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Stir

 楽しい時間であればあるほど、その終焉までは早く感じるものだ。

 長くて楽しかった夏休みもとうとう終わってしまい、新学期が始まった。こうして自分の席に腰を落ち着け、周りを観察してみると……

 クラスの連中は一様に日に焼けているか、すっきりした顔をしているか、真っ白な肌のままか……要するに、日焼けしている奴以外にはいつもと殆ど変わりがない。

 変わりがないと言っても、中にはぐっと雰囲気がアダルトになった奴や、髪の長さが変わっている女の子も目立つ。そういうのは、「夏に一経験しました」って公言してるようなもんだ。ま、「そういう経験」だけが人間を成長させる訳でも無し。そりゃ俺だって、「そういう経験」をすれば、急に世界が開けてくるような妄想を抱いていた事もあったけど、実際には……そうでもなかった。要は心の持ち様なだけさ。

「亮」

 龍志が、いつもと変わらぬ口調で俺の席にやってきた。俺とのガチンコマラソン対決は、約一ヵ月半後。外見からは、重大な決意を抱き、俺に勝負を挑んでいるようには見えない。あくまで、勝負と普段の付き合いは別物、というスタンスらしい。

「おう、おはよう」

「おはよう。夏休みの宿題、全部やってきた?」

「ははは……自分の身になると分かってる宿題だったら、喜んでやるんだがな」

「要するにやってないって事なんだね……」

「まぁそういう事だ」

 龍志は大仰に肩をすくめ、苦笑い。新潟で、親父に「とりあえずは勉強しておけばいい」という趣旨の事を言われたにも関わらず、この有様だ。

「そんなんじゃ、二学期の成績に響いちゃうかもよ?」

 遠藤が口を挟んできた。

「そういう遠藤は……言うまでもないか……」

 ま、遠藤が宿題をサボるなんて事はありえないよな……

「ところで矢島君、文化祭の出し物のアイディア、考えてきてくれた?」

 そう、9月も半ばに開かれる文化祭(正確には、高遠祭という、どっちにしろ平凡な名前だが)の、ウチのクラスの出し物が未だに決まっていないのだ。本来なら、夏休み前に決めていなければならない重要な議題の筈だが、ホームルームでロクな意見が出ないにも拘らず紛糾し、半月前になってもまだ決まっていないという異常事態に陥っていた。例え今日のホームルームで出し物が決まっても、準備期間が僅か半月という慌しいスケジュールになるから、どっちにしたって厳しい。

「いや……特別ユニークな提案は出てこなかった。悪いな……」

「なんだ……矢島君だから、何かいい提案があるかと思ったんだけど」

 遠藤は表情を曇らす。彼女にクリエイティヴ的才能があると褒められたって、そういつもぽんぽんとアイディアが浮かぶ訳がない。

「そういう遠藤はどうなんだよ。文化祭実行委員なんだから、さぞや妙案を引っさげて来たんだろうな?」

 意地悪く聴くと、

「うーん……旬のネタがあるにはあるんだけど……提案した瞬間に引かれないか心配なのよね……」

 と、真剣に悩んでいる。

「どんなネタなんだ?」

「秘密よ」

 いともあっさりと返されてしまった。

「ここで矢島君に引かれたらイヤだもの」

「まずは俺に教えてみなって。引かれるか引かれないか判断するから」

「うん……でも……」

 遠藤は口ごもる。そんなに際どいネタなのか?

