第一章 会遇 Ⅰ
ここから先は時系列的には本編の半年ほど前になります。
レオとイーダ。この二人の出会いの物語になります。
この話は前編・中篇・後編でお送りいたします。
「イーダ殿下、どうかなされましたか?」
そう主に声を掛けたのは、ブラウンの髪をした、少女だった。侍女らしい服を身に纏っている彼女の、可愛らしい薄茶色の瞳の光は、心配そうに揺れていた。
「いいえ、なんでもないわ、エルネア。少し疲れただけよ。ないけれど……」
侍女――エルネアの問いに、答えたのは、少女の主であるイーダという少女であった。同じ少女、という枠にあっても、”純朴そうないい子”という印象のエルネアよりは大人びて見えるイーダは、気品と少しだけ勝気さが滲んだ目元が特徴的な少女だった。そして、身に纏っている幾分煌びやかな衣装も、なんら問題なく彼女の美しさを飾り立てていた。
だが、そんなイーダの、最も目を引くのは、その腰まで伸びた銀髪だった。”月明かりのような”とハルガリアの上層社会で羨望を惹くその銀髪は、今は亡き、母譲りのもので、イーダ自身の自慢でもあった。
「ハルガリアが懐かしくなったのでは?」
エルネアがそう問いかけると、イーダは口元を綻ばせて苦笑した。
「まさかたったの三日で故郷を懐かしく思ったりしないでしょう?」
イーダの言葉に、エルネアはあわてて謝った。
「それもそうですね……すいません、早とちりしちゃいました。確かに馬車は揺れますし疲れ……」
「ぐぁっ!」
エルネアの言葉を遮るように、突如として悲鳴が響いた。続いて、突然、馬車が止まった。そして、あちらこちらで悲鳴と怒号、そして金属がぶつかり合う音が連鎖するように広がっていった。
「どうしたのです?」
イーダが止まった際の衝撃に耐えてから、馬車の中から外へ向かってイーダが問い抱えると、一人の男が馬車の幕を捲った。イーダの護衛の騎士の一人であった。
「殿下っ! お逃げ下さい。ここは持ちませぬ」
その声には焦りがあり、その背には大きな矢が突き刺さっていた。
イーダは、その言葉を耳にすると同時に騎士が捲った幕の先に、黒ずくめの男たちと、護衛の騎士たちが戦っているのが見えた。それで、イーダは何が起こっているのか、全て理解した。
「逃げるわよ、エルネア」
そう云って、イーダは侍女の手を引き、外へ飛び出そうとした。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「レオ殿下、お待ち下さい」
数人の男たちに呼び止められて、レオは馬を走らすのを止め、振り向いた。
「なんだ、だらしないな」
「そうは云われても、我々は殿下ほど上手く馬を操れません」
ようやく追い着いてから、男たちは口々にそう云った。
「だが、今中に南部を抜けなければ、ハルガリア王女イーダより先に王都に帰れないではないか。いや、既に我らよりもイーダ王女が先を行っている可能性すらあるぞ」
「それはそうですが……」
男たちの同意の声に、レオは勢いよく続けた。
「イーダ王女がルブレシアの玉座を継承する可能性はそう高くないにせよ、万が一には我がリヴォニアの隣国の女王となる人物だ。礼を欠くわけにはいくまい。なんとしても王都で出迎えるぞ」
「……了解です」
「さぁ、がんばれ! 今日中に次の街に着かなくては」
仕方なく頷いた男たちに、レオが笑って励ますように云った、その時である。
「もし、そこの騎士さま」
突然、声を掛けられると、男たちに僅かながら緊張が走った。男たちはレオを庇うように、声を発した人物の前にレオへの道を塞ぐような体勢を整えた。女性の声ではあったが、その女性はマントのフードを深く被っていたのである。若干の怪しさを感じざるを得なかった。
だが、外套の女性が跪くと、男たちは幾分か警戒を弱めた。それはレオも同様で、優しく跪く女性に声を掛けた。
