第四章 玉座の選定Ⅷ
ブリュンヒルトがルブリンを空けていたその頃、ルブリンでは市民たちの間である議論が交わされていた。
数日前、ルブレシアとリヴォニアの同盟が正式に締結されたとき、彼らはこれを歓呼で迎えた。フルワを聖剣騎士団から奪還したとは言え、聖剣騎士団との断続的な戦い、それも兵力に劣る戦いを強いられていたルブレシアは、同じく聖剣騎士団との戦争を繰り返すリヴォニアとの同盟は悲願と云ってよかった。ジグスムント王はハルガリアと同盟していたが、実質は属国のような扱いを受けていたのだ。
ルブレシアは長い間、その悲願である同盟を、キリシア教会に対する配慮から控えていたが、ブリュンヒルトの支持によって、ついにこれを成し遂げたのである。
ルブリン市民はリヴォニア軍の陣営に酒を持ち込み、共に酒宴を開いた。ルブリンは一晩中灯りが消えることはなかった。
ところが、その数日後に広まった噂は、両者の絆に僅かにほころびを与えたように思えた。ルブレシア人たちの間で急速に伝播した噂に拠る物であった。
「イーダ殿下とレオ殿下が結婚なさるそうだ!」
それが、ルブリンを二つに割る噂であった。
「レオ殿下は聡明な方で、このルブレシアを良く収める名君となるに違いない」
「リヴォニアとの絆が強固になれば、あの聖剣騎士団どもも用意に手出しを出来まい」
これらは、この噂に対して好意的な人々の意見である。
「リヴォニアはルブレシアに比べると強国だ。ルブレシアはリヴォニアの属国になってしまうのではないか?」
「結局のところ、この結婚はルブレシアが帝国とハルガリアという二大国、そして聖剣騎士団、リヴォニアという軍事国家に囲まれた他国の草刈場でしかないということの象徴だろう」
一方の反対派の意見はこのようなものである。比率からすれば、ルブリンでは前者が七、後者が三と云ったところである。さらに三日後、この噂がルブレシア南部に伝播した際には前者が六、後者が四と云った比率であった。少数派であるものの、反対派の国民の人数そのものは集団として強大であり、容易に無視しえる数ではなかった。
だが、このような噂に困惑したのは、ルブレシアの民だけではなかった。レオにとっても、イーダにとっても、まさしくこの噂は寝耳に水であった。
レオは初め、このような噂を
「何やら妙な噂が広まっているようだ」
と一蹴していたが、先のルブレシアとリヴォニアとの同盟成立と、レオとイーダが明らかに互いに好意を寄せている様子から、この噂の繁殖力と生命力はレオの想像を絶していた。レオは、噂が耳に入った翌日には、その出所を調査しなくてはならなくなったのである。
ところが、レオがユルギスに調査したところどうもこの噂が真実であることが判明したのである。レオは自分に近しい貴族である議長とアンジェイを呼び寄せてどういうことかを尋ねた。
「一体何がどうなっているんだ。話に聞くと、二人がかなり主導的な立場でこの結婚の話を進めたそうだが。いずれにしても時期早尚だったのではないか? ようやく締結されたリヴォニアとルブレシアとの同盟に綻びができたではないか」
責めるような口調でそうレオは云うが、リヴォニアとルブレシアの関係よりも、自身の個人的なことに深く切り込まれたことを不快に思っているのは、アンジェイも議長にも感じた。
「お言葉ですが、殿下。私はまだあなたの正式な臣下ではないから言わせて頂きます」
暗に、ルブレシア貴族である自身がいずれリヴォニア王子のレオの臣下となることを匂わせつつ、アンジェイが毅然と次のように述べた。
「私とあなたの間には、あなたがルブリンに来てから私がルブリンを離れるまでの決して短くない時間の友誼がありました」
「そうだ。お前と俺は友だ」
「ならば友の幸せを願うのは当然でしょう。あなたは例えば……ユルギスの幸せを願わないのですか?」
アンジェイに反論を封じられたレオは矛先を議長の方へと変えた。
「……議長は?」
「私がこのご結婚に賛同した理由は二つあります。一つは聖女ブリュンヒルト様の意向であること」
「そのようだな」
アンジェイや議長が、今回の件について積極的に賛同したことは間違いないが、レオが知りえた情報では、そもそも話を持ちかけたのはブリュンヒルトということになっていた。
「そして、二つ目はこのルブレシアの為を思ってのことでございます」
「既にこの結婚の話でルブレシアの世論は二つに割れ、昨日までは同盟を祝っていた民が今日ではリヴォニア人に疑惑の目を向けているではないか」
議長の言葉にレオがそう指摘すると、議長は逃げるように答えた。
「その辺りは、ブリュンヒルト様に考えがあるようです」
「そのブリュンヒルトがどこにいるか、二人は知っているのか? どうやら大聖堂を空けているようだが」
レオが尋ねると、議長ではなく、アンジェイが答えた。
「そろそろゼリグ王との会見が終わり、このルブリンに朗報を持ち帰る頃だと思われます」
「そこまで話が進んでいるのか!」
レオは冷静沈着な彼には珍しく、非常に驚いた。
「ユルギス殿が仲介なさったそうです」
「あいつめ……」
今は郊外のリヴォニアの野営地にいるユルギスの顔を浮かべながらそう呟いたレオの顔は、友の気遣いに綻んでいた。
「とにかく事態は了解した。取り敢えず、ブリュンヒルトが帰って来て、父上との交渉がどうなったかを聞いてから今後どうするか決めることにしよう」
これからいよいよ第一部は最後の盛り上がりが……くるはず!