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悪役令嬢の毒  作者: ぶちこ
番外編
15/18

第二王子の毒手(後日談)


 王子、という記号に勝手な幻想を抱く女性は多いと、ニコラスは思う。


 現に、この国の第二王子は、正妃から無能のレッテルを貼られて久しいというのに、王子というまやかしに目を眩まされ、都合良く全てを忘れてしまったらしい女性たちがニコラスの周りを取り囲んでいた。


 しかも、取り囲む女性たちの全員が13、4歳ほどの少女たちでは、その幻想もふくらみ放題なのかもしれない。


 夢見がちな言動を繰り返す彼女たちに、けれどニコラスは、根気よく相手をしていく。

 それがニコラスの請け負った、今回の役目でもあるからだ。 


 ニコラスは、ある公爵令嬢の13度目の誕生祝賀会に出席していた。


 事の発端は、シャイマール公爵の一人娘が、自分の祝賀会に本物の王子を呼びたいと我が侭を言ったとかで、こともあろうか彼女の父親である公爵が、それを実現させるため奔走したのである。


 無論、そんな子供の気まぐれに唯々諾々と従っていては、王家の威信に関わるため、外聞の宜しいことではない。


 だが今回は、ニコラスが自らたって希望したため、色々と体裁を整えて実現していた。


 シャイマール公の屋敷にて、誕生祝賀会の会場にあつらえられた中庭には、公爵の親戚、そして一人娘の友人たちが集い、昼下がりの会場を賑わせていた。


 “本物の王子”とやらを前に浮かれる少女たちに囲まれて、ニコラスは惜しみなく愛想を振りまいていたが、不意にかかる声があった。


 「ニコラス、婚約者を放っておいて、こんなところにいたの」


 背後からの声に、ニコラスは顔だけを傾けて振り返る。


 そこにいたのは、アイスブルーの波打つ髪に、紫紺の瞳という珍しい容姿をした女性。

 美しく洗練された姿で佇む彼女は、社交界に出る前の少女たちではとうてい太刀打ちできない、磨き抜かれた正真正銘の貴族令嬢だった。


 彼女は、ニコラスを囲んでいた少女たちを一瞥する。


 婚約者という身分をひけらかしたうえ、唇を紫紺色に染めるという、いかにも高慢そうな美貌に見下ろされた少女たちは一様に怯んだ。


 「まあ、なんて若いお嬢さんたち。ニコラスは持て囃されることに慣れていないものね。たとえ子供の世辞でも、時間を忘れるほど舞い上がってしまうのかしら」


 いちおう遠回しな言葉を選んでいるようだが、言葉の端々にある棘が剥き出しだった。


 これでは第二王子の婚約者が世間で噂されている通りの人間だと、少女たちにも認識されてしまったことだろう。


 「ニコラス、大広間でシャイマール様が呼んでいるわ。一緒に来てちょうだい」

 「……わかった」


 ニコラスは、少女たちにしっかりと辞去の挨拶を残してから歩き出した。

 その後ろを、ニコラスの婚約者がすぐに追いかけてくる。


 「女の子たちに囲まれて、ずいぶんといいご身分だったわね。でも、ご理解されているのかしら。王族のはしくれとはいえ、こんな小娘のお誕生日会に呼び出されるなんて、とんだお笑いぐさだってこと。あら、安っぽい第二王子様には、お似合いだったのかしら」


 「…………」


 「こんなお遊戯に王族を呼び出す方もどうかと思うけど、ひょこひょこ呼び出されていく方も大概ね。同じ程度のもの同士で馴れ合うのは、さぞや楽しいことでしょう。格調高いものにしか触れたことがない私にはとても理解できないわ」


 「…………」


 「こんな低俗なことに付き合わされる身にもなってちょうだい。もう二度としないで欲しいわ。貴方の婚約者である私まで同じ程度に見られてしまうもの」


 ニコラスは、一人で矢継ぎ早にまくしたてる彼女にまったく取り合わず歩き続けた。

 やがて彼女は、ニコラスに追いつき、追い越して先を歩きだす。


 口では毒を吐きながらも、背筋を凛と伸ばして歩く姿は、確かに低俗なものをはねつけるような気品であふれていた。


 彼女の名前は、マルティナ・オルブラント。

 オルブラント侯爵家の娘であり、第二王子ニコラス・イード・ウィスターナと子供の頃から婚約を結んでいる令嬢である。


 18歳のニコラスより1つ年下のマルティナは、身内の欲目でなくとも美しいと断じられる美貌の持ち主だが、その形の良い唇に紫紺の口紅を乗せることで、彼女の美粧は他とは一線を画する異彩を放っている。


