第三章 内乱 Ⅰ
「それで、殿下。実際のところどうするおつもりですか?」
ルブレシア王の戦死の報に、騎士試合はすぐさま閉会となり、レオやユルギスは戦勝の気分を味わう間もなく、邸宅に戻るとすぐさま政治的話題に入った。
「……どうするつもりというと?」
「殿下もわかってらっしゃるはずです。今、我々がどう動くかは非常に危うい問題であることを」
それは、ルブレシアに今後の動向をめぐる話題であった。というのも、法律上はハルガリア王女イーダがルブレシア女王として即位する筈なのだが、それを心よく思わない人間も多々いるのであった。そして何より、王女イーダを支持する派閥、あるいは先王に忠実であった戦力はハルガリア軍と共に遥か帝国に展開しており、逆に反ハルガリア勢力は帝国への出兵を抑え、ルブレシアに戦力を温存しているのだ。その代表的人物がブジャク候イラノフであり、その動員可能兵力は一万近いだろうと思われた。
「しかし、実際悩ましいところだろう?」
レオ――というよりリヴォニアがどう動くかは非常に難しい問題であった。まず、イーダに味方し、その即位に成功させた場合はルブレシアは事実上のハルガリアの属国となってしまう。今までリヴォニアは南西の国境を友好的かつ、比較的弱体なルブレシアと接しているが故に安泰としていたが、ルブレシアを属国とした強大なハルガリア勢力との境界を拡大してしまうことは安全保障上大きな損失になることは疑いなかった。
しかしその一方でここでイーダを見捨ててしまい、イラノフの傀儡の王が即位してしまうと、反リヴォニアのイラノフが聖剣騎士団と同盟してリヴォニアに襲いかかってくる可能性が高く、これまた存亡の危機に関わることであった。
「……ハルガリアと我らはルブレシアと我らほどではないにしろ友誼はある。ルブレシアに置いてイラノフが権力を握るよりはまだルブレシアがハルガリアの属国になったほうがましだ」
「わかりました」
一応の筋が通っているレオの論理にユルギスはそう答えたが、少し悩んだように額に皺をわずかに寄せながら付け加えるように提案した。
「ですが私は、第三の手段もあると思います」
「それは?」
レオが訊ね返すと、ユルギスは迷いを振り切ったのかのように、アーモンド形の綺麗な目に力を入れ、怖気ることなく大胆な提案を行った。
「イラノフとイーダ王女の両方を消して、我々の傀儡の王を即位させるのです。いや傀儡とまで行かなくても構わない。親リヴォニアの王を即位させてルブレシアをリヴォニアの勢力圏にしてしまうのです。はっきり云って、これが最上かと」
現状、ハルガリア軍とルブレシア軍の主力は帝国遠征で遥か東方に展開しており、帝国と睨み合っている都合上、ルブレシアに到達するにはそれなりに時間がかかることが予想される一方で、軍馬の豊富なリヴォニアは二万近くの兵士を即座にルブレシアに送ることが可能であり、この二万という数字はイラノフ軍やイーダ軍よりも遥かに多い数字であった。
「だが、それではその後ハルガリアが黙ってはいないだろう」
レオはユルギスの提案に声を震わせながらそう指摘した。それは、ユルギスの提案に確実に妥当性がある一方で、自分が大切に思っているものを壊さなくてはならない提案であったからである。
「ルブレシアを手に入れればハルガリアとの国力差はだいぶ縮まります。さらに帝国と同盟を結べれば逆にハルガリアを帝国と分割することだって夢ではありません」
「もう云うな、ユルギス」
このレオの言葉に最も驚いたのがレオ自身だったかユルギスだったかはわからない。ただ、理論的に、冷静に行動することに一つの長所を置くレオが議論を主従関係を盾に放棄したという事実にレオ自身も、そして臣下であるユルギスも驚愕したことは間違いなかった。
「……殿下。お気持ちはわかりますが、殿下は一国の王子です。リヴォニアの利益を――」
「云うな!」
冷静にそう諭そうとするユルギスの追撃からレオはそう云って逃れた。普段からは考えられないほどに感情的な主にユルギスはそれ以上何も云おうとはしなかった。そんなユルギスにレオは命じた。
「ユルギス、お前は今すぐルブレシアを立って父を説得して兵士を集めておけ」
