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1.衝撃の初体験

「私、ずっと前からあなたのことが……」

 彼女はそこで言葉を詰まらせる。華奢な体を震わせて、ピンク色の唇を強く引き紡ぐ。彼女の大きな瞳は涙で潤み、白い頬がほんのりとりんご色に染まっていた。

 不意に生暖かい風が吹き抜け、彼女の腰まで届く艶めいた黒髪がさやさやと揺れる。

 よくもまあ、そんなにまで髪を伸ばせるものだ――

 ふと、そんな感想が僕の頭を過ぎる。そしてひたすらじっと、彼女の言葉の続きが紡がれるのを待っていた。



尾上おがみくん』

 不意に名を呼ばれ、僕は振り向いた。呼ばれたら振り向く、それは当然のことだろう。だけど僕の名を呼んだ当の本人は、僕以上に驚いた顔をしてこちらを凝視した。

 まるで見覚えのない女の子だった。

 後輩か同級生か先輩か。中学の頃は成長期ということもあって、学年の見分けは結構しやすいのだが、高校だと一年の差は見た目ではなかなか判別が難しい。一年生と三年生の見分けならまだしも、残念ながら僕は高校二年生。上司と部下に挟まれた中間管理職のようなものである。まさに僕の父さながらの立場なのだ。だからなんだと言われればそれまでであるし、実際例えてみたものの、僕は部活には所属していないから、他学年の人間とはさしたる関係もないのだが。

 とにかく、夕暮れ時の廊下に哀愁を感じながらのんびりと歩いていた時に、彼女は現れた。制服は当然の如く、うちの学校の物だからここの生徒であることは間違いない。

『……何?』

 この時、僕は質問を間違ったと後悔した。『何』ではなく『誰』と問うべきであったと。彼女は僕の言葉に再び目を見開いて驚き、言葉にならない呻き声を上げた。

 ちなみに周りには誰もいない。時間は夕方の五時で、授業自体はとっくに終わっているから当然と言えば当然でもある。部活をしている教室もこの近くにはない。外からは何となく、運動部の掛け声的な物が聞こえてくるぐらいだ。

 気まずい間。

 しかしようやく、彼女は口を開いた。

『あの、ちょっと私について来てもらえませんか……?』

 僕は彼女の言うがままに従った。



 そして今、僕はまた気まずい間を味わうことになっているわけだ。その間に彼女を観察してみれば、とにかく髪が長いという印象だ。そこに関しては感心せざるを得ない。

 彼女は俯き、またも声にならない呻き声を上げる。

 今の状況を冷静に考えてみよう。ここは人気のない校舎裏。僕という男子生徒に何かを伝えようとする頬を染めた女子生徒。そして『私、ずっと前からあなたのことが……』という非常に意味深な言葉。

 僕は彼女を知らないが、彼女の方はどうも僕のことを知っている様子だ。現に名前を呼ばれている。今思えば、僕のことをくん付けしていたのだから後輩という選択肢は薄いかもしれない。だけどその後は敬語を使っていたから、その線がないとうこともないだろう。僕は探偵さながらに粗末な推理をしてみる。

「あのっ……」

 彼女は思い切ったかのように僕を見上げた。相変わらずその頬はりんご色をしており、幼い印象を植え付けさせる。

「私、あなたのことが……!」

 そう言って、僕に詰め寄ってくる彼女。僕との距離は僅か六十センチ。さっきは三メートルほど離れていたのだから、驚くほどの急接近である。

 僕はその勢いに呑まれて一歩後退しようとし、


「大っ嫌いなの!」


 その言葉と同時に頬に衝撃が走る。いや、精神的にも衝撃が走った。

 彼女の右手に叩かれ、僕は思いきりよろける。

 頭が真っ白になった。生まれて初めての体験である。見ず知らずの女の子から、大嫌いと罵られながらビンタを喰らうなんて。

 彼女に向き直り、茫然としながらヒリヒリと痛む頬に手を添えた。

 ぜえぜえと息を切らして未だ頬を染めている彼女に、僕は本当に嫌われているのだと実感する。頬が赤いのは、頭に血がのぼっているせいなのだろう。原因はまるでわからないが。

「……なんとか言ったら?」

 そこで僕が『なんとか』と答えたら、きっと彼女の怒りを余計に買うのだろうなと思った。

「何よ、その顔。言いたいことがあるなら言いなさいよ!」

 彼女はあからさまに不満気な表情で、食って掛かるように僕のシャツの襟を掴み取る。

「なんとか」

 咄嗟に出た言葉である。

「はあ?」

「いや、『なんとか言え』って言ったのは君でしょ?」

 僕の言葉に彼女は雲行きの怪しい表情へと変貌していく。

 これはきっと何を言っても無駄なパターンに違いない。僕はもう一度来るのではないかという彼女の右手に覚悟を決める。

 が、彼女は一枚上手だった。

「あんた、馬鹿!」

 今度は彼女の左手が僕の頬を引っ叩いたのだった。

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