第四章 玉座の選定Ⅶ
ルブレシアにおいて、レオとイーダの婚姻の話が纏まった翌日には、ブリュンヒルトはユルギスの配下の者の案内を受けながら、一路、リヴォニアとルブレシアの国境の都市、フロドを目指した。
レオほどではないにしろ、案内したリヴォニア人が驚くくらいには馬を巧みに操り、約四日の道程となった。
ブリュンヒルトが、リヴォニアのゼリグ王と謁見したのは、フロドに到着した翌日のことだった。
「この度は謁見を許可していただき、誠にありがとうございます、陛下」
深々と一礼したブリュンヒルトに、リヴォニア人たちの視線が突き刺さる。初めは、彼らの多くは美しい、キリシア教の聖女であるブリュンヒルトに好奇の視線を向けていた。だが、直に、彼女の持つ不思議な神々しさに気付くと、自分たちが見ているのはキリシア大陸で最も敬われている人物だということを思い出し、最大の礼儀で迎えようと姿勢を正した。
「膝を突くことはないぞ、聖女殿。私は貴女に膝をつくことはできぬ立場だが、それは本来、貴女にも同じことが言えるのだからな」
ゼリグが対等の知人に話しかけるような気軽さで言うと、ブリュンヒルトはうっすらと笑った。
「どうなされた?」
「いえ、私が以前、レオ殿下に同じようなことを申したことがあったので」
ルブリンでの大学で、初めてレオに出会ったときのことである。
「あれは私には持ったいない子だ」
ゼリグが父親の優しい顔をして云うと、まさか肯定するわけにも行かず、ブリュンヒルトはどう答えればよいか、困惑した。だが、その事に気付いたゼリグが話を戻したので救われることとなった。
「それで本日の謁見の理由についてお聞きしようか」
「……ここから先は二人でお話したいのですが……」
「かまわんよ」
ブリュンヒルトの申し出を、ゼリグはあっさりと認めた。歴史の長いキリシア諸国とは違い、騎馬民族から国が誕生したリヴォニアでは宮廷の規則というのがほとんど存在しないのだ。
部屋から人が去ったのを、視覚と気配とで感じ取ってから、ブリュンヒルトは再び口を開いた。
「はい、陛下。それは陛下のご子息であるレオ殿下とルブレシアの次期女王、イーダのご結婚を認めて頂きたく参りました」
「ほう……我らとしては反対する理由がないが?」
ゼリグはユルギスから今日ブリュンヒルトが訪れる理由を知っていたが、敢えて関心を示すように大仰に驚いたような表情をした。
「ルブレシアを労せずにリヴォニアの勢力圏に置けるというのだから」
「……ルブレシア側の条件は、レオがルブレシアの共同統治者になる以上は、イーダをリヴォニアの共同統治者にすることです」
ブリュンヒルトの言葉に、ゼリグは少しの間考え込んだが、やがて頷いた。彼には、自分の息子が異国人に実権を奪われるような未来を思い浮かべることはできなかったのである。
「ふむ……。まぁ、問題なかろう」
それについてはそのような言葉で同意したゼリグは、今度は自分の方から切り出した。
「それで、だ。二点お聞きしたいことがある」
「なんでしょうか?」
「ルブレシアの貴族たちは貴女が説得したのだろう。それはまだわかる」
「だが、ルブレシアの民にはなんと説明する。先の第四回聖十字軍の折、俺はルブレシアの南部に侵攻した。彼らが果たして納得するかな?」
ブリュンヒルトは、その問いに平然と答えて見せた。
「お答えいたします、陛下。まず第一に、ルブレシア南部の民は昔から反リヴォニアであったわけではありません。少しのきっかけがあればリヴォニアとの連合に同意を示すでしょう。第二に、そもそもリヴォニア軍は軍規がよく守られていたが故に、実のところ、南部の中層階級以下の者の多くは反リヴォニアというほどの感情を抱いておりません。あの戦いで財を失った貴族たちが反リヴォニアだったのです。そして、その貴族たちの大部分は、先の内乱でブジャル侯に味方し、ほぼ壊滅状態にあります」
「なるほどな……」
目の前の聖女が、世辞で言っているわけではないことは、その整然とした様子から明らかであった。また、暗にリヴォニア軍を褒められて、豪快な王者であるゼリグは悪い気はしなかった。
「加えて、私の見立てでは、まもなく両国の絆を磐石とする出来事が起こるはずです」
「ほう」
「詳しくは申し上げることはできませんが、その時が来るまで、陛下にはこのフロドに滞在して頂きたいのです。そして、その時が来たら決して選択を誤りにならないようにお願いしたいのです」
「ふむ……」
なんの根拠も示されていないその言葉を、ゼリグは既に信じる気になっていた。
「そして……」
そこでもったいぶったように、ブリュンヒルトは言葉を区切った。ゼリグは、自分がこの小娘にしか見えない異教の聖女の次の言葉を引き込まれるように待っていることに気がついていた。だが、その衝動は押しとどめがたいことにも、また気がついていた。
「そして、私は次のことを予言しましょう。リヴォニア王家の血を引く者が、この大陸の東半を治めることになる、と」
それを聞いて明らかにゼリグの顔色が変わった。ゼリグは声を低くしてブリュンヒルトに尋ねた。それには、嘘偽りは許さない響きと威圧があった。
「……かつて、ブリュンヒルト殿はハルガリア王をキリシア教に改宗を説得する際に、『キリシア教徒となった王の血を引く者が大陸の東半を治めるであろう』と予言したそうだが、これは事実かな」
これは、今のハルガリア王であるヤノーシェが帝国に宣戦布告した根拠の一つに挙げている伝聞である。そして、これについて、ブリュンヒルトは今まで公の場で肯定したことも否定したこともなかった。
「はい、確かにそう申し上げたことがあります」
ゆっくりとした口調で、ブリュンヒルトは重大な事実を認めた。
「その予言と今あなたが行った予言は矛盾しないのだな」
ゼリグがさらに問うと、ブリュンヒルトはゼリブの瞳をしっかりと見据えながら答えた。
「矛盾する予言をしたつもりはありません」
線の細い美女のブリュンヒルトは、アメルハウザーよりは小柄なものの、並大抵の巨躯ではないゼリグの、眼力を真正面から受けながら答えた。
ゼリグは、その瞳の奥に、真実を見出した。
「……わかった。レオとイーダ殿下の結婚を俺は承認した」
「ありがとうございます、陛下」
ブリュンヒルトは一礼した。そして二人はより具体的な議論に移っていった。
玉座の選定はまもなく終わりです。
いよいよ、第一部の佳境に入ってきます。
二部、三部と一応構想はあるのですが……