【はち】怒り
偽ることを止めれば、もう疲れないでしょうか?
その代償は、大きすぎる。
私はもっとアイサレタイ。
† † †
「おかえりなさいませ、リヒト様」
しとやかに。
「うん、ただいまルリ」
可愛らしく。
嫌われないように。
例え、自分が消えてしまっても演じ続けなければ。
捨てられるのは……嫌だ。
「何かあった?」
ことり、と首を傾げて、
「う~ん……あ!」
飽くまで無邪気に、笑って。
顔を輝かせて、
「リュンヌ様が“アル”と呼んでいい、と」
私が、そう言うとリヒト様は笑顔を凍りつかせて
「そう……」
と、静かな声で言った。
あら?地雷踏んだ?踏んじまいましたか? 私……。あ、ヤバい、ミスった。
今村瑠璃さん、15年間で一番冷や汗をかいております。
超然美形は怒ると怖い、のです。
そして何とも間の悪い所にアル様が部屋に入ってきました。
わぁお、修羅場な雰囲気~。
「あと一歩でも俺から離れると魔法が切れるぞ」
ああ、そういうことですか……。
せめてこの空気の一分前位に来てくだされば……!
僅かな沈黙の後、
「アル、と呼ばせてるの」
問い掛け、なのでしょうか?
リヒト様は、独り言のようにアル様に問い掛けます。
「それが何か?」
前から思っていたけれど、この2人仲悪すぎません?
「……いや、もう……癒えたのか、と」
大変言いにくそうにリヒト様はおっしゃいます。
――癒えたのか?
「本当に……そう、おっしゃいますか、殿下」
ぴしゃりと冷水を浴びた時のような寒気が私を襲った。
「……!」
目を苦しげに瞑るリヒト様。
この二人には何があったのですか?
私はこのとき、ああ言うべきでは無かった。
だって私は本当の気持ちじゃなかったのですから。
私にはとっくに自分の意見や考えなど持ち得なかったのですから。
だから、
「ア、アル様もリヒト様も……アル様、“らしく”ありませんよ? リヒト様も相手の気持ちを考えて……」
こんな残酷な事が言えたのだと思います。
だって知らなかった―……。
「“らしい”だと――?」
アル様が一気に殺気立ったのが分かった。
私は知らなかった。
彼にとって過度な期待を抱かれる事が苦痛にしかならない、なんて……。
枠に押し込められている気持ち悪さなんて……。
価値観すら違うこの世界で“あちら”のように相手の気持ちを考え、求めているモノをあげるなんて芸当出来るわけがないでしょう。
「ただ一つの癒しを奪われて、黙っていることしか出来ないこの不甲斐さが分かるか!!!」
―――!
初めて激しい感情を、怒りを見せた。
私は必死に考えましたよ、ええ。捨てられるのは嫌ですから。でも、でも、全く理解できませんでした。その人に成り切るのは簡単です。
オリジナリティは求められていませんから。
「……分かるわけないじゃん」
久しぶりに敬語以外の言葉を話した気がしますね。この言葉遣いだって昔真似ていた人間の特徴です。それが写ってしまった。ただ、それだけの事。
「そんなの私には分からない」
そう言いつつ礼をするのが精一杯ってやつです。