8 翌日。
まさか、煽る様な作戦だとは思わなかったのですが。
『結婚後はどうするつもりだ』
次にお会いする間も無く、仮面舞踏会の翌日にご主人様から接触が有りましたが。
コレは単に、仕事の為、だけでは。
と言うか、バレていたんでしょうか。
「お相手の方次第ですが、私としてはもう、中年ですので落ち着こうかと」
『全く向上心が無いな』
「はい、もう年ですし、若い方の活躍の場を妨げるワケには参りませんから」
はい、本心です。
それにお相手の方も、そう仰って下さっていた。
『どんな男だ』
「優しくて穏やかな方ですね」
奥様を亡くされ、結婚する気は無いと仰っておりましたが。
良い方でした、勿体無いと思いました。
『気に入ったか』
「ですね」
友人として、ですからね。
とっても奥様を愛されているんですよ、今でも。
もうそれだけでも、私には学びになりました。
本当に良い結婚も有るのだ、と。
『若ければ違ったか』
どうでしょうね、かなり前に挫折しましたから。
「かなり前に諦めたんです、色々と、なのに欲張った結果。更に失敗した」
『元夫の事か』
「始まりは父が勤めていた場所が無くなった時、私は学ぶ機会を失った。けれど新たに学ぶ為に稼げる程、身体が強く無かった、何もかも諦めるしか無かった」
『何がしたかったんだ』
「美しくする補佐を、髪を結い上げたり、綺麗だったり可愛い方々に囲まれたかった。そうした事に憧れていたんですが、私には無理だった、その後に薬草無しでは働けない体になっていた」
『心労か』
母は父が再就職出来た直後、亡くなった。
多分、アレも心労のせいだと医者に言われ、父は大泣きしていた。
「かも知れませんね、母も、そうでしたから」
綺麗にして喜ばれる。
可愛くして喜ばれる。
そんな世界に憧れていたけれど、分不相応だった。
何をするにも体力勝負、無理をしてなんぼの世界。
私には無理だと思い知らされた。
『今は何も飲んではいないと聞いているが』
「環境が合ったのかと、それに今は、無理をせず過ごせていますから」
薬の効きが悪い高血圧、月経不順、眩暈。
それらが綺麗に消えた。
本当に、良い世界なんですよねココ。
『若くて健康なら』
「いいえ、欲張れる程、何かを持ってはいませんから」
本当に、穏やかに余生を過ごせれば良い。
眺めているだけで楽しい世界なのだから、コレ以上望む事は何も無い。
『どう足掻いても、相手の為に努力するつもりは無いのか』
「出来る範囲ではしますが、無理をするつもりは全く無いです、人生は短いですから」
多分、私は本当は死んでいる。
ココは余生、魂を綺麗にする待合室、生まれ変わる前の束の間の余暇。
なのに、何で成り上がる必要が有るのか、庶民には全く分かりません。
『どう過ごすつもりだ』
「そうですねぇ……」
記念日には食事に出掛け、天気の良い日は庭で読書か、針仕事か。
時には庭園へ出掛け花を観賞し、天気が悪ければ料理をするか、虹を探しに行くか。
午後には本の感想を語り合うか、明日の予定を話し合うか。
夕食も共に過ごし、次の料理の話し合いをする。
時には夕暮れを見に海辺や川辺に向かい、早朝に起きれば朝焼けを見て過ごし。
雪が降れば雪を眺め、暖炉の前でゆっくりと過ごす。
『そうだな』
そう過ごせれば、そう思ってしまった。
そんな願望など全く無かったにも関わらず、彼女が語る穏やかで静かな夫婦の時間に、堪らなく憧憬を覚えた。
「まだお若いんですから、先ずは成すべき事を成して下さい。大丈夫、ご主人様はお優しいし賢いのですから、きっと素晴らしい方と一緒になれますよ」
私は、何処まで登り詰めれば気が済むんだろうか。
もう居ない祖母を目の敵にし、居もしない者に縛られ、私は本当は何がしたいんだろうか。
『何処まで行けば、祖母に後悔させられるだろうか』
