第三章 内乱Ⅴ
「敵襲だ! 城門を早く閉めろ!」
この時になると、敵の姿はほとんど見えないが、轟く軍靴の音によって、イーダ軍の兵士たちは自分たちが置かれた状況に完璧に気がついた。
だが、彼らは二千人の濁流に飲み込まれ、碌な抵抗も出来ぬまま駆逐されていく。
「内城壁に引き上げるぞ!」
イーダ軍の兵士たち外城壁の防御を諦めそのような声が叫ぶようにこだましていた。内城壁とは美しい白い壁をもつ、ルブレシア王の玉座のある、白鷲城のことである。そこは、外城壁よりも城壁の長さは短く、また高さもある。それ故に、防御により適している筈であった。
「このまま内城壁に雪崩込め!」
だが、逆にイラノフはそれに漬け込んだ命令を発する。イラノフとしては今日、もしくは明日、明後日のうちにこのルブリンを攻略しなければならないのである。白鷲城に立てこもられることだけは避けなければならなかった。
一方のイーダは、東門が突破されたことを悟り、もはや民の為に外城壁で防衛するという考えは捨て、兵士たちに白鷲城まで撤退するように命令を下していた。
「急ぎ内城壁へ撤退してください!」
内城壁の中に次々に味方が撤退し、押し寄せてくる雑踏の中、イーダに一つの報告がもたらされた。
「内城壁の東門には既に敵が迫っており、このまま門を開け放しておけば内城壁にも進入されてしまいます」
一方で別の兵士が横からすがるように云った。
「待ってくれ! 東門の兵士はまだ全員内城壁に撤退できたわけじゃないんだ!」
「――っ」
一瞬イーダをそれに対してどのような指示を出せばよいのか迷ってしまった。防衛戦の為には遅れて撤退してくる兵士を切り捨てるのが最善である。しかし、ルブレシア人の兵士を見捨てるようなことがあってはルブレシア人に、イーダがハルガリア人であることを思い起こさせてしまう可能性があった。
「殿下! お気持ちはわかりますが、そもそもこの事態を招いたのは民を巻き込まぬように、などという甘い考えから外城壁に展開した故の結果なのですぞ!」
そう告げたのは、ハルガリア人の隊長の一人だった。外城壁の巨大さに較べて、それを覆う兵力の少なさが、今回の東門突破を招いたのは間違いなく、彼の主張は余りにも正しく、イーダは反論に詰まった。そして、僅かな、しかし、重苦しい逡巡の中で、彼女自身の信念からはかけ離れた命令を下そうと、その口を開いた。
「撤退が遅れる部隊は……」
「殿下!」
だが、そんなイーダを阻むかのように、騎士が一人、イーダの前に現われた。イーダは、そこで、自分が恐ろしい命令を下そうとしていたことに気が付き、その騎士へと返答をするまでに僅かな間があった。
「……今度はどうしたのですか?」
自分が、汚い命令を下さずに済んだ安堵を感じながら、イーダは騎士に問いかけた。騎士は、イーダにこう答えた。
「市民が……ルブリン市民がイラノフ軍を攻撃しています! イラノフ軍の進撃は止まり、遅れていた部隊も着々と城内に駆け込んでおります!」
☆ ☆ ☆ ☆
「何? 市民が我々を攻撃しているだと?」
イラノフは、部下の報告に驚きを禁じえず、細く鋭い目を見開いた。
「馬鹿な。我々は同じルブレシア人だぞ? 市民が攻撃するべきなのはハルガリア人のイーダの方だろう」
恐らく、この辺りの感性が、有能と云っていいイラノフが遂にルブレシア人の人望を獲得できなかった原因に違いなかった。
イラノフにこの報告を行った部下は、その点に薄々感づいていたが、イラノフの不興を買うことは避け、続けて指示を貰おうとした。
だが、彼が口を開いたその瞬間、どこからか飛来した壷が、彼の頭蓋に直撃した。
「ぐぁ……」
