悪役令嬢の毒03
しつこいくらいお医者の見立てにかかったあと、床払いした日に侍女へと聞いてみた。
予想通り、ニコラスからはお見舞いの花も手紙もなかったそうだ。
いつもなら、我が意を得たりとばかりにその場で怒鳴り込みに行っていただろう。
己の所業を省みて自嘲気味に笑うと、侍女に下がるように言い渡す。びくびくしていた彼女の拍子抜けしたような顔に少し癒された。
破談間近と噂され自暴自棄になってから、ほとんど3日おきにしていた、ニコラス突撃訪問をやめてしまうと、途端に時間を持て余した。
淑女になるための教育はされているが、マルティナはニコラスのための自分磨きに余念がなかったので、17歳ともなると学ぶことはそれほど多く無いのである。
自由になった時間をどう使おうか。
すぐに思いつくものといえば、読書とか、刺繍とかだろうか。
あとは、友人とのお茶会もあるだろうが、難しいだろう。
友人と呼べる人がいない。
昔はそれなりにいたけれど、マルティナから付き合いを止めてしまった。自分のことは棚に上げ、ニコラスを貶める言葉を他人が発することは聞くに堪えなかったせいである。
ただ最近は、第二王子に対する数々の非礼をなかった事のように振る舞うマルティナは白い目で見られており、好きこのんで交友を深めようとする人自体がいない。
王都にいられる時間もそれほど長くないので、それでもかまいはしないけど、ならば将来のことを考えて行動しておくのもいいかもしれない。
片田舎に引っ込んだあとは、自分がどうなるのかを知らなかった。
田舎だと言うし、農業とかするのだろうか。
仮にも侯爵令嬢なのだし、さすがにそれはない気がする。
でも、そうしないと生きていけないほど貧しかったら?
知識はいくらあっても損はしないだろうと、書架室に向かったが、そうそう都合良く農業の本が見付かることはなかった。
そのまま読書でもしようかと思ったが、あるのは学術書や宗教本ばかりで、大衆小説といった娯楽本などは置いていなかった。
そういえば、今までもそうした本を読んだ記憶がない。おそらく時代的にまだ、娯楽方面に使えるほど活版印刷が発達していないのだろう。
暇だった。何かしたかった。
何もしないでいると、ニコラスのことを考えてしまい、せっかく遣り込めていた毒が、じくじくと内側から侵食してくる。
気分転換に、庭園へ出た。
そこには見事な薔薇の花園が広がっていた。
何とはなしに散策していると、庭師らしき人がせっせと花の世話をしているのが見えた。
園芸か。いいな、癒される。
「こんにちは」
庭師の人が振り返る。思ったより若くて、どうみても見習い年齢の男の子だった。
前世基準で見てしまったが、男の子といっても、13、4歳くらいだろう。マルティナと大して変わらない。
彼はこちらを認めると、作業を投げ出して跪き、恐縮してしまう。
「ああ、邪魔をしましたね。あちらの東屋で休んでいますので続けてください」
しかし、東屋に退散しても、やはり気になるらしく見習い少年はチラチラとこちらをうかがってくる。
マルティナの見かけも良くないのかもしれない。
17歳にしては肉付きが良く豊満で、アイスブルーの波打つ髪に紫紺の瞳、そして相変わらず紫紺の口紅を付けている。
やめることも出来たけど、マルティナを象徴するもののように思え、戒めの意味も込めてそのままにしていたが、10代にしてどこぞの毒婦のような貫禄である。
しばらくすると、お師匠さんらしき人が見習い少年の元に戻り、少年から聞いたのだろう、師匠の庭師は慌ててこちらへと挨拶にはせ参じた。
大仰な口上はそこそこに切り上げさせ、作業を見学させてもらう許可をやや強引にもぎ取る。
初めはかなり緊張していたが、東屋でゆったりとお茶を飲み、景色をながめていれば、特に何かを指図されるわけではないと、安心してくれたようだった。
彼らの作業が一段落付き、屋敷から退出する時を見計らって、ようやく呼びつける。
「私でも育てられる、花の苗が欲しいのです。楚々とした小花でかまいません。植木鉢はこちらで用意しますので、良い苗を見繕ってはくれませんか?」
内容はなんであれ、侯爵令嬢からの申し入れ自体がかなりの無茶ぶりになるのだろうが、ここは要求を飲んで貰うことにした。