 こうして歩いているだけでも、祝賀会に招待されている男たちの視線を集めてしまうのだが、おそらく彼女自身はそのことに気付いていない。


 というよりも、眼中にないと言ったほうが正しいのだろう。


 ニコラスの婚約者であるマルティナ・オルブラントが、その視界に映しているのは、いつもたった一人だけである。






 ニコラスは、前を歩くマルティナに案内されるようにして屋敷の中へと入った。


 シャイマール公に呼ばれていると言っていたが、マルティナは大広間や応接室のある場所へとは向かわず、人気のない方向へと迷いなく歩いていく。


 ニコラスはそれに気付いていたが、何も言わずにマルティナの先導に従った。


 いくつかの角を曲がり、ひたすら廊下を進めば、ついに行き止まりに突き当てしまう。


 マルティナが振り返った。

 不意を突くように突進してきたかと思えば、ニコラスの背を壁に押し付けることもいとわず抱きついてきた。


 一瞬にして、ふくいくとした髪の香りがニコラスの鼻腔を満たす。

 温かく柔らかいもので胴体を締められながらも、ニコラスは淡々と言ってのけた。


 「……何、いきなり」


 マルティナは答えない。

 ニコラスの胸元に、頬を埋めるようにして顔を伏せてしまっている。


 「シャイマール様が呼んでるんじゃなかったの?」


 「…………」


 「……もしかして、嘘を吐いたの?」


 ぎゅっと縋り付くようにマルティナの手が彼の腰に絡まるが、ニコラスの手は彼女を触り返しはしなかった。


 「いいの? 安っぽい第二王子様に触って。格調高いものにしか触れないんじゃなかったの? こんなことをしていたら、君まで同じ程度に見られてしまうよ」


 くすくすと笑いながら揶揄してやれば、マルティナはより強くニコラスへと抱きついてきた。


 ニコラスの手は、いっこうにマルティナに触れない。

 上からのぞき込むように、彼女の反応を見ているだけだった。


 「まさか、あんな若い女の子たちに、悋気を見せたりしてないよね」


 ぴくりと彼女の肩が揺れる。ニコラスは分かってて言っていた。


 マルティナはおそらく気付いているのだ。シャイマール公が娘の祝賀会にニコラスを招待したのは、娘可愛さだけの行動ではないと。


 彼は、人品を問題視されているマルティナを押しのけて、あわよくば自分の娘を第二王子の新たな婚約者として宛がってしまおうとしていると。


 そんな下心の見えすいた祝賀会に出席したニコラスに、マルティナがどんな感情を抱くかは考えるまでもないことだった。


 「……それで、いつ誰が来るとも知れないこんな場所で、君は何がしたいの?」


 マルティナは、少しの隙間なくニコラスにひっついていたが、わずかに身動ぎすると顔を上げた。


 羞恥なのか、高揚なのか、彼女の頬はほんのりと上気し、熱く潤んだ瞳でニコラスを見上げてくる。


 何か言いたげに紫紺色の唇が動いた。だが、全く音になっていない。

 ぴくりぴくりと物欲しげに、何度も開いては閉じていく。


 それを目の当たりにして笑っていられるほど、ニコラスも人間性を見失ってはいなかった。


 ちらりと、マルティナから視線を外し、廊下の向かいにある扉を見た。


 ニコラスの記憶が確かなら、あの扉の奥はゲストルームになる。

 有り体にいえば、来客用に用意されている寝室である。


 マルティナに視線を戻したニコラスは、その悩ましいかんばせを脳裏に焼き付け、それから、彼女の肩をやんわりと押して、自分から引き離した。


 「駄目だよ。こんな人様の家ではしたない。それでなくとも今日は、若い娘さんのお誕生会なんだから、不謹慎にもほどがある」


 はっきりと拒む言葉を使ったニコラスに、マルティナは打ちのめされた顔をした。

 きゅっと唇を引き結び、何かを堪えるようにうつむいてしまう。


 ニコラスの手が伸び、彼女の頬に垂れた髪を撫で梳こうとした時、こほん、とわざとらしい咳払いが二人の邪魔立てをした。


 「――殿下、そろそろお時間です」


 ためらいがちな呼びかけに顔を向ければ、そこには見知った顔の男。


 トーマスという名前で、コンラッドが以前から後任にと育てている人材の一人であり、実地と鍛錬もかねて、今はニコラスの側仕えをしている。


 物覚えはいいし、仕事は早いしで重宝しているが、何より彼は、マルティナを前にすると、目に毒だと言わんばかりに視界から外そうとしていることが、ニコラスからの評価点を高くしていた。


