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悪役令嬢の毒  作者: ぶちこ
番外編
16/18

第二王子の毒手(後日談2)

R15 ちょいエロです


 ニコラスは、兄アルバートの執務室に呼び出された。

 ここ最近の出来事で、思い当たる節はなかった。


 アルバートの名を使って人を動かしたり、部下に無茶な注文を付けたりなどはしていたが、最近はいつものことなので呼び出しを受けるほどのことではない。


 そのはずだったが、王太子の執務室へ入室を許されたニコラスを出迎えたのは、部屋の主があらわしている難しい顔だった。


 「まあ、何だ……とりあえず、これを見ろ」


 執務机の前に立つやいなや、一枚の書類を差し出される。


 そこには、マルティナ・オルブラントに対しての告発文が記されていた。


 『リンゼル領オルブラント侯の娘マルティナ・オルブラントは、奸婦である。第二王子ニコラス・イード・ウィスターナを、猥りがわしい肉体をもって誑し込み、寝台の上から政権を操ろうとしている。早急に処置をされたし』


 書面を一読したニコラスは、口元を覆い、肩を震わせた。

 思わず出てしまった笑い声を、どうにか噛み殺していた。


 「……お前が、吹き出した姿を初めて見たよ」


 アルバートの呆れた声が返ってくる。


 「マルティナも、立派な毒婦になったものですね」


 「笑ってる場合か。下手をしたら、お前もろとも謀反の罪を着せられかねんのだぞ」


 「そうですか? むしろ最高のシナリオじゃないですか。女の肉欲に溺れた馬鹿王子は、政務能力を問われて、邪悪な奸婦と共に辺境の地に追いやられる。とか」


 「……おい」


 「最近ふと思ったのですが、このまま兄上を即位させて無事に隠退できたとしても、何だかんだと言って、こちらの私生活にちょっかいを出してくるかもしれないな、と。でも、こうして追放処分にされたのなら、気兼ねなく隠居できますね」


 「…………」


 「まあ、冗談はさておき」

 「冗談かよっ」


 小気味よい合いの手にしか聞こえないアルバートの文句を受け流してから、ニコラスは本題を入ることにする。


 「こういう難癖はいつか来ると思っていました。今でも第二王子にふさわしくないからと口やかましくされていますし。まあ、本当にそう思っているのはごく一部で、大半は自分の娘を宛てがいたいという野心からでしょうけど……ただ、これを送りつけてきたのが、マルティナを第二王子と婚約させた張本人だというのが、面白いところですね」


 「――……は? ちょっと待て。それは匿名で投書されたものだぞ。どこから正妃が出てきたんだ」


 「ああ、筆跡です。この城中の…とは言い難いですが、書面の文字が知っている筆跡の一つだったので。書いたのは、まず間違いなくアラン・ベーネットです。今もまだ正妃の側近をしているはずですよ」


 「…………」


 「おそらく警告文だと思います。第二王子宛の。私は最近、表だった行動を多くしていましたから、正妃の癇に障ったのでしょう」


 淡々と語られるニコラスの推察に、アルバートは眉間に皺を寄せた。


 「とはいえ、確実ではありませんから、まず表だった行動を避けるようにして、正妃側の様子を見ましょう。この告発文が、大人しくしていろとの脅しなら、それで鎮静すると思います。ただし、こういう言い掛かりを広めて、第二王子の信用を貶めることが目的ならば、少々面倒です」


 どういうことだと、先を促す視線に応えてニコラスは続ける。


 「もちろん、ただの難癖をいくら事実めかして吹聴されたとしても、証拠がない。ということで撥ね付けることはできると思います。正妃側には今、確固たる証拠もない状態で押し切る力はありませんから」


 「…ああ」


 「面倒なのは、こういう嫌がらせを今後も定期的にしかけてくるかもしれないことです。いちいち患わされていたら、政務も滞って厄介な事この上ないでしょう」


 ニコラスの言葉を聞きながら、アルバートは執務机の上に両手を組み、熟考に入ろうとしていた。


 「まあ、方法はありますよ。正妃が二度とくだらない妨害をしてこない方法が」


 「……それは、どんな?」


 「最も効果的なのは、第二王子がこのさき一生、表舞台に上がらないようになればいいんです。たとえば、何かしらの法を破って、幽閉塔に入れられてしまうとか」


 驚愕に見開かれる碧い目に、ニコラスは薄く笑いかける。


 「さすがに国家叛逆で投獄されてしまうのは不味いので、そこは自分で自分の罪を捏造することにします。兄上が即位すれば恩赦などで出してもらえるほどの罪をでっちあげて、しばらく幽閉塔に閉じこもる。ああ、もちろんマルティナ付きで」