「それもそうか。じゃ、笑わないで聞いてよね」

「まぁ努力はしよう」

「もう……あのね……ドキッサ……なんだけど」

「え?何?」

 遠藤にしては珍しく、小さな声。はっきりと聞き取れないほどだ。

「小さくて聞こえないな。もっと大きく」

「……こうなったら、後には引けないわ。矢島君、ちょっと耳を貸して」

「え……」

 ちょっと抵抗があったが、それでも耳を遠藤の顔に近づける。傍まで寄ると、遠藤甘い髪の香りが俺の鼻腔をくすぐった。

「メイド……喫茶なんだけど、どう思う?」

「ええっ?」

 俺の声があまりに大きかったからか、遠藤は耳を塞ぎ、クラスの皆の視線を独り占めする事になる。

「声が大きいよ、矢島君っ!!」

「ああ、悪ぃ。でも……メイドキッサとはねぇ……」

 確かに、変り種ではあるな。最近、そういう店が秋葉原やその他の都市にも続々とオープンしているのは知っているが、まさか遠藤の口からそんな言葉が聞けるとは思ってもみなかった。

「メイドの衣装を着たウェイトレスに「ご主人様」なんて呼ばれてお茶を飲んだりする、アレだろ?確かに、男の夢かもしれないが、女子にとってそういうのはどうなんだ?」

「うん……実は、仲間内でのウケは悪くなかったのよね、実際。可愛い制服を着てみたい、っていうのは、女の子なら誰でも持ってると思うし。それに、そんな格好が許されるのは今のうちだけでしょ?」

 確かにそうでなければ、本物のメイド喫茶で働きたがる女の子がいるわけがないか。男の一方的な願望って訳じゃなさそうだな、これは。特筆すべきは、ウチのクラスの粒揃いだから、もしかする高遠祭一番の目玉になるかもしれない。そうすれば売り上げも自然とUP、必然的に打ち上げのグレードもUP……男子連中には、普通の喫茶店と比べて仕事量が増える訳でもなく、更に目の保養にもなる。いい事尽くめじゃないか。

「でもね、女子連中は乗り気でも、男子に引かれないかちょっと心配……」

 ま、まぁ、他のクラスの女子ならいざ知らず……いや、あー……ここは下手な事は言うまい。

「いや、ウチの男子だったら、皆賛成すると思うぞ。小躍りして喜ぶかも知れん」

「本当!?もしすんなりと決まるんであれば、後は準備の問題だけだからありがたいんだけど……」

「それもこれも、一応ホームルームで意見を聞いてみなけりゃな。俺の一存じゃどうしようもないし」

「……そうかな?矢島君の意見だったら、みんな聞くような気がするけど」

「おいおい、俺はそんなに影響力のある人間じゃないぜ」

「そうかなぁ……」

 俺の力量を高く買ってくれるのは嬉しいが、どちらかと言うと俺は敵を作りやすいタイプだと思ってる。モノはズバズバ言うし、頑固だし……それでもこうして友達がいてくれるのだから有り難い事だ。

 ふと横を見ると、龍志がヤケに不安そうな顔をしている。何かメイド喫茶に気に入らない点があるんだろうか……?

 始業式が終わり、夏休みの宿題回収すら後回しにし、文化祭の出し物を急ぎ決める事になった。今日で結論が出なければ、いつまで経っても帰宅できないと脅されているから、何とかして欲しいものだ。

 黒板の前に立った遠藤が意見を募るが、いまさら何も出てくる訳がない。いよいよ腹をくくったのか、

「皆さんの意見がないようでしたら、こちらから提案させてもらいます」

 と一言告げた後、息を大きく吸い込む。

「私は、メイド喫茶など、話題性の点からも集客力の点からも面白いのではないか、と思うのですが、いかがでしょうか」

 あまりに突然の提案に、教室中が静まり返った。いかがでしょうか、と言われたって、何て言えばいいんだ。女子連中の間では概ね暗黙の了解化していたようだから、問題は男子か……しかし、それも杞憂に終わる。

「いいねいいね!!まさかクラスメイトの子達のメイド服姿が見られるなんて!!普段の制服とは違う、ご主人様に尽くす為の衣装に身を包んだ、可憐な乙女たちの恥じらう姿!!どんなに強気な子でも、ご主人様にだけは本音を漏らし、か弱い姿を見せる!!くーーーっ、堪んねぇ!!大賛成だよ、なぁみんな!!」

