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夏と海と生物と

「亮太郎……亮太郎……」

 俺を呼ぶ声がする。その声の主とは、はじめは距離が遠かったが、次第にその間隔を狭めつつある。それにつれて、シルエットもだんだんとはっきりしてきた…筈だったが、其の輪郭はあくまでもボヤけていて、結局それが誰なのかは断定できない。しかしその人物が、俺にとってとても大事な存在である事は疑い様のない事実であった。

「お前が恋しい……」

 そう呟くと、その人を思い切り抱き締める。

「きゃっ?」

 抗う事を許さぬ程、強く抱き締める。

「ちょっと!!苦しいから離して!!」

 しかし、俺は離さない。そして……。



ぱっちん。



 渇いた音が響くのと同時に、痛みで俺の目も覚める。見ると、俺は瑠璃を抱き締めるような形になっていた。

「うわあっ、瑠璃!!お前何やってるんだ!?」

 俺は、慌てて瑠璃を戒めていた両腕を解く。

「もうっ!!いくら寝ぼけてたとはいえ、ちょっと酷いんじゃない?起こしてあげようと思って側に寄ったら、いきなり「がばっ」だもん。一体どんな夢見てたの?全く!」

 瑠璃は頬を赤らめて、衿を正しながら言った。

「何も叩く必要は……」

 鏡を見ると、頬に季節外れの紅葉マークが貼り付いている。おー、痛ぇ。

「何か言った?」

「いや……悪かった。折角起こしに来てくれたのにな。ごめん。」

「いいけど……それより、早く支度しないと待ち合わせに遅れちゃうよ」

「おお、そうだった。じゃ、着替えるから……」

「あ、うん」

 瑠璃はそそくさと部屋を出ていった。ふう、朝から破廉恥な真似をしちまった。

 それより今日から、愛菜ちゃんの知合いの民宿に泊りに、伊豆へ行くんだ。愛菜ちゃんが家に来た時に話を持ち掛けたやつだ。願ってもないお誘いだから、二つ返事でOKしたんだっけ。約束は、八時に東和吉駅前で、今は……七時半か、急がないとヤバイな。てきぱき着替えて、昨日の内にまとめておいた荷物を持ってリビングへ下りて行く。瑠璃は、玄関で待っていた。

「あれ?朝メシは?」

「のんびり寝てるおにいちゃんが悪いのよ。はい、これ」

 瑠璃が差し出したのは、大きめのおにぎり一つだけだ。

「これだけ?」

「足りないなら駅で何か買えばいいでしょ?早く行こう。私、人を待たせるのって大嫌いなんだから」

「へいへい……」

 外は、七時半だというのに日中の日差しが思いやられる程に暑かった。しかも駅までは徒歩だ。矢島家はバスの停留所から離れていて、停留所に着くなら着いたで今の時間帯は丁度バスが来ない。それならば直接駅に向かってしまえ、という事で歩きになった訳だ。

 鮭おにぎりを食べながら、前を歩いている瑠璃を見る。今日の服装は、真っ白なワンピースだ。髪も、俺が買った土産ものの赤いリボンでまとめてある。瑠璃自身の顔のつくりも手伝ってか、涼しげな印象を受ける。足取りも軽やかで、ここがまるでハワイかグアムか西海岸か、ってなもんだ。

 俺の黒のTシャツが、そろそろ湿り気を帯びてきた頃、東和吉駅に着いた。改札の前には、龍志の小柄な姿だけがある。

「亮!!」

「よう、龍志。愛菜ちゃんは?」

「え?僕、愛菜ちゃんの顔知らないんだけど……」

「あ、そうか。まだ来てないみたいだな……」

そう言いかけた時、後ろからそれと分かる元気な声が改札に響いた。

「はあはあ、瑠璃ちゃーん、お兄さーん!!」

 愛菜ちゃんは、俺達の前まで走って来て、そして肩で息をしている。

 彼女の服装は、活発な性格を現しているかのような、瑠璃とは正反対のパンツルックで、

 良く似合ってる。

「済みません、言い出しっぺが遅刻しちゃって……はあはあ。あ、初めまして。私、水上愛菜って言います。よろしく!!」

 と、龍志にぺこりとお辞儀をした。龍志はその元気の良さに圧倒されながらも、

「あ、ああ、こちらこそ。どうぞよろしく。」

 ははは、俺も初対面で圧倒されたっけ。ともかく、下りの各駅に乗って伊豆へ向かった。車内では、龍志と愛菜ちゃんはお互いの身の上話(?)で盛り上がっていた。どうやら、愛菜ちゃんもアイドル事務所にスカウトされた経験があるらしい。恐るべし、この三人。それにしても、今日の龍志のよく喋る事。いくら愛菜ちゃんに引っ張られているとはいえ、こんなに饒舌なあいつを見たことがない。いつもなら初対面の人間に対しては、どこかビクついていて、俺の背中に隠れている印象があるのだが。