主の前ということと、戦線からいくらか離れていた故に、兜を脱いでいたことが、彼の生死の分かれ目となった。イラノフの部下は倒れ、その身体を僅かに痙攣させた後、キリシアの神もとへと召されたのである。
「なぜだ……」
イラノフは慌てて兜を被りながら、そう疑問に思った。彼が疑問に思っている間にも、二階から、屋根から、路地裏から、イラノフ軍に対してものが投げつけられ、お湯が掛けられ、油と火を浴びせられる。直にでも指示を出さなくてはならない状況だったが、イラノフは余りに釈然としない事態に、思考に囚われていた。
「そうか……聖女ブリュンヒルトか!」
イラノフはこれほどのルブリンの市民を扇動できるのは、ハルガリア人たちではなく、聖女ブリュンヒルト以外にありえないことに気が付いた。だが、イラノフにはそれが分かったところで、どうしようもなかったのである。
「閣下! 反撃の許可を!」
「バカを云うな! 俺の民だぞ! それを殺す訳にはいかん!」
配下の騎士の反撃を求める声を一蹴しながら、イラノフはルブレシアの市民の声をいくつか耳に拾っていた。
「偉大なる先王、ジグスムント陛下の意に逆らう反逆者め!」
「聖剣騎士団の犬!」
「平和を乱す悪魔!」
これらの声に、怒りを覚えながらも、イラノフは辛うじて平静を保つことに成功した。
「閣下! 反撃しなければこのままでは嬲り殺しに合います」
そうでなければ、続けて行われた反撃を求める声を拒否することなどできなかったであろう。この点、イラノフは騎士試合の時よりも巧みに精神のコントロールを行えていた。
「反撃したところでどうなる? この暗い夜、建物の上や物陰から物を投げつけてくる市民にどう反撃しろというのだ。それにイーダ軍の兵士もまだまだ千五百人以上は残っているだろう。こんなところで立ち止まっているのが一番危険だ」
「ですが、さきほどから申し上げている通り、このままではこちらが総崩れに――」
いくら平静と云っても、これ以上、部下の無益な言葉を聞く気にはなれず、イラノフは遮るようにして号令した。
「外城壁まで下がる! 南城壁と南門だけは絶対に確保せよ!」
「ここまで来て下がるのですか!」
「イーダ軍は既に白鷲城門を閉めてしまっただろう」
そうイラノフが云うと、今度は部下たちの間に勝利が遠ざかってしまったことへの不安が見て取れた。従って、イラノフはそれを取り除く必要に迫られた。
「大丈夫だ。リヴォニア軍が到着するまでまだ僅かだが時間がある。夜、建物の上からこうも物を落されたりしてはこちらの損害が増えるだけだ。こちらは反撃するにしてもそれさえも困難だ」
そう告げてから、イラノフは少しためらってから、強い声で、自分自身に言い聞かせるように断言した。
「明日の朝、もう一度総攻撃をかける。その時市民が邪魔するのであれば……殺すしかない」
※ 改稿しました。イラノフのブリュンヒルトか!の台詞は、ルブリン市民を扇動しえる存在が、ブリュンヒルトぐらいしかイーダ陣営にいないことに気付いたということです。
わかりにくくてもうしわけありませんでした。
お久しぶりです。ホーネットです。週一の更新は厳守するつもりはあります。そろそろ更新曜日をはっきり決めるべきな気がしてきました……次から月曜日更新でどうでしょうか?
第三章内乱は恐らく、全Ⅷ話構成になるかなーと思っています。話し全体は5章構成とエピローグになるかと思います。その後はルブレシア戦記Ⅱか世界観に載っているチューリピア王国を舞台としたチューリピア戦記という形で世界を広げて行きたい所存であります。
そして、もう一つ、異能学園バトルものの連載をしようと思っていて、こちらは水曜日更新にしようと思ってます。暇な人は水曜日から始めるそちらのシリーズも見てくだされ。