本当に何でもいいのだ。文句を言うつもりはないが、若い娘が望むのだから、それほど変わった花が届けられることも無いだろうと思う。
庭師たちが帰ったあと、側に控えていた侍女が何か言いたげな顔をしていた。
平民と直接口をきいたり、ましてや草花の手入れなど令嬢のすることではない。
ただ、今ままでのマルティナが我の強い女だったので、思いつきの行動でもよほど逸脱しない限り、それなりに許容されている。
だから、今回もそういうことで押し通させてもう。
翌日には注文通りの苗が贈呈された。こちらで用意していた彫り細工の見事な鉢に、すでに移し替えてあった。
それは、すでに固い蕾をつけた多年草だった。
あと一週間もあれば花を咲かせる状態だと分かったのは、前世の記憶ゆえだ。
お膳立てのしっかり行き届いた初心者レベルに笑ってしまう。おそらく途中で飽きたり、枯らしたりして難癖をつけられないよう先読みして用意してくれたのだろう。
もちろん、彼らの気遣いには気付かないふりをして、礼を述べる。
この花を咲かせられたら、今度は種から育ててみたい。いや、まだ早いか。
種を要求された庭師のおじさんの困った顔があいありと目に浮かぶ。
その日から、庭園へちょくちょく顔を出し、庭師のおじさんと見習いの少年を手懐けるべく、軽い会話を交わしたり、薔薇や他の花を一輪切り取って貰ったりした。
およそ一週間後、薄紅色の可愛らしい蕾が明日にでも開花しようという時だった。
庭師のおじさんから申し訳なさそうに告げられた。
曰く、王宮からの呼び出しがあったらしく、こちらの整備を速やかに終えなくてはならなくなったので、のんびりお喋りなどしている暇はなくなってしまったそうだ。
非常に残念である。花が咲いたら褒めてもらおうと思っていたのに。
だが、あちらは生活がかかっているので無理に引き留めるわけにはいかない。
咲いた花を一人で愛でながら、気を遣わせないよう部屋に引きこもっていたが、庭師と見習い少年は庭園の整備が終わると、わざわざ暇乞いの挨拶に来てくれた。
その際に、なんと見習い少年は私に花の種を贈ってくれた。
何という商売上手。これではまた彼らを雇って、庭の整備と花の育成具合を見てもらわなければならないではないか。
なんて冗談半分に思いながら、有り難く花の種を受け取った。
花の栽培という楽しみはできたけど、それでもやはり基本的にはする事がない。
その時が来るまで、大人しく屋敷に篭もっていようと思っていても、持て余した時間との過ごし方は難題だった。
考えたくないことを考えてしまう。
ニコラスに会いに行かなくなったことを、彼が少しでも気にしてくれればいい、とか期待している自分が嫌だ。
いっそのこと、お忍びで街にでも出てみようかと画策してみたが、さすがにそれは阻止された。
いや、むしろ外に出ようとする側と、出さないように阻止する側の攻防を楽しむという暇の潰し方を編み出してみる。
これは結構楽しめた。使用人たちにしてみれば、はた迷惑このうえなかっただろうが、追いかけっこは大人の方が楽しめるかもしれない。
そんな風に、とりとめもない日々を過ごしていたが、ひと月ほど経つと、屋敷に引きこもっていることが両親にバレた。
ただでさえ今は、第二王子を取り巻く環境が微妙な時期だ。
しっかり媚びを売って今の地位を盤石にして来いと、王宮からの招待状を渡される。
毎年の定例行事である、王国主催の建国式である。
マルティナは第二王子の婚約者となってから毎年出席していた。
今年は急病を装って、第二王子のエスコートを辞退するつもりだったが、両親からの厳命が下ってしまったからにはそれも難しくなった。
あれだけ暇を潰すのに苦労していたのに、嫌なことがあると、あっという間にその日がやってくるのだから不思議なものだ。
朝から丹念に磨かれ、美しく飾り立てられ、差し出される贈呈品のように相手の到着を待たされる。
嫌がらせでしかない贈り物なのに、待たなくてはならないという憂鬱にため息が出る。
やがて定時になり、ニコラスが屋敷まで迎えに来た。
ひと月以上全く会っていなかったニコラス。
ありふれたブラウンの髪にブラウンの瞳だけど、顔立ちは繊細で儚げな印象のある人で、けれど今日は、式典のエスコートともあって凛々しい正装姿である。