 「ご指示通りの猟犬を手配してあります。時刻が定時を回れば、会場に放たれますがいかがされますが?」


 「かまわない、実行しろ。それで、作らせておいた鍵は?」

 「こちらに。5本とも確かに用意してあります」


 トーマスが差し出した、大きな輪に通された五本の鍵の束を受け取ったニコラスは、背後でこの遣り取りを見ていたマルティナを振り返った。


 「マルティナ。ついて来たいなら、ついて来るといい」


 彼女がそれに応える前に、トーマスが制止の声を上げた。


 「殿下、ですが」


 「これから、お客人が入るはずのない場所に行くんだから。男二人で連れだって行くより、婚約者殿を伴っている方が、見付かった時の言い訳が立つだろ」


 「それは…そうかもしれませんが……」


 「はじめから危ないことをするつもりはない。ただちょっと“見て”くるだけだと言っている。実際に何かがないと、兄上も人を動かしにくいし。そのための下見なんだよ」


 「……何度も言うようですが、殿下が直接する必要はないと思います」

 「何度も言い返すが、自分でやった方が早いっていうのが一番の理由だから」


 「そういうことを仰るから、殿下には人が付いてこないんですよ」

 「知ってるよ」


 トーマスのため息まじりの忠言に、ニコラスはおざなりな答えを返しながら、マルティナへと手を差し出した。


 「おいで、マルティナ」


 マルティナは、どこか戸惑った顔をしながらも、その手を取った。






 ニコラスが、シャイマール公爵家の誕生祝賀会に出席したのは、このシャイマール公爵家そのものに用があったからである。


 王都に置かれた、公爵屋敷に隠されていると思われる、地下への入り口を探していた。


 シャイマール公爵家は、かなり前から自領の経営が思わしくない。

 そのはずだが、以前と変わらない暮らし振りと、金払いを続けられているようで、その理由には出所不明な金銭の授受があると思われた。


 貴族なら、副業のひとつやふたつあるものだし、いちいち詮索することではないが、その出所不明というのが、どうにも半世紀以上前から存在している、とある闇市場との関与である可能性があった。


 顧客という関係性は、今のところ見受けられない。


 分かっているのは、闇取り引き市場の温床となっているレイゼルト公爵領から王都への商品を運ぶのには、中継地点となる搬入場所が、複数にわたって必ず存在しているということである。


 そして、このシャイマール公の屋敷は、人目が付きにくい立地という点で、かなり都合の良い位置取りをしていた。


 確証があるわけではない。しかし、闇市場と共にレイゼルト公爵領を潰す腹づもりであるニコラスは、ただ怪しいという事由だけでも充分に調査の対象になった。


 必要とあれば、王都にある貴族全ての屋敷を“見て”回りたいが、王族という身分ではどうしても不自由を強いられる。


 一人で出歩くのも難しいのだから、屋敷に無断で侵入ができるはずもなく、そのため今回は、シャイマール公爵の一人娘の誕生祝賀会に出席するという形を取った。


 王家の体裁的にはあまり好ましいことではないが、公爵家という王家とは遠くない親戚関係にあることと、王太子勢力を盤石にするためにも、友好関係を構築する一環として第二王子が派遣されるという体で内外には示された。


 ただし、娘とその親に変な期待をさせないよう、第二王子の婚約者であるマルティナ・オルブラントの同伴も条件付けられたのである。


 そうして首尾よく潜り込んだニコラスは、よく訓練された狩猟犬を中庭の会場に放つことで騒動を起こし、警備などの目をそちらに向けるつもりでいる。


 絶対に見付からないとは言えないが、見付かったところで、ニコラスには王族という身分がある。王族が間諜まがいなことをするはずがないという固定観念で、その場を乗り切れる強みもあった。


