼だと分かってはいても、興奮が冷めない。見れば、飾り付け班全員の男子の鼻の下がみっともなく伸びている。だけどそれも仕方が無いかな。只でさえ粒揃いと評判の高いウチのクラスの女子の、さらに選び抜かれた面々が、刺激的な衣装で給仕をしてくれているのだから。

 頭を冷やす為に、喫茶店の内装でもある椅子から立ち上がり、一旦教室を出る。そして教室の入り口から中全体を覗くと、ほぼ俺たちが頭に思い描いていた装いの形を成していた。半月前までは、味も素っ気もない、至って普通の普通の教室だったのに、今日一日で一気に、力の入った学園祭の喫茶店の体裁を成していた。

 文化祭という特別な期間なのと、自由な校風を謳っているだけあって、あっさり学校側からの泊り込みの許可は下りた。が、正直に言って、最早泊り込みの必要が無い程作業が進んでいたんだが、それには皆突っ込まない。恐らく、俺と同じ気持ちなんだろう。文化祭に学校に泊り込んだ……なんて、後々格好の思い出話になるじゃないか。

「そう言えば亮、瑠璃ちゃんは?」

「ああ、学校に泊まるって言ったら、心細いー、とか寂しいー、とか泣き言言ってたな。愛菜ちゃんの家に泊まりに行く事にしたらしいけど」

「それなら大丈夫だね。明日は瑠璃ちゃんも愛菜ちゃんも来るんでしょう?」

「ああ、瑠璃にはケーキの試作品をしこたま食わせちまったからな。休憩時間には学校を案内して、たっぷり奢ってやる予定だ」

 たっぷり……とはいったものの、小遣いが瑠璃の要求に応えられるかというと微妙だ。一応、オヤジからは満足な額の仕送りをしてもらっているが、その中から自分で高校2年生に相応しい額しかもらっていない。今現在は特に欲しいものがないから、特別バイトする理由もないしな……でも、こういう臨時の出費があると、やはり少し苦しくなる。それも瑠璃のためだと思えば、なんという事はないのだが。

「そうなんだ……瑠璃ちゃん、高校の文化祭に遊びに来るなんて初めてなんじゃないの?」「そう言ってたな」

 文化祭に行くも何も、瑠璃がこっちに来るまで住んでいた場所からは、高校が気軽に行ける程の距離じゃなかったらしいから……もしそのまま進学していたら、登下校が大変だったろうな……

「榊原くーん」

「は、はい」

 川村に呼ばれ、龍志は不安な表情で教室の外に出て行った。そういえばあいつ、メイド喫茶をやると決めてからは何となく浮かない顔してたな……何か悩み事でもあるんかな。

 

 俺たち設営班が作業を再開し、遠藤たちは再び家庭科調理室に篭って明日の準備。そのまま作業に没頭して、そして……

「よっしゃ!これで、カ・ン・セ・イだーーーっ」

 思わずバンザイしてしまった。そう、内装が完璧に整ったのだ。順次、龍志の親父さんが軽トラで運んでくるアンティーク家具を教室に運び入れ、窓を黒い幕で目張りし、これまたアンティーク照明でライトアップすると……床を見なければ(ウチの学校の床は、ありがちな木目調の奴だ)、それなりの雰囲気の喫茶店……の真似事をしているように見える程度にはなった。

「あ、矢島」

「ん?」

 クラスメイトの南雲が、教室の窓から身を乗り出し、グラウンドの方向を見たまま俺を呼んだ。

「まだ何か運ぶものが残ってるらしいぞ。榊原の親父さんが何か合図してる。声は聞こえないけど」

「わかった、ちょっと行ってくる」

 龍志と一番仲がいいのが俺なのは、クラス中の全員が知っている事実だから、こういう時は俺が出向くのは当然だ。……皆が下に降りたくないだけかも知れないが。

 校庭に出て、軽トラまで歩いてゆくと……

「やあ、亮君」

 体格のいい、日本人離れした目鼻立ちの男性が、トラックの傍らに立っていた。金色の短髪も似合って、とてもダンディーだ。

「どうも、おじさん」

「龍志は一緒じゃないのかい?」

 にこやかな微笑みを浮かべながら、軽トラから最後と思しき椅子を下ろしたこの人は、榊原龍雄さん。ドイツ人と日本人とのハーフで、もちろん龍志の親父さんだ。アンティーク・「ウンテル・デン・リンデン」の店長さんでもある。