けれど、その顔には、冷たく突き放すような微笑みが張り付いていた。
人見知りで気難しいくせに、貴族が集う世界で必要に迫られたから笑顔の仮面なんて被っているけれど、マルティナを見る目はとても正直である。
いつもなら皮肉の一つでも言い放っているところだが、奥歯をかみしめて何とか押し殺した。
ろくな挨拶も交わされず、ニコラスは流れ作業のように私を馬車まで連れて行く。
ニコラスがマルティナの着飾った姿に何も言わないのはいつものことだけど、それに対してマルティナまでが何も言わないのは初めてで、そのいつもと違う様子が気味悪かったのか、車中では妙な視線を感じた。
王宮の式典会場まで案内され、国王陛下による式典の開催まで、有力貴族の挨拶回りに付き合わされる。
厳かな式のあと、午餐会が開かれ、夜の部として舞踏会が催された。
王太子であるアルバート殿下のダンスを皮切りに、次々と煌びやかなワンセットがダンスホールを賑わせていく。
ニコラスも去年まではマルティナによって駆り出されていたが、第二王子にダンスの義務は基本的に無い。誘うのも自由だし、誘われるのも自由だ。
彼の行動を制限しないよう、そして、自分じゃない誰かと踊る姿を見なくて済むよう、適当な理由を付けて彼の側を離れ、人混みにまぎれるようにバルコニーへと出た。
途中、誰にも声をかけられなかったことに落胆のような、安堵のような不思議な感覚にとらわれる。
王太子が正妃を退けた今、時の情勢は王太子勢力にある。
そして、その王太子が庇護している第二王子を軽んじ罵ってきたマルティナは、社交から孤立する一方にあった。
とくに王太子勢力からは、婚約破棄されることは時間の問題だと、口さがなく囁かれているので、巻き添えをくらってはたまらないと誰もが一歩距離を置いていた。
近いうちに遠くへやられるのだから、気の置けない友人を作っても仕方ないのだが、ちょっとは寂しい気もする。
誰もいないバルコニーで、ぼんやりと静かな夜気に包まれながら、どのタイミングで帰ればいいか思案していると不意に人の気配がした。
振り返ってみれば、薄ら笑いを浮かべた20歳ほどの男性がいた。
「お邪魔しています。月夜の美しい晩ですね」
「…ごきげんよう」
愛想の欠片もない返事をしたのは、今の情勢でマルティナに話しかけてくるからには、きっとろくな用件ではないと判断したからだ。
「このような場所にお一人ですか? 勿体ないですよ、貴女のように美しい人が」
いかにも軽薄そうな台詞を吐いて、距離を詰めてくる。
何故この人は、自分を口説くような言い方をしているのか。
腐っても第二王子の婚約者であるマルティナ・オルブラントを口説くとか、礼儀知らずにもほどがある。
それとも、マルティナを知らないのか。
てっきり自分は有名人なのだとばかり思っていたが、田舎とか辺境からすればそうでもないのかもしれない。
だが目の前にいる男は、服装からして王都の流行をしっかり着こなした身なりをしていて、とてもにわか拵えには見えない。
ふと思い当たった。
マルティナは侯爵令嬢とはいえ、人品にケチの付いたワケアリ物件である。
しかも、ものを知らない小娘とくれば、適当に遊んで捨てる相手として、そこそこ狙い目なのかもしれない。
そんな下心を透かして見ると、男のあからさまな誘い文句に思わず笑ってしまう。
だが、同時に困惑もした。こういう手合いを撃退する方法を知らない。
どうしたものかと思った瞬間、ホールの方から小さく悲鳴があがった気がした。
自然と視線が向かえば、慌ただしく動く人が見えて、悲鳴を聞いたのは気のせいではないようだった。
ガラス張りの扉に近づき、状況をうかがう。人集りの中心にニコラスがいた。
彼は目線を下げ、自分の右手を見つめ―――流れ出した血が、
「――!」
割れたらしいグラスの破片が床に落ちている。
私が何をするまでもなく、駆け寄った誰かによって布が傷口へと宛がわれる。
不器用な人だから、テーブルにグラスをぶつけてしまったのだろうか。
はらはらと見守っていれば、ニコラスが知らない誰かに従って動き出し、その時、彼が視線を上げたせいでマルティナと視線が交わった。
びくり、と体が強ばる。一瞬の交わりだったが、確かに睨み付けられた。