 やがて示し合わせておいた時刻を回り、遠くで悲鳴が上がるのを待ってから、ニコラスはマルティナを連れて動き出した。






 ニコラスは、事前に目を付けていた別館へと急ぐ。


 貴族が王都に屋敷、または自領に城を建てる場合、その普請計画書と見取り図は、王宮へと提出される。


 許可のない武器貯蔵や違法密輸などを未然に防ぐため、上記の書類提出は義務であり、増改築される場合もまた同じである。


 しかし、城の図書庫に保管される書類はどうしても古いものになるうえ、文書の偽造は思いのほか容易かった。


 シャイマール公の屋敷が文書の偽造をしているかは、もちろんまだ分からない。


 竣工当時の見取り図には地下の記載があるものの、現在では埋められていると見取り図の改訂がされており、昔あった地下への入り口は、確かに埋められていたらしい。


 だが、地下そのものは健在で、新たな出入口が設けられた可能性はあった。


 もし新たな出入口が設けられているなら、普請計画書と見取り図を下敷きにして見ていけば、建物の構造上、出入口を設けられる場所は、自然と限られてくる。


 ニコラスは、その書類からだいたいの見当を付け、地下室に新たな出入口を作るなら、別館に併設されている書架室が怪しいと踏んでいた。


 しかし、書架室には当たり前だが鍵がかかっている。

 ニコラスは、トーマスから手渡された5本の鍵束を取り出した。


 この国ウィスターナ王国では、ウォード錠と呼ばれる錠前が一般的に普及している。


 だが、このウォード錠というものは、内部のウォードと呼ばれる障害をすり抜けて回転させれば開く単純なものなので、けっこう簡単に出し抜けるのである。


 ウォード錠の正規の鍵より若干小さく、先端に小さく平坦な矩形上の歯がついた鍵さえあれば、内部のウォードをよほど精巧な作りにしない限り開いてしまう。


 だからニコラスは、鍵穴に入るだろう細さと小ささの組み合わせをいくつか考慮して、五種類の鍵をつくらせておいた。


 そうして事前に用意していた5本の鍵を使えば、書架室の扉は2番目に合わせた鍵でかちりと開いた。


 念のため、中に誰もいないことを確かめてから、マルティナを先に入れる。


 鍵は閉めず、扉だけを閉じると、ニコラスは地下があるはずの箇所を目測ではかりながら、書架室を歩き出した。


 その後ろをマルティナが、黙ってひょこひょこと付いて回る。


 ニコラスは地下に一番近いだろう壁の前まで来ると、その壁を軽く叩き出した。


 「……ニコラスは、何をしているの?」

 「さあ? なんだと思う?」


 叩く壁の位置をずらしていきながら、マルティナの問いに問いで返した。


 「……隠し部屋を、探してる?」

 「まあ、そんなところだね」


 言うのとほぼ同時に、壁の音が明らかに変わった場所を見付けた。


 しかし、そこには大きな本棚が立ち塞がっていた。

 動かせるかどうか、壁との隙間に手を入れてみるが、びくともしない。目をこらして見れば、かすがいのようなものが本棚との間に細工されているようだった。


 どうしたものかと、本棚を前にして頭を捻っていれば、側にいたマルティナがおもむろに手を伸ばし、本棚の本を一冊だけ動かした。


 かこん、と本棚の裏から小さな音がする。


 試しに動かしてみれば、車輪が仕込まれているのか本棚は横にスライドした。

 本棚の裏から出てきたのは、背丈よりやや低くくり抜かれた空間だった。


 「―――よく分かったね」


 マルティナが動かした本を調べれば、その一冊だけ木製で出来たハリボテだった。


 本を動かしてロックを開ける仕掛けなんてニコラスははじめて見る。

 これだけの本があって、一冊だけがハリボテだと見抜くのはなかなか難しいだろう。


 「……たまたま。変な本だなって、目に付いただけよ」

 「…へー」


 マルティナのどこか緊張した答え方が気になったが、今はそれどころではない。


 壁に食い込むようにして空いている穴には、どこからどう見ても地下へと続く階段が伸びていた。奥に行くほど光は届いておらず、もれてくる空気はひんやりと冷たい。


 「入らないの?」

 「入らないよ。これから先はいち王子の領分じゃないし、そんな時間はないから」


 ニコラスと同じように、地下への穴をのぞき込んでいたマルティナを押しやると、ニコラスは本棚を再びスライドさせた。


 マルティナが動かした本を戻せば、本棚に仕掛けられたロックも戻る。


 「あまり長居は出来ないんだよ。猟犬たちが暴れるのは5分にしてある。だから、騒ぎの収まる時間を入れて、こちらの行動は10分に制限してる。それ以上延ばしたら、たぶん猟犬たちが捕まるか、撃ち殺される。命令に忠実で、優秀な彼らをこんなことで失うのは忍びない」


