悪役令嬢の毒05
結論を先に言ってしまえば、失敗した。
あの後、私もどうにか迷路を脱出できたが、それは、途中で出くわした見回りの使用人にゴールまで案内してもらったからだ。
ゴールに着くと、リリア・アウリアはとっくに看護室に運ばれ、ニコラスはオーデール公の鉄壁ガードに守られていた。
もう、精神的にも身体的にも酷く疲れてしまって、家までどうやって帰ったのか、ほとんど憶えていないという、なんとも情けない結末だった。
しかし、本来の目的は果たせなかったとはいえ、二人は出会えたのだから、御の字だろうか。
なるべく早く婚約破棄を成立させたいとは思うけど、今は気難しいニコラスがリリアに心を開くための大切な時期だから邪魔するわけにはいかない。
本当なら嫉妬に駆られたマルティナがことごとく邪魔するのだけれど、私はするつもりがないので、二人はより親睦を深めることができ、これから―――
今後二人が繰り広げるイベントを思い出しそうになって、慌てて思考を振り切る。
とりあえず、二人のことより自分のことを考えよう。
また暇になってしまった。
時間を持て余すのは良くない。考えたくないことを考えてしまう。
そういえば、庭師の見習い少年にもらった花の種がかなり成長している。そろそろ蕾でも付けてもらいたい所だが、さすがに頃合いは分からない。
庭師の彼らは、王宮の仕事を終えただろうか。
もしそうだとしたら、一度こちらに顔を出してもらいたい。
さっそく侍女に頼んで連絡を入れてもらう。
しかし、残念なことに王宮の仕事の後、すぐに別件の依頼が入ってしまったらしい。
何か他に暇つぶしになるような事を探そうとしたが、まるで先回りしたように、また両親から茶会や夜会の招待状を押し付けられた。
しかも、半分以上に第二王子同伴の旨が綴られている。
第二王子を見下した行動を繰り返す女として、マルティナが広く周知されている中、何だか妙な話だと思ったけれど、最近はオーデール公というかなり強力な後見人がニコラスに就いた。
手っ取り早く第二王子とのコネクションを作っておきたいのかもしれない。
親が煩いのと、暇つぶしも兼ねて、第二王子同伴じゃない招待状をいくつか選んで出席した。
言わずもながら、楽しい時間は送れなかった。
お義理と下心で招待されたというのもあるが、下手に会話を交わすとニコラスとリリアの近況を聞いてしまいそうで、どうしても尻込みしてしまう。
それとは別に、やたらナンパ野郎どもが湧いて出るのにも辟易した。
マルティナは毒婦のような女に見えると思っていたけれど、男性からしたら身持ちの軽い安っぽい女に見えるのかもしれない。
これではとてもじゃないが気を緩めることができず、もちろん宴を楽しむこともできるはずがなかった。
そんな夜会や茶会をひと月かけて5回ほど繰り返した頃だろうか。
思いがけない事態が、突然と降りかかった。
もはや惰性で出席した、ダンスパーティーを主催としていた夜会でのこと。
私は外套を預けに行った侍女を待って、招待客でにぎわうエントランスに立っていた。
誰かとダンスする気分ではなかったから、ダンスホールに足を踏み込むつもりはなかったけれど、正面にあったダンスホールの入り口に自然と視線が向いて、そこに見付けてしまったのだ。
ニコラスとリリア・アウリアが一緒にいるところを。
どうして二人がいるのか分からなかった。
リリア・アウリア一人だけなら偶然だろうが、ニコラスが居ることに目を疑った。
ニコラスとマルティナは婚約している。二人を同時に招待するなら、同伴出席をまず勧めるはずなのに招待状にそんな記述は見られなかった。注意して何度も確かめていたから間違いないはずだ。
けれど、そんな疑問はニコラスがこちらを振り向く気配をみせた瞬間に吹き飛んで、一目散に逃げ出していた。
正直に言って、リリアと出会ってしまったニコラスを見たくなかった。
他の女に恋をしている姿を垣間見てしまったら、平静でいられる自信がない。
いっそ取り乱して破談された方がいいのかもしれないけれど、きっと小娘のように泣いてしまう。そんな見苦しいものをみせるわけにはいかない。
とにかく人気のないところへ逃げていた足は、いつの間にか中庭まで迷い込んでいた。
あがった息を整えるため、東屋の長椅子でしばらく休ませてもらう。
付添人の侍女を置いてきてしまった。
今ごろマルティナを探して駆け回っているかもしれない。今すぐ帰りたいけれど、どうやって彼女を回収しようか。あれこれと思考を巡らせていた。
「あの」
不意にかかった声に、収まっていた心臓が飛び跳ねる。
振り向けば、桃色の長い髪に新緑の瞳をした少女、リリア・アウリアがいた。
「マルティナ・オルブラント様ですよね」
「…………」
すぐに返事が出来ない。
ニコラスはどうしたのか。
見たところ今は一緒にいないようだけれど、もしかしたら近くにいるかもしれない。
そうじゃなくても、リリア・アウリアが何のためにここに居るのか、どんな言葉が飛び出してくるのか分からなくて怖くなる。
「……リンゼル領オルブラント侯の娘で良ければ、私ですが」
「わたしはトレント領アデル子爵の養女、リリア・アウリアです。貴女にお話があって来ました」
どこか毅然とした態度の彼女は、私から了承を得る前に切り出した。
「ニコラス様から、貴女のお話はうかがっています」
ニコラスが、私の話を、アナタに?
