『雨の中庭で聖女は偽り、黒革の帳に追放を刻む砂時計』
『雨の中庭で聖女は偽り、黒革の帳に追放を刻む砂時計』
雨はすでに上がっていた。にもかかわらず、王城の中庭は律儀に濡れたままで、石畳の隙間という隙間が「こちら、まだ仕事残ってますけど」と光っている。
そしてその真ん中に、聖女が立っていた。
純白のローブ。光輪みたいなフード。清楚な微笑み。額に浮かぶ汗は、雨の名残ということにしておく。
問題は、その聖女が――偽りだという点だ。
「ここが、運命の舞台ですね……」
聖女は空を仰いだ。空は晴れていた。晴れすぎていた。雲ひとつなく、さっきまで降っていた雨の気配すら「え、知らないですね」と言いたげだった。
中庭の端で、私は黒革の帳を抱え直す。王国公文書局・第六記録係、見習い書記のユストである。配属初日に「追放会議の議事録を取れ」と言われ、うっかり返事をした私が悪い。上司は私に黒革の帳を渡すとき、やけに重々しく言った。
――この帳に刻まれた追放は、正式な追放となる。
そんな大事なものを、なぜ見習いに持たせるのか。王国の人材育成方針が心配だった。
「では、会議を始める」
中庭に並んだ長椅子の中央、追放会議議長のグランデ公が咳払いした。彼の前には、砂時計が置かれている。会議用砂時計。王国の会議は時間厳守だ。魔物も侵略者も待ってはくれないが、議長も待ってはくれない。
「砂が落ち切るまでに、弁明を述べよ。落ち切ったら――追放だ」
言い切った瞬間、どこかの官僚が拍手しかけて「いや、拍手は違う」と自分で止めた。
聖女――いや、聖女を名乗る人物は、微笑みの角度を一段上げた。
「もちろんです。すべては神の御心のままに」
彼女が言うと、背後の木立から鳩が飛び立った。タイミングが良すぎた。良すぎて、むしろ悪い。
「いまの鳩は偶然です」私は小声で呟いた。自分に言い聞かせる形で。
隣で同じく議事録補助の先輩書記が、雨だれの残る葉を見ながら淡々と言った。
「偶然を演出するのが、仕事のできる偽聖女だよ」
偽聖女。先輩はさらりと呼ぶ。王城の内部ではもう共通認識なのだろう。私だけが知らされていなかった。
議長が砂時計をひっくり返した。さらさらさら、と時間が落ちていく。
「第一議題。聖女リリア(仮)が、民に“雨を止めた”と宣言した件について。降っていたのは自然の雨であり、天候操作は気象魔導局の管轄である。これをどう説明する?」
偽聖女――リリア(仮)は胸に手を当て、神妙な顔をした。
「神は、時に局を越えます」
「局は越えない」気象魔導局の局長が即答した。「越える場合は申請が必要だ」
「申請……」
「様式27-A」局長は懐から紙束を出した。「三枚複写だ」
偽聖女の微笑みが一瞬だけ硬直した。私は黒革の帳に、厳粛に書き留める。
――局は越えない(様式27-A、三枚複写)。
議長が次に言う。
「第二議題。君が治癒したとされる負傷兵が、翌日ふつうに足を攣った件について」
「それは、神の試練で……」
「ただの水分不足だ」軍医が手を挙げた。「あと彼は寝相が悪い」
「神の試練も水分不足には勝てないってわけか」財務卿が頷いた。「記録に残しておけ」
私は書く。――神の試練は水分不足に敗北。