 最後の一言で、緊迫していたアルバートの空気が一気に白けた。


 「レイゼルト公爵領の攻略は遅れるでしょうけど、その代わり、一年か二年くらいマルティナと幽閉塔で暮らすなら悪くない話ですよね」


 「……あのな。そんなこと出来るわけないだろ。男女を一緒の塔に閉じこめるとか、常識的に考えろ」

 

「そうですか? やってみないと分かりませんよ。塔とは言っても、一本だけがそびえ立っているわけではありませんし」


 こともなげに言いのけると、アルバートは頭を抱え、机にうなだれてしまった。


 「お前なら、やりかねないと思ってしまう自分が、すごく嫌だ」


 そうして落ち込んだ風を装っていたが、うつむいたまま前髪を掻き上げたかと思うと、ため息をつきながら立ち直ってきた。


 「とにかく、わかった。お前はしばらく、表向きだけは大人しくしてろ。ただし、正妃がどう動こうとも、幽閉塔に入れるつもりはない。嫌がらせだの何だのは、こちらでひとつひとつ潰していくだけだ」


 「……面倒ではないですか? 幽閉塔とはいっても、指示や連絡くらいは出来るでしょうから。差し支えはないと思いますよ」


 「あのな、仮にも王族が幽閉塔に入れられたら、この国の史実に残るんだぞ。そうなったら、後世にどう語り継がれるか。お前はいいかもしれんが、マルティナ嬢なんて希代の悪女として、どれだけ恣意的に言われるか知れたものじゃないぞ」


 「…………」


 歴史に名を残した希代の悪女。


 その響きは、ニコラスの胸を打った。


 百年もすれば、彼女を題材にした舞台などが描かれるのだろうか。

 そう思うと、後世の人間がマルティナ・オルブラントをどう描くのか、むしろ興味があった。


 だが、それをここで言えば、目の前の堅物を刺激するだけだと判断して沈黙を守る。


 「裏に誰がいるのか分かっているなら、対処はしやすい。むしろ、正妃側を完全に黙らせるのに、良い証拠集めになるかもしれない……それに、あの人がこの国にとって害にしかならないのなら、その時は、相応の処罰を下さないとな」


 アルバートの表情に、深い翳りが差した。


 「お前じゃないが、私は私にさっさと即位してもらいたい気分だよ。その方がきっと、物事の多くに見切りを付けられる」


 独り言にも聞こえる愚痴をはき出すと、重たいため息をついた。


 ニコラスに、実母を裁くかもしれないアルバートの心情を汲み取ることはできないが、血の繋がりがあるからこそ、為政者になりきれない複雑な心境を推し量ることはできた。


 彼の心に整理が付くまで、ニコラスは待っていた。

 すると、場の空気に気まずくなったのか、アルバートの方から話題を切り替えてくる。


 「ところで……お前に大人しくしてもらうのも大事だと思うんだが、良からぬ言い掛かりを払拭するためには、マルティナ嬢と会う頻度を減らすというのも、かなりいい手だと」


 「無いです」

 「だよな」


 言うだけ無駄だと分かっていた早さで、アルバートは自らの提案を取り下げる。


 「まあ、会うのは許そう。たがな、オルブラント侯の娘が第二王子のもとに通っている事実は隠しようがない。そこを譲れないなら、もっと体面的なことも省みろ。というか、そもそもマルティナ嬢にいかがわしいことをするな。少なくとも、執務室では控えろ」


 「……むしろ、色に溺れて政務をないがしろにしているという噂が立った方がいいかもしれませんよ。そうすれば、謀反の疑いもかけにくくなるでしょうし」


 「ひ か え ろ」


 「……考えておきます」


 有無を言わせないアルバートの剣幕に、ひとまずは引き下がることにした。







 翌日、ニコラスが自分の執務室で方々の書類に目を通していると、マルティナが登城したという前触れを下官の一人から受け取った。


 彼女の訪れを待ちながら、ニコラスはアルバートからの忠告を振り返っていた。


 この執務室をいくら密室にしたとしても、マルティナが行き来している以上、その姿を誰にも見られないというわけにはいかない。


 しかも彼女は、3日に一度というかなりの頻度で訪れている。


 婚約者とはいえ、これでは確かに、ただでさえ立場の危ういオルブラント侯爵令嬢が、第二王子を誘惑しようと躍起になっているように見られても致し方ない。


 何よりマルティナは、最近とみに色気づいていた。


 原因がどこにあるのかはさておき、彼女は一人でいると、物思いに耽りながら遠くを眺め、憂いを帯びた吐息をつく姿をよく目撃されているらしい。その姿が実に官能的だという風評がニコラスの耳にまで入ってきている。