 目的を果たしたからには、マルティナを伴い、さっさと書架室から外へ出た。

 開ける時に使った鍵で、書架室の扉に錠をかければ、足早にその場を離れる。


 「――ニコラスは、何をしているの?」


 本館に戻る道すがら、マルティナが問いかけてきた。


 先ほどされた質問と全く同じだが、その意味合いは大きく違っているだろう。 

 少なくとも、シャイマール公の娘の誕生祝賀会に出席した理由が別にあったことには気付いたはずである。


 「さあ? なんだろうね?」


 けれどニコラスは、先ほどと変わらない答え方をした。


 「……そんなことして、危なくは、ないの?」

 「ないとは言い切れないかな」


 「……王族なのに、こんなことしてていいの?」

 「いいとか、いけないとか、そんな問題じゃないかな。これは自発的にしていることだから、そもそも止めるつもりがない」


 マルティナの表情があからさまに曇った。

 自分を心配してそんな顔をする彼女に、ニコラスはにこやかに笑い返す。


 「僕が何をしているのかは、いずれ分かるよ。嫌でも」


 意味深長な言い方をすれば、マルティナはどう受け止めればいいのか分からない顔をする。しかし、それ以上の言及したところで、のらりくらりと躱されるだけだと察したか、彼女は押し黙った。


 そうしている合間にも、二人の足は本館へと行きついていた。

 会場へと戻るための廊下を進むが、近くに人の気配を感じて立ち止まった。


 聞こえてきたのは、男二人の話し声。会話の内容から察するに、第二王子を探しに来た屋敷の使用人のようで、会場で騒動があったために、安否を確認を急いでいるのだろう。


 ニコラスは、マルティナを引き寄せた。

 彼らがニコラスたちの居る方へ来るかどうかは確率の問題だが、来た場合の対策を取っておかねばならない。


 どうするのかと問うように見上げてくるマルティナを壁際に押しやり、あごを取る。

 ほとんど前触れなしに、唇を重ねた。


 「――ふぅっ」


 少しの準備もしていなかった、彼女の口の端から空気がもれる。


 ニコラスはお構いなしに、互いの唇を擦りつけ合うようにして、マルティナの口紅を自分の唇に移した。


 男たちがこちらに足を向けてくる音が聞こえると、すぐさま唇を離す。


 それとは逆に彼女の腰を引き寄せ、密着するよう腕の中におさめると、頬を朱に染めているマルティナを肩口に埋めさせて顔を隠した。


 廊下の角から二人の使用人が現れ、ニコラスに目を留めた。


 彼らの顔が二人同時に強ばる。

 ニコラスが腕に抱いている、ドレスを纏った女性に釘付けにされたようだった。


 この状況では、何をしていたか想像されるものは一つしかないだろう。


 使用人の一人が、はっとしたように彼女の髪と、ニコラスの唇に視線を走らせた。

 アイスブルーの髪色と、ニコラスに移った紫紺の口紅で、相手が誰なのかは一目瞭然である。


 不貞現場ではないことに平静さを取り戻したのか、彼は不躾な視線をこちらに投げないようにしながら口を開いた。


 「―――あの、早急に大広間へとお戻り下さい。旦那様が殿下のご無事を案じておられます」


 「……わかった」


 あえて素っ気なく答えれば、邪魔されて不機嫌なのだと受け取ったらしく、彼らは一礼すると早々に立ち去っていった。


 完全に足音が遠ざかってから、マルティナを肩口に押し付けていた力を弱める。

 すると彼女は、腕の中からニコラスを睨んできた。


 その抗議めいた顔がすごく良かったので、大広間に戻るのは少し遅れた。


 戻ったあとは、シャイマール公から、会場に野犬が入り込み騒ぎになったことが説明され、ニコラスに大事がなかったことを大げさな言葉で安堵されるが、使用人からマルティナと一緒だったことを教えられたのか、どこにいたのかは深く追求されなかった。