「……わかりました。ですが殿下はどうなさるおつもりで?」
「リヴォニアの軍事干渉について聖女ブリュンヒルトやルブレシア議長、イーダ王女、ハルガリア商館と話をつけておかねばならん。これはお前には荷が重過ぎる」
荷が重過ぎる、というのはユルギスの能力に起因するものではない。と、云うのも外交の場において聖女やイーダ王女、そして大国ハルガリアの貴族等と交渉を行うにはユルギスの地位が低すぎるのだ。どうしてもへりくだって交渉しなくてはならなくなる。対等な関係で交渉を行うには王子であるレオ自身が出向かなくてはならないのだ。
「了解しました。それでは直に私はここを立ちましょう」
「……すまん。こんな俺で」
言葉通り、すぐさま出立に支度をしようと背中を向けようとしたユルギスにレオがリヴォニアの国益よりも、自分の感情を優先したことを認め、そう謝った。
「いいえ、殿下。いつもの殿下も悪くはありませんが、そういう目をなさっている殿下も悪くございませんよ」
「目?」
そう疑問系に言葉を発したレオに答えずにユルギスは退出していった。レオは机の上に放り投げたままの鏡を見つけ、それを手に取り覗き込んだ。
☆ ☆ ☆ ☆
ユルギスがリヴォニアへ立った翌日、レオが訪れたのは、イーダが所有していた邸宅ではなく、ルブリンの中にある白鷲城であった。この城はルブレシアの王家の紋章である白鷲をモチーフとした白い城壁を持つ建築物で、それが赤いレンガの城郭をもつルブリン市全体の風景と、絶妙な調和をなしている。
「イーダ王女に用があって参りました。どうか取り次いでいただけないだろうか?」
レオが衛兵にそう尋ねてから待つととしばらくして茶色の髪をした女の子らしいふくよかな線をしたエルネアが現れた。
エルネアに導かれて、レオは城内に入った。そして、その城の中を歩きながら、エルネアが云った。
「イーダ王女は今、議長閣下とブリュンヒルト様とお話なさっている最中でございます」
「……俺が入ってもいいのか?」
レオがそうエルネアに尋ねると、エルネアはにこやかで柔らかな笑みを浮かべた。
「はい、お三方とも、むしろ歓迎の様子でございました」
そういいながら、ある一室の前で立ち止まり、エルネアは小さな手でドアを叩いた。
「誰かしら?」
ドアを通して、少し曇ったイーダの声がエルネアのノックに答えた。
「エルネアです。レオ様をお連れ致しました」
「どうぞ」
イーダの返事を聞いて、エルネアは扉を開け、レオに一礼した。レオはエルネアに礼を云ってからイーダのいる部屋へと足を踏み入れた。
「よく来たわね、レオ」
待ってたとばかりに第一声でレオを歓迎したのはブリュンヒルトであった。
「殿下、ごきげん麗しく思います」
「来てくれたのね、レオ!」
そして、ブリュンヒルトに続いて議長が、そしてイーダがレオに歓迎の意を示した。
「お三方とも何についてお話なさっているので?」
レオは手短に挨拶を済ますとさっそく本題に切り込もうとした。時間との戦いは既に始まっているというのがレオの考えであった。
「イーダ殿下の即位について、ね」
ブリュンヒルトもそのことを承知しており、正直にそう語った。
「レオ殿下。率直に申し上げましょう」
それを受けて、三人を代表して議長がレオに向かってそう云った。
「伺いましょう」
その言葉は短かったが、最も重要な点を正確にレオに伝達した。
「と、いいますと?」
だいたいの事情はレオの方も把握しているが、双方の合意を正確に取るには、この聞き返しは絶対に必要な行為であった。
「キリシア教を信奉する国家では戴冠式に用いる祭具を教皇庁から借り受けなければ実行できないのです」
そこで、齢ゆえか、議長は舌が乾きを感じ、テーブルにおいてあるグラスに手を伸ばし、それに口をつけた。その様子を見て、議長の話の続きをイーダが引き取った。
「が、問題があるのです」
「と、いうと?」
「私はハルガリア王の娘です。そのような女がルブレシアの玉座に着くのを、皇帝が良しとする筈はありません」
「皇帝が、妨害工作を行うと? 教会に対して? そのようなことをすれば、キリシア教の守護者としての帝国に傷が入るだけではないのですか?」
「まぁ、あの皇帝のことだから、バレなければ問題ない、とか思っているでしょうね」