中庭の空気が、じわじわと“これは追放だな”に傾き始める。砂時計の砂も、じわじわと下に落ちていく。落ちていくのに、議題は増える一方だ。王国の会議はだいたいそうだ。
「第三議題。君が“聖水”として販売した瓶の中身が、川の水だった件」
「川の水も神が創り……」
「創ってはいるが、売るな」水利局が言った。
偽聖女は、いよいよ焦ってきたのか、突然両手を天に掲げた。
「では、ここで証明いたします。真の奇跡を!」
議長が眉を上げる。
「ほう。砂はまだ落ち切っていない。やってみよ」
偽聖女は目を閉じ、何かそれらしい詠唱を始めた。古語っぽい響き。神秘っぽい間。白ローブが風もないのにふわりと揺れる。観衆席の見学役人たちが息を呑む。
そして――
「……えいっ!」
彼女が勢いよく腕を振り下ろした瞬間、中庭の中央の噴水が、ぼこ、と妙な音を立てた。
水が――泡立った。
もこもこもこ、と泡が増え、噴水がまるで洗濯桶のようになる。
「おお……!」誰かが思わず声を漏らす。
「泡……?」軍医が首を傾げる。
「泡は……神の祝福です」偽聖女は強引に言った。「清めの泡です!」
財務卿が即座に反応した。
「清めの泡、か。税区分は?」
「税区分……?」
「嗜好品か、衛生用品か。後者なら減税対象だ」財務卿は目が真剣だった。王国を支えるのは信仰ではなく財務である。
偽聖女は答えに詰まった。泡は増え続け、噴水を越え、石畳へと流れ出した。中庭が泡まみれになっていく。
そのとき、私は気づいた。
泡の匂いが、妙に馴染み深い。どこかで嗅いだことがある。台所。石鹸。いや、これは――
「これ、食器用洗剤の泡です」
口に出してしまった。見習いの分際で。だが、出さずにはいられなかった。
一斉に視線が私に向いた。私は黒革の帳を抱え、震えながら補足した。
「公文書局の裏手で、清掃係が使ってるやつと同じ匂いです。青い瓶の……」
沈黙が落ちた。砂時計の砂だけが落ちる音を立てる。さらさらさら。
偽聖女がゆっくりと私を見る。微笑みは消え、ローブの白さだけが際立つ。
「……あなた、鼻が良いのね」
「ええと、はい。たぶん」
議長が咳払いし、淡々と言った。
「つまり、君は噴水に洗剤を投入し、奇跡に見せかけた、と」
「見せかけ……」
偽聖女は反論しようとして、口を閉じた。反論できる材料が泡にまみれていた。
そして、そのとき。
砂時計の砂が、落ち切った。
議長が立ち上がり、儀式のように宣告する。
「リリア(仮)。追放を決する」
会議席の役人たちが、妙に安心した顔をした。会議が終わる安心。真実に辿り着いた安心ではない。
私は黒革の帳を開き、震える手で“追放”の二文字を書こうとした。ここに記録した瞬間、彼女は正式に追放される。王国法第十二条・記録優先主義。だから帳は黒革で、重い。
ペン先が紙に触れる――その寸前、偽聖女が叫んだ。
「待って! その砂時計、違う!」
皆が、砂時計を見る。
偽聖女は、汗だくのまま噴水の縁へ走り寄り、泡を払って砂時計を指差した。
「それ、会議用じゃない! それ、休憩用よ!」
議長が目を細める。「何を言っている」
偽聖女は必死だった。必死すぎて、もはや聖女ではなく、締切に追われる庶民の顔だった。
「ほら、底に書いてあるでしょ! “珈琲三分”って!」
全員が、砂時計の底を覗き込んだ。確かに、小さく刻印がある。
――COFFEE 3 MINUTES.