「俺に話しかけているのか?」
云いながら、レオはフードの中の顔を、馬上から観察した。見た限りでは、相当、目鼻の整った女性のようで、しかも、まだ若く、自身と同年ぐらいにも見えた。そして、フードの中で髪をかきあげているようではあったが、耳の辺りに僅かに銀色の毛髪を見ることができた。
「はい、騎士さま」
「なんでしょうか、お嬢さん」
怪しみながらも、レオは優しい声でマントの女性――というよりも少女に、レオは問った。
「私は、ハルガリア王女、イーダ殿下に仕える侍女でございます、騎士さま」
「イーダ王女の?」
レオは少女の言葉に驚きと疑念が混じった表情を作った。レオの手前、男たちは黙って少女の話を聞いていたが、レオと同じような表情を浮かべ、互いに顔を見合わせている。
「はい、それで騎士さま、お願いです、どうかイーダ王女を助けて下さい」
だが、そんなレオたちに少女は必死になってそう続けた。その声には切実な感情が込められていて、演技には思えなかった。
「どういうことだ?」
結局、レオは話だけは聞くことにしたのである。
少女は自身のことをエルネアと紹介し、自身たちがルブレシアの王都へ向かう途中で何者かに襲撃を受けたこと、そして王女と離れ離れになってしまったことを告げた。
「……わかった。直ぐに駆けつけよう」
それを聞いて、レオはすぐさまそう云った。だが、茶色い髪をしたリヴォニア人の一人が、それに対して少々懐疑的に尋ねた。
「よろしいのですか、殿下」
「罠だというなら森かどこかに誘い込むだろう。この道の先で王女と離れ離れになったというなら、どっちにせよ王都への通り道ではないか」
「……ですが、その前に一つよろしいでしょうか」
「なんだユルギス?」
尚も、そのリヴォニア人――ユルギスはレオに食い下がった。
「そこなお嬢さん、なぜ殿下の前でフードを被っている? 非礼ではないのか? それともフードを取ると不都合なことでもあるのか」
ユルギスの問いは確かに最もであるので、レオも少女の方に視線をやって、フードを取るように促した。しかし、少女が俯きながら、おどろおどろしく、
「私は、アダ教徒ですので……」
と云うのを聞いて、ユルギスは謝罪した。
「む……それはすまなかった。それならフードを取ることはない」
「ありがとうございます、騎士さま」
アダ教徒は厳しい戒律を持つ少数宗教で、他者に極力顔を見せてはならないという戒律があった。
「……ああ、一つ云っておくが、俺たちは騎士ではない。リヴォニア人だ。俺たちもキリシア教徒ではない」
その言葉は少女がキリシア教徒ではないということにレオが親近感を覚えたからだった。
「えっ?」
リヴォニア人、という単語にエルネアと名乗った少女は驚いたようであった。
「こちらに居られるのは、リヴォニア大公国の王子、レオ殿下だ」
「そ、それは失礼しました」
驚き、深々と頭を下げる少女に、レオは苦笑しながら、自身の馬の後ろを示すように叩いた。
「さぁ、後ろに乗れ、エルネア」
一国王子が気安く人を同じ馬に乗せる、という事実に驚いている少女に向かって、レオがからかうように云った。
「なんだ? 異教の王子が怖いのか?」
「いいえ、殿下。私もキリシア教徒ではありません」
少女は、レオの問いにきっぱりと、そう答え、驚きを捨てて、レオの後ろに跨った。
「ああ……なら、しっかり捕まっているがいい」
少女は少し戸惑ってから、レオの言葉どおり、レオの背にぎゅっと腕を回した。だが、そこには薄い、だが、はっきりと固い鎧のようなものがあり、少女は自身の心配が杞憂であったことに気付き、少しだけ赤面する想いだった。
レオ以下、リヴォニア人たちと少女は、少女が現れた方へと馬を疾駆させた。
ホーネットです。