 一方、俺と向いの席の瑠璃(瑠璃の隣が愛菜ちゃんだ)はというと、龍志達のマシンガントークに半ば呆れながら景色を眺めていた。小田原に近づいたあたりから海を望め、水面が太陽光線を反射してきらきら光っている。夏……なんだな。何故、今年は「夏」というものにセンチになってしまうんだろう。俺ってこんなにデリケートだったかな?やっぱり、考えていなくとも頭の奥底では、この夏をいつもの夏と違うものとして受け止めているからなんだろうか。だとしたら……だとしたら、いつもと違う環境の要素は唯一つ。そう、たった一つ。



 瑠璃なんだよなあ。



 そんな事を考えながら、頬杖をつきながら海を眺める瑠璃の横顔を、飽きることなく見つめる。長い睫毛に縁取られた大きな瞳が、海ではない遠い何かを見つめて想いにふけっている様で、俺はその光景に魅入られてしまっていた。

「どうしたの?」

 俺の視線に気づいたのか、瑠璃は小首を傾げて問うた。まさか見とれていたなどとも答えられず、

「いや…それにしてもいい天気だな」

 あいまいに誤魔化して、椅子に深く座り直して目を閉じた。



 東和吉駅を出て二時間近く。ようやく民宿の最寄駅に降り立つと、

「うわーーーー!!海だよ、海!!」

 瑠璃がやや興奮ぎみに、しかも見りゃ分かる事を言った。よっぽど楽しみにしてたんだろうな。

 確かに、眼前には雄大な太平洋が横たわっていて、波の音と潮の香りが間近に感じられる距離ではあった。

「とりあえず、民宿に行こうか。荷物もあるし……。愛菜ちゃん、案内お願い」

「はい!!こっちです」

 愛菜ちゃんは、この暑さにもめげることはなく、瓦葺の民家の立ち並ぶ坂道をひょいひょいと駆け上って行く。イメージ画像(サウンドノベル風)

かなりこの辺りの地理に慣れているらしく、迷うような素振りさえ見せない。

「こっちですよー、皆さ~ん」

 既に坂のかなり上の方で手を振る愛菜ちゃん。俺だって脚力には自信があるが、愛菜ちゃんの健脚は、それがどうしたと言わんばかりだ。

 そんな彼女が案内してくれた場所は、「民宿・さざなみ」という毛筆の看板が掲げられている、風情のある作りの家屋だった。中に入ってみると、外見に違わぬこぢんまりとした作りで、部屋数は四つがせいぜいって所か。書入れ時なのに突然泊めてもらって、何だか悪い気がするな。愛菜ちゃんの助力が無ければ、とても七月中に予約など取れなかったろう。その愛菜ちゃんは、受け付けにいたポロシャツ姿の初老の男性と、その奥さんと思しき女性とに二言三言挨拶を交わすと、俺達を手招きした。

「お兄さん、紹介しますね。こっちが私の叔父さんで、ここのオーナーの水上三四郎さんです」

 愛菜ちゃんの叔父さんは、ごま塩坊主頭のとても温和そうな人だった。長年漁師をやっているらしく、歳の割に体躯はがっちりとしていて、日焼けした顔に刻まれた深いシワは、海の男としての経験と誇りを刻み付けているかのようだ。

