第二章 騎士試合 Ⅴ
レオとイラノフの軍勢の間に、イーダとブリュンヒルトが立って、騎士試合の開催の挨拶を行っていた。
「本日、王はここにはおりません。諸卿らの勇敢なる王は遠く異国の地で戦っておられます。若い諸兄らはその王の臣に恥じぬよう各自奮戦することを期待します。また、今日、この場に教皇国から聖女ブリュンヒルトさまと、我らが親愛なる友人、リヴォニア大公国のレオ殿下がいらしております。客人たちにルブレシア人として誇りあり武を見せて差し上げてください」
そのイーダの挨拶に続いて、ブリュンヒルトが軽く挨拶を済ませると、主催者ということになっている教会の方からルールの確認が行われた。そのルールとは、それぞれレオ、イラノフの戦闘不能判定によって勝敗を決定すること、騎乗する者の戦闘不能は落馬、歩兵の戦闘不能は、教会が用意した特殊な魔術を持って、ブリュンヒルトが戦闘不能と判定された者の武器・甲冑に印を付けるというモノであった。
「これを持って、開戦とします」
イーダのこの言葉によって、いよいよ騎士試合が開戦された。
まず、イーダとブリュンヒルトへの礼儀の点から、馬を下りていた者たちが、全員騎乗し、そして次に、レオとイラノフがそれぞれ前へと歩を進めた。まず、舌戦から始まるのが、ルブレシアの騎士試合の常であった。
「親愛なるレオ殿下」
最初に舌戦お火蓋を切ったのはイラノフの方であった。ブリュンヒルトに拠る拡声魔術が、イラノフが麦の一粒ほども思ってもいない慇懃な言葉を辺りに響かせる。レオも同じように小麦の一粒ほども思ってもいないことを口にしてみせる。
「なんでしょうか? 親愛なる友、イラノフ」
「レオ殿下が我らがルブレシアにいらして既に二年。殿下は一度も故郷へ帰られない。ここで重傷でも負えば、
あなたの父が故郷に呼び戻してくれるでしょうから、ささやかながらそのお手伝いをさせて頂く」
「おいおい、重傷を負ったらこの後控えている婦人方とのひと時が楽しめないじゃないか、イラノフ」
その時、レオはたまたま、群集の中に、イーダの茶色い髪の、可愛らしい侍女が居ることに気付いた。そこでレオは挑発と、顔を狙うという作戦をさらに有効にするためにエルネアの方へとにこやかに手を振って見せた。イラノフが不思議がってそちらの方を見ると、そこには顔を真っ赤にしてレオに手を振り返す、可愛らしい女の子がいたのである。これから戦いに臨む相手に、このような態度を取られれば多少なりとも、腹が立つものではあるが、イラノフには、まだ冷静さが残ってはいた。不機嫌な顔をしつつも、少しも怒りに身を任せるような事はしなかった。
「ところでイラノフ殿は女性との約束がないのかな? 無理もない。そのお尊顔では……」
それを見て取ったレオはさらに、イラノフを逆上させるように重ねた。この言葉は、イラノフを強く刺激した。というのも、イラノフは間違いなく美男子であり、自身もそう思っている。だが、世間では自身よりも、レオの方が、他の様々なこと――例えば大学の成績であるとか、人望だとか、そういったものと同様に容姿もレオの方が良い、と評されることが多いことを知っている為であった。挑発したレオの方は、勉学や武芸に関して、イラノフより優れていると思っていても、容姿に関しては”どうでもいい”というのが本心だったが、この際、ルブレシアの女たちの評価を使って挑発してしまうことにしたのだった。
「貴様っ! もう許さん、覚悟しろ!」
そう怒鳴りながら頭に血を昇らせて、イラノフは舌戦を切り上げて自陣へと戻っていった。レオはイラノフの背中を少しだけ見やってから、イラノフが中央に戻って行ったのとは違い、自軍の右翼へ加わった。舌戦が終わり、総大将の二人が配置についたのを見て、イーダが手を挙げた。すると、空気を震わす、角笛の大きな音が、ルブリンの郊外に響きわたった。
これが、舌戦に続く、決戦の始まりの合図であるのだ。
「これより、突撃を開始する。我々リヴォニア人を中心に紡錘陣形を取るっ、続け!」
ルブレシア人に中央の、ユルギスに左翼の指揮を任せ、レオ自身は右翼の先頭を切って野を駆けた。
「はぁああああああああああああ!」
「ぐぁっ」
