第三話
その日から、夜二十二時に杳子の携帯へ電話をするのが日課になった。
初日は何がなんだかわからないといった感じで声も小さく、俺の話に同調するだけだった杳子が少しずつ笑いを返してくれるようになったのはうれしかった。
フラれた直後、ゆっくり寝るなんて無理みたいなこと言ってた割に大体三十分くらい話していれば眠りについてしまうのには笑ってしまった。
杳子が寝たのを確認して、昔昼寝の時間に聞いた眠りの歌を小さな声で歌うのも日課になった。少しでもよく眠れるよう願いをこめて。
本人に聞かれたらかなり恥ずかしいけど、昔から杳子は寝つきがよくて一度寝るとなかなか起きないのを知っていたから。
髪を切ったという杳子。
肩より少し上まで切ってしまったのは、少しだけ残念な気持ちだった。
俺は杳子のきれいな長い髪が好きだったし、よく似合っていたんじゃないかと思う。
だけどもしかしたらそのボブカット? っていうのも似合うかもしれない。
順平への思いを断ち切るためにあの髪を切ったと思うとやるせない気持ちにすらなる。
なぜあいつは杳子をフッたのか? そろそろ真相を尋ねてみようか。ただし杳子にではない、順平にだ。
卒業後、順平には連絡を取らないようにしていた。杳子とうまくいっているだろうと勝手に決め付けてたから。
そう思っていた翌日。
杳子と学校の最寄り駅のS駅で待ち合わせをした。
杳子と順平の通う学校と俺の学校は同じ駅にあるのだ。これも偶然。
あの再会の雨の日、貸した俺の中学時代のジャージを返してもらう約束になっていたのだ。
その時、偶然にも順平と遭遇したのだ。しかも茶髪にフルメイクの女連れ。
その女は明らかに蔑むような目で俺を見ていた。順平みたいにいい男じゃないし、見てくれもこんなで悪かったな、と心の中で悪態をつく。
なぜ順平にフラれたのか。杳子は何も言わなかった。
だから俺も深くは追及しなかった。だけど今その理由が明確になった。
順平に新しい恋人ができたから。しかも別れてからたいして日数も経っていない。
杳子の他に好きな女ができて、そっちに乗り換えた。単純な理由。
鞄を持つ手に力が入る。
殴ってやりたい気持ちを必死に押さえて、順平に挨拶をした。あいつの表情があからさまに変化するのがわかった。どうやらガチで俺だと気づいていなかったらしい。
「茶髪、嫌いって言ってなかったっけ? メイクも」
巻き込んでしまった順平の新しい女には悪かったと思う。
だけどそんなゴミ屑を見るような目で見られたら、誰だって多少は嫌な気持ちになるだろう?
それをやり返しただけの俺はほんとガキだと思うけどね。
順平をひと睨みすると、一瞬だけ怯えたような表情を見せた。
覚えてろ。
その言葉をぐっと飲み込んで、改札に向かうと杳子が走って近づいてくるのがわかった。
唯一救われたのは、順平と他の女が一緒の姿を見ても杳子が辛そうな表情を見せなかったこと。
少し吹っ切れたのかもしれない。そう思えたらうれしかった。
少しでも俺が役になったのなら、それだけで満足だった。杳子はもう大丈夫だろう。
あと、俺ができることは――
**
三コール目で通話に切り替わる。
しばしの沈黙の後、沈んだような順平の声が聞こえてきた。鼻で笑いそうになるのを必死で堪える。
『……もしもし』
「ヨウ、今日はどうもな」
努めて明るく声をかけるけど、返答はなかった。
それを待つつもりはサラサラなかった。
「約束って破るためにあるのか? なぁ?」
『……あのさ、優輝』
「おまえの弁解なんか必要ねえ。質問に答えろ」
感情を抑えきれず、少しだけ声を荒らげてしまった。
しばらく沈黙が続いた後、順平のか細い声が聞こえてきた。
『悪かったよ……』
その台詞に再び怒りが湧き上がる。
「詫びる相手が違うだろう? 答えになってねえ」
『杳子には謝ったよ……悪いと思ってる。でもさ、あいつ……』
歯切れの悪い順平に苛立ちばかりが募ってゆく。
次の言葉を待つのがいやで、何となく思ったことを口にしてみた。
「ヤらせてくれないってか?」
そして、無反応。
否定も肯定もない。と、いうことは肯定の証だろう。
わかっていたけど順平の言葉を待った。だけど一向に返事はなかった。
「それ、ちゃんとあいつに言ったのかよ?」
『……言ってない』
「はあ?」
『少し触れるだけで身体硬くされて……そんなこと言えなかった』
小さな声でボソボソと聞き取りづらい。
だけど言いたいことはようやくわかった。
杳子にも非はないとは言えないだろう。男が好きな女に触れたいと思うのは当たり前のこと。その点は順平に同情する。
だけど好きなら時間をかけて少しずつそういう気持ちになるように仕向けるべきだろう。
結果的にヤらせないからフッたことには変わらない。手っ取り早くヤらせてくれる女に乗り換えたってことだ。
こいつと話していても埒が明かない。怒りがこみ上げるだけでどんどんフラストレーションが溜まってゆく。
だけどこれで許しても順平は杳子をフッたこと、そして俺との約束を破ったことを後悔なんかするはずがない。
俺はひとつの賭けに出ることにした。
「ったく、もういい。二度と杳子に関わるな」
『……えっ?』
「ったりめーだろ? 杳子のことは俺がなんとかする。おまえはあいつに声もかけるな。目も合わせるな。杳子を見るんじゃねえ」
再び順平が押し黙る。
さて、どういう態度に出てくるか。
『そんなこと言っても、同じクラスだし』
「そんなのどうだっていい。嘘ついてもわかるからな。おまえと目が合ったか毎日あいつに確認してやる。合ったって言ったら回数聞いてその数だけ殴ってやる」
声を潜めて緊迫感を出すと、再び順平の反応がなくなった。
これで順平が賭けに勝つか負けるか。
『優輝』
「あぁ?」
『おまえ、杳子のこと……』
「てめえに関係ねえ」
そのまま通話を切った。胸糞悪いとしか言いようがない気持ちになった。
杳子へ電話をかけるまでまだ三十分以上もある。
アプリゲームでもしていようと起動させると同時にスマホが震えた。
樹里からの着信。いつもならギャル語メールで済ませるのに、電話をかけてくるのは珍しい。
出ると少し慌てた様子が伝わってきた。いつもは比較的ゆっくりめの話し方なのに。
『お願いがあるんだけど、明日ヒマ?』
よっぽど切羽詰っているようだから、ヒマじゃないとは言えなかった。
実際これと言って予定もなかった。
『あのさ、彼氏のフリしてくれないかな? タイプじゃないヤツに言い寄られて困ってるんだ』
また面倒なことが転がり込んできた。
だけど断る理由もない。引き受ける理由もないが、私立の女子高に通ってて時々合コンする男友達しかいない。そんなことを頼めるやつがいないのは何となくわかる。
「一回だけだぞ」
『助かるーっ! 優輝ならそう言ってくれると思ってた。その見た目にたぶんすぐ引いてくれると思うんだー迫力あるしね』
褒められてるんだかけなされてるんだかよくわからないが、曖昧に返答しておいた。
明日の学校帰り、自宅最寄のT駅で待ち合わせの約束をして通話を切る。
それがその後とんでもない誤解を招く引き金になるとも知らずに――