3.思い出した約束事
帰宅した僕は、ベッドの枕に突っ伏して彼女のことを悶々と考える。やはり彼女は僕のことを知っている。『一年間気付かなかった』という彼女の言葉から推測するに、高校入学してからここ最近まで彼女は僕のことに全く気付かなかったということだろう。そしてここ最近で何かの拍子に僕が知り合いだということに気付いた。そうなると恐らく、かなり昔に出会っていたという可能性は高い。一年間彼女が気付かなかった上に、僕は全く彼女のことを覚えていないのだから。
「慎太! 御飯よー!」
すっきりしない気分の中、階下から母の無駄に大きい声が部屋に届く。重い体を何とか起こし、リビングへと向かった。
本日の我が家の晩御飯は、肉じゃがに味噌汁、白いご飯。付け合せはキュウリの漬物。これぞ日本の食卓という内容だった。
「何よ、ぼーっと突っ立って。ああ、あれね、恋煩い?」
ウキウキとした表情でご飯をよそる母に、僕は軽く溜息を吐く。母の性格は簡単に纏めれば『お花畑』の一言に尽きる。浅海さんにビンタを喰らわされて以来、ずっとこの調子なのだ。
「ふふふ、あんたも女の子にビンタされるような年になったのね~」
どんな年だ。
「あんたに女の子の影があるなんて、小学校の時以来よね!」
「え?」
ご飯大盛りの茶碗を手渡され、僕は思いもよらない母の言葉に首を傾げた。
今の状態が果たして『女の子の影』と言うにふさわしいかはともかく、過去にそんな影がちらついた覚えは一切ない。というか、母のその表現は微妙すぎる。
「覚えてないの? ほら、え~っと、愛子ちゃんっていたじゃない! ショートヘアで活発な感じの。あんたのことが大好きでいつも一緒に遊んでくれてたでしょ! 確か引っ越して行っちゃったのよね~。名字何だったかしら……?」
あいこ……? 僕は古い記憶を辿ってゆく。小学校の頃、相変わらず地味な僕は、友人と呼べる人物も少数で専らインドアで遊んでいた記憶しかない。
――慎太くん、わたしと結婚してくれる?
「ん?」
ふと、僕の頭の片隅から誰かの声が浮かんでくる。僕の一番のお気に入りの場所、あの桜の木の下の風景も一緒に。
――ぼく、髪の長い子が好き。
これは僕の台詞だ。
――じゃあ髪の毛伸ばしたら結婚してくれる?
この子は……ショートヘアの女の子。恐らく愛子ちゃんに違いない。
――いいよ。でもまだ結婚するには早いから『こーこーせい』になったらいいよ。
――わかった! わたし転校しちゃうんだけど、『こーこーせい』になったら慎太くんのところに戻ってくるから!
「……………」
「何、ぼーっとしてんの、慎太。早くご飯食べなさい!」
「あ、うん……」
すっかり頭の片隅に追いやられていた記憶が、たった今鮮明に思い出され、多少の混乱に陥る。確かに『愛子ちゃん』は存在した。僕の数少ない友人の一人だったのだ。何故か僕は彼女に気に入られ、よく遊びに連れて行かれていた記憶がある。無理矢理。
それにしても、思い出された彼女との会話のおかしさと言ったらない。僕は一体、高校生にどんなイメージを持っていたのだろうか。まあ大人というイメージがあっただけだとは思うのだが。高校生=大人=結婚できる、と言った図式だ。しかも僕ときたら彼女に失礼なことしか言っていない。それにも関わらず、『愛子ちゃん』は随分と大胆な告白をしてくれたものである。一体、僕のどこを気に入ってくれたのだろうか。
そこで僕は『愛子ちゃん』の顔が別の誰かと重なった。それは――
「あ、思い出した!」
突然、母が未だ手にしたしゃもじを振り上げたので、何事かと振り向くと、
「『浅海』だわ、『浅海愛子』ちゃん!」
思い出してスッキリしたというような大声で放たれた母の言葉に、僕はまさにビックリ仰天するのだった――