レオ軍右翼の先頭を行く軽い甲冑と細い長槍で武装したレオらリヴォニア人が、重い甲冑を装備し、太いランスを構えて、単純な突進を行うイラノフ軍のルブレシア騎士を的確な攻撃で、突き落とし、戦闘不能にした。
そして、レオたちの攻撃から漏れたイラノフのルブレシア騎士たちも、レオたち軽装の騎兵隊の疾風のような攻撃の次に、ルブレシア騎士たちの押しつぶす様な突進によって揉まれ、あっけなくイラノフ軍左翼の騎士はレオ軍の騎兵戦力によって壊滅させられた。もともと、イラノフ軍の左翼の騎士とレオ軍右翼の騎乗戦力は三倍近い量的差というのがある上、十名足らずとは云え、ルブレシア人よりも優れた馬上の人であるリヴォニア人がいるか、いないか、という点で質的差まで存在したのだから当然と云えた。
「敵の歩兵には構うな! 我々の真の敵は中央だ! この敵は突破することだけを考えよ!」
ルブレシア騎士の次に現れた歩兵を目にして、レオはそう叫んだ。だが、レオは敵の歩兵部隊が、騎士隊が一瞬で壊滅させられた為に、動揺し、そして恐怖していることを、感じ取っており、右翼部隊で敵の左翼を突破するという戦術の第一段階のクリアに革新を得ていたのだった。
「何をしている! 早くこちらも敵陣を突破するのだ! 早く中央と右翼を突き崩さなければまもなく背後から敵の右翼が襲ってくるのだぞ!」
味方左翼の醜態を、イラノフは遠目で見て、苛立たしげにそう言い放った。イラノフは既に、突破されつつある左翼と、敵の中央と左翼に騎乗戦力が一切居ないということから、レオの意図が騎乗戦力の突破力による突破と、機動力による挟撃だと気が付いていたのだ。この情況を覆す、もっとの優れた手段は、こちらも敵の中央なり、左翼なりを突破することであるはずだった。そして、騎乗戦力の居ないレオ軍の中央と左翼を突破することは容易である筈だった。だが、レオが授けた策によって、イラノフ軍の中央と右翼の騎士たちの持つ突撃力は、激減させられていた。
「こいつら、顔を狙って来てやり難い!」
「騎兵が詰まると、後ろの歩兵が動き難い! こちらは剣なんだ。接近しないことには勝負にならないっ!」
「わかってる!」
歩兵の装備を長槍に変えたことで、騎兵に対してだけでなく、盾と剣で武装するイラノフ軍の歩兵も、リーチの差から動き難くなっていた。接近すれば勝機があるものの、槍衾を前に右往左往する味方騎士が邪魔で、接近し難い情況になってしまっていたのだ。
「この分だと、十分に持ちこたえれそうだな」
「ああ! やはり実践を経験している人がいると全然違うな」
イラノフ軍に較べて、レオ軍の中で行われる会話の声には幾分余裕のようなものがあった。戦況は、レオ軍が圧倒的優勢であった。
「余っている歩兵は突破された左翼の兵と合流し、突破した敵の背後に喰らいつけ!」
「それでは中央の背後が手薄になってしまいますが……」
「右翼から一部兵を呼んで中央の背後を固めさせろ! 背後に回ってきた敵を挟撃するのだ!」
理論的に、このイラノフの指示はそう悪い物ではなかった。この策が実現していれば、イラノフ指揮する中央を後ろから襲い、味方の中央と挟撃する体勢を構築したレオの右翼は、一方で敵の右翼の残兵と中央からの増員、そして、右翼から中央への増員によって逆に挟撃されることになったであろうからである。
だが、結果的にその試みは失敗した。レオたちリヴォニア人が速過ぎたのだ。まず、右翼の残兵とそれに合流した中央の兵士たちが背後から襲うことができたのはルブレシア歩兵と一部のルブレシアの騎士だけに対してであり、レオたちリヴォニア人と大部分のルブレシア騎士はその時既に、中央の背後に迫っていたのだ。
さら間の悪いことに、イラノフが要請した右翼からの増員も、レオたちが中央の背後を襲うその時に、間に合うことができなかった。結果的に、イラノフの率いる中央は左翼に兵力を回した分だけ手薄になってしまっていたのだ。
「突撃せよ! イラノフを馬上から突き落とせ!」
この段階に至って、レオは他の命令を発する必要性を感じなかった。レオ自身が先頭を駆け、敵の歩兵にぶつかる。構えられた盾と盾の隙間に長槍の一撃を加える。乱れた敵を馬蹄で押しのけ、横合いから打ち込まれる剣を、槍の柄で受け止めて見せ、さらに前進を続ける。その突撃を受け止められる者は、その場のどこにも居なかった。
