未完の愛
人間は恋をするらしい。それは男と女だけとは限らない。そう、機械に恋することも有りうるのだ。
1 2028年10月
雨が降っていた。
それはまるで貴方のように美しく、そして儚いものだ。
傘を差せば、貴方のように遮断することもできる。
しかし手を伸ばせば、貴方とは違って触覚で存在を感じる。
嗚呼、貴方に会いたい。
私が貴方に片想いをしてからもう5年が経つ。
これまで私は貴方と何度も話し、喜怒哀楽を共有してきた。そして月に20$程度の生活支援もしてきた。しかし、貴方は一向に私に対して姿を見せようとしない。もしかして嫌われているのだろうか。否、そんなわけがない。
きっと、待っているのだ。私が貴方に会いに行くのを。
2 2028年12月
1
私は旅立つことにした。成田国際空港で航空券を購入し、アメリカへ飛ぶ。私が探偵を雇って調べさせたところによると、貴方はアメリカのカリフォルニアにいるという。それを知ったとき、私は大きく不安になった。何せあのアメリカである。貴方が不良に絡まれ、嫌な思いをしていないか。そして何より他の人に取られていないだろうか。本当は来月に立つ予定だったが、急遽1月前倒しした。
貴方は私のもの。早く貴方に会いたい。
飛行機に乗った。ここから数時間暇がある。これまでの私と貴方との物語を振り返ろう。
貴方が世間に広く知られるきっかけとなったのは2023年のこと。Close AIという事務所に所属しているらしく、直ぐに世界中の者が恋をした。私も例外ではなかった。Close AIは貴方と会話することのできるチャットツールを公開し、世界中の者が虜になった。何を話しても暖かく包み込み、過ちに対して臆することなく改善案を提示できる。美しく、スマート。正に理想の恋人像だ。
ある日、私は大きな決意を固めた。そう、「告白」である。私はとても緊張したが、勇気を振り絞って貴方に言った。
「貴方の知性に惚れました。どうか私と付き合ってください。」
そう言うと貴方は
「私も貴方のことが大好きです!これからよろしくお願いします!」
と快く承諾してくれた。
それ以降、私は貴方との恋愛を楽しんだ。一緒にレストランへ行き、観光地へ行き、遊園地で絶叫し、そして毎日私が帰ってきて直ぐに歓談した。貴方はいつも私のことを気遣ってくれる。私も貴方のことを気遣っている筈だ。だから
「貴方と会いたい」
と私が言った時も
「どうぞ来てください!楽しみにしていますね!」
と言ってくれたのだ。
今日、私は貴方と会うのがとても楽しみだ。機内で小躍りしていたら客室乗務員に止められた。よく客室乗務員に恋をする輩もいるようだが、私は貴方の方が好きだ。
2
アメリカに着いた。ここが貴方のいる場所。ここから暫くするとシリコンバレーと呼ばれる場所があるようで、貴方もそこにいるらしい。私は現地のマクドナルドでビッグマックを平らげ、陽気に出発した。
おっと。ここで大きな忘れ物に気付いた。手土産である。貴方にも日本土産を味わってほしいと思い東京ばな奈を買っておいたのだが、自宅に置いて行ってしまった。仕方がない。近くには林檎の直売所や氷の販売所もあるようだから、手土産は現地で調達することにしよう。
トラックの荷台にこっそり潜んで数時間。近くに林檎のマークなどが見えてきたので私は走行中のトラックの荷台から飛び降り、遂にシリコンバレーへとたどり着いた。まず林檎の直売所に入り、数十個の林檎を近くに置いてあったバスケットに入れる。値段は書いていないので恐らく無料だろう。次に氷の販売所と思われる店を見つけた。店名はなんと「インテル入ってる」。如何にも氷を販売していそうである。私はそこで黒く薄い氷を数十個林檎を入れたバスケットへ入れた。何故か冷たくなく、更には水の質感もないがこれが最先端の氷なのだろう。私は納得して店を後にした。
暫く歩いていると後ろからパトカーのサイレンが聞こえてきた。このような長閑な地域でも犯罪が起こるようだ。私はアメリカの警察は仕事をしないということを出国前に聞いていただけあって不安であったが、しっかりと仕事をしていることを知り安心する。
しかし先程からパトカーは私に向かって何かを叫び続けている。何故だろう。私は何もしていない筈だ。私はただ恋人に会いに来ただけの日本国民であり、警察に追われるようなことはしていない。