「ええ、今は女子連中に拉致られて、どこかに行ってます」

「おお、あの龍志が女性にモテてるとは珍しいね」

 いや、どう見てもモテてるって感じじゃなかったよな……どちらかと言うと、オモチャにされかねないというか……

「アイツにはいい刺激さ。この世の中、女の子くらいいいものはないぞぅ。それを女性が苦手とは……龍志は、男としての人生を半分はムダに費やしてるな」

 助手席から降りたのは、これまた大柄な、俺と同世代の青年。顔立ちは、やはり日本人離れしていて、目鼻の彫りも深めにして整っている。彼もまた長めの金髪を、真ん中から分けている。

 この人は、榊原龍爾たつみさん。本名は、リヒャルト・タツミ・サカキバラ。もう説明するまでもないが、龍志のお兄さんだ。俺と同じ高遠の3年生で、サッカー部のエースストライカーだ。190Cm近くある身長から、浮球をヘディングで相手ゴールに叩き落すのを得意としている。今年は全国大会の目もあるらしく、未だにグラウンドを精力的に走り回っている。

 その躍動する姿と容姿から、1年生から3年生まで幅広い層の女の子のファンがいるらしい。そしてここからが問題なんだが……

「俺みたいに、もっとフランクに付き合えばいいのさ。なにも異性としての付き合いだけじゃなくて、単なる友達づきあいするのも楽しいぞぉ」

「お前は、もう少し女づきあいを控えた方がいいけどな」

 龍雄さんが冷静にツっ込みを入れる。ここら辺の掛け合いは、流石に親子か。

 そう、龍爾さんは学校内でも浮名を流す程の遊び人という事でも有名だ。でも、女の子をとっかえひっかえするという訳ではなく、あくまで……浅く広く「交わって」いるらしい。と、素行に関してはあまり良い噂は聞かないけど、こうして手伝いに来てくれる所から分かる通り、非常に弟思いの優しいお兄さんである事が良く分かる。だから、龍志と仲が良い俺も存分に可愛がってもらっている。

「まあまあオヤジ、俺の事はどうでもいいさ。じゃあ亮、龍志をよろしく」

 龍雄さんも軽く会釈をすると、軽トラの運転席に乗り込み、颯爽と去っていった。親子それぞれで随分性格が違うなぁ……いや、家族それぞれがお互いの足りない所を補い合っているのかもな。実際、龍雄さんと龍爾さんを見れば分かる様に、おばさんも含めて家族仲は近所でも評判になるほど良好なんだそうだ。俺とオヤジだと、ケンカをするにも仲良くするにも、時間的にも距離的にも離れているから……親子仲がいいのか悪いのかなんて判別が付かない。そういう意味では……ちょっと妬けてしまう。


 残った椅子2脚を重ねて担ぎ、教室に戻る。もう作業は殆ど終了していて、皆は再び夜中の珈琲タイムとしゃれ込んでいた。幾らなんでもそんなに豆使って、明日の分に差し障りはないのか??