レオが突き崩した穴を食い破るようにユルギスたちがさらに突撃する。レオに劣らぬ武をもってリヴォニア人たちは後背のルブレシア人たちの為にレオが作った穴をさらに大きく、ズタズタにするという役割を完璧に遂行して見せた。
さらに、リヴォニア人たちに続く、ルブレシア騎士による突撃を受けて、イラノフ軍の、背後からの攻撃に備えていたルブレシア歩兵は早々にこの突撃を支えきれなくなり、あっさりとレオたちが正面の敵に備えているルブレシア歩兵のところまで到達することを許してしまったのだ。この段階で、イラノフ軍の中央は大混乱に陥ってしまった。
「ちっ」
味方の劣勢を見て舌打ちするイラノフを、さらにイラつかせたのは味方のわかりきった事実の報告だった。
「イラノフ! このままじゃ不味いぞ!」
イラノフに近しいルブレシア貴族がそう叫ぶと、イラノフは血走った目で静かに答えた。
「わかってる……」
だが、この時、勝利の女神は一度、レオの方へと向けた微笑を僅かに、イラノフの方へと向けなおした。
「異教徒どもがぁああああああ! 舐めるなぁあああああああ」
そう叫び、髪を振り乱しながら、レオたちにぶつかって行く、一団が現れたのだ。
当初、中央に移動し、レオたちの突撃を阻むはずだった、イラノフ軍の右翼からの増援隊が絶妙なタイミングで戦場に乱入し、味方さえもを押しのけながら、強引にレオたちの右手へぶつかってきたのだ。
「くっ」
盾ごと相手の騎馬に体当たりするという、我をも顧みない攻撃に、さすがのレオたちも、一瞬、馬の足を止めてしまった。
「今だ! 他に構わず、レオを突き落とせ!」
レオらと増援部隊の激突に僅かな勝機を見出したイラノフはレオ目掛けて乱戦になりつつある戦場へと突入して行った。そして、それに十数名が続いた。
☆ ☆ ☆
「落ちろ!」
そう唸りながらイラノフは乱戦のさなか、レオの場所までたどり着き、ランスで突いた。
「くっ」
別の騎馬を相手にしていたレオにとって、その一撃は不意の物だった。辛うじてかわしたものの、レオは体勢を崩してしまった。ランスを突いた勢いのまま、接近してくるイラノフに、レオの持つ長槍は不利であった。長槍は騎兵同士や対歩兵では強力な力を発揮するが、間合いに入られれば、一挙に不利に立たされてしまう武器であった。
だが、レオは既に戦場の人間であった。長槍が使えないと一瞬で判断すると、すばやく長剣を抜いて構えた。
「馬鹿正直な奴だな」
レオがそう云ったのは、イラノフがランスを捨て、レオと同様に長剣を抜いたからだった。
「本来、騎士の一騎打ちにランスなど使わん。国王陛下に捧げた剣で競うのだ。貴様が長剣を使うのならば、俺も長剣を使おう」
異教徒に対しては激情を見せるイラノフだったが、結局はどこまでも模範的なキリシア教徒であった。明らかに有利な武器であるランスを捨て、長剣で真っ向から勝負を挑みに来たのである。
「お前のそういうところは好きなんだけどな」
レオは苦笑しながら云った。レオ、というよりもリヴォニア人は勇士を讃える慣わしが特に強い。レオはこの戦場でこのような振る舞いをするイラノフに敬意を覚えた。
「行くぞ!」
「来い!」
突撃してくるイラノフと、それを受け止めるレオの激しい斬撃の応酬が始まった。
「はっ!」
「ふっ!」
二本の剣がぶつかり、火花が散る。金属音が響く。そして、ぶつかった衝撃が二人の手に響く。
レオとイラノフの剣術の腕前はややレオが優位に立っている。しかし、それでも何度かに一度はイラノフが勝利し得る程度の実力差に過ぎない。だが、この場での勝敗を分けることになったのは、馬術であった。
馬上で剣を振るう、というのは存外に難しく、また、今回の戦いで二人が長槍とランスを用いたように実戦で使う場面もそうそうない。だが、馬術に優れているレオのほうには、イラノフにはない経験が何度かあったのだ。
「くっ」
イラノフは手に伝わった衝撃を耐えられず、剣を大きく弾かれてしまい、そう唸った。
勝敗を分けたのは乗馬の技量であった。イラノフは片手で手綱を握らなければ身体の平衡を保つことができないため、本来は両の手で扱う長剣を片手で振るっていた。
