第四章 玉座の選定 Ⅱ
アンジェイは諸侯に呼び出された翌日、ルブリン郊外にあるリヴォニア軍の陣地を訪れた。レオの腹心であるユルギスに会う為である。
陣地の入り口に立つ哨戒兵に、僅かに逡巡しながらもルブレシア語で名乗ると、以外にも明快なルブレシア語で返答があった。これは、レオの考えに、極力ルブレシア語が話せる兵士をリヴォニア軍の顔の方へと持ってこようというというものがあるからであった。
「ユルギス殿はどこにおられる?」
「ユルギス様は奥の最も大きな陣幕に居られます。どうぞお通り下さい」
アンジェイの問いに、リヴォニア兵は姿勢を但し、真っ直ぐに陣地の奥を示した。そこには、他の陣幕よりも二回りは大きい陣幕があった。
リヴォニア人たちの空間に踏み込んだ途端、アンジェイは馬の獣臭さを感じ取った。しかし、それは不快というほどのものではなく、むしろ広大な草原を感じさせるどこか心地良いものだった。
「手入れの差か……?」
ルブレシアの馬舎はかなり臭う。陣地で千単位で馬が集まっているときなどなおさらだ。一方で、騎馬民族系の国家であるリヴォニア人たちは五千もの馬をここで世話しているにも係わらず、そのような悪臭を放っていないのである。
些細なことから、ルブレシアとリヴォニアの騎馬を扱う術の力量の差を実感していると、アンジェイはユルギスの居るという陣幕までたどり着いていた。
「ルブレシアのシレジア子爵アンジェイです」
陣幕の前の衛兵にそう告げると同時に、中からどたばたと音がした。そして、ユルギスが驚いた顔をしながら陣幕から顔を覗かせた。
「これは……子爵閣下。ようこそおいでになりました」
「ああ、ユルギス殿。今日は卿に用があってね」
「閣下が私に……ですか?」
ユルギスが不思議そうな顔をした。レオとアンジェイは一応、以前から何度か面識があるし、最近も何度か軍事に関することで協議を持っている。だが、レオの部下である自分とアンジェイとの間にはそのような仕事上の直接の関係も無く、また、個人的な付き合いもなかった。
「卿は諸侯がイーダ殿下と有力貴族を婚姻させようとしていることをご存知か?」
従って、アンジェイからいきなりこのような話をされたとき、ユルギスは一瞬、呆気に取られた。だが、直に思考を巡らせてルブレシアの大貴族たちがどういう思惑なのか理解した。
「初耳ですが……なるほど。確かにありえる話ですね」
ユルギスの言葉を聞いてアンジェイはユルギスの肩を軽く叩いて言った。
「まぁ、レオ殿下に伝えておいてくれ。俺から言えることはそれだけだ」
「……なんでこの話をレオ殿下に直接話さず、私に?」
ユルギスが尋ねると、アンジェイは薄い唇を苦笑の形にしながら答えた。
「事は一見、酷く政治的な話だがな、レオ殿下にとっては政治的なだけではなくて色恋の一大事だろう? そしてレオ殿下は政治に関しては俺よりも余程よく心得ておられる。なら、必要なのは政治家や軍人からの助言ではなく、親友からの助言だろう?」
そして、ユルギスの肩から、意外にも無骨とは程遠い、美麗な細い手を離して背を向けた。
「閣下、ありがとうございました」
ユルギスの礼の言葉に、アンジェイは振り返らず、そのまま手を振った。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
アンジェイがリヴォニアの陣を去った後、ユルギスはどうしてもその日の内に行わなければならない仕事のみを迅速に終え、その他の仕事を投げ出して、ルブリンへと戻った。日は既に沈みかけていた。
「殿下、失礼します」
「ああ」
ユルギスがレオの部屋に入ったとき、レオは丁度、暖炉の火を使って、燭台の蝋燭に灯りをつけるところだった。
「そうだ、ユルギス。これを見てくれ」