「どうも、お世話になります」

 軽く会釈をすると、瑠璃と龍志もそれに習う。

「いえいえ、こっちこそ、子供が増えたみたいで嬉しいよ。実は二年前に娘が嫁に行ったばかりでね、寂しい思いをしていたんだが…」

 叔父さんは愛菜ちゃんを見てにっこりと笑い、

「毎年夏には愛菜が遊びに来てくれていてね。それで随分寂しさが紛れていたんだけど、今年は賑やかになりそうだね」

 と、更に大きく相好を崩した。

「まあこっちに居る間は、ここを気がねなく自分の家だと思ってくつろいでくれて良いよ」

「有難う御座います」

俺は深々と頭を下げた。

 海の男は、もっと荒っぽい豪快な人ばかりかと思ったけど、少なくともこの叔父さんは別だ。一発でこの叔父さんが気に入ってしまった。

「で、こっちが叔母さんの水上奈緒子です」

 続いて、叔父さんの隣でにこやかに笑っている、やや恰幅の良い女性を紹介された。

「初めまして、いつも愛菜ちゃんがお世話になってるんだって?」

 奈緒子さんも、深々と頭を下げる。

「ウチの人も言ったけど、いつも愛菜ちゃんがお世話になってる礼だよ。なにか用事があったら、遠慮なく言ってね。ご飯だって、豪華な海の幸を堪能させてやるからさ」

 と、片目をつぶってウィンク。

 夫婦揃って非常に人当たりが良さそうだ。まあ、客商売なんてそれくらいじゃないとやっていけないんだろうな。そこのところは、俺はちょっと自信がない。

 食事の時間を聞き出してから、荷物を部屋に置きに行く。急な予定にも関わらず、ちゃんと男女別々の部屋を取ってくれたようだ。

 しかし部屋の中に腰を落ち着けるのももどかしく、取るものも取りあえず俺達は海へと繰り出した。

「うーん、東和吉からたった二時間弱で、この海の色の違いったらないよな」

 眼前には、エメラルドグリーンと呼ぶには遠いが、俺ん家の近所の海よりは明らかに綺麗な大海原が広がっていた。砂浜をみると、目立つ大きさのゴミが捨てられていないことに軽い衝撃を受けた。雑誌にも掲載されていて、客が群がっている海水浴場からはちょっと離れた、地元民しか知らない浜であるのがいいんだろう。

「全くだね。愛菜ちゃんに感謝しなくちゃ」

 手を後ろ手に組んで海を眺める瑠璃は、神々しいまでに美しい。一切無駄な肉のついていないスリムな体に、布地の少ない白いビキニがなかなかどうして似合っていた。俺の視線に気づくと、頬を染めて腕で胸を隠すような仕草をした。

「やだ、おにいちゃん、あんまり見ないで」

「あ、いや、ほら、俺ってキレイな物は見たがる質だから、な」

「あ、そうだったね。おにいちゃんは「えっち」なんだった!!」

「る、瑠璃い!!」

 べーっと舌を出すその顔も、俺には愛らしく映る。

「もーっ!!二人だけで水着のお披露目会なんてずるいですう!!私も混ぜて下さーい!!」

 と、そこへ愛菜ちゃんが乱入して来て、俺の腕に抱き付いてくる。わわ、小ぶりながらも柔らかい…いやいや、何でもねぇ。

 ああ瑠璃、そんなに複雑な顔をしないでおくれ。こんな事をされてニヤつかない男が居るものか。悲しきは男のサガよ。

「りゅ、龍志は?」

「龍志さんはまだ着替えてますう。それより…」

 俺の腕から身体を離し、その場でくるりと一回転した。

「私、綺麗ですか?将来有望だと思いません?」

 自分でそう言う通り、身体のラインなんかは既にふっくらとした形を成しつつあり、少女と女性の境界線上を脱しつつある。

 纏ったオレンジのビキニも、ショートボブの髪型に良く映えていた。

 …ととと、いかん、何を観察しちまってるんだ俺は。

「ね~え、どうですか?お兄さん…」

 再び返事を迫られ、

「あ、ああ…そう思うよ」

 照れ隠しに、思いっきり素っ気無い言い方になってしまった。

「あ~、何ですか?その気のない返事は~。分かった、お兄さんはもう一人の水着姿に気を取られてて、私のことなんて眼中にないんでしょ?」

 愛菜ちゃんは、瑠璃のほうに視線を送ってから、意地悪く目を細めた。

 別に愛菜ちゃんが眼中にない訳じゃないが…図星を言い当てられた様で、心臓に悪い。

 瑠璃はというと、顔中真っ赤にして俯いてしまった。おーい瑠璃よ、頼むからそういう反応を止めてはくれんか。こっちまで余計に意識しちまう。

 愛菜ちゃんは、瑠璃の方に手を振って

「龍志さ~ん、そういう事らしいですよ」

 …と、龍志を呼んだ。

 えっ?

