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Hill climb

 こんこん、こんこん。

 俺の部屋のドアをノックしてんの、誰だ?親父が帰ってきたのか?それにしちゃあ音が小さいな。親父のは

ドンドン!!ドンドン!!

 だもんな。あれは、一日の活力が削がれるような気がするのでやめてもらいたいのだが。今日のはなんだか穏やかな気分にしてくれる。 こんこん。

「あの、おにいちゃん?」

 まだ、頭が起きてない。今確か、可憐な、男やもめには似つかわしくない声が。

「おにいちゃん、朝御飯、できてるんだけど」

 目が覚めた。そうだ瑠璃さん、じゃなかった瑠璃だ。食事番は、今日から交代でやるんだ。時計を見ると、短針は7を、長針は12を回った所だった。うげげ、休み中なのに早い。岩戸教授は家にほとんどいなかったろうから、瑠璃一人できちんと時間どうりに起床してたんだろう。俺はと言えば……男の一人暮らしとなると……まあ、有り体に言えば遅刻王になるよな。

「おにいちゃん?入るよ」

 瑠璃は、若い男の「朝の事情」を一切考慮に入れない発言をしなすった。

「わわわ、い、今はワイルドリーなんだよ、棒がっ!!」

「なあに?どういうこと?」

 瑠璃は無慈悲にも、部屋に踏み込んできた。うわっ!お約束の展開じゃないか!ちゃんと返事をしなかった俺も悪いが。きっと、めざとくテントを見つけてきゃーーー!!!なんて言うぞ。これが中年と若者の差だ。

「おにいちゃん!いつまで寝てるの?御飯冷めちゃうよ。早く下りてきてね」


 瑠璃はそれだけ言うと、部屋を出ていった。

 あり?ノーリアクションだ。でもこれじゃあ、まるで目撃されたかったみたいじゃないか、もう。

 着替えて台所へ行くと、テーブルの上には



 世界の朝食:日本



 と図鑑に載りそうな(メニュー:麦入り御飯/大根の葉の味噌汁/焼き鮭/焼き海苔/ホウレン草のおひたし/)5品が並んでいた。オウ、イッツビューリフォー!久しく見てないなあ、こういうの。前の彼女、マユミの時以来だな。あんときゃ、魚は焦げてるわ味噌汁は薄いわで、出来もしないのに、いかにも頑張って作った私の料理を食べて!私を誉めて!って目が物を言ってたからな。何故そんな女とつき合ってたかというと、ただなんとなくとしか言いようがない。汚点だった。

「どうしたの?眺めてばっかりで食べないの?あ、顔洗ってきた?」

「ああ。じゃ、いただきます」

 実質的に同居の初日とあって、やや張り切りすぎの感もある瑠璃を横目に、おもむろに味噌汁から啜る。具が大根の葉とは、渋いチョイスだ。味もグッド。俺の好みの濃さが前もって分かっていたかのようだ。次、焼き鮭。あれ?冷蔵庫に魚なんて入ってたかな?それは良しとして、焼き具合いも文句ナシ。その他の品も、文句なし。同じ自炊をしていても、これほど見事に調理された朝飯にありつけた試しがない。もっとも、いつも朝はパン食だったけど。何しろ遅刻王だからな、俺は。ゆっくり調理してる時間も惜しいんだ。ほとんど毎朝「食パンくわえて遅刻遅刻」を実践してたし。

 しばらくの間、黙々と朝食を摂っている俺を、瑠璃は心配そうに見ていた。

「どうした?何か変なところでもあるのか?」

「ううん、そうじゃなくて、その、美味しい?」

 瑠璃は、自信無さげに尋ねる。

「ああ。かなりのもんだぜ。俺も料理には自信があるが、師匠って呼んでいいか?」

「大げさ、だと思います」

 もちろん冗談だけど。

「でも私、正直いって、そう言ってもらえるまで不安だったの。味が」

「え?こんなに美味いのに」

「お父さんは、たまに帰ってきても、次の朝早くには朝御飯食べずに出ていっちゃうし、かといって他に味を見てもらう人もいないし……。」

 そうか、結局食べるのは自分だけなんだ、美味いかどうか言ってくれる人もいない訳だ。ってことは、手料理を食べさせた男もいないって意味でもある。よしよし、悪い虫がついていなくて、お兄ちゃんは安心したぞ……って、何言ってるんだ俺は。