レオは手に持っていた薪を暖炉に放り投げて戻すと、灯りの燈った机から、羊皮紙を何枚か手に取り、ユルギスに渡した。
「こっちがルブレシアとリヴォニアとの同盟の文書で、こっちがハルガリアとのルブレシアへの軍の駐留を互いにしないという協定書だ。文面はこれでいいだろうか?」
渡された羊皮紙の文面を目で追いながら、ユルギスは目を見張った。それらの書類にはハルガリアのルブレシアに対する干渉を禁止する、という条項が事細かに記されていた。
「随分と強気にでましたね。特にハルガリア、に対して」
「ルブレシアにもハルガリアにも十分過ぎるほど恩は売ったはずだ。特に帝国との戦争に忙しいハルガリア王の代わりに俺はイラノフを斃してやったんだぞ?」
ユルギスの言葉に、レオはそう言った。とはいえ実際は、それだけではなく、未だに帝国との戦いをハルガリアが継続しているが故の強気な交渉でもあった。
「って、そうだ。ユルギス、お前、今日は陣地で一日を過ごす予定だったのではないのか?」
思い出したようにレオが言うと、ユルギスは一息ついてから、レオにアンジェイから聞いた情報を伝えた。
「ルブレシアの諸侯が、イーダ殿下と有力貴族を結婚させようとしているようです」
「……」
ユルギスの言葉に、レオは押し黙った。ユルギスは初め、それが驚きによるものか、あるいは動揺によるものかと思った。だが、レオの表情は、ユルギスの知るそれらの顔ではなかった。
「……殿下?」
どこか重たい空気を感じながら、ユルギスはレオに呼びかけた。
「……知っている」
レオは暖炉の火に視線を逃しながら静かに云った。
「知っておられたのですか……」
ユルギスの言葉にレオは曖昧に頷いた。ユルギスは自分にその事が知らされていなかったことに衝撃を受けながら問いかけた。
「それで、殿下はどうなさるのですか?」
「どうなさるもないだろう。俺がルブレシアのことにこれ以上干渉することはできんよ」
「殿下が……殿下がイーダ王女と結婚なされば良いではありませんか。それでリヴォニアはルブレシアに大きな影響力を持つことができます」
ひらりはらりと言葉を避そうとするレオに、ユルギスははっきりとそう云ってのけた。普段、ユルギスはそこまで踏み込んだ意見をレオに言わない。だが、この時はアンジェイの『親友』がユルギスを踏み込ませた。
「あのな、ユルギス。俺は異教徒だぞ? お前や俺が利害を持ってルブレシア諸侯を説得できたとしよう。だが、ルブレシアの民を説得できるのか?」
だが、レオの返事はあくまで政治家としてのものであり、一国の王子としてのものであり、ユルギスの君主としてのものだった。
利害で貴族を説くことはできても、大衆はしばしば利害よりも感情で動くことがある。それは事実であった。ルブリンにおいてレオの評判は悪くない。だが、ルブリンの外、特に異教徒に厳しい感情を持つルブレシアの南部などの民を納得させることができるだけの要素をレオは持ち合わせて居なかった。
「確かに、それはそうですが……」
答えながら、ユルギスはレオがなぜ自分にまったくこの事について相談しなかったのか悟った。そして、レオの今までにない表情がどんな感情を示しているかを。
(諦めていらっしゃるのか)
ユルギスは自分の親友が始めて何かを諦めようとしていることを知ったのだった。
「だろう? わかったらこの書類の文面を確認しておいてくれ」
ユルギスには、この時の自分の親友がいつもよりもずっと小さく思えた。
こんにちわー割と早く会うことができましたねぇ……
ネトゲの裏で書いてます^^
玉座の選定は割と静かめのお話なんですが、これが終わったらいよいよクライマックスです。いや、玉座の選定は5月中に終わるかどうかぐらいだと思うんですけど。
感想等気軽にお待ちしています。