ブリュンヒルトの皇帝のことを思い浮かべながらのその言葉に、イーダは頷きながら話を続けた。
「と、云うわけで、帝国の勢力圏を迂回しないといけないから教皇庁に出した使いが戻るまで1月近くはかかると思うわ」
「なるほど」
このことは完全に予想外であった。レオはルブレシアと教皇領の距離から、イーダの戴冠まで精々が十四、五日と見ていたからである。
「そして、次の問題。その間、ルブレシアの玉座は空白になってしまうの。もし、その間にイーダ殿下の身に何かあれば……」
「つまり、イーダ王女が正式に即位するまでの間に王女を害して自ら王位に就こうとするものがいるということだな?」
遂にレオは、核心を突いた。それぞれの立場から不用意に誰が、という風に名前こそださなかったが、この場にいる全員が、イラノフの顔を思い浮かべた。
「はい、殿下。それでぜひともリヴォニアの力をお借りしたいと」
再び、水を飲み終えた議長が、力強く、縋るようにレオにそう訴えた。議長の家柄は当然、その地位に相応しい名門ではあるが、既に名声と所有する力がつりあわなくなって久しく、独自の軍事力を所有していない。議長はジグスムント王の強力な後ろ盾が在った為に政治力を発揮することができたのだが、ジグスムント王に近かったが故にイラノフとは不仲であった。イラノフがルブレシア王に即位した場合、彼の命運は少なくとも政治上においては、確実に終わることになるだろう。
「ハルガリアの了承は取っているのですか?」
これはレオが最も気にしていたことであった。もしこの干渉でリヴォニアが大国であるハルガリアの不興を買うようなことがあってはならいのであった。
「お父様は私が必ず説得いたします」
イーダのその言葉は誠実そのものであったが、担保となるものは何一つない。一国の将来を背負うものとして、レオは本来、ここでもう一考するべきである。
「わかりました。それでは私は直にここを立ち、援軍を連れて参ります」
だが、レオはそれをせずに、イーダの何の保証もない言葉を信じてしまった。その事実に気が付いたとき、ユルギスが云ったように、自分が変わりつつあるのではないかという認識が生まれた。
そして、そんな自分に苦笑しながらレオはイーダに向かって微笑みかけた。
「必ず援軍を連れて直に戻ってくる。それまで無事でいてくれ」
「うん……待ってる」
いつもは勝気な空色の瞳が、この時は甘えるように、穏やかであったのがレオにとって印象的であった。
☆ ☆ ☆ ☆
「そうだ、エルネア」
三人がいる部屋から退出したレオは、見送りに出てきたエルネアに話しかけた。
「なんでございましょうか、レオ殿下」
異国の王子が自分の名を覚えているということに、エルネアは驚いたが、なんとか事務的な返答をすることに成功した。
「ひとつ頼まれてくれないか?」
黒髪黒眼の、異教の王子のこの申し出に、エルネアはすぐさま答えた。
「何なりとお申し付けくださいませ」
そのまっすぐで迷いのない返答に、逆にレオは云いにくそうに切り出した。
「お前の主が嫌いそうなことなのだが」
その言葉を聞いて、エルネアは一瞬迷いを見せたが、直ちに腹を決めたように表情を引き締め、レオに向かって断言した。
「例えそうでも、レオ殿下がイーダ殿下の負になることを命令なさるはずがありません。イーダ殿下が嫌いなことであっても、殿下の為になるのなら、私は喜んでなんでもいたします」
騎士試合で、自分が手を振っただけで顔を赤くしていた少女と同じ人物とは思えない、きっぱりとしたその物言いに、レオはエルネアのイーダに対する忠誠心が本物であることを知った。
「君の気持ちはわかった」
そう前置きして、レオはエルネアに一つだけ、保険の為の策を授けた。
「あとでブリュンヒルトにも伝えて欲しいのだが……」
そして、この後直に、レオはルブリンを立ち、リヴォニアへと向かった。
この翌日、ブジャル候イラノフは王位を主張し挙兵。徐々に反ハルガリア派の貴族がこれに加わり九千余の兵力を抱える一大勢力となったのだった。
さてさて、いよいよ内乱編に突入! 来週は更新できますが、再来週はちょっと課題が修羅場なので更新できないかもしれません……