 クラス1のお調子者、そして女好きを公言して憚らない万永が、拳を握り締めて意味の分からない事を力説した。

 男子連中が、照れからおおっぴらに賛成出来なかったところに万永が力説して、全員がその気になったものか、結局全員が賛同した。担任のユウさんは、メイド喫茶とはなんぞやという顔をしていたし、いい加減出し物に頭を悩ませていた所だから、「生徒の為の文化祭なのだから、生徒の決めた事を尊重する」という事で即決。

 あまりのとんとん拍子の話の進み方の奥に、どうやらクラス全体が「何でもいいから出し物を決めないといい加減マズい」という思いがあったらしい事は否定できない。ともあれ、ここに前代未聞の「高校生メイド喫茶」が誕生した!!しかし、幾らなんでも「ご主人様」はないだろう、という至極まともな意見もあって、単なる「ウェイトレスの衣装の可愛い喫茶店」にグレードダウンして、これを我がクラスの出し物とする事となった。

 

 だが、二学期まで出し物決定を引き延ばしていたツケは大きく、残り二週間強で準備を整えるという強行軍を余儀なくされた俺達は、取り急ぎメニューやら衣装製作に取り掛かることとなった。

 その日の午後。

「……で、どうして俺がここにいるのだろうねぇ」

 俺は家庭科調理室で、女物のエプロンを着せられ、遠藤を始めとする女子数名に囲まれていた。状況が条項でなければ、身震いするほど嬉しい環境なのだが。それだけ、俺が安全且つ全く男として認識されていないという証拠だろう。

 あの遠藤の提案後。長引くかと思われたホームルームが、あっさりと終わった事に安堵感を覚え、そそくさと教室を出ようとしたところで、俺は女子連中に拉致られた。主要なメンバーは、修学旅行やキャンプで行動を共にしている例の仲良しグループだ。

「矢島君って、料理得意なんでしょ?だから、喫茶店の目玉となるおいしいケーキを創作するのよ!!」

 川村妙子が泡だて器をこちらに付きつけ、何故か俺にだけ、そう熱く命令した。

「そ、そりゃまあ得意な方だが……そういうのは、女子連中の仕事なんじゃ」

「ちっちっちっ……」

 大袈裟に舌を打つ川村。コイツ、随分といい性格してやがる。

「この世の中、料理だけが女の仕事じゃないわ!!男の人も積極的に台所に入るべきよ!!矢島君、貴方は我々の厳しい審査の目をパスし、」

(俺は一切審査を受けたつもりは無い)

「晴れて我がクラスの純喫茶・「ノワール」の」

 (純喫茶・黒かよ。随分な名前だな)

「パティシエに任命されたのよ!!」

「……要するに、自分たちにケーキを作れる人間がいないという事だな……」

「そ、それを言っちゃあお仕舞いよ……と・も・か・く!!」

 川村が目配せし、女子6人が一同に頭を下げた。

「この通り、私からも頼むわ、矢島君」

 遠藤も、しおらしく頭を下げた。

「こうなった以上、全学年全クラスでトップの売り上げを取って、奇抜じゃないだけのお店にしたい。そのためには、男女から支持を受けるような売り物が必要だと思うの。「そういう制服」なら、初期の集客は確保されたも同然。問題はその後、リピーターや口コミ、それに「そういう制服」目当てでない女性客も確保必要があるわ。そこで、矢島君に注目した訳。矢島君なら、きっと老若男女全てに受け入れられるケーキを作ってくれる、そう勝手に思ってしまったの……」

 ……確かに、これで肝心の喫茶の方が普通だと、単なる「奇をてらった出し物」で片付けられてしまう訳だな。それは俺も本望ではないし、将来、この文化祭を思い出したときに「あれは失敗だった、面白くなかった」という物にはしたくない。成功に俺が少しでも貢献できるのなら……