見ると、瑠璃の後方から龍志が着替えを済ませて歩いてくるところだった。

「愛菜ちゃん、なにがそういう事なの?」

 電車の中で随分打ち解けたらしい二人だが…

「んふ。お兄さんがどうも落ち着かないと思ったら、水着姿の龍志さんがいないせいだったんですね、と思って」

「何それ、亮ってそういう趣味だったの?」

 龍志が、両腕で胸を隠すような仕草をした…って龍志、お前がそんな事したり言ったりすると、マジでシャレにならんぞ。

 とにかく、愛菜ちゃんが言ったのは冗談だった様だ。やれやれ、人の心を見透かと思ったぜ。

「それにしても龍志、着替えに随分と時間が掛かったな。女の子連中よりも遅いとはな」

「うん、着替えついでにみんなの荷物を整頓して置いてきたから…」

 それにしてもマメな奴だ。俺が龍志を気に入っている理由の一つ、それが「気配り」だ。

「僕ら三人はいいけど、亮の荷物が一番散らかってたよ?駄目じゃないか。ちゃんとしておかないと、宿の人達に好い印象を持ってもらえないよ?」

 いつもは瑠璃に言われている事を、今日は龍志に言われてしまって何だか奇妙な感じだ。

「へいへい、気をつけるよ。それより、早く泳ごうぜ!!」

 せっかく来た海でこれ以上お小言を聞く気は毛頭ないから、俺は先頭を切って海へ駆け出した。

「あっ、亮!!ちゃんと準備運動しないと…」

 龍志の制止を聞くまでもなく、瑠璃も愛菜ちゃんも俺の後に続く。

「もう…しょうがないな…おーい、待ってよー」

 結局のところ、準備運動などはしないのだった。



 小一時間ほど海の中で遊んだ後に、砂浜で男女チームに分かれて、ネット無しの即席ビーチバレーに興じる。愛菜ちゃんは、さっきの坂道での軽やかなステップの例を見るまでもなく、かなり運動センスが良かった。ジャンプ力は高いし、左右にステップして球をさばくのも素早かった。話し方から、勝手にトロい子だと思ってたけど…人は見かけによらず。俺もまだまだ人を見る目が甘いという事だ。

 さて瑠璃はというと、あんまり運動が得意じゃないせいか、表情は硬い。身体を動かす事自体は嫌いじゃないらしいんだが…

「おっと」

 俺は、砂の上に書いたコートに落下しそうになったボールを、スライディングして体を張ったレシーブをする。

 ふらふらと上がったボールは、まごついた瑠璃の前に落ちた。明らかに面白くなさそうな顔を…瑠璃はあくまでしない。自分の気持ちを押さえつける事に慣れてしまっているのか。

「ふう、腹が減ってきたな。そろそろ飯にしないか?」

 それを見かねて、みんなに提案した。腹が減っているのは事実だが、それよりも瑠璃に余計なところで神経を使わせたくない。飯でも食って気分転換しよう。

 愛菜ちゃんも、「漣」で昼飯の用意が出来ている時間と言うし、頃合がいい。ひとまず「漣」に引き返すと、その言葉通りに、厨房からの良い香りが否応なく空腹中枢を刺激した。考えてみれば、朝飯はあのおにぎり一個だけだったもんな。

 部屋に入ると、叔母さんが丁度四人分の膳を並べ終えたところだった。

「何だか、俺達が帰ってくるのが分かってたみたいなタイミングですね」

 驚いた俺が言うと、

「そりゃあ分かるさ」

 おお、民宿を長年経営していて会得した勘ってやつか?

 しかし…叔母さんは窓の外を顎で示し、

「ここ窓からだと、坂を登ってくるあんたらが良く見えるからさ。見て御覧、海から坂へと続く道が一望できるだろ?」

 なーんだ、そうか。感心して損したぜ。

「何だい、勘で分かったとでも思ってるのかい?あはは、まああながち間違いじゃないけどね」

「そうなんですか?」

「ああ。そろそろ帰ってくる頃だと思って外を覗いたら、ちょうど四人が疲れた顔してこっちに歩いてきたからさ」

 ばんっ、と背中を叩かれ、

「さ、ウチの人が取ってきた魚、たんとお上がりよ」

 茶碗に山盛りのご飯を盛り付けてくれた。

 そ、それにしても…物腰落ち着いた叔父さんと比べて、叔母さんの方は「見たまま漁師の嫁」だな。接していて気持ちがいいが、良くコレで叔父さんと合うなとは思う…余計な詮索だけど。

 さておばさんは、他の客もいるだろうに、俺らの給仕に徹してくれていた。

「いいんだよ、他のお客は外で済ませてくるみたいだから。それより、あたしゃ愛菜ちゃんと大切なお客様に喜んでもらいたいのさ」

 と、そういうことらしい。愛菜ちゃんって、随分と可愛がられてるなあ。ま、あの子と触れ合ってみれば、その理由も分かる気がする。いつも元気で明るくって、落ち込んだ他人をも明るくさせてしまうような…。

