05/06 餅突くうさぎ
「わあ!」
と若旦那は腰を抜かした。そして言われた方は、
「うわあ!」
とやっぱり声を上げたのだ。
「うさぎだ!」
若旦那は肝を潰した。夜分にいきなり押し掛けてきた客は、見るからにうさぎだったからだ。全身を真っ白な毛に覆われて、赤い目が爛々と、おまけに前歯がちょっぴり出ている。大人の男と同じくらいの身の丈で、堂々と二足で立っている。しかも、そのうさぎが言葉を話すものだから、若旦那は今にも卒倒しそうだった。
「うさぎで悪いか! いきなり無礼を言う、お前は誰だ。店主を出せ、店主を」
「い、いや、わたしが店主ですが」
「何ィ?」
うさぎは、ずいと店主に顔を寄せ、顔をまじまじと覗き込む。店主は後ずさった。
「ううむ、似てはいるが、違うではないか。お前は孫六という名か?」
「孫六は祖父の名前で。わたしは孫八」
「何という事かッ」
うさぎは大きく仰け反った。長い耳が孫八の鼻先を掠めていった。
「孫六は死んでしまったのか?」
「とっくの昔に」
ううむ、とうさぎは唸る。あごを丸い指でスリスリなぜて、長いひげをヒクヒクさせる。そして前歯をにゅっと剥き出してニヤついた。
「孫六の孫が孫八なら、息子は孫七……」
「承左右衛門です」
「統一感の無い家系だな」
無念、と耳をしおれさせるうさぎに、孫八は尋ねた。
「うさぎさんが、一体何のご用でしょうか?」
それよ、とうさぎは孫八を指差した。かぎ爪はあらぬ方向を指している。
「餅米を貰いに来たのだ」
「餅米?」
米問屋であるところの孫八の店には、確かに餅米も置いてある。しかし餅米とうさぎがすぐに結びつかなかった。どっちかと言うと、藁の方かと思っていたくらいだ。
「餅米なんかどうするんです?」
「そりゃお前、突いて食うのよ」
「そんな、月のうさぎじゃあるまいし」
「正に然り。朕こそ月のうさぎさんなのだな」
孫八は束の間呆けた。ちょっと何を言っているのか解らない。
ハハァン、と孫八は閃いた。こいつはきっと、たぬきかきつねに違い無い。わたしを化かそうというのだな、と。
「お前、今、朕をたぬきかきつねに違い無い、と思っただろう」
「ぎくゥ!!」
孫八は嘘の吐けない男だった。よろしい、とうさぎは手を叩く。
「ならば月を見てみるが良いぞ」
孫八は言われるがまま、軒下からちょいと顔を出して、お月さんを見上げた。
今晩は満月だった。それもいつになく大きく、眩しい。しかし孫八は違和感を感じた。満月であればはっきりと見えるはずの、お月さんの模様が、殆ど見当たらなかったのだ。
「うさぎさんが、居ない」
「それはそうだ。ここに居るのだから」
「ははぁ!」
孫六は感心し、感動した。何かしらの動物に化かされているのだとして、お月さんの模様を消すなんていう大仕掛けは出来そうにない。だとすれば、ここにおわすは、本物のお月さんのうさぎさんだ。
「いや、たまげました」
「うむ。孫六もそう言っていたな」
「という事は、毎晩お月さんで突くお餅を、買い付けにおいでなさったと」
「いやいや、いつもは空打ちだ。今晩は特別近くに来たものだからな、祝いに本物の餅を食そうと」
なるほど、と孫八は相槌を打った。
「それでは、如何程に?」
「この店にある全部くれ」
「全部!」
孫八は、ひゃあ、と魂消た。しかしお月さんのうさぎさんとなると、気っぷが良いのだな、とまたも感心した。
「ではすぐにお代の計算をさせて頂きます」
と気分良くそろばんを取ったところで、待て、とうさぎが止めた。
「金なぞ無いぞ。ある訳が無いぞ」
「ええっ。しかしお代は頂きませんと……」
「お前、月のうさぎさんから金を取ろうと言うのか」
「いえ、しかしうちにも商売が……」
「融通の利かん男だなあ。その点、孫六は良い男だったな。ああ、しかし、困った。月に残した妻と子が、突きたての餅を心待ちにしているというのに。ああ、困った」
うさぎは耳で涙を拭き拭き、切実と嘆く。孫八はぐぬぬと呻いた。月のうさぎさんに不親切を働いたとあっては、末代までの名折れだ。ええい、仕方無い、と漸く決意した。
「もうわっかりました、承知致しました。全て持って行って下さいまし!」
「おお、本当か。いやはや、流石は孫六の孫。孫七の息子だ」
「承左右衛門です」
こうして、孫八は奉公の小僧達を叩き起こし、蔵からありったけの餅米を運び出させた。
さて、どうやって持ち帰るのだろうと見守っていると、うさぎが月に手招きをした。すると、月から一筋の光が米俵へ降り注ぎ、その中をふわふわと飛んでいった。
「うむ、ひいきの店というのは作るものだな。では孫八よ、また孫かひ孫の代に世話になろう」
「また来るんですか……」
損失額と家内への言い訳を考えていた孫八は、げんなりと叩きのめされた気分だった。
「達者でな」
と言い残し、うさぎは手を振り、俵に続いてお月さんへと消えていった。
翌晩の月は少し陰っていたが、いつもの様に、うさぎが餅を突いていた。
孫八は白い目で見る家内をなんとか説得して、普通の米を丸め、月見団子に見立てた握り飯を縁側で食べた。何となく笑みをこぼし、気分良く床に着いた頃、また戸口をどんどん叩く者があった。
「おい、孫八。炊こうと思ったが、水が無かった。水をくれ。あと薪と釜と……」
一日一話・第六日。
昨晩の月は見られたでしょうか。幸いにして、我が家近辺は快晴で、はっきりくっきりと見られました。大きく眩しかったです。あら、素敵。