「……どのような?」
声が震えないようにするのが精一杯で、言葉が端的になってしまう。
「貴女が陰でニコラス様にしていることです。人目のあるところでは猫を被っているけど、二人だけになると悪辣な言葉を浴びせかけていると聞きました。そんな酷いこと、どうして出来るんですか。とうてい許せることではありません」
「…………」
ニコラスがそこまで打ち明けているのなら、リリア・アウリアとの仲はよほど順調なのだろう。
やけに悄然とした気持ちでリリア・アウリアを眺めていれば、彼女の背後で動く人影を捉えて、知らず視線が追っていた。
あ、と声を出さなかったのは上出来だったと思う。
ニコラスがそこにいた。この会話を聞いている。
リリア・アウリアは気付いていないのか、朗々と続けた。
「誰かが誰かより劣っていたからといって、その人を卑しめていい理由になりません。そうやって理由もなく嫌うことをしていれば、最後には自分が嫌われるなんて、小さな子供でも知っていることです」
「……っ」
漏れそうになった嗚咽をぐっと飲み込む
私もそう思う。貴女の言っていることは正しい。
だから、それをニコラスの前で突きつけられるのは、かなりきつくて涙が迫り上がってくる。
だが、これは甘んじて受け入れるべき罰だ。泣くなんて卑怯なことはしない。
「失礼なことを言ってることは承知しています。お家の力を使って制裁したければ制裁してくれてかまいません。でも、わたしは人として当然のことを言ってると自負しています」
リリア・アウリアの背後にいたニコラスが動き出すのが見えた。
「もし少しでも自分の行いを悔いる気持ちがあるのなら、一日でも早くニコラス様を解放してあげてください。きっと今ならまだニコラス様も」
「何をしている」
「ニコラス様っ!」
ニコラスが背後から来ていたことに、ようやく気付いたらしいリリア・アウリアは、ひどく驚いた声を上げた。
「あの、その。何でもありません。ただちょっとマルティナ様とお話がしたかったというか……あの。さっきの会話きこえていませんでしたよね?」
恥ずかしそうに体をよじる彼女に、ニコラスは何も答えず、こちらを見た。
並んで立つ二人を視界に入れたくなくて、早々に顔を逸らす。
「……ずいぶんと立ち入った話をしていたようだけど、わからないな、どうして」
「いいえ。お話は終わりました。殿下の差し出口は必要ありません」
ニコラスの言葉をとっさに遮った。そして、
「リリア・アウリア様、貴女のお話は分かりました。ご忠告通り、ニコラス殿下にはもう二度と近づかないことを誓いましょう」
言って、東屋の長椅子から立ち上がる。
「え。……分かったって、え、それ本気ですか?」
リリア・アウリアの驚愕を無視した。しっかりとした足取りに見えるよう、なるべくゆっくり歩きだし、二人の横を背筋を伸ばして通り過ぎる。
「―――待て。マルティナ」
ニコラスが掴もうとした腕を思いきり振り払った。
かなりの距離を取ってから二人へと振り返り、膝を少し曲げた淑女の礼を取る。
「ごきげんよう」
浮かべた微笑には、ひとつのミスもなかった。
笑顔のまま、再び足を動かしてとにかく前へと進む。
約束なんてしなくても、私には、はじめからニコラスに合わせる顔など無い。
なかなか思い通りに行かないことが多くて、ここまで来てしまっただけだ。
けれど安心してほしい、ちゃんと罰は受けるから。
次の日から、さっそく準備に取りかかった。
実は、嫌々ながらも出席していた夜会のひとつで耳寄りな情報を仕入れていた。
なんでもウィスターナ王国には今、歴史ある貴国の文化を取り入れたいと、遠方の新興国から貴族同士の縁談が持ち込まれているらしい。
