第一章第五話『ノア』
窓から眺める街並みが好きだった。
賑やかな声。行き交う人々。笑い合う子供たち。
そんな当たり前の光景を見ている時間が、私は好きだった。ふと、懐かしい記憶が脳裏をよぎる。
――あの日も、こんな晴れた日だった。
「ノアちゃーーん!」
「あーそーぼー!」
窓の外から大きな声が聞こえた。
「もう……」
思わず苦笑する。声の主は確か――アリシア。
私は窓枠に手を掛けると、そのまま軽やかに飛び降りた。
「もう! あんまり大きな声出さないの!」
「ご、ごめん……ノアちゃん」
「次やったら遊んであげないからね?」
「うぅ……」
しゅんと肩を落とすアリシア。その姿が少し可愛くて、思わず笑ってしまった。
「今日は何して遊ぶの?」
そう聞くと、アリシアの目が一瞬で輝く。
「今日はね!」
「今日はね!」
「トランポリンで空飛びたい!」
私は思わず吹き出した。
「何それ」
「お願い!」
両手を握りながら見上げてくる。その顔を見ると断れない。
「しょうがないなぁ」
私は指先から糸を伸ばした。木と木を結び、さらに糸を重ね、編み込み、絡め、支えを作る。数秒後。
そこには巨大な繭のような弾力を持つ足場が完成していた。
「わぁぁぁぁぁ!」
アリシアが飛び乗る。私もその隣へ立つ。
ぽーん。身体が空へ跳ね上がった。
「すごい! すごいよノアちゃん!」
「空飛んでるみたい!」
「でしょ?」
私も少し嬉しくなった。アリシアは本当に楽しそうに笑う。その笑顔を見ていると、不思議と心が軽くなる。
「ねぇアリシア」
「なーに?」
「なんで私と遊んでくれるの?」
その瞬間。アリシアは大声で笑った。
「何その質問!」
「え?」
「そんなの決まってるじゃん!」
彼女は満面の笑みで言った。
「ノアが大好きだから!」
「……っ」
胸が熱くなる。顔が少し熱い。
「…ありがと」
「なんか言ったー?」
「なんでもなーい」
少女たちは笑った。いつまでも。いつまでも。この時間が続けばいいと願いながら。毎日が幸せだった。
明日も。明後日も。
ずっとこんな日々が続くのだと思っていた。
――だけど。
神は残酷だった。視界が赤く染まる。地面に倒れる少女。血。震える手。動かない身体。小さな声。
届かない。
届かない。
届かない。
そして私は理解する。
――私が彼女を殺したのだ。
◇◇◇
「……っ!」
身体が揺れていた。ぼやけた視界。浅い呼吸。夢。嫌な夢だった。
「ごめんなさい……私……」
「ん?」
頭上から声が降ってくる。
「あ、ごめん。起こしちゃった?」
そこでようやく現実に戻る。私は今、アヤトの背中に乗っていた。
「私こそごめんなさい」
「今どの辺ですか?」
「もうすぐ王城だと思う」
「そっか……」
私は静かに目を閉じた。もう時間がない。
「ありがとうございました」
「え?」
「ここまでで十分です」
私はゆっくり地面へ降りる。
「後は私一人で向かいます」
「ノア?」
「あなたを巻き込みたくありません」
私は微笑んだ。
「またいつか会えたら嬉しいです」
そう言って歩き出そうとした瞬間。腕を掴まれた。
そして――
世界が止まる。
涙。振り払われる手。夕焼け。空を裂くように飛ぶノア。金髪の男。抜かれる剣。
「お前は誰だ?」
血。倒れる影。
――そして終わり。
「……ッハ!」
世界が動き出した。
アヤトの顔色が青い。私はその手を振り払う。
「ごめんなさい」
そして空へ飛び上がった。
「ノア!」
呼び止める声。だけど振り返れない。私は行かなければならない。守らなければならないものがある。たとえ――死ぬとしても。
◇◇◇
王城へ辿り着いた時には、既に異変は始まっていた。血の匂い。静まり返った城内。そしてその中心に、一人の男が立っていた。金色の髪。細身の身体。不気味な笑顔。
「ようやく会えましたね、ノア様」
男は深々と頭を下げる。
「あなたは……」
「お久しぶりです」
「モーセ」
男は笑う。
「ああ、探しましたよ」
「本当に」
「逃げ回るものだから大変でした」
私の視線が周囲へ向く。騎士たちが倒れている。誰も動かない。嫌な予感がした。
「父上は……?」
モーセが笑顔のまま答えた。
「まだ生きてますよ」
「君を殺した後で、一緒に吊るして燃やそうと思ってますけど」
絶句した。
「約束が違う……!」
「約束?」
モーセは首を傾げた。
「君が逃げた時点で全部無効ですよ」
「何言ってるんです?」
その瞬間。奥から兵士が駆け込んできた。
「モーセ様! まだ発見――」
閃光。血飛沫。兵士の身体が崩れ落ちる。私は目を見開いた。
「な……」
「仲間じゃ……」
モーセは鼻で笑う。
「仲間?」
「違う違う違う違う」
「使える奴が仲間なんだよ」
「使えないならそれはただのゴミ」
そう言って剣を構えた。
「さて」
「そろそろ頂こうか」
「舞姫」
絶望だった。未来は確実に近づいている。誰も止められない。そう思った瞬間――
城内に声が響いた。
「待て」
全員が振り向く。そこには。息を切らしながら立つ、一人の少年の姿があった。