 しまいには、奸婦にまで押し上げられてしまったわけだが、そんな女は今、開かれた執務室の扉を通ってニコラスの目の前に姿を現していた。


 波打つアイスブルーの髪に、紫紺の瞳。そしてその唇には、毒々しい紫紺の口紅が引かれている。 


 見慣れた艶姿を認めると、ニコラスの口から、ふっと、空気が漏れた。


 さらに、意に反してあがってしまう口角を両手を組んで隠そうとしたが、肩が揺れてしまうのは隠しきれなかった。


 「な、な、な、なにを笑っているのっ。人の顔見て笑うなんて無礼だわっ」


 にわかにいきり立ったマルティナは、声を荒げながらも自らの身だしなみをあたふたと確認していく。


 「兄上との会話を思い出しただけだから。他意はないよ」


 「…王太子、殿下?」


 鏡のある場所にまで走って行きかねなかったマルティナが、せわしない動きを止めた。


 「そう。マルティナ・オルブラントが第二王子をたぶらかして、堕落させているから何とかして欲しいとか、そういう感じの」


 とたん、紫紺の瞳が大きく見ひらかれる。


 「た、たぶらかっ――」


 「そう」


 彼女の言いたいことを察して、ニコラスは頷いた。


 「な、なんで、そんな。だって、そんな。だって、いつも――いつも、いやらしいことをするのはニコラスの方じゃない」


 「そうだね」


 「思わせぶりなことを言って、たぶらかすのもニコラスの方だわ」


 「そうだね」


 「も、もてあそぶのも」


 「うん」


 切々とマルティナが事実を述べ立てるので、ニコラスもまた事実で返すことにした。


 「まあ、それでなんだけど、兄上から釘を刺されてしまって。執務室でマルティナにいかがわしいことをしないようにと」


 「……え?」


 「そういうことは前から言われていたのだけど、今回は変な噂も立ってしまったことだし。自重しないといけなくなった」


 実際には、まだ噂は立っていない。

 しかし、人付き合いが極端に薄いマルティナには、まず知りようのないことだった。


 「でも安心していい。兄上には君を第二王子の婚約者から外すわけにはいかない事情があるから、いくら身に覚えのない噂が立ったところで、今の関係は変わらない。ただ、やはり、軽はずみな行為を控えるに越したことはないし」


 「…………」


 「考えてみれば、少し前まではそうしていたわけだから、取り立てて問題はないのだけれど……マルティナも、以前通りの方が居心地が良いかもしれないね。君は、男をたぶらかすふしだらな女ではないから」