「お願い、矢島君。勿論、私達も協力するわ。だから、クラスの力になって下さい」

「……分かったよ、俺がどこまで貢献出来るかわからんが、やってみるか」

 俺がそう言うと、女子連中はわぁ、と歓声を上げた。そんなに喜ばなくても……

「ただ、な」

 コレだけは告げておかなくてはならない。残酷な様だが、仕方あるまい。

「俺、菓子は作った事無いんだよな……」


 案の定、全員の表情が笑顔のまま氷付いた……。


「うわーーー!!美味しそうなスポンジ!!」

 女子連中が再び歓声を上げた。

「ほんと、近くの100円ショップで売ってる材料使ったとは思えなーい」

 確かに、我ながら、良く出来ていると思う。料理の経験が深い俺にとって、たかだかスポンジを焼き上げる事など赤子の腕を捻るに等しい……美味しいスポンジ作りに日夜努力を重ねる、本職のパティシエが聞いたら怒り出しそうだが……。

「これだけで十分売り物になりそうだな。素ウドンならぬ素ケーキ、なんちって」

 視線が痛いので、真剣な表情にチェンジだ。

「しかし……」

「しかし……?」

「こんなものをケーキのトッピングにしろというのか、お前達は!!」

 俺は、テーブルの上に並べられた品々を眺め、ついつい声を荒げてしまった。何故なら並んでいるものは、梅干、粒餡、沢庵……ケーキのトッピングとして購入してきたとはとても信じ難い。

「俺はてっきりウケを狙ったのかと思ったぞ」

「ほ、ほら、料理人は色々な材料を試してみるものでしょう?」

 川村がしどろもどろに弁解するが……イマイチ説得力に欠ける。大体、どんなものがスポンジに合うかなんて、考えなくても分かりそうなものだが……

「そうかも知れないが……これがもしウケ狙いだったら、素面じゃとても考え付かないな……」

 溜め息の一つでもつきたくなるのをぐっと堪え、何とか気を取り直す。こいつら、本当にウケを狙ったり悪気があってやった訳じゃないらしい。それにしたって、誰だってケーキ位食った事はあるだろうに。その時、食ったケーキがどんな飾りつけをしていたかを思い出せば、ある程度の見当はつくと思うんだが……こいつらは、そこまでは考えず、ただ口に入れて「美味しい」と思うだけなんだろうな……嘆かわしい。

「そう言う矢島君は見当がついてるの?」

「まあ、な」

 おお、と一同が大袈裟に沸いた。ここで言いよどんでいるようだと、俺の実力も大したことがないという風に判断されても仕方が無い。

「まず、ケーキなんだから甘いのは当然だが、かといって生クリームをふんだんに使っている様だと、ただのクドいお子ちゃま向けになっちまう。そこで、果物を多めに使って、甘みはそっちに任せ、生クリームに使う砂糖の量も極力抑える。スポンジが甘いから、それくらいで丁度いい筈だ。俺の計算だと、甘酸っぱい飽きの来ない一品に仕上がるとおもう」

 完全に自己流の考え方だが、すらすらと口に出した事にしたからか、思いのほか説得力があったようだ。

「じゃ、じゃあ、今すぐ買いに行ってくる!!」

 俺の言葉にすっかり感銘を受けた川村は、俺から買い物の指示を受けると、遠藤に二言三言耳打ちし、遠藤以外の女子を全員伴って家庭科調理室から出て行ってしまった。

 ……そ、そんな人手が必要な程の買い物を指示した訳じゃないんだが……イヤな予感がするな。

 かくして、俺と遠藤だけが調理室に残された。

「あー、なんだ、どうして全員出て行っちまうのかね」

「ほ、ほんと、なんでだろうね」

 急に2人きりになったからか、ギクシャクしてしまった。いつもなら、2人きりになったところで、こんなにも不自然になる事はなかったのに。どちらかというと、遠藤の態度のがいつもと違うから、俺までそれに影響されてしまった感じ。