「この椅子、どうするんだ?」

「もう椅子は足りてるのよね。休憩室用……ひょっとしたら順番待ちの人が出るかも知れないから、教室の外に置いておく予備にしておきましょう」

 遠藤は、明るく、ヤケに眩しい、今まで俺の見た事が無いくらい……だから口では言い表せない表情でそう言った。いつもの制服とは違う衣装を着て、学園祭というお祭りに携わっている……気分が開放的になっているのかも知れない。

「確かに……この分なら、明日の客の入りは期待できそうだな。聞けば、収益の幾らかはクラスに還元されるらしいし……ま、がんばろうか」

「うんっ」

 大きく頷く遠藤の美しい黒いショートカットが揺れた。その様子があまりにも、その……可愛くて、綺麗で……視線を合わせたら、魅了されそうだった。でも……どうして魅了されたらいけないんだろう?そんな事がふと頭をよぎった。俺は今彼女持ちじゃないから、もしその気なら……遠藤くらいいい子なら、俺だって願ったり敵ったりな筈なんだが。それより、こんなに露骨に視線を逸らして、遠藤に不審がられないだろうか。

 と、視線を逸らした先で、衣装を着た女の子が、恥ずかしそうに皆に珈琲を注いで回っていた。うーむ、まだあの子はこのメイド服に慣れていないんだな。ま、あのスソの短さではそれも止む無しか。クラスメイトの女の子達をダシにして客を呼ぶのはいささか気が引けるが、これが女子から出た提案なのだから、女心というものは分からない。

(……????)

 でも、その子を見てしばらくしてから、俺の頭の中をぐるぐると駆け巡る1つの疑問がある。

(あのコ、誰だ……?)

 女の子は、衣装や髪型1つで化けるからなぁ。それにしても、あの子……髪は綺麗な金髪のショート。細めで背丈もかなり小柄。うーん、ショートカットというだけならクラスに何人もいるが、あれ位小さい子っていうのは……丁度龍志くらいか。

 ………………。

(……龍志くらい?)

 まさか。

 恐る恐る近くに寄ると、その人物がこちらを振り向いた。

「あ……」

 情けない声と情けない顔をしたそいつは……

「やっぱり龍志か……」

「りょお〜」

 俺を見るなり泣きそうな顔になった龍志は、手に持っていたコーヒーポットをきちんと机に置いた上で、俺の胸に飛び込んできた。

「大方、川村あたりにムリヤリ着せられたんだろう?第一お前な、嫌だったらちゃんと断われよな」

 涙目で俺を見上げる龍志……こうして見ると、泣きそうな本人には悪いが、女の子そのものにしか見えない。

「ううん、そうじゃないんだ。着てみろって言われたのは確かだけど、最終的に来たのは僕だから……」

「それだって、周囲を盛り下げちゃ悪いと思ったからだろう?まったく、お前はお人よしなんだから」

 龍志をあやしているうちに、周囲からヒソヒソ話をする声が聞こえてきた。恐る恐る見てみると……案の定、女子連中がこちらを妙に熱っぽい視線で見つめていた……おいおい、勘弁してくれよ、ただでさえ俺と龍志は、噂好きで物好きな女子から「そっち方面」を噂されているんだから。

 俺は、脱力して天井を見上げるのだった……

 それからしばらくして。夜は更けて日付も変わっていた。いよいよ高遠祭も今日となったわけだが、それ以上に問題なのは……

「ところで、俺たちはどこで眠ればいいんだ?」

 当たり前だが、教室に布団や毛布が置いてある訳も無い。担任のユウさんに相談してみると、よし任せろ、と言って愛車のトヨタ・ソアラ(MZ10。2800GT)を飛ばし、再び舞い戻ってきた頃には、車の室内中に毛布を押し込んでいた。普段は寡黙で、たまに調子のいい事を言うオッサンなユウさんだが、こういう時は頼りになる。きっと、どこぞの深夜まで営業しているディスカウントショップまで買いに行ってくれたんだろう。その上で、ユウさん教室の事は生徒に任せてくれ、自身は職員室で寝る事にしたそうだ。つくづく、融通の聞く、俺たち位の年頃の心理を分かっている人だ。


 まだまだ熱帯夜もある時期だから、毛布を床に敷いて雑魚寝したり、或いは肩に掛け、座ったまま寝ても冷えはしない。肩を寄せ合ってカベにも垂れながら寝る者、毛布の上にスシ詰めになって横になる者、思い思いに夜を明かす。半月で高遠祭の準備を整えただけあって、表面上ははしゃいで元気に見える皆も、実は疲れているらしく、こんな状況でも寝ると決まれば寝息を立てるのは早かった。

