第二王子の毒見01
事の始まりは、兄である第一王子より先に言葉を発したことが原因だった。
とはいえ、幼児の言葉である。
本来なら何かの間違いだと、聞き流すことが出来たはずだった。
しかし、その幼児は、兄だと紹介された幼子が遊具の使い方を誤っていたので、その誤りを指摘したばかりか、繰り返し説明して正解へと導いてやったのだ。
その場にいた大人たちは皆、愕然とするあまり誰も止めに入ることが出来なかった。
何より運が悪かったのは、兄の生母である正妃と、側妃のはしくれにしか過ぎない幼児の母親が、その場に居合わせていた事である。
それは、5ヶ月違いで王の子を産んだ女同士の懇親会だったらしいが、その実は、側妃の身の振り方に正妃が探りを入れるものだった。
身分が低く、たいした後ろ盾もない側妃は、とても神経の細い女だった。
決して、正妃と張り合うつもりなどなかった。
それなのに、やっとの思いで産んだ我が子は、この国の最高権力者である夫と実家を併せ持つ女を酷くわずらわせる存在になってしまったのである。
正妃の敵愾心はあからさまだった。
側妃の子に対して、頭に著しい障りを抱えた欠陥児だと触れて回るようになった。
二歳からはじめられるはずの王族教育も、通例より二年も遅れて行われていた。
そして何の力もない側妃は、その度に肩身の狭い思いを募らせ、神経をすり減らすばかりの生活を送った。
側妃は、息子が5歳になるのを待たずに亡くなった。
たった一人残された息子は、きちんと理解していた。
母の夭折は、自分が原因であることを正しく理解していた。
正妃は自分の息子に王位を継がせるつもりでいる。
それなのに、よその女が同い年の王子を産んだばかりか、その子供は正妃の子を差し置いて年長者の如き振る舞いをした。そのせいで不興を買ったのだと。
子供を授かるのは天の采配だ。どうしようもない。
けれど、その後にしでかした事は、やはり自分の過失だろう。
あの頃、漠然と理解していたのだ。兄と紹介された幼子とその母親が、自分と自分の母の将来を大きく揺るがす存在であることを。
だから彼は彼なりに、兄に対して親切に接したつもりだった。
それが裏目に出てしまった。
事の顛末を防げなかった原因は、ひとえに自分が人間を知らなさすぎたからだろう。そう結論付けるのに時間はかからなかった。
対面した相手によって、振る舞うべき態度を改める必要がある。
そう学習した彼は、まず何を置いても優先すべき事柄を見いだした。
人間観察である。
ニコラス・イード・ウィスターナは、母の亡くなったその日から、それをはじめた。
ニコラスは、人間観察の統計が取れるまで、災いの元となる口はなるべく閉ざすことにした。
それが、知恵遅れのさらなる憶測を呼んだが、それもまた人間が行う行動の一端として観察する対象になっていたので問題はなかった。
王宮内に住む人間、働く人間、出入りする人間の顔と名前を全て覚え、彼らの関係図を頭に入れていく。
一度見たり、聞いたりすれば絶対に忘れることは無かったので難しくはなかったが、王族の身では何かと不自由が多かったため、ある協力者の手を借りながら少しずつ図面を広げていった。
貴族間の家系図や成り立ちを知るのも肝心である。そのためには、王宮図書庫に通う必要があったが、第二王子の教育内容には正妃が目を光らせていた。
正妃がニコラスの教育を遅れさせたのは、自分の息子より優秀であることが癇に障るためだったから、ニコラスは常にアルバートより下の成績をおさめることを心がけていたが、それでも念のため、自分の教育が二年遅らされていることも考慮して、実年齢より二つ下した低水準の学力レベルを維持した。
それが功を奏したのか、兄王子の優位性が確保できたと判断したらしい正妃は、徐々に監視の目をゆるめてきた。
わざと学習を遅れさせていると周知される可能性を回避したかったのもあるだろう。
もちろん、王族への献本などを収めた書架殿ではなく、官吏などが使用する王宮図書庫のみの許可である。
用があったのはむしろそちらだったので、ニコラスは有り難く従った。
それでも使用時間の制限を設けられた。
速読と瞬間記憶のおかげで全く問題なかったが、予想外だったのは、本をありえない早さで読む姿が、外からはページをペラペラ捲っているだけの作業にしか見えず、文章がほとんど読めないのだと思われたことだった。
それに気をよくしたのは、むろん正妃である。
文盲であることを同情するように見せかけて、ことさら声高に言い広めた。
好都合に働いたこともある。第一王子と第二王子の出来の違いが取り沙汰されることに、正妃はとにかく愉悦を感じるらしく、何かにつけて貴族の集まる催し物に引っ張り出してくれたのである。