 徐々に冷めてゆくスポンジを前に、途方にくれる。

「そうだ、折角だからメシ代わりに半分食っちまうか?試作品を作るには、スポンジ丸々一個は要らないだろ」

 その場しのぎに、まだ中が温かいスポンジを切り分ける。これだけなら、シフォンケーキと言っても通用しそうだ。

「でも飲み物がないな……俺、ちょっと販売機まで買いに行ってくる」

 飲み物を買いにというのはあくまで口実だ。こんな風に、大した理由もなくこの場を逃げ出すような形になってしまうのは心苦しいが……かと言って、今の遠藤と2人で会話を弾ませる自信が無い。こういう点、俺は全くの臆病者になる。

 そそくさと踵を返したところで……


「………………!!」


 遠藤が、俺の手を掴んでいた。

「え、遠藤?」

「もうちょっと……お話がしたいな……」


 俺の手を掴んだまま、俯いたまま、視線を合わせようとはしない。しかし、嫌とはいえない強い響きが、その言葉の中にはあった。

 女の子にしては背丈のある方の遠藤だが、それでも俺とは一段階目線が違う。しばらくは彼女のつむじの辺りしか見えてなかったが、突然、顔を上げた。当然、俺と視線がばっちり合ってしまう。普段ならば、すぐに目を逸らすはずなんだけど……今は何故かそれが出来ず、遠藤の顔をまじまじと観察する格好になってしまった。

 大きな、ややツリがちの潤んだ瞳が、俺に何かを訴えかけようとしてきている……と思うのは、俺の思い込みだけだろうか。いつもの快活かつハキハキした遠藤とは全く違う、別人のようなその表情は、俺の心のどこか……いつもは奥底に閉まってある部分……を掴み、揺さぶった。


 ……違うな。いつもの遠藤とは確かに違うが、これも遠藤の中の一部分。俺が勝手に「元気で明るい姉御肌、その代わり男っ気の無い女友達」のフィルタを掛けているに過ぎなかったんだ。

 でも、こうして唐突にその現実を突きつけられてしまうと……誰だって動揺するよなぁ、そりゃ。だって、遠藤は……はっきり言ってしまえば、極上の美少女なのだから。

「え、遠藤……?」

「あ、ご、ごめんなさい」

 自分が俺の手を掴んでいる事にも気付かなかったのだろうか、慌てて手を離す。でも、俺の手には、遠藤の柔らかい手のひらの感触が残っていた。紛れも無く、細い女の子そのものの手だった。

 それから、俺達の間を沈黙が支配した。何だか、息をするのすら躊躇われる。下手に呼吸をした瞬間、俺と遠藤との目に見えない微妙なバランスが狂ってしまう様な気がして……

「矢島君って、さ」

「ん?」

 長い沈黙の間に、そろそろ日が傾いてきて、西日が容赦なく入って来た。遠藤の横顔が西日に晒され、どこか神々しい雰囲気さえ醸しだしている。

「……付き合ってるひと、いるの?」

 俺からはほぼ逆光になった遠藤の口のシルエットだけが動き、そう俺に訊いた。

「いや、今はいない」

「そっか……じゃ、好きなひとって……いる?」

「……」

 好き、か。この雰囲気じゃぁ、瑠璃も龍志も遠藤も響子さんも全員が大好きだ、などといっても通用しないだろう。つまり、「Like」ではなく「Love」。

「居ない」

「そっか、居ないんだ……」

 どこか安堵の響きを含んだ言葉だった。いったい遠藤は、俺のどういう答えが恐かったんだろう?

 それから、また2人は会話もなしに黙りこくる。……ああ、早く買出し部隊が帰って来ないかな……。そうすれば、この状況から抜け出せ……待てよ、俺は一体何に怯えているんだ。遠藤のどんな言葉、態度を気にして、恐れているんだ?