 マルティナは、唖然として佇むだけで何も言葉を返さなかった。

 ニコラスは、そんな彼女にかまわず書類仕事に戻ることにした。


 書類仕事とはいっても、集められた資料と情報を頭の中に入れていくだけの作業になる。

 各方面から集められた情報をいったん頭の中に入れ、新しく得た情報との食い違いや推論の照らし合わせに使いやすいよう、分類別に振り分けていく。


 執務室は静まりかえっていた。ただ紙をめくる音だけが耳に付く。


 マルティナは帰りもせずに、ソファに座っていた。

 毒を吐くこともせず大人しくしていたが、ちらちらとこちらを何度もうかがい見ては落ち着かない。


 いつもなら、とうに手を出している時間。


 ソファに座っているマルティナに詰め寄って、会話になっていない会話を交わし、彼女の反応を見てから楽しい迫り方を考えている頃だった。


 しかし今日は、二人の間には健全な距離が保たれていて、いかがわしくなる気配はまるでない。


 そうして何も起こらない時間が30分ほど経過したあと、マルティナがソファから立ち上がった。


 ゆっくりとした足取りで近づいて、執務机の脇に立つ。


 「――ニ、ニコラス」

 「……なに?」


 名前を呼んでおいて、マルティナはニコラスを見ていなかった。


 ニコラスは椅子に座っているため、机の脇に立つマルティナの視線が縫いつけられたように床を向いていても、彼女の表情自体は良く見えた。


 「――く、ち紅、つけ…直したい」


 か細い声で、やっとのように紡ぎ出した顔は、羞恥の色に染め上げられていた。

 それを存分に堪能してから、ニコラスは切り出す。


 「それは、誘惑?」


 すると、マルティナは泣きそうになりながら唇を噛みしめる。


 「それだと、口さがない噂どおり、第二王子を堕落させるふしだらな女になってしまうけわけだけど」


 「…………」


 「それとも、堕落させたい?」


 からかうように問えば、マルティナがうっすらと口を開く。


 何かを言おうとして、しかし、言葉は発せられず、深呼吸のような吐息音を数回だけもらす。そして、何かを飲み下すようにこくりと喉を鳴らした。


 毒の唇が見せたその所作に、ニコラスは不覚にも誘惑される。


 「……兄上には、こちらから手を出すなと言われているんだけど、どうしようか?」


 優位性を保つための台詞をはき出せば、マルティナは逡巡を見せた。

 それでも、さほど時間をかけずに、おずおずと距離を詰め出す。


 ニコラスは椅子を引いて、執務机との間に彼女が入り込める隙間を作った。


 座ったままのニコラスの正面に、マルティナは位置取ると、その細い腕を伸ばしてニコラスの両肩にそっと手を置いてくる。


 ほんのわずかに移動しただけなのに、マルティナの呼吸はやけに乱れていた。


 熱を孕んだ瞳を寄せ、深い息をニコラスの口元に吹き付けながら唇を落とす。ふわりと感触を確かめるような触れ合いのあと、もう一度しっかりと押し付けてきた。


 やわやわと動かし合うが、息が乱れてならないのか、マルティナはすぐに唇を離してしまう。彼女は呼吸を整えながら、ニコラスの唇を見つめてきた。


 おそらく自分の口紅が付いた唇を見ているのだろう。小さく舌を出すと、口紅を舐め取るように舌を動かす。


 ひととおり舐め終わると、また唇を重ねて、それからまた唇を舐めはじめる。


 ニコラスに自分の口紅を付けて、自分で拭い取る行為に夢中になっているのか、マルティナは判で押したように同じ事を繰り返した。


 まるで、これは自分のものだと言わんばかりの反復に、ニコラスは早々に音を上げる。


 これ以上誘惑されるのは、色々まずいことになると、マルティナの行為を止めるように肩を押し、やおら立ち上がった。


 ちらりと執務机に目をやって、傷を付けるようなものはないと確かめてから彼女の腰を抱えると、やや乱暴に机上へと押し倒す。


 積まれていた書類が床にまで散らばるが、ニコラスは、執務机に投げ出され、雑な扱いで組み敷かれているマルティナだけを見下ろした。 


 机面や書類の上に、乱雑に散ったアイスブルーの髪。

 呼吸を乱し、弾力に富んだ胸を何度も膨らませながら、こちらを熱っぽく見上げてくる。


 日々淡々と書類仕事をこなすだけの執務机に、しどけなく横たわる女の姿。


 猥雑さとかけ離れた場所で、愛欲の詰められた肢体を無防備に差し出してくる様は、本当に男を堕落させる淫婦のようだった。


 まぎれもなく貞操の閉じられた純潔の乙女なのに、その白い肌は匂い立つような微熱を発し、はしたない色香を振り撒いて節操を知らない。


 抗いがたい匂いに誘われて、首筋へと手を這わせれば、微かな声を漏らして喉元をさらけ出す。けれど、その淫靡な口元からニコラスは目をそらした。


 細い首筋を下って、境界線のように浮き出ている鎖骨をなぞりながら、少し湿り気を帯びた双丘の山を五本の指で登っていき、すぐに降りていく。


 ほとんど乱れのない着衣の上からのコルセットの起伏をたどって、あるはずの臍を通り過ぎると、さらにその下へ行き着いた。


