第三章 内乱 Ⅲ
ルブレシアの王都、ルブリンをブジャル候イラノフが包囲したのは、挙兵から十日後のことであった。これだけの時間がかかったのは、ブジャル候領がルブリンよりも百kmも南に位置する上、同盟を組んだ貴族たちの兵を待つのに時間がかかった為であった。イラノフ自身の挙兵とその後の行動は迅速であったが、彼の味方の行動が想像よりもずっと遅かったのである。
「我々には時間がない」
重々しく、イラノフは自分に味方した貴族たちを集めて言った。
「タイムリミットは帝国からハルガリア派の軍勢が引き返してくるまで……と云いたいところだが、リヴォニアから援軍が到着するとすれば明後日の夜ぐらいには来てもおかしくないだろう」
イラノフは内心で挙兵に手間取った諸侯に対して苛立っていたが、差し当たっては彼らの力が必要なのでこの場でそのことに触れることはしなかった。その変わり強い口調で次のように断言した。
「今日、明日で必ずルブリンを陥落させる」
その言葉はイラノフ派の諸侯を大きく動揺させた。難攻不落、というわけではないがルブリンは城壁に囲まれた城塞都市である。街全体を覆う外城壁と城を中心とした辺りに内城壁を持つ、それなりに立派な防備を有しているのであである。それを僅か二日で落すというのだから当然であった。
「しかし、たった二日で落せるものだろうか?」
「確かに、攻城戦では攻撃側の兵力が四倍は必要だと云われている。敵の兵力を二千強だとすると、我々の持つ戦力にはそれほど余裕は無い様に思われるが……」
諸侯が口々に不安を口にするのをイラノフは遮り云った。
「問題ない。確かに、戦力比で見れば五分五分の戦いだ。だが、もともと王都の城壁は一万近くの大軍で守るために築かれたもの。その広く長い城壁全てを2千の兵力で防御するのは困難だろう」
イラノフは顔と口調、両方に意図的に自信を表した。そうしなければ、諸侯の不安を取り除けないと思ったからである。実際、イラノフには必ず勝てるという勝算があるわけではなかった。というのも、イーダが外城壁と内城壁の間に居住する民が戦いに巻き込まれるのを承知で比較的少数でも十分守ることが可能な内城壁に立てこもればイラノフに勝ち目はないと云えた。だが、イラノフは恐らくイーダが民を巻き込むような布陣をわざわざ行わないだろうと考え、外城壁に展開するイーダ軍を駆逐し、その勢いで内城壁まで突破するという作戦を行わなければならないだろうと考えていた。イラノフが考えていた勝率は五分五分というところだった。
「それで、だ。今日の内にこの策でルブリンを落そうと思うのだが……」
イラノフが策について説明すると、イラノフ派の貴族たちは皆感嘆したようであった。
「見事な策です」
「昨夜のアレはそういう事だったのですね」
「必ずや、今夜中に王都は我らの手中に納まることでしょう」
貴族たちはイラノフの作戦に納得し、それぞれ持ち場に向かっていた。能力的にはやや信頼が置けないが、イラノフに忠実であることだけは彼らの良い点だと、イラノフは思った。
☆ ☆ ☆ ☆
「城壁を守れ! 敵を登らせるな」
イーダ軍の兵士が金属の甲冑の音を響かせながら叫ぶ。そして、圧倒的多数のイラノフ軍を前に怯むこともなく、登ってくる敵軍を迎え撃つ。
「破城槌が来るぞ! 油をかけろ!」
城壁の下にイラノフ軍の木造の三角屋根を持つ車が迫るのを見て、一人の騎士が部下にそう命じた。彼は、ルブリンの騎士試合においてジグスムント王の死を伝えた若き騎士、スタニハスであった。
スタニハスの命令で、彼らの部下たちは油を壷ごと破城槌にかけた。破城槌の表面には燃えるのを避ける為に湿らせた布なのが貼り付けてあるのが常だが、油を的確にかけられてはそれも効果が薄く、破城槌の中にいた兵士たちは蒸され、慌てて外へと退避する。だが、その背は城壁から降り注ぐ矢に対してあまりに無防備であり、次々に射殺されていった。
ルブレシア人が同じルブレシア人相手に殺し合うという不毛な事実を忘れたように、イーダ軍とイラノフ軍は激しくぶつかりあった。
「死ね!」
独創性のない掛け声と共にイーダ軍の兵士が城壁を登るイラノフ軍の兵士に熱湯を浴びせる。熱湯を顔に被った兵士は手を離し、地に落下し、そのときに頚椎を故障し、立ち上がることもできなくなった。その兵士を、邪魔だといわんばかりに同じイラノフ軍の兵士が踏み台に城壁に上りにかかる。だが、その兵士も
「くたばれ反逆者!」
という叫びと共に飛来した矢によって眉間を貫かれて絶命する。
「ハルガリアの狗が!」
すると別のイラノフ軍の兵士が城壁の下から味方を葬っ弓兵のほうへ矢を射るが、イーダ軍の兵士はすぐさましゃがんで身を隠してしまった。状況は、攻城戦は防御側有利という常識の通りに推移していた。
「敵の攻撃は南門に集中しております」
直属のハルガリア人隊長からイーダは報告を受けていた。さすがに直接城壁に立つことはしないが、本人の気質故か、銀色の甲冑を身に纏い、自室で安穏としているつもりはないようで、城の一間を作戦室とし、そこで防衛の指示を行っていた。その光景はハルガリア人には見慣れたものであったが、ルブレシア人たちにはイーダのそのか細い身体のどこに甲冑を着る力があるのかと不思議がる一方で、男だてらに戦争を指揮するイーダに頼もしさを覚え始めていた。
「リヴォニアから援軍が来るにしても北から、帝国から援軍が来るにしても西からですからな。南に布陣するのは当然でしょうな」
イーダにそう付け加えたのは、ルブレシア議長であった。彼はもはや甲冑をつけるような年齢でも立場でもなく、礼服のままである。
「しかし、ただ力攻めするだけとは……イラノフも意外と芸のないことをする」
呆れたような声を出したのは、ルブレシアの中年の騎士だった。イーダはそれに答えた。
「リヴォニアの援軍が来る前にこのルブリンを落そうというのですから、それは必死になるのではないかしら?」
イーダがそう返答するとルブレシア議長がどこかひっかかる用に呟いた。
「だが、ごり押しだけでこのルブリンが落せるとは思えんが……」
ルブリンは別段、難攻不落を謳われるほどの城壁の高さを誇るわけでもなく、天然の要害に所在しているわけではないが、一国の王都だけあって並みの都市よりは堅牢な城壁を持っている。現状の兵力差ではルブリンの城壁全体を守るにはやや不足ではあるが、それでも篭城戦の定石である一対四という数字からみた兵力比的には決して守りきれない数字ではなかった。にも関わらず、イラノフは力攻めに終止している。そこに議長はひっかかるものを感じたのであった。そして、それはイーダも同様に感じていたのであった。だが、結局のところ篭城戦とは守る側が受身になりやすい傾向がある戦いであり、現状、レオが援軍を連れてくるまで、イーダたちにできることは少なかったのである。
ちょっと短めですが、ぼちぼちキリのいいところまで書けたので投稿。
昨日、鷲塚教授の華麗なる講義録を読んだのですが、凄いですね、あの作品。
それに較べて、かなりこの作品は王道に寄っている気がします。王道は王道で需要があるとは思うのですが……ああいう発想力はとても羨ましいです。