 俺のそんな思いとは裏腹に、調理室では相変わらず場の空気にそぐわない、スポンジの甘い香りに満ちていた。

 やがて、逆光のシルエットから、遠藤の姿が徐々にはっきりしてくる。こっちにゆっくりと歩み寄ってきているんだ。

「矢島君、私、私ね……矢島君の事が……」

 はっきりと、遠藤が俺を見上げるくらいまで近づいた。そして、唇がゆっくりと動き……


 がらり。

「たーだいまっ!!」


 驚いて入り口を見ると、買出し部隊の各々が大きなビニール袋を手に提げて、調理室に入ってくるところだった。は、はぁ、助かった……って、さっきも思ったんだが、俺は何にプレッシャーを感じていたんだ!?


 見ると、遠藤は机(調理・実習室だからテーブル、なのか?)に脱力したように突っ伏していた。

「あ、あれ?ひょっとして、ハズした……?」

 その様子を見て、川村が青ざめる。遠藤は、川村を恨めしそうな瞳で見上げた。

「だ、だって、結構時間空けたし、あんまり遅いのも変かなーって……ああもう葵、そんな顔しないで!!また協力してあげるから、ね?ね?」

 何やら意味不明の言葉を掛ける川村だが……遠藤は虚ろに首を立てに振るのみ。何だか……疲れ果てて一気にやつれてしまったかのようだ。

 結局、その後も遠藤の落胆振りは目に見えて酷く、いざケーキのプロトタイプが完成するに至っても、周囲の喜びようとは裏腹に、只一人落ち込んでいた。でもそこは遠藤で、最後の方はなんだかんだ言って、元気を取り戻していたような気がする。


 ようやくやたらに甘い匂いの立ち込める調理室から開放された時には、既に夕焼け小焼けの唱歌が似合う時間帯だった。いくら9月になって日が落ちるのが早くなったと言っても、流石にこれは……

 遠藤はと見ると、川村達に励まされながら帰宅する所だった。



(矢島君、私、私ね……矢島君の事が……)



 遠藤、お前、あの後の言葉をどう紡ぐつもりだったんだ?

 そう、俺は大体は見当がついている。でも、その言葉が遠藤の口から出たら……俺はどうすればいいんだ?分からない。受け入れてもいいのか?確かに、「友達より一歩進んだ関係から」というのもあるかも知れない。でも俺は、「遠藤が言いたかった言葉」を言える程の感情を持ち合わせていないというのに、それでいいのか?

 じゃあ、断る?なんと言って断る?好きな人も居ないと言っちまってるし、「勉強が忙しいから」なんて口が裂けても言えない。

 それよりも、断った事によって崩れるバランスが恐い。今までの、気の置けない、瑠璃のお姉さん的な関係がいいんだ。でも、それすらも俺の甘え、勝手な希望に過ぎない事が、さらに苦しい。

 


 ああもう、頭がパンクしそうだ。

 頭を冷やす為に、誰かの声が聴きたかった。今一番手っ取り早いと言えば……そう、この方法だ。

 携帯電話を取り出し、メモリーから呼び出して掛ける。

「ああ、そうだ。今、帰るから。それがな、文化祭の準備の追い込みで、ホームルームが終わったすぐ後から監禁状態で……ああ、分かってる。ほいじゃ」


ぴっ。


 通話ボタンを押し、会話を終えた後、頭がすっきり晴れていた。何気ない会話でも、安堵できるその理由は……きっと、複雑なようで単純で、単純なようで複雑だ。


 俺には、まだその答えを出せるだけの覚悟は備わっていないから、最初から考えないように、そっと胸の奥で鍵を掛けてしまっておきたかったのだ。そう、近々、答えを出さなけりゃいけない事は分かってる。ただ、今はもう少しだけ……このままがいい。俺が感じ取った、17年という短い人生の中で始めての心地良い安らぎなのだから。






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