 野犬騒動もあって、誕生祝賀会は、予定よりもかなり早くお開きになった。


 すると、シャイマール公から、祝賀会が台無しになってしまった一人娘を慰めてはくれないかと言われ、ニコラスだけが引き留められる。


 屋敷に居座る理由がもう完全になくなっていたニコラスは、丁寧に断りの言葉を述べつつも、今後しつこくされてはたまらないので、とどめとばかりに二人の目の前でマルティナの腰を引き寄せ、寄り添うように帰路へとついた。






 翌日、シャイマール公の屋敷に、確かにあった地下入り口の詳細をまとめた報告書を作ったニコラスは、兄であるアルバートに届け出るため、執務室へと足を運んだ。


 その折りに、トーマスを通して作らせた例の五本の鍵束も提出する。


 これだけでも、かなり多くのウォード錠が解錠できるだろうと説明すると、アルバートは額を押さえだしてしまった。


 彼の頭痛の原因を推し量るのは簡単である。

 ウォード錠前は、城内でもいたる場所で使用されているものだからだ。


 だからニコラスは、城の防衛策を一部見直した方がいいと進言し、憂いのある場所には、ひとまず見張りを付けておくべきだと口添えをしておく。


 必要なら、新しい錠前について他国の資料をまとめておくと言えば、アルバートは批難がましい顔をしながらも要望した。


 それから本題に入り、件の屋敷の普請計画書と見取り図の文書偽造が確実になったことを報告書と共に上申する。


 これでようやくアルバートから、本物の間諜を借りる許可が出してもらえ、本格的に地下室の調査も行えるようになった。


 ニコラスは自分の用は済んだので退室しようとしたが、アルバートからついでとばかりに溜まっていた書類整理をおしつけられた。


 仕事を増やしたのだから仕事を片付けて行けと、テキトーな理論で手伝わされる羽目になり、しばらくアルバートの執務室に足止めをされる。


 昼近く頃になってようやく解放されるが、自室へ帰る際になってコンラッドからマルティナが登城していることを知らされた。


 何故もっと早く言わないのか、問いただしたいところだったが、昨日の今日で会いに来たからには、急ぎの用向きでも出来たのかと、ニコラスは足早に執務室へ戻った。


 執務室の扉を開けると、彼女はいつも使っているソファに座っていた。

 しかし、いつも通り背筋を伸ばしてニコラスを待ってはいなかった。


 アルバートに扱き使われたニコラスを待ちくたびれてしまったのか、マルティナはソファの背もたれに、頭をしなだれかけるようにして眠っていた。


 ニコラスは思わず笑みを含む。

 眠っているマルティナに出くわすのは、久しぶりだった。


 彼女がニコラスに会いに来る時は、必ず頭の天辺から足のつま先まで気を張っているため、眠り込むような気のゆるみを見せることは滅多にない。


 ニコラスは、ソファの前に置かれたローテーブルに行儀悪く座り、眠りこける彼女を眺めた。


 そのあどけない面持ちに、数年前、はじめて居眠り中のマルティナを見付けた時のことを思い出す。


 普段、口やかましく攻撃してくる彼女が、ちょこんと大人しく座っていることに、すごく貴重な状態を発見した気になって、絶対に触れないようにしながら“観察”をした。


 あの頃にはもう、観察しているのか、愛でているのか、境界線は曖昧だったが、ニコラスはその頃を思い出して、昔のようにマルティナを観察してみる。


 完成されたような美貌を持ちながら、無防備に眠っているだけで昔の面影が強く表れてくるから興味深い。ほんの少し口が開いているのも昔と変わらなかった。


 それでも、かなり変わった部分もある。規則的な呼吸を繰り返す、スクエアネックに開いた胸元には、あの頃よりも豊かに育ってしまった二つのふくらみが、呼吸する度にゆるやかな上下運動を繰り返している。