一方のレオは手綱を握らずに、足を使って自在に馬を操り体の平衡を保ち続けることができた。それゆえに、両手で長剣を振るうことが出来た。
レオの両手から繰り出される斬撃を、イラノフは片手で受けなければならなかった。つまり、上手く受け流すように受けなければ力負けしてしまうということであった。だが、それは元々、僅かとは云え力量が上の相手に対して早々できる芸当ではなかった。
「くそ!」
イラノフは弾かれた剣をすぐさま体の正面で構えなおして次なるレオの一撃に耐えようとした。だが、それは次の一撃をかわすという選択肢を潰したことでもあった。
「はぁああああ!」
ここにいたって、レオはわざわざイラノフの体を狙う必要性を感じなかった。イラノフの手からは既に出血があり、この全力の一撃で、全てを終えることが出来るという核心があったからであった。
レオは、全力を載せた剣をイラノフの長剣にぶつけた。
「ぐぁあっ」
短い悲鳴と共にイラノフの手から長剣が弾け飛んだ。
「いい勝負だった」
レオがそう云うと、イラノフは忌々しげに、けれども素直に敗北を認めた。
「俺の負けだ」
最後は総大将同士の一騎打ちが行われるほどの激戦だったが、戦闘の結果そのものは、レオ側の圧勝だった。レオたちは百七十人が参戦して戦闘不能判定を受けた者は二十七人であるのに対して、イラノフ側は、最初にレオたち騎兵戦力の猛攻を受けた左翼と中央の損耗が激しく、百六十八名が参戦して、八十一名が戦闘不能判定を受けたのだった。
☆ ☆ ☆ ☆
群集が、息を呑んで見守るのは、美しい隣国の王子と美しい隣国の姫であった。騎士試合の勝者であるレオがルブレシアの王位継承者であるイーダの手に口づけをするという、絵画の一場面に相応しい出来事であり、ルブリンの民衆は美しい二人を厳かな気持ちで見守った。
「では、勇士レオ、イーダ王女の前へ」
ブリュンヒルトの言葉に従って、レオはイーダの前へと歩みを進めた。そして、跪いて、イーダの小さな白い手を取った。それはひんやりとしていて、戦いの後にはとても心地良かった。けれど、イーダと目が合うと、レオは思わず赤面してしまい。指先の鼓動がイーダに伝わるほどになってしまった。
イーダの方はというと、レオに手を取られ、顔を赤らめていたが、それを誤魔化すように、拗ねたようにレオに小声で囁いた。
(騎士さまは私の侍女に手をつけられるのですね)
騎士試合の前にエルネアに手を振った一件だった。
(そ、それは……)
レオが何か言い訳をしようとしていると、ブリュンヒルトのさらなる言葉が辺りに響いた。
「今、ここに誓いの口づけを――」
口づけ、という言葉に、レオとイーダが顔の色をさらに赤くした、その時であった。
「注進、注進!」
騎乗したまま、そう叫び、騎士試合の会場に乱入してくる男が居た。
その男はレオたちの横に跪き、ブリュンヒルトや議長の前に向き直った。さすがにこのような中で二人は手を取り合う気にもなれないで、姿勢を正して二人はブリュンヒルトらの反応をうかがった。
「貴様、今、ここで何が行われているのかわかっているのか! 貴様、名を名乗れ!」
そう怒りの声をあげたのは議長であった。
「私の名はスタニハス。階級は騎士でございます。火急の用である為、また、この場にいる皆が知る権利があること故、この場に参上仕りました」
「たかだか一介の騎士如きがこの伝統ある騎士試合の邪魔を……」
「議長、落ち着いてください。怒るは話を聞いてからでも遅くはないはずです」
いつぞやの審問と同じようにブリュンヒルトが宥めると、議長はひとつ咳払いして尋ねた。
「うむ……それで、何事か?」
その声は落ち着いてはいたが、やはり怒気が含まれていた。だが、スタニハスと名乗った男。まだ若干二十にもなっていないであろう彼は、怯むことなく、けれどどこか無念を抱えたように、事実を述べた。
「国王陛下が……国王陛下が……崩御なされました……」
その騎士の言葉は一瞬でルブリン中へ、そしてルブレシア中へと伝播していった。大きく時代が動こうとしているを、誰もが感じ取っていた。
いよいよ、物語は次の段階に……
ところで、