「うん、美味い、ウマイ」

「おにいちゃん、褒め過ぎ。どうせなら、もっと難しい料理の時に褒めて欲しいな」

「いや、大したもんだ。すぐにでもいいヨメさんになれるぜ」

 瑠璃が照れるのを承知でわざと言ってみた。すると、案の定……。

「や、やだ。そ、そんなこと、ないと思います」

 と、大層頬を赤くして、しどろもどろになりながら、自らも朝飯を食った。あはは、純情そうなコに効くと思ったんだ。ごめんな、からかっちゃって。でも、その実に素直な反応は失っちゃいけないぜ。

 しばらくして、昨日の約束通りに中学校までの通学路を案内することにした。矢島家から東和吉中学までは、おおよそ徒歩15分。川べりの遊歩道をしばらく北に歩き、小高い岡が北東に見えてきたら、そこが東和吉中のある東和吉丘陵だ。後は、そこに向かって道ぞいに歩くだけ。だけど、岡を上る事になる訳だから、夏なんかは結構しんどい。

「上までいってみるかい?」

 丘陵のふもとまで来てから聞いてみる。

「うん、そうする。実際に校門を見てみないと不安だから」

 散歩がてらにゆっくりと、回りの景色を眺めながら、坂道を上ってゆく。この東和吉丘陵は、丘の中腹までは大手私鉄が手がけた高級住宅街になっているが、ある程度まで登ると住宅街が途切れ、急に林が広がっていく。そしてその林の中は、既に学校の敷地内だ。考えてみれば、ここまで来るのも卒業以来だ。そりゃそうだ、用もないのにわざわざこんな山の上まで来る物好きはいないもんな。校門まで来ると、鮮やかなピンクの桜が、八分で咲いていた。今年は開花が都合良く、どうやら公立校の入学式や始業式にピークを迎えそうだ。グラウンドからは、休み中だというのに、野球部らしき元気な声が、体育館からはバスケ部のボールやシューズの小気味良い音が響いていた。

「瑠璃は前の学校で部活やってたのか?」

「うん、美術部」

 運動が得意な方には見えないし、お似合いと言えようか。

「へえ、じゃあ、ここでも?」

「ううん、家がいろいろと忙しくなりそうだから」

「いいんだぜ、そんなこと気にしなくたって」

「いいの。もともと、好きで入部したわけじゃないし」

 本心からそう思っていたのか、と問い詰めてみても……きっと未練はないと言い張るんだろうな……家にやってきた時の物言いからしても。意外と頑固なところもあるようだ。

「そうか……それにしても、本当に親父は転入の手続きを済ませてあるのか?あの親父の事だから心配だぜ」

「大丈夫。おじ……お父さんが必要な書類と手続きを取って来てくれたから」

「そっか。俺、一度学校に挨拶に行った方がいいのかなあ?」

「どうして?」

「ほら、一応保護者は俺の親父だろ?それなのに、実際には俺と住んでる事になる訳だから、あらぬ噂が立つ前に、予め現場の保護者として挨拶した方がいいかなあ、と」

「そうか、そうかもね。じゃあお兄ちゃんも学校があるから、始業式の前の日、入学式の日に二人で挨拶に行こうよ」

「よし。あ、制服どうすんだ?間に合うのか?」

「間に合うも何も、まだ採寸すらしてないの。前の制服を着ていくしかないみたい」

「そっか、みんなの視線が天然記念物扱いになるだろうけど、仕方ないな。顔を覚えて貰うには良い機会だ。まだ注文もしてないんだったら、帰りに街中の店に寄っていくか」

「うんっ!」

 初めて見た、満面の笑顔。その明るく、そして美しい笑顔は、未来永劫失ってはいけない大切な物であると、その瞬間に心に刻まれる程、極上だった。

 ……瑠璃の制服姿、似合うだろうなぁ……

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