立ち去っていく背中を凍りつく思いで見つめる。
睨まれた。何故? 迷惑をかけないように大人しくしていたのに。
「…………」
もしかして、今までの態度とあまりに違いすぎて、逆に何かを企んでいるように見えたのかもしれない。
それとも、怪我をしたのに、ぼーっと突っ立って居たのが悪かったのか。
ぐるぐると回る思考を持て余しながら、マルティナは一人で馬車に乗り屋敷へ帰った。
一晩経ってもウジウジ悩み、
利き手を怪我したのだから、日常生活に障りがあるだろうな、とか。
そういえば、着替えとかって女の人に手伝ってもらっているのかな、とか。
執務は難しいだろうから、その間は何をしているのかな、とか。
余計な煩悩まで混じって、数日もするとホトホト疲れ果ててしまう。
お見舞いは両親が勝手にマルティナの名で出したらしい。
それを受け取ったニコラスが、見舞いの品をごみ箱に捨てるところまで想像して、さらに沈み込むという悪循環。
本当は分かっている。こうも無駄に思い悩んでしまうのは、何もしていないからだ。
その時が来るまで、何もしない。
なんて悠長に言っているから、時間を持て余して考えたくないことを考えてしまうし、ニコラスに奇異な目で見られてしまう。
なら、自分から事を起こせばいいのか。
けれど、何をしたらいいかなんて分からない。
このまま何もしなくても、マルティナは社交界を追放される。
そんな自分に何が出来るというのか。
…………社交界追放?
ある方法が頭をよぎり、思わず固唾を呑んだ。
たとえば、である。
たとえばマルティナが辿るはずの結末を予定より早く繰り上げて、さっさと片田舎へ送られてしまうのはどうだろうか。
考えてみれば、そんなに難しい事じゃないと気付いた。
ニコラスの側にいられる残り時間を減らさないよう、人目のある場所で毒を吐くことを止めていたけれど、それを再発させるだけでいい。
どうせなら、もう後に引き返せないくらい徹底的な状況を作り出すのがいいだろう。
そして大勢の人目がある場所を選ぶのは当然として、なるべくならニコラスの味方が多くいる場所がいい。
居ても立ってもいられず、急いでマルティナに届けられた手紙を漁り出していた。
それは意外と早く見付かった。
ウジウジと煩悶していた合間にも、両親がうるさく押し付けてきた招待状の中にそれはあった。
およそひと月後、公爵家のご隠居、オーデール公の道楽で開催される園遊会。
その園遊会は知っていた。
有り余る金と暇にあかせて作り上げた、巨大迷路園のお披露目会である。
メインターゲットはお子様だが、未婚の男女にも参加してもらい、出会いの場として活用してもらおうと、お節介このうえない趣旨のこもった余興だった。
―――ああ、なんておあつらえ向きなのか。
こみ上げてくる毒に吐き気がする。
それは、ニコラスがヒロインと出会うイベントなのだ。
前世の記憶が正しければ、ゲームのヒロインであるリリア・アウリアが迷路に迷ったあげく怪我をし、それを、同じように迷子になったニコラスが見付け、一緒に力を合わせて脱出することで二人は一気に親しい仲になる。
その日以外にない気がした。
婚約者の居るニコラスが、この園遊会に呼ばれる理由は、オーデール公がこれまで後ろ盾の居なかった第二王子の後見人に就いたため、主賓としての参加である。
そして立場上、婚約者であるマルティナも招待されている。
だから私は、婚約者である自分をないがしろにしたどころか、怪我をしたリリア・アウリアを支えるように寄り添っていたニコラスに憤慨し、愛想が尽きたと絶縁状を叩きつけてやるのだ。
その時だけは口汚く罵る必要がある。後見人や集まった衆目の前で狼藉を働いて、きちんと不敬罪を適用してもらうためだ。致し方ない。
マルティナとニコラスの関係もヒロインに一目瞭然で分かってもらえ、きっと慰めてもらえる。めでたしめでたしで終えられる。
問題は、私の心構えである。
確実に事を進められるよう、しっかりシミュレーションしておかなくては。
あとひと月もあるのだから、きっと大丈夫。
大丈夫。
大丈夫。
未だに一言も喋っていない第二王子。ジワジワくるよ。
※第1話の内容を少々変更したので、違和感のある描写があると思いますがご了承ください。