第三章 内乱 Ⅱ
レオがルブレシアとリヴォニアの国境の都市、フロドにたどり着いたのはルブリンを出て二日後の夕方のことであった。ユルギスが以前からルブレシア=リヴォニア間の連絡を密するために編み出した、あらかじめ何箇所かで馬を配置しておき、それを乗り継ぐという方法を用い一日に百km以上走破するという恐るべき速さでの国境の越境を可能にしたのであった。
「殿下、陛下がお待ちです」
「父上がもうこちらに来ているのか?」
「はい」
既にレオの父であるリヴォニア王も既にこのフロドに到着していた。これもまた、ユルギスが手配した連絡網により、ルブリンにルブレシア王ジグスムントの死が伝えられて三日後には、ルブレシアでの政変の予感を告げるユルギスの手紙と共に伝えられていた。そしてそのまま強行軍で一日でここフロドまでやって来たのである
「さすが父上行動が早いな」
「はい、ゼリグ王は戦慣れしておいでです。ここまで早い出兵準備の手腕は今は亡きジグスムントやハルガリアのヤノーシェ王にもできないでしょう」
「俺の兵はどうなっている?」
「殿下の兵は軽騎兵の四千を輜重無しで先行させており、三日後にはこのフロドに到着するかと」
「見事だ。この戦いに必要なのは何より早さだからな」
戦いは早さである。これはレオの一つの哲学とも云える考えであり、それはユルギスもよく承知していた。それ故に、ユルギスは可能な限り兵力をフロドに送る為に全力を尽くしたのであった。
フロドの城の謁見の間の、普段は城主が座る玉座にルブレシア王であるゼリク王が座していた。レオの父親であるこの王は、アメルハウザーの二mを越す体躯には及ばないまでもかなりの巨漢であり、戦場を駆けることも多いことから皮膚も浅黒く焼けており、身だしなみに特に気を使った風も無く、豪快に髭を伸ばし、癖のついた髪の毛もさほど気を使っているようには思えない。かといって汚らしいわけでもなく、どこか気品の混じった覇気を発している王者であった。ある時、配下の者が貴公子然とした息子であるレオの外見を讃えると、ゼリクは
「俺の若い頃にそっくりだ」
などと云って周囲のものを反応に困らせたことがあったが、これは冗談であり、実際には、レオはゼリクと同様に髪が黒い以外は線の細い美しい女性だった母親に似ていた。
「レオよ、久しぶりだな。よくぞ帰った」
久しぶりに見る息子を見て、ゼリクは父親として心の底からにこやかな顔を浮かべた。レオもこの父親のことが好きであり、穏やかな表情を浮かべて答えた。
「父上も元気そうでなりよりです」
「うむ。レオとは久しぶりに父子で語らいたいが、そうも云っていられなくなった」
だが、このような言葉と共にゼリグが王としての顔を見せると、レオもそれに習って王子の顔付きになった。
「ブジャル候が乱を起こしたのですね?」
レオが尋ねると、ゼリブは頷いてから答えた。
「先ほどお前がルブレシアに残していた間諜が放った伝書鳩が届いた。ブジャル候が挙兵したようだな。して、ルブレシアに長く居たお前はこの状況をどうみる?」
「偉大なる王ジグスムントが反リヴォニア勢力を抑えていたからこそ、彼らは我々と友誼を結べたのです。その後継者であるイーダ王女を支持しなくてはわが国の西の国境に新たな脅威が生まれてしまうでしょう」
「ふむ……本当に王女イーダを助けるのが良いのか? ハルガリア王の野心は留まることを知らぬ。ルブレシアを掌握し、帝国を破った後には我がリヴォニアを脅かすかもしれぬ」
レオ自身、その事はよくわかっていたが、だがレオの中にイーダを見捨てるという選択肢はなかった。だが、それを公の場で言うこともできず、あらかじめ考えていた言い訳をそらんじた。
「ハルガリア王の野心が留まることのないのは事実。ですが、彼はその能力故に夢を見すぎている嫌いがあるように思えます。実際にルブレシア王国とその偉大なジグスムント王を味方にしても遂に帝国に勝利し得なかったではありませんか」
云ってから、レオは自分がいつもより早口で、言い訳がましい口調で先の言葉を述べてしまったのではないかと云う不安に駆られた。それは事実、そうであったし、ゼリグもそれに気がついていたが、その場で直に指摘することはせずに話をつづけた。
「確かに、俺とてハルガリアが帝国に勝てるなどと思ってはおらん。ハインリヒ帝も神君とでも云うべき傑物であるしな」
「ならば!」
云ってから、今の言葉には余りにも感情を込めすぎたと今度はレオ自身はっきりとわかった。横目で辺りをうかがうと、謁見の間にいる他の者たちもいつものレオと様子がおかしいことに気がついているようで腑に落ちないような顔を並べていた。
「だがな、わざわざルブレシアをハルガリアにくれてやる必要があるのか、ということだ。ルブレシアという果実が熟れて腐るまでにハルガリアの収穫が間に合わぬのであれば、我がリヴォニアが、ハルガリアの為ではなく、リヴォニアの為に収穫してしまっても構わぬとは考えなかったのか?」
「っ」
その考えはユルギスが前にレオに述べた構想とまったく同じであった。レオはユルギスがゼリグに進言したのかと思い、思わずユルギスの方を睨みつけてしまった。
「うん? ああ、なるほど。確かにユルギスが考えそうなことではあるが、ユルギスはお前と同じ進言を俺にしたぞ? 別にユルギスが俺に入れ知恵したわけではない」
「…………」
