【じゅうはち】†涙草は感じない†
富と栄光が全てだ。享楽家の父の最期の言葉。彼は、私の目の前で死んだ。
世の中、権力よ。浪費癖の激しい母の最後の言葉。彼女は愛人と逃げた。
クロードリュベン家はそうして暴落した。
私は姿をくらまし、父は死に、母は所在もわからない。
そういう家族だった。
私は美しくなればなるほど可愛がれ、人形になればなるほど、微笑まれた。
私に“貧”は存在せず”富”だけが私を形成していた。
望めばなんでも叶った。
自分より美しいものなんてないと思っていた。
美しければ許されると思っていた。
その価値観が崩れ去ったのは12歳の誕生日を盛大に祝った2月後だった。
家の中に、刃が入れられ、大きな軍人が出入りした。
父はその日、出かけていて、母は愛人のところだった。
私は100を超える使用人たちを一瞥しながら、通り抜けるのが好きで、その日もそうしていた。
「頑張って下さいね?」(汚い恰好!よくそんな恰好を他人に晒せるわね)
「まぁ、綺麗!」(貴方には窓拭きが天職ね)
心の中で嘲っていた。
その存在に自分がなるとも知らずに―――。
そこまではいつも通りだった。
外から門番の困ったような声が聞こえて、たくさんの蹄の音が響いてくるまでは。
窓から見ると、たくさんの武装した人達がやってきた。
一番前の白馬に乗っていた男が、魔法で空砲を鳴らし、
「クロードリュベンの血を受け継ぐもの!前へ!5回のうちに出てこい!」
野太い声で告げられたのは死刑宣告。
恐ろしさに震える自分の手を見つめて、駆け出した。
玄関扉ではなく使用人部屋の方へ。
扉がノックされ、破壊される前に。
「っはぁ……はぁっ……っ」
日頃、人を使っていた私にとって走るのは苦痛以外の何物でもなかった。
しかし命の危機が迫っていると、感じた。
「うっ……父様ぁっ………お母様っ……」
結果的に出てきたのは自分をこんな状態にした両親の名。
しかしこういうときに力を合わせ寄り添うはずの彼らは―――いないのだ。
捨てて逃げた。
家を。私を。
「最終通告!」
気が付けば彼ら軍人は最終通告をしようとしているところだった。
5回目の死刑宣告。
ごてごてと着飾った自分が恨めしい。髪留めを抜いて床に捨てた。
カラン……と空しい音が響いた。
その直後。
「バババッ!!!」
耳を劈くような音とガラスが割れる音。それから悲鳴。
それが自分のものなのか、使用人のものなのかわからなかった。
脇目も振らず走り続けた先にあったものは、薔薇園。
貴族の中でも最大規模の薔薇園を誇る我が家は……と父が食卓で話していた。
父が話すことといえば、自慢話と仕事の事だけだった。
私はそれが普通だと思っていたから。
相手に労りの言葉を掛けるなんて、得にならないと思っていたから。
薔薇園の中に入るとムンとした濃い甘い香りが鼻を突きぬけて頭がクラクラした。
いつもここを掃除していた使用人は頭が痛くなかったのだろうか?
そんな事すら考え付かなかった。
しばらく躊躇ってから私は、掘った。
薔薇園の土を。そんなこと初めてだった。
今でも思い出せるわ。
湿った土の厭らしい感覚。自分の綺麗な肌が土気色になっていく様、爪にこびりついて取れない砂利。
「ふっ、ううっ……」
音を漏らさないように気を付けて、泣き声を押しとどめたせいでのどが痛い。
果実水が飲みたい。休みたい。
腕がクタクタ。もう嫌だ。
やっと子供一人通り抜けられる穴が開いて、ドレスが裂ける事も厭わずに潜り抜けた。
自慢の頬が、腕が、足が薔薇の棘の餌食になるのが分かった。
「痛いよぉ……」
プラチナの癖一つないセミロングの髪はぐしゃぐしゃで薔薇の匂いがした。
必死に目を守り、潜り抜けた先は―――森だった。
自分はずっと路地裏に出れる方向の薔薇の土を掘り返しているのだと思っていた。
その時の絶望。
戻ることは許されなかった。
「………っ!」
森を抜ければ何かあると思ったけれど、もう駄目だった。
棘に慣れていない自身の肌はぷつりと切れ、驚くほどどす黒い血を流した。
足は、使い物にならなくなっていた。
「やだ、いやだ、やだ……」
何が嫌なのか分からないまま嫌だ、と囁くように呟き続けた。
だんだん辺りが夕焼けに染まってきて、近くの涙草がぽろりと涙を零した。
がさっ!
そんな時だった。
白馬に乗っていた男が自分を見つけて、
「リリス嬢っ!? おいっ!居たぞ!捕獲、リリス・クロードリュベン捕獲ー!」
ああ、捕まった。
男のがっしりした手には触ることなく、風の魔法で拘束され、
「そなたの父は王家の一人息子、ファンティーヌ・リヒト様の暗殺を謀ったのだよ……」
ああ、そんなことって。
そう思った。
なぜ私が捕まるの?
「クロードリュベン家の血を引くものが必要なのだ。見せしめとして……」
その時聞こえた叫び声は私のものだったのか、それとも使用人のものだったのか……見当もつかない。
ちらりと見えた涙草の流した雫は私の血と混じって、黒く染まった。
涙草は風にそよぎさえしなかった。