6 伯爵の迷い。
『私が間違っているのか、執事長』
『本音でお話し申し上げる事は確かに必要で御座います、ですが語れるかどうかは、また別の事』
『なら、無駄になるかも知れない時間を』
『ですので、後は相性の問題、で御座いますね』
『相性など』
『信念の前では相性など関係無い、ご尤もだとは思います。ですが本音を、本能を抑え込む辛さを本当に、ご理解なさってらっしゃいますか』
シルキーは離別の苦痛により消滅するか、バンシーとなる。
例え理屈を理解していようとも、離別とは耐え難い苦痛を伴うのです。
それが例え思い合っていなくとも、成就しなくとも。
『私には義務が有る、信念が有る、成すべき理由が有る』
『どれかをお選びになる他には、無いかと』
以前よりも、ご令嬢と過ごす時間をさぞ無駄に思われるでしょう。
ですが、成り上がるならば、それらに耐えねばならない。
若しくは妥協か、自らの幸福を追い求めるか。
人種は脆く弱い生き物。
私もそうです。
そして選ぶべき道を間違てしまった。
ですから、だからこそ、坊ちゃまには幸福を追及して頂きたいのですが。
その復讐心が手放せないのなら、どちらにせよ後悔が訪れるでしょう。
「行ってらっしゃいませ」
『あぁ、行ってくる』
アレから直ぐに、ご主人様はご令嬢方とのお茶会に奔走する様になり、私の相手を全くしなくなった。
遊びだったのね。
だなんて、思いませんよ。
確かに幾ばくか心苦しいですが、若く美しいご主人様には。
いえ確かに16才を2回生きてらっしゃいますが、まだまだ人生は長い、所詮中身は16才。
何度繰り返そうとも、その先は未知の領域。
私に出産の喜びは分からない。
例え結婚していようとも、幸せな結婚生活とはどんなモノなのかも、全く分からない。
成長するには経験が必要となる。
年を重ねる程度で、人は成長しない。
踏み台結構、板バネ結構。
出来る方に成長して頂く為なら、オバサンはコレ位。
「はぁ」
いや、そこそこ折れてはいますよ。
全く助言は求められなくなってしまいましたし、何かを尋ねられる事も全く無い。
幾ばくか親しかった筈が、急に突き放された。
こんな事、同性にされたって傷付きますよ。
《ちょっと良いかしら》
「はい、只今」
何でしょう。
何かしちゃいましたか。
どれだ。
何だ。
《ふふふ、さ、お茶にしましょう》
あぁ、何だか凄い失敗を知らぬ間に。
全く心当たりは無いですが、取り敢えず謝っておこう。
「あの」
《傷付いているわよね、ごめんなさい》
あぁ、バレてましたか。
「一体、何の事か」
《返答が早いわねぇ、もう少し、考えるフリをしないと》
「申し訳御座いません」
《ふふふ、素直で結構。ぼ、ご主人様もね、本当はとても素直な方なんですよ》
自らの子供の様に思ってらっしゃるんですね、侍女長。
「それは分かります、はい」
《ですが、使命と復讐心に苛まれておられます》
「あぁ」
祖母を見返したい。
後悔させたい。
当然ですよ、意図したかどうか分かりませんが、殺されたんですから。
《ふふふ、やっぱり》
「やっぱり、とは」
《そう直ぐにお分かりになれるモノでは有りませんよ、同じ年のご令嬢方なら、つい綺麗事を言ってしまうでしょう》
「それは、まぁ、経験が」
《坊っちゃまの過去を知るモノは僅かです、それは何故か、分かるわね》
「付け入られない為、悪用されない為、かと」
《そうです、ですが私達に何の相談も無しにお話になった。最初から、アナタを信頼してらっしゃった、相性の良さを自然に受け入れた》
「ですが」
《あの時、お顔には出てらっしゃいませんでしたけど、とても怒ってらっしゃいました。そして以降は、もう本当に、アナタの心配ばかり》
嬉しいけれども、それはあくまでも仕事では。
「それは当主として」
《いえいえ、一緒に観劇に行かれた後は、鼻歌まで出たのですよ》
鼻歌。
あのご主人様が、鼻歌。
「あの、大変光栄に存じますが、私かなりの年ですし」
