第三章 内乱 Ⅳ
「大変です! 敵がいっせいに松明に点火しました! どうやら再び総攻撃を加えるようです!」
イーダがその報告を聞いたのはルブリンの篭城戦が始まったその日の深夜のことであった。定石どおり夕刻には兵を退いたイラノフであったが、彼に時間がないことはイーダも承知しており、今日のうちに再びイラノフが攻勢に出ることは十分に想定できたことであった。
「迎撃させてください! 私もすぐに出ます」
冷静にイーダは寝室の扉の向こうにいる部下にそう命じ、戦時ゆえに纏っていた簡素な着物の上にそのまま甲冑を纏うと、司令室として機能している部屋へと向かった。
☆ ☆ ☆ ☆
「それで、状況は?」
イーダがそう問うと、騎士の一人が答えた。
「はい、敵が南門に夜襲をしかけてきたようです。これに対処するため、他の城壁から兵を割いて迎撃に当たらせています」
休息させなくてはならない兵士がいる以上、日の昇っている間、ほとんど戦いをせずに済んだ兵を当てるのは当然のことではあった。しかし、イーダは自分がはじめ最初に受けた報告について違和感を覚えていた。
「……ひとつ聞きたいのだけれど」
「はい、殿下。なんでありましょうか」
「夜襲と松明の火がついたのはどちらが先でありましょうか?」
不意打ちに夜襲を行うのであれば、松明などつけずに近づけばよかったのである。敵に気づかれてから松明をつければよかったはずである。それをわざわざ誇示するかのように松明を持って城壁に押し寄せてくるなど……
「松明を点けてからだったと思いますが」
この騎士の返答を聞いてイーダは自分の中の疑念を強めた。
「少し気になります。私も南門に出ます」
そう云って、南門に向かったイーダは、その光景を見た瞬間にあることに気がついた。多くの者がそこから情報を得たとしたら、イラノフの本陣があった辺りにも輝く無数の明かりは、明らかにかがり火だけでは足りず、兵士が松明を持っていることを示していると考えるだろう。
「……陽動です!」
だが、それを見て、イーダは別の判断を下した。
「は?」
「もしも仮に、あれがイラノフの本陣ならば動いていない……けれど、動いていないのならば、なぜ松明をつけるのですか。松明に染込む油とて無限ではありませんし、その熱は体力を奪います。動くそのときに松明をつければよいはずです。ならば、あそこにはイラノフ本陣の動くべき敵兵は居らず、あるのは松明のみ」
疑問を抱いた騎士に、イーダは手短に、かつ焦りを交えながら説明した。そして、イーダの説明は騎士を納得させるのに十分であった。騎士は慌てて、イーダに次のように尋ねた。
「そ、それでは敵の本陣は」
このとき、イラノフ軍の本陣の二千の兵力は、東門から少しはなれた林で待機していた。事実として、イラノフの本営に設置された灯りはそこに二千の兵がいるように見せる為に配置された灯りしかなかったのである。
騎士の問に直接答えることはしなかったが、イーダは直さま建設的な命令を下した。
「これは陽動よ! 直に南門に回した兵士を元の配置に戻してください!」
「は……はっ!」
騎士は慌てて、命令を伝えに向かった。イーダはその背中を見送りながら、既に遅かったのではないか、という思いが沸くと同時に、それが汗となって白い頬を伝った。
☆ ☆ ☆ ☆
イーダが事の真実に気が付くその僅か前、およそ三十人の男たちが、東門の城壁を密かによじ登っていた。彼らの肌も衣服も黒く汚れていた。
イラノフが昨夜のうちに選抜した、夜目の聞く男たちである。彼らの肌と衣服が黒いのはイラノフが調理の為に出た炭を塗るように命じたからであった。これは彼らだけではなく、彼らの背後で待機しているおよそ二千の別働隊も同様であった。
イラノフが攻撃を開始したタイミングは、月が雲に隠れたその瞬間であった。それ故、イーダ軍の兵士は静かに城壁を登ってくる男たちに気が付かなかった。
城壁を登り終えた男たちは、次に密かに今度は城門を目指した。
「警備兵が居るぞ……」
城門の開閉小屋に四人の兵士がいるのを見て、非常に小さな声で、男の中の一人が仲間に警告した。すると何人かの男が荷から通常の兵装を取りだし、身に纏い、汚れた顔を布で拭った。そして縄を手にし、堂々と小屋の中へと入って行った。
「うん? どうしたんだ、お前ら?」
もともとイラノフ軍の兵装も同じルブレシア軍の兵士である兵装だけでは敵味方の違いなどつくわけもなく、穏やかにイーダ軍の兵士は尋ねた。
イーダ軍の兵士がそう声を掛けると男たちはゆっくり近づいてから一斉に縄をイーダ軍の兵士たちの首にかけた。
「…………!」
首を絞められては、もちろん悲鳴などあげようもなく、それ故に助けなど来ようもなかった。だがそれでもイーダ軍の兵士は必死に抵抗しようと、近くにおいてある剣や食器に手を伸ばそうとした。
だが、その時既に、残りの男たちが武器を手に小屋に入ってきていた。男たちは首を絞められて、悲鳴をあげることができないイーダ軍の兵士たちを容赦なく斬り、絶命させた。こうして、ルブリンの東門は文字通り音もなく制圧されたのである。
「おい、城門が開いていくぞ!」
「どういうことだ? おい、お前ら! 城門の様子を見に行け!」
イーダ軍の兵士たちは異変に気が付きつつあったが、もはや手遅れであった。
☆ ☆ ☆ ☆
「合図です」
隣にいる騎士がイラノフにそう告げた。東門の内側から上げられた、三筋の火矢を見て、イラノフは作戦の成功を悟りながら、騎士に頷いた。
そして、大きな声で命じた。
「かかれ!」
二千という、ほとんどイーダ軍の全体と同数の兵力が、一挙に開かれた東門を突破せんと、甲冑の音を響かせ我先にと雪崩込んだ。
さてさて、次の話では登場人物が一人増える……というか、以前登場した人物をキャラ立ちさせることにしました。
覚えている方はいないと思いますが、レオとイーダをブリュンヒルトの元へと導いた、白装束の女性です。
どうも書いてるうちに楽しくなってきたので、1巻完結にしようと思っていましたが、ルブレシア戦記をもっと長く続けたいと考えるようになったので。
そういえば、しばらく書いていなかったので、ここで改めまして――
感想等お待ちしております(迫真)