第二王子の毒見04
オーデール公の巨大迷路園は、それはそれは巨大だった。
金に飽かせて作った道楽の結晶だが、いつかは民衆へも開放をして入場料を取ってやる。そのための前哨戦だと、商魂たくましい老爺が作った黄金色の迷路だった。
オーデール公はニコラスを本当の孫のように迎え入れてくれたが、彼がマルティナをどう扱うかが気になり注視していれば、マルティナは日傘の中に隠れるようにして、ニコラスから出来うる限りの距離を取ろうとしているようで近づいても来ない。
いい加減、しびれが切れてくる。
もう問いただしてしまおうか。
彼女だって、いつもの自分とあまりにも違う行動をしている自覚はあるはずだ。
あれだけ憎まれ口を叩いてきたマルティナが言わないのだから、よほどの事があるのだろう。
付いてくる取り巻きを振り払うようにしてマルティナのもとへ向かうが、彼女はニコラスを視界に入れるなり、逃げるようにして迷路へと入っていった。
―――逃げた。
ニコラスは、一直線に彼女を追いかけた。
しかし、迷路の中に隠れた人間を見つけ出すのは容易ではなかった。
しかも無駄に広いので、迷路の地図を引くのにも時間がかかった。
地図を頭の中にいれてから一度外に出て、マルティナが戻っていないことを確認する。
再び潜ろうとしたニコラスを、オーデール公が見咎めに来たため、ニコラスはマルティナを探してくると正直に言った。
目を丸くする後見人に、迷路園にこれ以上人を入れないでくれと頼み、迷路へと戻る。
頭の中に地図が入っていても、迷路の中で動く人間を見付けるのはやはり難しい。
ようやく彼女を見付けた頃には、お開きの時間が迫っていた。
見付けたはいいが、ニコラスは逡巡する。
マルティナは自分を見た瞬間、また逃げるかもしれない。
先ほどの光景が脳裏に蘇って、ニコラスの中に黒い感情がわいてくる。
無理やり捕まえることはできる。だが、取り逃がして別の通路に逃げ込まれたら、またいちから探し直すはめになる。
迷子になっているくせに、彼女ならやりかねない気がした。
どうやって逃がさまいと考えながら、ニコラスはマルティナの後をつけはじめた。
ひとまず、彼女の行き先を先読みし、迷路の地形と照らし合わせて絶対に見付けられない距離を保ちながら、ここから一番近い休憩所にまで誘導する。
休憩所くらいに開けた場所なら、別の通路にも逃げ込めまい。
あとは強引に捕まえればいい。
けれど、気配はするのに誰も居ないという状況に、マルティナが怯えだした。
小走りになったせいで危うく取り逃がしかけるかと思ったが、彼女はすぐに休憩所までたどり着いた。
マルティナの背中を見ながら静かに近寄ると、彼女は何かを見ているように動かない。
休憩所の入り口付近までくれば、それに気付いた彼女が、びくりと肩を震わせ振り返るが、ニコラスの顔を認めると、目を疑うように瞬いた。
逃げないのなら捕まえようとさらに近づこうとしたが、休憩所にはもう一人、見知らぬ少女が居た。
その少女は、ニコラスもまだ顔も素性を知らない娘だった。
マルティナは少女とニコラスを交互に見やると、意を決したように―――逃げていった。
やはり逃げられた。そのことに苛立ちながら、ニコラスは彼女の後を追う。
「あ、あの。わたし足に怪我をしてしまって歩けないんです。助けてくれませんか?」
少女の前を通り過ぎようとした時、声をかけられた。
「――…貴女は?」
「はい。わたしはリリア・アウリアと申します。トレント領アデル子爵の養女です」
「そうですか。では、人を呼んできましょう」
「「え」」
少女の声と重なって、確かにマルティナの声が聞こえた。
「いえ、あの。ま、待ってください。そんなお手数はかけられません。手を貸してくだされば、歩けますから」
ニコラスは、マルティナが消えた先を見た。生け垣の隙間から若干、人影らしき姿が見えている。マルティナがそこにいる。
そんなところに隠れて何をしているのか。
まさか、自分から隠れるためかと、ニコラスにわいた黒い感情が腹の底にこびり付く。
いや、そんな意味のないことするより、迷路の中を逃げる方が賢い選択だ。
それなら彼女は何をしているのか。
考えようとして―――思いとどまった。