 それにしても飯が美味い。新鮮な魚介類に、大人数分で炊き上げたからか、艶があって一粒一粒が立っている、ほかほかのご飯。そして、豪快だが親切丁寧な給仕つきと来たもんだ。学校では女の子のものかと見紛う程の弁当箱しか持ってこない、体格の通りに少食の龍志も、今ばかりはおかわりを所望している。泳ぎ疲れたってのもあるかもしれないが、とにかく食が進んだ…瑠璃を除いては。

「どうした、瑠璃?あんまり箸が進んでねぇようだが…気分でも悪いのか?」

「え、そ、そんなことないよ」

 慌てて否定する瑠璃。確かに体調が悪い様には見えない。

「そうだよ、ほれ、龍志ちゃんみたいに細い子でももうご飯三杯目なのに。瑠璃ちゃんはまだ半分じゃないか」

「お、叔母さん、龍志「ちゃん」って…」

「ああ、ごめんよ龍志くん。どうしても女の子が三人居るような気がして…」

 瑠璃は、それでも懸命に刺身に箸をつけようするが…その手がぴたりと止まり、ひじきの煮付けをつまんだ。

(ひょっとして瑠璃の奴…)

刺身醤油の入った小皿を見る。………やっぱり、な。

「瑠璃、お前ナマモノ苦手だろ?」

 ずばりと指摘すると、瑠璃の身体が誇張ではなく、正座のまま飛びあがった。

「おかしいと思った。魚の脂が醤油の上に乗ってないからな。家でも魚は焼き魚しか出ないし、俺も進んで刺身を食卓に並べようとしなかったから…」

 瑠璃はがっくりとうなだれてしまった。箸を置いて…

「ごめんなさい」

と、そう小さく言った。

「あらよう、謝んなくたっていいんだよ、瑠璃ちゃん。特にナマモノなんて、駄目な人は多いいさ。誰にだって好き嫌いはあるんだから…そりゃ本音を言えばして欲しくはないけど…あんた達はお客さんなんだから、言ってくれれば無理に食べさせたりなんかしないよ」

 叔母さんはご飯をよそいかけの茶碗を盆の上に置いて、瑠璃の頭を撫でた。

「どうして言ってくれなかったんだい?」

「…」

 落ち込んでる時にこんな優しくされたら…もっと言いにくくなっちゃうよな。

「瑠璃」

 そっと促すと…

「折角豪華なお刺身を出してくれたのに、私は食べられないなんてわががま言ったら、叔母さんに悪いと思って…」

 ぽつり、と漏らした後、すん、と鼻をすする。そう…か。それでも瑠璃なりの配慮だったんだな。でも。

「瑠璃、そりゃ違うぞ。そうやって、出された物に手をつけない方がよっぽど悪い」

 瑠璃が潤んだ瞳で俺を見上げた。

「ここでナマモノが出ることは最初に聞いてたんだから、叔母さん達には言いにくくても俺に相談するなり方法はあっただろ?」

 あくまで優しく諭す。取るに足らない事かも知れないけど、瑠璃はあまりにも自分の意見を表さな過ぎる。ともすれば、最近は自己表現や個性と我侭が混同されがちだけど、瑠璃の場合は違う。あくまで自分のネガの為に、不快な思いをさせてしまうだろうという相手の立場を考えての事だ。

「そうそう、ナマモノじゃなくたって、鮮度のいい魚を使えば美味しい料理はあるんだから。でも有難うね、あたし達が気を悪くすると思って言わなかったんだね。今時珍しいくらい優しい子だよ、あんたは」

 叔母さんは、目を細めて、まるで自分の娘を慈しむかのように頭を撫でつづけた。

 それを見ていると…ふと、嫉妬心にも似た感情が生まれた。

 俺も、実の母親に、こんな風に頭を撫でてもらった事があるのだろうか。俺は、母親の顔も知らない。だから、例え本当の母親ではないとはいえ、こんな風にナデナデしてもらってるのを見ると…ついつい羨ましくなる。何も今頭を撫でてもらいたい訳じゃないが、子供の頃に、実の母親にそうしてもらった記憶が欲しかった。田舎のじいちゃんは、そういう表面上での優しさとは無縁の人だったから…特にそう思うのかもな。

 だから今、瑠璃を見ていると、ちょっとした嫉妬心をも覚えてしまうと同時に、ほっとしてしまうのも事実だった。


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