ウィスターナ王国としても、新興国という多方面において物資不足の国と交易路を築いておくのは悪くない話として進められている事業だと聞いた。
まだまだ交渉がはじまった段階らしいけど、その政略に志願してみようと思う。
王太子勢力から疎まれているマルティナ・オルブラントの口から国外へ嫁に行きたいと志願すれば、婚約破棄は確実のものになるだろう。
婚約破棄が成立しても、本当に外へ嫁がされるとは限らない。
どちらかといえば、その可能性は低い。
おそらく、王太子勢力からすれば、マルティナ・オルブラントは己のしでかしてきた悪行の報いから逃れようと、国外逃亡を企てていると見えるのではないか。
私もそのように装えば、よりそう思えるはずだ。
つまり、わざと悪足掻きを起こしてマルティナ・オルブラントに裁きを下しやすい状況を作るのである。
ただ、人伝いに聞いた確証のある話ではないので、まずは志願ではなくお話を伺いたいといった旨の書状を書くことにした。
侍女や下女といった誰かを介すと両親の手に渡りそうな気がして、途中で握りつぶされないよう、王宮へ直接渡しに行く必要があるかもしれない。
そこまで考えると、次は誰に宛てるべきか思案した。
本来、貴族の女性というのは政には関わらない。関わるとしても父親か男の親族を通して一切を行うのが常識である。
だが、マルティナは第二王子の正妃として恥ずかしくない教養を得るため、執政府の構造や政治学をしっかり修めていた。
侯爵令嬢であり、第二王子の婚約者である身分から、外務卿の大臣あたりに書状をしたためるのが妥当だろうか。
いや、マルティナ・オルブラントは卑劣で不遜であるべきである。
大臣たちの長である宰相、もしくは―――王太子アルバート殿下。
それがいい。事が大きくなればなるほど好都合なのだから。
王太子へと渡る書簡は全て検分が行われるだろうから、本人の目に触れるまで数日はかかるだろう。
後日、王太子から呼び出しを受けるかもしれない。
王族と婚約を結んでいながら、外へ嫁に行きたいと言い出すなどと不埒者にもほどがある。そこに謀略の有無を持ち込みたくなるのは為政者として当然だろう。
呼び出されなくても良い。その場合はこっちから押しかける。
そうなったら、この国への不満やニコラスへの不満をぶちまけてやる。
もしかしたら、その場で捕縛もあり得るかもしれないと、少し怖くなったけど、上級貴族の令嬢をそうそう無下には扱わないはずだ。たぶん。
一抹の不安はあるが、ここは思い切ってみる。
まずは誰にも内容を悟られないよう書状を書き、翌日には王宮へと向かう。
幸い、王宮へは行き慣れている。自棄になってからというものニコラスへ毒を吐くため、3日と置かず通っていたからである。
約3ヶ月ぶりの登城だったが、いつも通り王宮の正殿、太陽殿に設えてある応接用の白百合の間へ通された。
応対に出てきたのは、なじみのある下官だったからか、ニコラスではなく王太子のアルバート殿下に用があると告げるとかなり驚かれた。
手筈通り、アルバート殿下への書簡を下官に渡したあとは早々に引き返す予定だったが、何故か引き留められた。
検分されるはずの書簡を、アルバート殿下本人へ直接手渡すのでお待ち下さいと言われた時はさすがにうろたえた。
予定がいきなり繰り上がってしまい、内心でかなりの冷や汗をかく。
どうして検分が行われないのか。親しい間柄ならまだしも、差出人はマルティナ・オルブラントである。王太子勢力から見れば、敵陣営ではないのか。
頭の中にたくさんの疑問符を抱えながらも、取り乱した心を立て直そうと躍起になっていたが、思っていたよりずっと短い時間で下官が戻ってくる。
彼は戻って来るなり、アルバート殿下が今すぐお会いになりたいと仰っている、そう言付けてきた。
事が運ぶ早さに眩暈を覚えた。