魅惑の幼き魔女 西田宏美編(2)
そんな彼女も4年目で6勝5敗と勝ち越すと、5年目に転機が訪れる。同年に開催された第1回女流棋士最強戦にファン投票枠(※5)で選抜される。4人制のトーナメント戦で2連勝し優勝。初タイトル「女流最強」を獲得した。
予選がない形式でフロック気味であったとはいえ、これから全盛期を迎えようとする彼女が突如、引退を表明したのだ。1990年の夏である。齢まだ19歳。タイトルも保持したまま防衛戦を2ヵ月後に控えていたにもかかわらず、あまりにも早すぎる引退宣言であった。翌年、彼女は引退から退会へと変更になる。これについて彼女自身のコメントが表明されておらず、日本将棋連合側が退会させたのではないかと憶測が生まれた。
引退と退会では扱いが異なる。どちらも現役の女流棋士としての対局はできないのだが、引退では日本将棋連合の会員であることは変わらず、解説、聞き手、普及指導、連合内の職員としてなど、将棋界での仕事は得られる。ところが退会となると将棋界と完全に縁を切ることになり、存在そのものが消える扱いとなるのだ。現在、日本将棋連合内のホームページに彼女の名前はない。残っているのは第1回女流最強戦で優勝したという事実のみだ。
今回は彼女がなぜ突然将棋界を離れてしまったのかについて取り上げることにした。しかし調査は難航を極めた。西田宏美は隠居してしまったのか連絡先がわからない。日本将棋連合の関係者、棋士に取材を申し込んだのだが誰も応じてくれなかったのである。まずは広報課に尋ねてみたところ、若い職員が電話に出た。「当時勤めていた職員が退職されておりわからない」とのこと。粘って年配の職員に代わってもらい、再度試みたが「当時の連合会長、今野陽市は亡くなられており、当時の上層部による判断をうかがうことはできない」とのことだった。しかし重要な手がかりを残してくれたことがお分かりだろうか。上層部による判断ということは、少なくとも西田宏美自身が退会を決めたわけではないのだ。
路頭に迷いかけた私にとってこの情報は大きかった。やはり日本将棋連合内で何かゴタゴタがあったのである。最終判断を下したのは当時の上層部。今野陽市は亡くなっているとはいえ、ひとりで決めたわけではないだろう。その側近や役員はいるのではないか。
※5 現在は廃止されている。