 俺はと言うと……何故か中々寝付けない。俺は毛布を床に敷いて寝る派だったが、どうにも背中が痛くて仕方が無い。隣の龍志は既に可愛らしい寝息を立てていた……メイド服のままで。コイツ、実は新しい世界に目覚めてしまったりはしてないだろうな。

 龍志を起こさないように慎重に立ち上がる。

「んん……」

 夢の世界にいても何らかの気配を感じたのか、龍志が寝返りをうった。起きてしまうのかと思いきや……再びすやすやと規則正しい呼吸が聞こえてきた。こうしてみると、くどい様だが女の子にしか見えない。……捲れたスカートの中から覗くトランクスにさえ目をつぶれば。

 スカートを直してやり、乏しい明かりを頼りに教室を出る。出入り口の引き戸を静かに開けるのにも神経を使うが、音に反応して起きたヤツはいない様だ。

 取りあえず用でも足そうと、意味もなく足音を殺してトイレへと向かう……

「…………」

「…………」

 真っ暗で只でさえ不気味な廊下に、かすかに人の声が響いたような気がした。

(……げ)

 はっきり言ってしまうと、その……怪奇現象の類がとっても苦手なんです、ボク。ですから、こういうのは勘弁してくださいまし。

 そのまま逃げ帰りたいが、苦手なくせに興味心も湧いてしまって……かなり小さなその声に導かれるように、トイレとはまったく別の方向へと歩いてゆく。誰もいなくて、俺の空耳だったらそれでいい。もし誰かが居たら……ひいぃ!!いずれにしてもきちんと確かめてみなければ、もはや気が済みそうになかった。

 声の音量自体は小さいが、誰もいない廊下故に良く響くから、聞き逃すという事はない。そろり、そろりと、僅かな衣擦れの音さえももどかしい。

 俺たちの教室とは、ほぼ校舎の正反対側まで来て、ようやく声の発生源に近づいたようだ。これだけ離れていて声が聞こえたという事は、元の声がかなり大きいという事でもある。

「あ……んっ」

 一際大きな声が響く。ああもう、気になる!!声は、どうやら階段の踊り場の方からしてくるようだ。慎重に陰から顔を出すと……

(……!!)

 そこでは、見知った顔のクラスメイトの男女が、古い言葉だが……逢引きしていた。男は、お調子者の万永。女の子は、栗色のセミロングも眩しい、クラスの中でも美人な方で、誰に対しても人見知りせず、親しげに話しかけてくるので人気がある三浦だ。しかも三浦は、メイド服を着たままだ。

 2人は、都合良く俺に気付かない場所で……キスをしていた。2人がそういう関係だったっていうのも知らなかったが、普段とは違う状況に欲望の炎が付いてしまっているのか、激しいキスを交わしていた。

(おいおい……)

 声の発生源が分かれば、そこで身を引いてもいいのに……何故か2人の逢瀬から目が離せないでいた。

(俺、出歯亀の趣味なんてあったっけ……?)

 確かに、ここ最近はご無沙汰だ……前の彼女と別れてから、もうどれ位立つか分からない。といって、他人の行為を盗み見て満足するほど愚かじゃないと自分では思っているつもりだったが……

 その内に、万永の情熱的なキスを受け入れている三浦の両脚が開いていく。これ、きっと無意識なんだろうな……さらには、その脚の間に、万永が自分の膝を割り入れ、怪しげな動きをしだした。

「あ゛!!」

 色っぽい声を漏らし続ける三浦を見ながら、彼女の腰を支えていた万永の手が段々と下に下がって行き……短いスカートをたくし上げる寸前で、俺は目を逸らした。

(幾らなんでも、これ以上覗いてたらシャレになんないし、2人に悪いぜ……)

 頭を冷やそうと、中腰のまま振り返ると、

「っ…………!!」

 声を我慢できたのは奇跡に近い。

 俺の顔のすぐ傍に、遠藤の顔があった。

(うわ……すごいね、2人とも)

(ど、どうしてお前がここにいるんだよ!!)

