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ディープ・ブラック・アコニツム  作者: 谷口凧
第二章:海と異変の町編
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第十六話 静寂の下に潜むもの

 「――この町には、異星人がいる」


 野崎の言葉に、場が凍りついた。


 市ヶ谷は思わず息を呑む。九条は静かに目を閉じ、牛塚は驚愕に目を見開いたまま、言葉を失っていた。


 野崎は目を伏せたまま、ぽつりと続けた。


 「それも――悪質な」


 砂浜に風が吹く。小さく舞い上がった砂が、牛塚の足元をさらっていく。


 「お、おい、待てよ。悪質って……どういう意味だ!? それに、なんで急にそんなことがわかるんだよ!?」


 牛塚が思わず声を荒げ、野崎に詰め寄る。混乱、恐怖、不信。

 それらがないまぜになった視線を向けられても、野崎は目を伏せたまま何も答えない。


 (……やばい。社外の人に能力のことは……さすがに言えないよな?)


 市ヶ谷が目を泳がせながら内心焦っていたそのとき、九条が間に入った。


 「この子は、直感が妙に鋭いんです。昔から、ね」


 それは苦しい言い訳に聞こえてもおかしくない。だが九条の声には揺るぎがなく、不思議と説得力があった。


 「ふーん……」


 牛塚はしばらく黙ったまま野崎を見つめ、それから肩をすくめた。


 「……まあ、俺も記者だからな。勘で動くことは多い。信じるよ。今はな」


 (えっ、それで納得するんだ……?)


 市ヶ谷は心の中で呟いたが、言葉にはしなかった。


 「ひとまず、今日は海に出るのはやめましょうか」


 九条が締めくくるようにそう言うと、全員が黙って頷いた。


 ――旅館のロビーへ戻ると、四人の足取りは自然と止まった。


 「じゃあ、また後でな。俺は部屋で情報整理でもしてるよ。

 ……“悪質なやつ”って件、何かわかったら教えてくれよ」


 牛塚は少し声を落としながら手を振る。その顔には、どこか気遣うような色があった。


 「……わかりました。また夕食前にでも」


 九条が丁寧に頭を下げる。


 「その……いろいろとサンキューな。助かったよ」


 そう言い残して、牛塚は階段へと姿を消していった。


 ――ロビーに静寂が戻る。市ヶ谷たちは目を合わせ、無言のまま自分たちの部屋へ向かって歩き出した。



* * *



 部屋に戻り、座椅子に腰を下ろした九条は、すぐに口を開いた。


 「野崎くん。さきほどの件――何がわかったんですか?」


 野崎は頷くと、少しだけ体勢を整えて話し始めた。


 「はい。いろいろと判明しましたよ。

 ……まず、あの男性が怯えていた理由ですが、原因は異星人です。具体的な種族としては、“半魚族はんぎょぞく”と思われます」


 市ヶ谷は、思わず息をのんだ。


 「ボクが“どうして海に出てはいけないんですか”と尋ねたとき、あの人はこう考えていました。

 “漁師たちみたいに連れて行かれる”。そして、“このことを話したら、半魚に殺される”――と」


 九条の目がわずかに細められた。


 「……なるほど。町の静けさも、船の不在も、すべてそこに起因するわけですね」


 「はい。おそらく、漁師たちを連れ去る際に、船も一緒に持って行ったんでしょう。追手が来ないようにするために。

 そして、恐怖による支配。それで町の人々は沈黙している。……これが、この町の現状かと思います」


 (……くそっ)


 市ヶ谷は、無意識に拳を握っていた。


 (……油断してた。ちゃんと見てるつもりだったのに、何も気づけなかった)