自分の信頼する部下を疑ったことを恥じる一方でレオはもはや父親に抗弁できるだけの論理を自分が持ち合わせていないことを悟り、沈黙することしかできなかった。
「ふむ……」
そんな息子の様子を見てゼリグは側近に目をやり、人払いをさせた。ユルギスはもちろんのこと、そのほかの重臣たちもその場を後にする。
☆ ☆ ☆ ☆
辺りに自分とレオ以外の人間がいないことを確認してゼリグは云った。
「お前、ハルガリアの王女に惚れているそうだな」
「なっ!」
二人きりにしたことから、何かしら内密な話するのだろうとレオも考えていたが、この問いは予想していなかった。
「ちなみにこれはユルギスから聞いた」
あいつめ、と思いつつも、ユルギスの立場上やむを得ないことをレオは知っており、例え心の中であっても栗色の髪をした腹心を責めることはできなかった。そして何よりもこれから続くであろう父の言葉の方がずっと重要であった。この時、珍しくレオは怯えていたといっても良いだろう。
だが、父王が口にしたのは、予想以上にレオにとって都合の良い言葉であった。
「別に誰に惚れようと構わんよ。ハルガリア側は困るかも知れぬがな、我がリヴォニアは異教だろうがなんであろうが気にせぬという考えが主流であるし、大公国といっても部族間の寄せ集め。部族ごとに掟はあっても別に他国の王族との婚約を禁止する大公国の法があるわけでもないからな」
この時のゼリグは実に父親らしい柔らかな口調であった。レオは父の言葉に緊張を解き、喜びをその端麗な顔に浮かべようとした。だが、その直前、ゼリグは一転して語気を強め強い口調で云った。
「だがな、俺が気に食わぬのは、その為にお前は大公国全体を戦争に巻き込もうとした! ルブレシアを切り取るためならば、子々孫々の為という理由がつけられよう。だが、お前は自分の惚れた女の為に大公国全体を巻き込もうとした! それが気に食わぬといっておるのだ!」
「……!」
ゼリグのそれはまったくの正論であり、レオもそのことは重々承知していた。
「俺はルブレシアを切り取るつもりだ」
ゼリグは息子にそう断言した。レオはその言葉にどうしようもない気持ちを抱いたが、続くゼリグの言葉によって僅かな希望を持つことができた。
「惚れた女を守りたいならば、俺がルブリンに着くまでにけりをつけてみせろ。大公国の兵は一兵も渡さぬ。お前の兵だけで、俺が動くより先に決着をつけろ」
そう云ったきり、その場を去る自分の父親の背が、レオにはいつもよりも大きく写っていた。
全ては、レオ自身の手腕にかかっているであった。
☆ ☆ ☆ ☆
「ユルギス!」
父王の背中を見送ってから謁見の間から去ったレオは、出て直の廊下にユルギスの姿を見つけた。
「はっ!」
答えるユルギスに、レオは命令した。
「俺の名前でこの辺りにある宝石をあるだけ手に入れろ! 多少借金をしても構わぬ」
「宝石、ですか?」
不思議そうに訊き返すユルギスにレオは続けて云った。
「ああ、そして、その宝石を持ってルブレシアの領主の買収工作をしてこい」
買収工作に用いるのを宝石にするのは、金貨では重く持ち運びに不便であるからである。
「買収……領土の通行許可ですか?」
ユルギスがそう答えたのは、全てのイーダ派の諸侯が必ずしもリヴォニアのルブレシアへの介入を快く思っているとも思えず、事前にルブリンまでの道中を抑える必要を感じていたからであった。
「ああ。それと四千騎分の食事を各街で一食分ずつ準備させ、宿営地も何箇所かで立てさせろ。どこに立てさせるかはお前の裁量に任せる」
輜重なしで進軍できる日数は限られている。村や街などから徴収しても良いが、突如として四千食を用意せよと云われても、それができない場合が多いし、正当な代償を払わなければ住民が隠し、抵抗することもしばしばある。友好なリヴォニアとルブレシアの関係を崩さない為に、事前の工作は絶対に必要であった。また、レオの私財を投じたこの案では、調理する時間や宿営の時間を大きく節約でき、より迅速な進軍が可能になるのであった。
「なるほど……買収する街を結ぶルートは最短距離で良いのですか?」
ユルギスが尋ねると、レオはこれにかぶりを振った。
「……父はイーダを見捨てるつもりだ。イーダと合流し防衛に参加しても援軍は来ない。それならばいっそのこと奴らの裏を斯いて、一挙にイラノフを討つ」
四千にイーダ軍の兵士を合わせれば十分にイラノフ軍からルブリンを守りきれる兵力ではあったが、二万の住民がいるルブリンを包囲されては兵糧が直に底をつくことが明らかであった。さらなる援軍が来れば、イラノフ軍を撤退させることができるかもしれないが、その援軍が今回は見込めないのである。
「わかりました。では、そのように」
ユルギスはそれだけでレオの考えを見抜き、そう答えた。そして早速宝石の確保に向かったのであった。
一人残されたレオは、急激に疲労を感じ始めた。ルブリンを出てからひたすら馬を乗り継いだのだから、これは当然ではあった。レオも三日後には軽騎兵と共にフロドから出陣しなくてはならない。レオの今すべき事は穏やかな睡眠をとることであった。
更新遅れてまして申し訳ありません。
とりあえずボチボチリアルの修羅場が改善されており、来週からは週一更新できそうです。
ちなみにルブレシア戦記が完結した場合、この話は改稿、人物再編などを行い、投稿するために該当部分をダイジェスト化し、続編、キリシア大陸物語 チューリピア戦記を始める予定です。