「あの、お幾つで、亡くなられたのでしょうか」
『16になる前だった、成人の儀だとほざいて祖母が食わせた。私を気に入っていなかったのは知っていた、弟の方に継がせたかったのだろう』
「最早、毒殺では」
『だが他の者には毒では無い、弟の肖像画には満面の笑みで描かれていた、だが弟の子がガレットで亡くなり血は途絶えた。結局は、どちらだったのかは分からない』
「何と申し上げたら良いか」
『率直に言え』
「生まれ変わって良かったですね」
あぁ、そうか、と。
彼女の言葉は、どうしてなのか、そう思わせる何かが有る。
『後悔してくれているだろうか』
「もうなさってる筈ですよ。きっと地獄で、悪かった、許してくれと何度も咽び泣いている筈です」
『本当か』
「まぁ、孫まで立派にお育てになられたら、あまりの恥ずかしさに燃え尽きるかと」
例え執事長に言われ様とも、侍女長に言われ様とも。
そう直ぐには受け入れられなかった言葉達が、どうしてか最後には何の疑問も無しに受け入れられ。
いや、受け入れられない言葉も有る。
『ウチの大事な侍女だ、しっかりと調査させる』
「私の私事に首を突っ込むのでしたら、試用期間を終え切り上げさせて頂きます」
『何』
「私の事よりご自分の事に集中して下さい。どうしても気になると仰るなら、侍女長よりお伺い下さい、お知り合いだそうですから」
『そうか、後は仕事に戻ってくれ』
「はい」
ふふふ、早速ですね。
『侍女長』
《はいはいはい、只今》
焦らして差し上げたいのは山々なのですが、坊っちゃまが冷静になられたら気付いてしまうでしょう。
鉄は熱いウチに打て、ですからね。
『アレの』
《ご主人様、使用人の私事に首を突っ込み過ぎては、離れられてしまいますよ》
『だが、何故紹介した』
《そりゃ良い年ですし、仕事もそこそこ、人柄も悪くは無いのですから紹介もしますよ》
『今更馴染んだ者を』
《あの程度の人材は他にも居ります、何を拘ってらっしゃるのですか》
『分からないのか』
《仰って頂かなければ分かりません、一体、何を拘ってらっしゃるのですか》
侍女なら替えは効きます。
有能なモノが欲しければ、お給金を上げれば良い。
何故、あの子が必要なのか。
坊っちゃまが、しっかりと自覚なさらなければならない。
『率直に話してくれるんだ』
《私共が居りますでしょう》
『素直に、受け入れる事が出来る』
《多少お時間が掛かっても、ご主人様は理屈さえ分かれば、ちゃんと受け入れて下さいます》
あぁ、やっと分かって下さいましたか。
『彼女と、共に過ごしたい』
《では使用人として》
『違う、夫婦として、共に過ごしたい』
《更に爵位を上げるには不相応です》
『何の為に上げる、上げなければならない理由は、もう無くなった』
やっと、亡霊の手が離れたのですね。
《では、あの子の気持ちはどうなるのです》
『どうすれば良い、素っ気無くしてしまった、もう他の男に』
《あら、私がお伺いした限りでは、互いに良い友人になれそうだとお伺いしましたよ》
『だが』
《お気持ちを伝えず過ごし、万が一にもお亡くなりになられても、本当に宜しいのですか》
人種は弱く脆い。
ふとした事で、簡単に死んでしまう。
『だが、どうすれば』
《振り向かせれば良いのです、そして大切にすると伝え、想いを伝える》
言わねば伝わりません。
そして行動で示し、全てで示す。
『今更、どんな顔をして』
《繕う事を最も嫌がっておられたのは誰です、さ、鉄は熱いウチに打たなければならないのです。本当に失いたく無いのなら、直ぐにも行動せねばなりません》
『何か、手持ちの、渡せる物は』
《はいはい、コチラで宜しいですか》
『あぁ』
白いリシアンサスの花言葉は、思い遣り、永遠の愛。
《ですが、手放すなら今です、私はどちらでも坊ちゃまを応援致しますよ》
決めるのはアナタですよ、坊ちゃま。