おかげで人間観察に必要なサンプルを収集する速度は加速した。
その内、因果関係のピースを持ち寄って論理を組み立てて行くようになる。
誰も彼もが、しがらみにまみれた川で繋がっているので、頭の中で草の船を浮かべ、どう流れるかを予想しながら船を遊ばせていた。
やがて、近い内こんなことがあるかもしれないと推論してみると、その多くが当たるようになる。
この国において、支配階級と呼ばれる人間たちの思考を読み取るという、人間観察の観察結果がニコラスの中では出来上がりつつあった。
だからそれは、当然の流れだったのだろう。
人間の行動を作為的に操り、こちらの望んだとおりの結末まで導く。
もちろん、ただの好奇心である。
人間観察をはじめた動機を思い起こせば、そんなことをする必要はない。
いや、完全に好奇心だけが理由でもなかった。
ニコラスには、乳兄弟がいた。
名前は、コンラッド。
ニコラスの母に仕えていた侍女の息子だったが、ニコラスの母が亡くなると、あっさり手のひらを返して、今では第一王子の側仕えをしている。
そして、またしても嫌がらせに余念のない正妃が、裏切った乳兄弟をいちいち見せびらかしてくれるので、かなり頻繁に顔を合わせていた。
正妃は、わかっていない。
裏切ったと思われている、その乳兄弟は、二君に仕える狡猾な男なのだ。
まがりなりにも乳兄弟である。
ニコラスの異常性に何かしら思うところがあったのだろう。
たとえ何かの拍子に政変が起こっても、どちらの主にでも傅けるよう、どちらともパイプを繋ぎ続けていた。
ニコラスもニコラスで、王族の身では出来ないことが多いから、コンラッドの身軽さを重宝していた。
ただし、コンラッドが第二王子に仕えるのは、第二王子の異常性を考慮してのことである。無能と判断されれば、彼は即座に第二王子を切り捨てるだろう。
だからニコラスは、完全に見限られないよう、これからも助力を得られるよう、自分の力を示して見せる必要があった。
コンラッドへのパフォーマンスのため、ニコラスは手紙を一枚だけ作ることにした。
それだけで、コンラッドの出世に邪魔な同僚を蹴落として見せたのである。
内訳を語ると、まず、ある人物の筆跡を王宮図書庫から拝借した。
王宮図書庫にある資料や写本の類は、手書きである。
世には活版本というものもあるが、使用用途の多い資料や論文などは、定期的に刷新されなければならないため、未だ手書きが主流である。
そして、その数は膨大であり、よほど重要な書類でない限り、専門官以外の写本が許されているので、筆者が知り合いである場合が多い。
その中から使えそうな人物名を探し出し、筆跡とサインを拝借した。
拝借といっても、一目見て記憶しただけである。
王宮図書庫に通う度、全て記憶しているニコラスには造作もなかった。
ニコラスが拝借した筆跡の持ち主は、コンラッドの同僚とは直接関係はしていない。しかし、貴族という人種は、しがらみにまみれた川で繋がっている。
そこにつけ込んで、偽造した手紙を特定の人物に送りつけた。
横領を示唆する内容の手紙は、ともすると脅迫をほのめかす文面にも取れた。
事実、食料品の横流しをしていたため、二者間による疑心暗鬼の連鎖が起こり、それは他者を巻き込んだ責任の押し付け合いにまで発展した。
しまいには、大きな横領事件となって露見し、かなりの数が共倒れしてくれた。
もちろん、横領に関してもコンラッドの同僚とは直接関係は無かった。無かったが、遠くない親戚が関わっていたため、彼は出世コースから外された。
思いのほか上手く事が運んだ成果にニコラスは満足したが、それ以上に、他者の行動を操り、狙った穴に追い落とすという、この座興に悦を見いだしていた。
検証の数は多い方がいいだろうと、それからも暇を見付けては、ニコラスにしかできない一人遊びに興じた。
コンラッドもまた、ニコラスの暇つぶしに付き合ってくれるようになったし、時々はコンラッドの暇つぶしにニコラスが付き合ってあげるようになった。
そのほとんどが、兄王子がコンラッドを重用する手助けだったが。
そうして充実した日々を送るようになったある日、正妃から園遊会に出席するように命じられる。
貴族の令息令嬢が集まる小さな社交界を催すらしく、ニコラスは兄アルバートの引き立て役として引っ張り出されるようだった。
新たな観察サンプルが提供されるならばと、足取りも軽くおもむいた先で、ニコラスは彼女と出会った。
何故か三人称視点になった。反省している。読みづらかったらゴメンナサイ。