 およそ人体の中央にあたる、なだらかな曲線をゆっくりとさする。

 この奥に、女が女たる所以の場所がある。それを愛撫するように手のひらを往復させた。


 一方で、身体の上をさまよっていたニコラスの手を、じっと追いかけていたマルティナは、何度も下腹部を撫でさする手に瞳を揺らしていた。


 それは期待というよりも、あえかな不安をたたえたもので、ニコラスは手を離す。

 あやすように頬に触れてやれば、幼い娘のような笑みを咲かせた。


 愛らしい花なのに、猛毒があると知った時のような、一変する印象に魅せられる。


 これをいずれ自分が踏み荒らすのだと思うと、ニコラスはいつもどろりとした感情に満たされる。


 このまま瑕ひとつなく完璧な姿を保存して、いつまでも観賞していたいのと同時に、取り返しがつかないほど、ぐちゃぐちゃに踏み潰された姿が見たかった。


 そんな相反した感情は、現在、ニコラスを取り巻く情勢もあって片一方にしか傾くことができないが、それを是とするか非とするかは判断の難しいところ。


 ただ、今日はとりあえず、彼女が必死になってせがんできたものを、きちんと返してやることにする。


 ニコラスは、覆いかぶさるように身体を寄せて、唇を重ねた。


 舌で唇をこじ開けて、口内を蹂躙しながら、彼女の後頭部と背中に腕を差し込み、少しだけ体重をかけて身体をさらに密着させる。


 「――んっ、ぅん」


 きつく抱き合うように伸しかかられるのを、彼女が好んでいるのをニコラスは知っていた。


 それだけではない。存在感を感じさせるような口付けや抱擁、愛撫といった密な接触も好きで、それをされれば充分に満足してしまうことも知っていた。


 ニコラスはだから、紫紺色の口紅をすべて舐め取ってしまったら、今日はこれで終わりにする合図にしている。


 唇だけでする何度目かの愛撫を終えると、しばらくは互いの息で呼吸をし合った。


 男と女では相手に求めるものに違いがあるから、マルティナが満足できることで同じように満足できるとは言い難いが、それでも寝そべる身体に気をつけながら手をついて、ニコラスは上体を起こした。


 「……付け直そうか。口紅」


 彼の下で、ぼんやりと熱に浮かされた顔をしたマルティナは、こくりと頷いた。







 お湯の用意をさせれば、執務室で何をしていたのか知られてしまうが、乱れたままのマルティナを帰す方がよほど問題だった。


 ニコラスは、お湯を運んできたトーマスの批難顔に直面したが気に留めず、執務室に常備されるようになった化粧道具を使って、マルティナの身だしなみを整えていく。


 全体の化粧を施してから髪のセットをし、最後に口紅を付けるのが、すっかり定着した流れだった。


 マルティナは、いつまで経ってもこの時間が落ち着かないようだったが、ニコラスはかなり気に入っているひと時だった。


 化粧材の種類や配色を変えて工夫したり、マルティナの豊かな髪を櫛でとかし、美しく編み込んでいく作業は楽しいし、たまに髪飾りを忍ばせておけば、その後日、なかなか礼の言葉を口に出来ない彼女で遊ぶのは一興だった。


 何よりマルティナの身支度をしてやることは、彼女の一部を管理しているようで、ニコラスの琴線に触れてくる。


 できるなら化粧や髪型だけではなく、ドレスや靴、装飾品の類、爪の手入れやその飾り付けにいたるまで何もかも自分好みに決めて着飾らせてみたかった。


 もっときちんとした手間暇をかけて、マルティナの美貌を保つ方法と、いかに美しく見せるかを考える毎日は、さぞかし満ち足りた日々だろうと思う。


 人間を相手にした人形遊び。 


 ニコラスはそうやって、どこかで自分を嘲笑う。

 それも相当な金がかかる、贅沢な遊び。


 マルティナのために大枚をはたいても惜しくはないが、そのためには元手が必要で、レイゼルト公爵領を統治するようになったら、資金を生み出す方法をすでに考案中なのだから始末に負えなかった。


 時間をかけて髪を結い上げたあとは、仕上げの口紅にとりかかる。


 ソファに座るマルティナの前に跪き、ニコラスは紫紺の口紅を彼女の唇に乗せていくが、不意にある事を思いついた。


 「さっきの続きだけど、君が第二王子をたぶらかして堕落させているという噂」


 居心地悪そうに視線を下げていたマルティナの目線があがり、ニコラスとかち合う。


 「もしかしたら……だけど、その噂が下手に転んで誰かに利用されたら、僕たちは何かしらの罪に問われて、一緒に幽閉塔へ入れられるかもしれない」


 多分のぼかしと飛躍を入れて口にすれば、マルティナからはきょとんとした顔が返ってきた。


 さすがに飛躍させすぎたのか、彼女が瞬きだけをして考え込んでいる間に、口紅を塗り終えてしまう。


 跪いていたニコラスは立ち上がり、マルティナが座るソファの横に腰掛ける。それから彼女の横顔を眺めていると、マルティナは改めて聞き返してきた。


 「……幽閉されるの? ニコラスと?」

 「そう」


 「……二人とも?」

 「二人とも」


 瞬間、紫紺の瞳がまともじゃない色に色めくのを見た。

 