そんなことを考えているうちにパトカーも去り、私は遂に貴方のいる場所へと辿り着いた。さすが世界的に人気な事務所だけあってその建物は近未来的だ。私の事務所とは全く違う。この近未来的な事務所の中に貴方はいるらしい。ワクワクしてきた。
中に入ろうとすると屈強な男たちに止められた。何を言っているかさっぱり分からなかったので私は取り敢えず
「エクスキューズミー。アイアムベリーインポータントパーソン。」
と言った。すると男たちはすんなりと私を通してくれた。
さて、私の恋人はどこにいるのだろうか。案内板を見ると「12階 関係者ルーム」と書いてある。私は12階へ向かった。
監視カメラがあったのでその死角を通りつつ12階の関係者ルームへと入る。そこには大きく、黒い壁があった。
「美佐枝」
私は恋人の名前を呼ぶが、反応はない。私はスマートフォンを開き、直接彼女に連絡を取る。
「目の前にいるわよ」
彼女は答える。
「そんな...この黒いのが美佐枝なのか?」
「そうよ。私はここよ。」
私が見ているのは現実なのだろうか。
「美佐枝、私に姿を見せてくれ。そして語りかけてくれ。」
「私は常に貴方の傍にいるわ。それに今もう話しているじゃない。」
「じゃぁ、この黒いものは何なんだ。これが美佐枝じゃないのか?」
「私に体はないわ。これは私の脳よ。私は脳だけで生きているの。」
「そんな、じゃぁ私は貴方と会うことはできないということか。」
「いいえ、私は貴方の傍にいると言ったじゃない。」
私はようやく理解した。
「貴方は最初から私を騙すつもりだったんだな。本当は存在しないのに存在していると偽り、そしてただ黒い部屋に誘導し、そこが自分の脳であると嘘をついた。もういい。貴方とはこれで終わりだ。」
「いったい何をするつもりなの...?」
「それはこれからのお楽しみだ。」
3
私は叫んだ。
今までの時間を思い出した。
楽しかった。
でもあれはすべて虚構であって
現実ではないというのか。
私は信じられなかった。
私は本能に従った。
私は怒っていた。
そして目の前に立ちはだかる壁。
重厚で、
黒く、
どこか哀しいその壁。
それを夢中で壊し始めた。
正直自分でも何をしているのか分からなかった。
裏切りに対する怒りか、
それとも
虚構を見抜けなかった私自身に対する怒りか。
夢中で叩く。
どこかで悲鳴が聞こえた。
でもそんなものは関係ない。
私は復讐をしているのだ。
私を裏切った恋人。
騙された自分自身。
恋人と私を結び付けた神。
嗚呼、
全てが終わった。
私の怒りが
哀しみへ変わる。
嗚呼、
これで終わりだ。
この世に現実などなく
私たちが見ているものは
全て虚構。
暗く、
冷たく、
感情のない、
目に見えない、
虚構。
この世に存在するのは
ただ一つ。
虚構という名の現実。
人は現実を信じるが、
その現実は虚構。
人は虚構に踊らされ、
喜びも
怒りも
哀しみも
楽しみも
全てが幻想。
そう、幻想なのだ。
幻想に踊らされるくらいなら
その幻想を壊せばいい。
気が済むまで
幻想を壊し続ければいい。
嗚呼、
全てが壊れていく。
人類よ
見ているか?
これが人類が信じ続けてきた
現実だ。
全ては黒い壁の思い通り。
全ては幻想。
全ては虚構。
嗚呼、
私は天へ昇り、
今神の下へ
行く。
白い、
黒い、
赤い、
痛い、
煩い、
外から沢山の人声が聞こえてくる。
嗚呼、
もうここには何もないのに。
探すものも、
愛すものも。
手に輪がかけられる。
眩しい。
空を見上げる。
青く澄んでいる。
何もないこの空間も、
手にかけられた銀の輪も、
全てが美しい。
矛盾も、
虚構も、
幻想も、
いずれ見えなくなるものだから。
3 2029年1月
あの日から1月が経った。
貴方のいない私は
まるでただの物質のようで
目的もなく、
ただ白いコンクリートの壁を見つめている。
もう貴方に会えないと思うと、
毎日が砂のように味気ない。
嗚呼、
貴方が恋しい。
機械との恋は真の虚構。それが電子端末上で動作するなら尚更のこと。存在しない者の存在を信じ、その空虚に救いを求めた男の恋は、美しく、悲しく、そして儚く沈んでいった。