こんな野外の、しかも迷路の中で考えていても埒が明かない。
ニコラスは今だけ、腹にわだかまった感情を振り切るようにして、足を怪我したという少女に向き合った。
「ありがとうございます」
やけに元気よく答える少女の手を取って立たせ、少女の体を支えながら、休憩所を後にする。
少女は、やたら話しかけてきた。
ニコラスはその全てに生返事を返し、迷路の通路を突き進む。
途中でオーデール公の使用人たちに会った。
さすがに時間がかかりすぎていたニコラス達を回収しに来たのだろう。
彼らに少女を頼んでも良かったが、ニコラスは自分がマルティナを助けに行っても逃げられるだけだろうと思い、使用人達にマルティナの捜索を頼んだ。
少女を連れて迷路の外まで出る。出迎えたオーデール公に医師を呼んで貰い、少女は看護室まで運ばれた。
マルティナが救出されることを待っている間、オーデール公にどういうことかと問われた。ニコラスはどう説明したものかと考え、面倒くさかったのでアルバート兄上に聞いてくれと説明した。
他にも迷路について感想を求められたので、今度から休憩所にはじめから人を手配していた方が良いと適当に助言しておいた。
マルティナは無事救出されたが、ひどく疲弊していて、迎えに来た侍女に支えられるようにして馬車に乗り込んでいった。
ニコラスは、それを黙って見送った。
―――顔を合わせても口をきかない、逃げられる。
―――なら、どうすべきか。
ニコラスはそれを考えていて、少女の話を聞いていなかった。
「それで、本当にありがとうございました。ニコラス様はとても優しいお方ですね」
執務机の前に立つのは、迷路園で手を貸したリリア・アウリアという少女。
彼女は、その時のお礼をわざわざするために来訪していた。
それも正式に手続きを踏んだ謁見法で、目通りに来るものだからニコラスも無下にも出来なかった。
それからもリリア・アウリアは何事かを喋っていたが、全て耳を素通りした。
しばらくしてから執務室の扉が叩かれ、それにニコラスが応えれば、下官が王太子の来訪を告げてきた。
これ幸いとニコラスはリリア・アウリアにお帰り願うことにした。
彼女は名残惜しそうに退室していき、それからアルバートが慣れた様子で入室して来る。
王太子なのだから呼びつければいいのに、とニコラスは内心思うが、もしかしたら、自分が無視するせいかもしれないとニコラスは考えを改め直した。
「さっき、そこでリリア・アウリアを見たんだが、彼女、お前の所にも来ているのか?」
「どういうことです?」
「……彼女、お前に変なこと言ってなかったか? たとえば、お前と友達になりたいんだとか、貴方のことを知りたいんだとか、こちらを懐柔するようなこと」
「何ですかそれ。新手の異教徒ですか?」
「……いや、いい。彼女については、また追々話そう。それより、これを見てみろ」
差し出されたのは、手紙の束。
差出人は全てバラバラだが、宛名はすべてアルバートだった。
「…これは?」
「まあ、強いて言うならば、私への意見書だな」
「ご苦労様です」
ひくりと、アルバートの頬が引きつった。
「お前、私の名前を騙って手当たり次第に信書を出しただろ」
「信書?」
「とぼけるな。人見知りな弟のために、是非とも懇親会を開いて欲しいとか何とか書いて、方々に送りつけただろ。招待するのは構わないが、マルティナ嬢はどうしても同伴させなければならないのかって、問い合わせが殺到してるんだよ、私の所にっ」
「なるほど」
「王太子の名を騙ったばかりか、筆跡やサイン、果ては封蝋印まで偽造しただろ、お前。縛り首ものの重罪だぞっ」
「するんですか。縛り首」
「――っ」
二の句が継げなかったアルバートは、眉間に皺を寄せて睨み付ける。
ニコラスは全く悪びれない様子で、犯罪の肯定までしているのだから当然だった。
「……目的は何だ」
「そうですね。どうにもマルティナに避けられているようなので、強制的に会う方法を模索してまして」
「そんなもの、侯爵の屋敷に直接行けば済む話じゃないか」
「……あの家では、色々と不都合があるのです」
アルバートは、その言葉にすうっと目を細める。