《若返りの魔獣、いえ聖獣の方が多いですから、探されれば良いじゃありませんか》
「こう、もう少し、他の」
《あのご主人様が気に入る方が、どの位居られると思ってらっしゃいますか。しかも、年が近ければ近い程、難しいとは思われませんか》
居るならとっくにご婚約されているとは思いますが、結婚は人生を左右する。
慎重になられても致し方無いんですし、ちょっと気が合う程度で結婚すると、結局は失敗するワケですし。
「私、本当に何の取り柄も」
《ご主人様は取り柄では無く、お人柄を気に入られたのです、今はただ迷われているだけ》
「だとしても、本当に、何も成してもいないのに」
《相性です、お覚悟をお決めになって下さいまし》
覚悟と言われましても。
25才差ですよ。
庶民と貴族ですよ。
「無理ですよ」
《坊っちゃまが道を間違われても良いのですか》
「それは避けたいですが」
《では、坊っちゃまが道を違えぬ様、協力頂けますか》
「はい、それは勿論ですが」
《大丈夫、任せて下さいませ》
3日働き1日休む、ソウは繰り返し同じ日程で動いていた筈だが。
『アレはどうした』
《あぁ、コーリングカードが来まして、お出掛けになられましたよ》
『何処の令嬢だ』
《いえ男性ですが、何かご用事でしょうか》
『いや』
ソウに、私との事は何も響かなかったのだろうか。
私がこんなにも思い悩んでいるのに、彼女はいつも通り、以前と全く同じ態度で声を掛け様ともしては来ない。
私だけが。
《坊ちゃま、良い方は居られましたか》
『居るワケが無いだろう、どれも売れ残りばかりだ』
《ではいっそ、未亡人でもお探しになられますか》
彼女と同じ条件なら、いっそ妥協出来るだろうか。
彼女の様に率直に物を言ってくれるだろうか。
『分かった』
《丁度、コチラのお誘いが御座います、如何でしょう》
仮面舞踏会か。
鑑賞するだけなら、彼女も行ってはみたいと言っていたが。
『侍女長、アレを連れて行く』
《坊ちゃま、それは流石に酷では》
『何故だ』
《ハッキリと申し上げますが、あの子は相応に傷付いてらっしゃるんですよ》
『そうか』
《本当で御座います、ですが40ともなると、隠すのも誤魔化すのも上手くなると言うもの。ですが、だからこそお年を気にされ、どんなに利用されようとも構わない。そう思っているのですよ》
『私は、利用するつもりなど』
《結果はどうですか、楽しい一夜を過ごした筈が、次の日から全く別人かの様に話し掛けられもしない。私が坊ちゃまに誰かがそうした事をなさったら、どうにか傷付けてやろうと考えてしまいますよ》
『だが、向こうからは何も』
《確かに坊ちゃまは合わせれば32才ですが、アナタ様に結婚後の苦労が本気で分かるとお思いですか。アナタ様は16才の先をお知りでは無い、経験なさっていない、ですがあの子は違います。分かっているからこそ、何もなさらないだけです》
『本気で、ただ弁えているだけだとでも』
《子供の為に親は大抵の事は我慢が出来るんです、どんなに不条理で理不尽でも、子の為になるなら我慢を我慢とすら感じないモノなのですよ》
『それにしても限度が有るだろう』
《坊ちゃま、勝手に拗ねるのは結構ですが。他のご令嬢の様に表に出さないからと言って、年だからと言って、女心や乙女心が無いとは言い切れないのです。それとも本気で、ただ一時の楽しみを得る為だけに弄んだのなら、私は許しませんよ》
『違う、分かってくれている、だろうと』
《勿論、あの子は分かっておりますよ。まだお若いからこそ悩まれている、慎重に選ぶ必要が有ると、だからこそ何も表には出さないだけです》
『私の事を、気にしてくれていたのか』
《勿論、だからこそ、次に外の方にお会いになったのです》
私との事を、忘れる為。
『どうしてか、とても複雑だ』
嬉しさと悔しさが有る。
僅かな怒りと喜びが有る。
《では整理なさって下さいませ、この先の事も含め、全て》