(私もおトイレに起きたんだけど、矢島君がふらふらと……トイレとは別の方向に歩いていくから、怪しげな霊にでも導かれたんじゃないかと思って、後を付けて来たのよ)

(それより、早く逃げようぜ)

(ま、2人に悪いしね)

 行く所まで行きそうな万永と三浦を、割と平然な表情で見ている遠藤。肩をすくめて茶化すと、足音を忍ばせて今来た道を戻る。俺も慌ててその後を追った。

「結構スリルがあるのねー、覗きって」

「バ、バカ、声が大きい!!」

「大丈夫よ、皆寝てるわ」

「起きてるじゃないかよ、都合4人も」

「細かい事は気にしないの。それより、矢島君に覗きのシュミがあるなんてね」

「ご、誤解されるような事言うなよ、俺はただ偶然」

「偶然であんなところまで足を伸ばす?」

 ……本当に、最初は純粋なる好奇心だった。あんな事をしている可能性など、考えもしなかった……弁明した所で、あの状況を見ていたとあっては、信じてくれそうも無い。

「そっかそっか、そういうシュミがねぇ」

「弁解しても信じてもらえないんだろうな、やっぱり」

「……」

 遠藤が意地悪そうな瞳で俺を見て……そして、苦笑いをした。

「ウソよ。矢島君がそんな事で楽しむような人じゃない事は、知ってるもの。それに……」

 遠藤は、そこで間を置いて、

「あそこまで見物してたの、私だって一緒だしね」

 ぺろ、と小さな舌が覗いた。その仕草が、バツの悪さを隠しているのと、照れ隠しにも見えた。事実、遠藤の頬も紅潮している。

 教室の前まで来ると、いつもの遠藤に戻り、小さく

「おやすみ。また明日、がんばろっ」

 と、笑顔を向け、先に教室に入っていった。

 俺も後に続くが……真っ暗で、ついさっき入っていったはずの遠藤の姿はもう見えない。テーブルの下ででも寝ているのか?

 俺も殆ど手探りで龍志を見つけ出し、ようやく横になったが……目が冴えて寝付けなかった。もちろん、あの2人……万永と三浦が乳繰り合っていたのをモロに目撃してしまった影響はあるが、それ以上に遠藤の態度も気になった。前々から遠藤はかなりの人生経験を積んでいるとは思ったが、あんな場面を目撃してでさえ落ち着き払っていたのだから、「そっち」も経験豊富……なのか?

 ま、そんな事、俺があれこれ想像しても意味のないことだし、第一、確証も無いのに失礼だ。真実は、遠藤の胸の中にあればいい。

 疲れているのだから、無理やり寝付こうと思ってもそうは行かない。やがて、教室の引き戸をそろそろと開ける音がして、中に誰かが入ってくる気配がした。こんな時間にやってくるのだから……きっと、万永と三浦だろう。コトが済んで、一呼吸置いて帰ってきたんだろう。

 それを考えたら、またまた目が冴えてきてしまって、もう眠れそうに無かった。

 下衆な言い方だけど、タマってんのかなぁ、俺……

 それしきの事で心を乱されてしまう辺り、自分の心身の修練が足りない事だろう。そう思うと、さらにヘコんでしまうのだった。

「ん……」

 龍志が寝返りを打つ気配がしたので見てみると、トランクス丸出しで眠っているのが闇に馴れた目ではっきりと確認できた。俺はそれをきちんと直してやり、腰から下にテーブルクロス用の余った生地を掛けてやった。龍志よ、お前に憧れを抱いている女子がいないとも限らない。朝起きて、トランクス丸出しの姿をその女子が見たら、その子もお前も可愛そうだからな……

 横で愛くるしい寝顔で眠る龍志。本当に、女の子と見間違うばかりだな。しかしいかに俺がタマっているといっても、その顔を見て劣情を催さないという事は、俺にも一応の分別があるということで、一安心したのだった。


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