「それじゃあ聞くが、お前が城の落葉苑まで遠乗りに出ているという報告を受けた。そこには貴人用の幽閉塔があるわけだが、いったいどういう了見で通っている?」
「…………」
「それで、何が目的なんだ」
アルバートが同じ言葉を重ねてくる。
答えないことは分かっていたのか、彼は続けた。
「私は、お前がどうしても彼女が欲しいというのなら、周囲が反対しようとも、彼女が嫌がろうとも、お前と娶せてやるのもやぶさかではないと思っている。たかだか貴族の娘一人でお前の能力が買えるなら安いからな」
「……つまり?」
「はやまってもらっては困る」
ニコラスは、ふっと笑った。
「大げさですね。ただ、ちょっと、誰にも邪魔されない場所でマルティナと話し合いがしたいだけです」
「幽閉塔でか」
「そうです。マルティナの豹変ぶりには必ず何かがあります。ただ、あの様子からして、簡単に口を割るとは思えない。なら、時間をかける必要があるでしょう。それもかなり長い時間をです。でも、そんなことが出来る場所は限られる。侯爵の屋敷なんて論外だし、城の私室や牢獄に入れるわけにもいかない」
「いやいやいや、極端すぎるだろ」
「全ての障害と想定される彼女の行動を潰していった結果、そういう結論に達しました」
そう。そういう結論に達した。
―――顔を合わせても口をきかない、逃げられる。
―――なら、どうすべきか。
それがニコラスの出した答えだった。
「……長い時間って、どのくらいの時間だ」
「そうですね、1週間ほど」
「は?」
「まず、頑なに閉ざすだろう彼女の心を折らなければいけません。そのためには幽閉されたのだと思い込ませる必要があります。それには3日以上いただかないと。それから本格的に話し合いをはじめて……それで口を割らせてみせます」
「心変わりしたとか、嫌いになったとか、そういう単純な理由だったらどうするんだ」
「…………」
マルティナ・オルブラントに限って心変わりなどありえない。
ニコラスは今でもそう思っている。
だから、必ず別の理由があって、あんな行動を取っているのだと考えている。
でも、もし、本当に、アルバートの言うとおりだとしたら、自分は―――
「……それは聞いてみないとわかりません。だからこそ、一週間ください。一週間あればさすがに……自分も諦めると思います。無体なことをするつもりはありません。だから、目こぼし願えませんか?」
本当のところは分からない。彼女を本当に諦められるか、どうか。
ニコラスは自分が自分の心に疎いことを知っている。
だから、そうなった時、どうなるかなんて、まだ分からない。
アルバートもそれを感じているのか、答えることを躊躇っているようだった。
「駄目なら、別の方法を考えます」
アルバートがさらに苦い顔をする。
これ以上に事態がねじれてしまうことを懸念しているのだろう。
「手紙は、何のために?」
「…ああ、夜会などに誘い出してから、彼女の侍女に手伝ってもらって別の場所に連れ出そうかと。さすがに屋敷から連れていくのは難しいですし」
「……人は、それを人攫いというんだ」
「彼女の実家には適当な理由をつけます。王宮の客室にでも泊まってることにすれば、第二王子と仲良くしていると思って快諾してくれますよ。あの人達は」
それでもアルバートの眉間の皺は取れなかった。
「駄目なら、別の方法を考えます」
「その脅迫を止めろ」
言ってアルバートは、かなり長い時間をかけて考え込み、頭をおさえ、金の前髪を掻き上げながらニコラスを見返した。
「あそこを使用するには国王の承認が必要になる」
「公式に使用したいとは言っていません。ただちょっと、あそこの衛士二名を言い含めてくだされば結構です。彼らの説得材料はこちらで用意します。ああ、あと塔の定期的な整備だと言って人の出入りを緩和してくれるとなお良いです」
「せんぶ折り込み済みか……お前、最初から私にばれるよう仕組んでいただろ」
「ご想像におまかせします」
ニコラスの言葉に、アルバートは肩をすくめた。
そして、ついに観念したという長いため息い吐きだす。
「一週間だけだな?」
「一週間だけです」
「何もしないんだな?」
「話し合いだけです」
「わかった。ただし、交換条件がある」