一瞬、王国の重鎮たちが全員そろって文字を読み、同時に理解し、同時に「しまった」という顔になった。
先輩書記が小声で言った。
「議長、いつも会議長いから、最近はコーヒー砂時計で気持ちだけ短くしてるんだよ」
「気持ちだけ……」私は喉が乾いた。
議長の頬が引きつった。財務卿が手を挙げる。
「会議時間の正式な規定は、会議砂時計(十五分)に基づく。珈琲砂時計は……規定外だな」
気象局長が頷いた。
「規定外の砂で追放は、手続き瑕疵になる」
軍医が言う。
「追放の前に、まず泡をどうにかしないと滑って怪我人が出る」
水利局が咳払いする。
「この泡、排水計画が必要だ。申請は様式……」
「様式はもういい!」議長が叫んだ。叫んでしまった。重鎮が叫ぶと、だいたい事態は深刻だ。
偽聖女は、泡まみれの中庭の真ん中で、息を整えた。勝ち誇るというより、「助かった……」という顔だった。
議長は椅子に座り直し、深呼吸してから言った。
「追放宣告は保留。議事録にも――」
私は即座に答えた。「保留、と記載します」
すると議長は、黒革の帳をじっと見て、そして私を見る。
「……君、見習いだと言ったな」
「はい。今日が初日です」
議長は一拍置いて、言った。
「よし。君を、追放会議の専属書記に任命する。鼻が良いのは才能だ。泡の匂いを嗅ぎ分ける者は、この国に必要だ」
必要なのか。王国の未来が心配だった。
財務卿が感心した顔で頷く。
「嗅覚は監査にも使える。粉飾は匂うからな」
偽聖女が私の方を見て、にやりと笑った。聖女の微笑みではない。共犯者の笑みだ。
「あなた、いい仕事するじゃない。ねえ、書記さん。私、追放されないなら、ここで働いてもいい?」
議長が即答した。
「偽聖女は困る。だが――“広報担当”なら足りていない」
「広報……?」偽聖女の目が輝いた。「奇跡を“演出”していいの?」
「演出は、申請しろ」気象局長が言った。「様式27-Aで」
「三枚複写で?」偽聖女が聞く。
「三枚複写で」局長が頷く。
偽聖女は、しばらく天を仰いだ。晴れた空は何も答えない。だが彼女は、ぽつりと言った。
「神の御心って、紙の枚数が多いのね」
笑いが起きた。役人たちの笑いは乾いているが、今日は少しだけ柔らかかった。泡が中庭を白くし、石畳を滑らせ、会議の権威をほどよく削ったせいかもしれない。
私は黒革の帳に、今日の結末を刻む。
――追放は保留。珈琲砂時計により手続き瑕疵。偽聖女は広報担当(仮)へ。
最後に、私は小さく書き足した。
――追放より先に、泡の処理が急務。
雨上がりの中庭で、偽りの聖女は追放を免れた。代わりに、王城の職場に配属された。私も配属された。なぜか鼻の才能を買われて。
そして議長は、こっそり会議用砂時計を取り戻すのではなく、堂々と珈琲を淹れ始めた。
「コーヒーの三分は、世界を救う」
誰が言ったのかは知らない。たぶん財務卿だ。財務卿はだいたい世界を救う話をする。
泡だらけの中庭で、王国は今日も、妙に健全に回っていた。
夜勤明けって、脳のギアが一段落ちてるくせに、妙に視界だけは冴えてる瞬間があります。机の端の砂時計、誰かの黒革手帳、貼り紙の「会議」、掲示板の「追放」みたいな強い単語。それらが勝手に脳内で連結して、「はい、物語できました」と投げ込んでくる。
今回の話は、まさにそれです。雨上がりの中庭に置かれた三分砂時計なんて、普通は詩的に扱うべき小道具なのに、夜勤明けの頭だと「それ、会議に使ったら事故るだろ」という方向にしか転がらない。聖女も、神託も、崇高さも、結局は様式と複写枚数に潰される。たぶん、そういう“現実の重さ”が可笑しいんだと思います。
目に付いた言葉を五つ混ぜただけなのに、出てきたのは「偽聖女」「追放会議」「黒革の帳」「泡だらけの中庭」「珈琲三分」。まともなファンタジーをやる気は最初からなくて、最初の一行から最後まで、ずっと“役所のノリ”で走らせました。神の御心より、規定と申請が強い世界。怖いけど、たぶん現場は平和です。
夜勤明けの創作って、だいたいこんな感じで、本人は真面目に書いてるのに出力が軽い。軽すぎて逆に救われることもある。もしこれを読んで少しでも肩の力が抜けたなら、泡を噴かせた甲斐がありました。
次に目に付いた単語が何だったかで、次の話の温度も決まりそうです。寝る前に見た掲示物が「棚卸」と「監査」だったら……たぶんまた、誰かが泣きます。