 自分の未熟さが、悔しかった。

 その横では、九条はいつもと変わらぬ落ち着きで言葉を継ぐ。


 「野崎くん。このことを、すぐに佐々木さんに報告してください。電話で構いません」


 「わかりました」


 野崎がポケットから携帯を取り出す。

 その間に、九条はさらに続けた。


 「我々が次にすべきは、町の被害状況の把握です。

あの男性の怯え方からして、すでに“死人”が出ている可能性が高い」


 声の調子が、わずかに低くなる。


 「異星人による被害が“甚大”かつ“悪質”な場合、正当防衛のもと実力行使が認められます。

 ただし――確かな証拠が必要です。連中はそれを隠す手段に長けている」


 九条の言葉に、市ヶ谷はゴクリと喉を鳴らす。


 「それに、ボクたちはまだ半魚族の姿すら確認できていないわけですからね。こんな状態で犯人扱いするわけにはいきません。

 下手をすれば、特区送り――最悪、秘密裏に処刑されてしまうかも」


 野崎の声音には、皮肉と警鐘の両方が含まれていた。


 「そうです。だからこそ、半魚族の存在を確証づける手がかりを掴む必要がある。

 そして――警告してくれたあの男性の身も、守る必要があります。

 先ほど我々と話していたことで、もしかすると目をつけられているかもしれません」


 野崎が頷いた。


 「はい。あの人がいなかったら、ボクたち、今頃は半魚族の腹の中だったかもしれませんからね」


 「……命の恩人」


 市ヶ谷の静かな呟きに、九条が深く頷いた。


 「――あっ、そうだ。他にも気になる点がいくつかあります」


 野崎が再び体勢を整え、真剣な顔で続ける。


 「町長に関しては、どうしてもこの件が“読めなかった”。本当に知らないのか、それとも意図的なのか、判断がつきません。

 そして女将は……市ヶ谷が船のことを尋ねていた時、“夕飯の献立”のことしか考えていなかった」


 「それは奇妙ですね」


 「はい。普通、人は相手の話に多少なりとも反応するものです。ですが、あの女将は食べ物のことしか考えていなかったんです。

 まるで、会話を聞くという行為そのものを放棄していたように見えるほどでした。いずれにせよ、異常です」


 九条は静かに頷き、言った。


 「……手分けして調べましょう。証拠の確保、町長と女将に関する調査。

 そして、なにより――水辺には、絶対に近づかないこと」


 その言葉に、市ヶ谷と野崎が深く頷く。


 「半魚族は“海の支配者”です。水中では我々に勝ち目はない。これは絶対に忘れてはいけません」


 静かながらも鋭い九条の声。

 その言葉を最後に、野崎が佐々木へ電話をかけ始める。

 

 部屋に鳴り響く呼び出し音を聞きながら、市ヶ谷はふと目を閉じ、拳を強く握った。


 (俺には、何ができる?)


 特殊な力はない。異星人についての知識も、経験も足りない。


 それでも――


 (何かあったときは、俺が盾になる。九条さんと、野崎を、俺が守るんだ)


 そう心に決めたその瞬間だった。

 


 ――カタッ。


 

 小さな音が、部屋の扉の方から響いた。

 市ヶ谷が反射的に顔を向けたときには、すでに野崎が立ち上がり、音のした方へ駆けていた。


 扉を開くと、そこには牛塚がいた。まるで盗み聞きを咎められた子どものように、廊下で後ずさりしている。


 「……いつからそこにいたの?」


 野崎が低く、冷たい声で尋ねる。その声音に責め立てるような色はなかったが、牛塚は明らかに狼狽していた。


 だが、牛塚は返事をする代わりに、野崎を押しのけるようにして部屋へ踏み込み、そのまま九条の前に膝をついた。


 「な、なあ……頼む、教えてくれよ。あんたら、今話してた内容……全部、全部、本当なのか?

 俺の妹は、その……半魚族に連れて行かれたってことなのか……? 死人って、聞こえたけど……それ、まだ確定じゃないよな?」


 その手は小刻みに震えていた。声も、どこか壊れたように歪んでいる。


 「牛塚さん……」


 市ヶ谷が小さく呟く。九条も静かに彼を見下ろし、ひとつ息を吐いた。


 「……すべては、まだ確定していません。これから、調査を行います」


 淡々とした言葉だった。けれど、その響きには確かな誠実さがあった。


 「そ、そうか……そうだよな……! まだ決まったわけじゃないもんな……!」


 牛塚は繰り返すように頷きながら、無理に自分を落ち着かせようとしていた。だがその顔は、ひどく青ざめていた。


 そんな牛塚を、市ヶ谷はただ見つめることしかできなかった。扉を閉めて戻ってきた野崎も、そっと視線を落としていた。


 「……頼む。調査、俺にも手伝わせてくれ」


 牛塚が、頭を深く下げた。


 「俺のことはどうなってもいい。囮でもなんでもやる。だから……だから妹だけは――あいつを見つけたいんだ。お願いだ……!」


 必死な訴えだった。

 その背中には、取材で鍛えた記者としての冷静さは微塵も感じられなかった。

 今にも崩れ落ちそうな体で、ただ、妹を想う一人の兄として頭を下げていた。


 九条はしばらく黙っていたが、やがて静かに口を開いた。


 「……わかりました。ただし、絶対に他言無用でお願いします。最悪の場合、あなたの命にも関わりますから」


 「もちろんだ……絶対に、絶対に誰にも言わねえよ……!」


 牛塚は深く、何度も何度も頭を下げた。


 「では、四人で手分けして動きましょう。町長と女将への聞き込み、それから……我々を止めてくれた男性の保護です」


 野崎が言葉を継いだ。声はいつも通り淡々としていたが、どこか熱を帯びているように感じた。


 「そうですね。町長と女将は、半魚族と繋がっている可能性も考慮すべきです。私と野崎くんが担当します。

 市ヶ谷くんと牛塚さんは、あの男性のもとへ向かってください。保護と状況の確認をお願いします」


 「……了解です」


 市ヶ谷が頷く。横で牛塚も、少し顔を上げて答えた。


 「……わかった。忠告ありがとよ。なんかあったら、このボウズは俺が守るさ」


 照れ隠しのように笑いながらも、その声には本気が滲んでいた。


 「……ありがとうございます」


 市ヶ谷も自然と頭を下げていた。


 「それでは、調査開始です。連絡は随時。くれぐれも、水辺には近づかないように」


 その場の空気がきりりと引き締まる。

 立ち上がった市ヶ谷は、隣にいる牛塚に目をやり、小さく頷いた。


 こうして、四人は二手に分かれて、それぞれの場所へと向かっていった――。

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