 「…………」


 視線を上に戻すことにした。


 少しだけ開いた唇に、毒の色が塗られている。

 昔は、開いているのに毒を吐かないことが新鮮で、呼吸の触れ合う距離まで近づいた。口紅が本当に毒なわけないのに、やたら目を離せなかった記憶がある。


 それから紫紺色の口紅というものが気になって、コンラッドに用意するよう頼んだら、彼はかなり長く押し黙っていたけれど、結局なにも聞かずに承服していた。


 懐かしい思い出を重ねながら、マルティナの寝顔を眺めていたが、ふと目の下に隈のようなものが浮かんでいるのを発見してしまう。


 場所を移動し、彼女の隣りに座って、背もたれに乗りかかった顔を間近にする。

 やはり、うっすらと隈としかいいようがない鬱血が見て取れた。


 こんなところで居眠りしてしまったのは、それほど寝不足だったからなのか。


 もしかしたら、ニコラスが昨日言ったことのせいで、昨夜はよく眠れなかったのかもしれない。今日ここに来た理由も同じで、ニコラスがちゃんと無事でいることを確かめたくなったからなのか。


 ニコラスは、胸に迫るものを感じていた。


 ニコラスとマルティナは、今までろくに会話をしてこなかった。

 彼女が一人で毒を吐き、自滅していくのをニコラスはただ愛でてきただけである。


 だからニコラスが、危ないことに関わっているかもしれないと、ほんの少し揺さぶっただけで、彼女がこうも影響されてしまったのなら、いささか想定外のことだった。


 そんなことでは本当に、彼女は自分がいなければ生きていけないように思えてくる。

 ほんの些細なさじ加減で、彼女の命運がたやすく決してしまうように思えてくる。


 それが、ため息をはき出さずにはいられないほど、ニコラスの胸を熱くざわつかせた。


 そっと指先を伸ばし、マルティナの目元を撫でさする。


 だが、こうして体調にひびかせてしまうのは、あまり本意ではない。

 自分の言動一つで彼女に及ぼす影響を、もっとちゃんと注視していく必要があるだろう。


 マルティナから感情を引き出し、思い悩ませ、唇から毒をあふれさせることは、これから先も止められないだろうが、彼女の心に負担をかけ過ぎないよう、頃合いの距離感をはかり、管理することはできる。


 ニコラスは幸いにして“見る”ということを、かなりの得意としている。その対象がマルティナならば、何の苦もなく望ましい状態の維持に全力を注げられると断言できた。


 そうとなれば、さっそくマルティナが眠れなかった理由の払拭をしてやりたい。


 彼女が起きたら、それとなく問いただすつもりだが、推測通りニコラスが危険なことをしているせいで不安に駆られていたのなら、その時はどうするべきか。


 いずれは知られるだろうから、レイゼルト公爵領を攻略している理由を素直に話してみるか。


 いや、理由はどうであれ、いきなり闇市場を潰すつもりでいるなどと教えては、かえって心労を増やす可能性のほうが高い。


 それをするなら段階的にである必要があるだろし、そもそもニコラスがしていることに危険がないとは、どうあっても言い切れるものではなかった。


 だとしたら、詭弁を弄するよりも、今は不安の塗り替えをしてやる方がよほど建設的かもしれない。


 今日マルティナが登城したのは、ニコラスが何事もなく健在にしていると実感したかったからだとしたら、その望み通り実感させてやればいい。


 マルティナの触れられる場所に確かにいることを、ニコラス自身の体を使ってしっかりと教え込ませて、その心に不安が居座る余地をなくしてやればいい。


 不意に、物欲しそうにしていた昨日の彼女がニコラスの脳裏に蘇る。


 もし、今日もそんな顔をしてきたら、今度は焦らさないで存分に応えてやろうと思いながら、ニコラスは彼女が起きるのを待った。


 時折、髪を撫でたり掬ったりしながら、おだやかな覚醒も促していく。


 目を開けたら、ニコラスが目の前にいるという状態に、彼女はどういう反応を返してくれるのかも楽しみだった。


 淑女としてあるまじき居眠りと、うっすらと口を開けた寝顔まで丸々見られていたと知ったら、泣きそうな顔をして怒り出すに違いなかった。


 その場面を想像して小さく笑い出すニコラスとは裏腹に、執務室に流れる時間はずいぶんとおだやかに過ぎていく。


 やがて、マルティナは目を覚まし、彼女の視界にいつも映っている、たった一人の人をその目に捉えた。






思いついてみたので、投稿。


完結済みから、どうやって投稿すればいい分からなくて

てんぱってしまったよ(´・ω・`)


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