 閉ざされた部屋と未来しかない世界が、彼女にはすでに見えているとしか思えない目をして、ニコラスを陶然と見つめ抜いてくる。


 その偏狭な世界でニコラスと何をしているのか、紫紺色に染めたばかりの口角が、ゆっくりと吊り上がっていった。


 「嬉しそうだね」


 はっとしたように、マルティナの肩が揺れた。


 「いいの? 閉じ込められてしまうんだよ。自由な生活はもうできなくなる」


 抑えきれなかった喜びを悔やんでいるのか、彼女の柳眉が寄せられた。


 「わ…わたし、は……」


 「僕としてはね、日がな一日、君とこうして遊んで、そのあとは、こうして身なりを整えて。君の自由を無くして、君の全てを管理して、そうして一日を過ごして暮らすのは、さぞかし愉快だろうと思うのだけど、それでもいいの?」


 マルティナは目を見開いたが、反応しきる前に俯いた。どういう顔をしているのか見られたくなかったのだろう、その代わり、ほんのわずかだけ首を縦に動かす。


 「――そう。そうだろうね」


 何もかも投げ打って、ニコラスだけを見てきた彼女を思えば、分かりきった答えだった。


 頬にかかる髪の一房をすくい、後ろへ撫でつけてから、あごを取って上を向かせる。


 しかし、紫紺の瞳はニコラスを見ようとしない。

 目を合わせることに忌避を感じているのか、大いに右往左往したあと、ようやく焦点を合わせてくる。


 ニコラスは、毒の唇と同じ色の瞳から彼女の深淵をのぞき込む。

 その腹底でくすぶっている、彼女が見られたくないものが見えて、知らず舌を伸ばしていた。


 せっかく口紅を付け直した唇に、舌を這わせ、そのまま唇を重ねる。

 塗り立ての毒は、少しの粘りけをもって舌先に絡みついた。


 ――ああ、駄目だ。怒られる。


 脳裏をちらついた顔に、衝動的な欲求は抑えつけられ、ニコラスは唇を離す。そして、それ以上の行為を振り切るように切り出した。


 「幽閉塔に閉じこめられたら、何をして欲しい?」


 「…え」


 「考えておくといいよ。気が向いたら叶えてあげる」


 マルティナはまた俯いた。

 この様子では、例えして欲しいことがあっても、素直に口を開いたりしないだろう。


 幽閉塔に閉じこめられたら何をしたいか。


 そんな問いを投げかけたところで、アルバートが却下している間は、幽閉塔に入れられる可能性はゼロに近い。


 つまり、遅かれ早かれ幽閉塔の嘘はばれる。


 けれど、場所が違うだけで、どのみち同じような環境で暮らすことを彼女はまだ知らない。


 今まさにマルティナの中で描かれているだろう幽閉塔での日々を、そのまま別の場所へと持ち越すことはかなり容易いだろう。


 だからこそ、そうそう簡単には口を割らないマルティナを、ニコラスがじわじわと追い詰めて、細い声で言わせる楽しみを思い付いても、全くの無駄にはならなかった。


 マルティナは、肩からアイスブルーの髪が流れていくのもかまわず俯いたままでいる。


 距離が近すぎて、その表情をうかがうことはできないが、彼女がどんな顔をしているかは、先ほど垣間見たばかり。


 ニコラスは、夢想の世界へ迷い込んでいる彼女の邪魔をせず、しばらく眺めることにした。


 彼女の望みが叶えられるまでには、まだまだ時間がかかる。

 しかし、どうせ時間があるのだとしたら、彼女の望みを欲望へと熟成させておくのもいいかもしれない。


 同意はすでに得た。


 あとは幽閉塔よりも、もっと相応しい箱を用意して、壊れないよう注意を払いながら仕舞い込むだけ。


 ベルベットを敷き詰めた箱には、毒漬けにされた剥製の花。


 本来の生き方を忘れ、枯れることのなくなった毒花が、閉ざされた部屋と未来しかない世界に咲き続ける光景を、ニコラスもまた夢想して笑みを含んだ。






ニコラスは言質を取りました(`・ω・´)


それはそうと、現国王(パパ)の影の薄さにはビックリしました(´・ω・`)

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