夢
息苦しい煙、血生臭い悪臭、赤いドレスにべっとりと絡みつく紅色。
周囲には熱の塊が轟々と揺らぎ、唸りを挙げている。
「姫様! ここは危険です! 早く脱出を!」
「嫌ですっ! お父様が……お父様がっ!!」
「──王から託されたのです。貴方が居れば、いずれ国は再興できると。……ですから早く!」
駄々をこねる幼児のようにリィルが声を張り上げる。
彼女の脳裏に未だ焼き付いてるのは、彼女の父が己を庇い凶刃に貫かれ伏せる光景。
気付けば駆けつけたファイに連れられ、城の廊下を駆け抜けていた。
「──」
そんな期待をかけられる器じゃない。
口にするたび何度も咎められた言葉が喉までせりあがり、理性で抑える。
父は強いかどうかは分からなかったが、いつも堂々としていた。
国民の前に出る時も、大臣たちと国の未来について議論を交わす時も。
娘であるリィルと話すときも。常に前を向いていた。
服の上からでも分かるぽっこりとしたお腹はあまりカッコいいとは思わなかったけれど、それがなんだと言わんばかりの臆せぬ振る舞いは尊敬出来た。
あまり政治のことは詳しくないリィルだが、国の雰囲気から父への信頼が厚いことはなんとなく知っていた。
『アイリィル様じゃねぇか! 今朝取れた新鮮な野菜でさぁ、持って行ってくだせぇ!』
『え、あ、──ありがとうございます……?』
『バカモン! 女の子は甘いものだよ! アイリィル様、こんな奴のよりこっちの桃の方が美味しいですよ。是非どうぞ!』
『わ、わ……』
ファイと共に街へ繰り出したときは、お金も払っていないのに店を出している人から持ってけと色々積み上げられ、持ち帰るのが日常だったほどである。
そんなに渡されたところで返せるものはない。町の人たちがくれたお礼はあくまで父へ向けられた物。
次期王女であるリィルに向けられたものではない。彼女を通して、父を見ているだけである。
その事実がリィルは堪らなく嫌だった。
だからリィルは父にいつも尋ねる。
『どうすればお父様のように強くなれるのですか?』
何度も、何度も投げかけた質問だった。
けれど、父は機嫌良さそうにお腹を撫でると、苛立ちもせず微笑み──
『守るべきものが、あるからね』
と、リィルの頭を撫でてくれた。
髪が乱れるのでやめて欲しかったが、不思議なことに父のふくよかな手を跳ね除ける気になれなかったのだ。
*
「……ぅ」
大人用の寝袋内で少女が身じろぎする。
保温性には優れているおかげで、じっとりと汗を掻くぐらいには暑い。
マント一枚を被った上半身はともかく、露出した足元などは汗が接着剤となって寝袋と絡みついていた。
微睡みから覚め始めたのもこの気持ち悪さのせいである。
昼は太陽に照らされ、夜は一気に冷える荒野よりマシと言え、宿のベッドよりははるかに劣悪な寝心地。
寝汗にしてはやけに多い。何か悪い夢を見ていたような気もするが、今までの旅路が既に悪夢と等しい。気疲れのせいだろう。
散々走り回ったせいで節々が痛む。
安全を確保し、一度緊張がゆるんだせいかぶり返す痛みにリィルは顔を歪めた。
「……?」
最後にあった記憶は無我夢中で炎を放っていたこと。
ならば何故家屋の、それも大して訪れもしなかった万屋にいるのだろうか。
そこまで考え、視界を一巡させた彼女は傍で自分を見下ろし続ける少年と目が合った。
「ひっ──!」
思わず悲鳴を上げかけ、なんとか飲み込む。
仮にも上の立場だ。下を見て驚くなんて彼女の矜持が許さなかった。
……それはそれとして。
何度も銃に撃ち抜かれていたはずの奴隷が五体満足で座っているのだ。
しかも、誰が指示したかも分からないが正座である。
不気味なことこの上ない。
勿論、彼女の警備のことを考えれば悪くない行動なのだが、主側も未熟の身。
そんな思考が出来る訳もなく。
「な、な、なにを……きゃっ──!?」
結果、寝袋を跳ね除けてがばりと起き上がる。
そして、リィルの寝汗で張り付いた足元の寝袋に引っ張られ、顔から転倒する。
物理的二度寝だった。
どしん。と間抜けな音を立てたせいで、店主もリィルの起床に気が付いた。
「……なにしてるんだい」
いざ目覚めたと思えば寝袋に足を取られ、頭を打ち付けているのだから微妙な顔になるのも当然である。
「……あ──」
寝返りでうつ伏せから仰向けになったリィルがクレハに見下ろされる。
老婆は「何をしているんだこいつ」と言わんばかりに、胡乱気な表情を浮かべていた。
「起きたかい?」
「……は、はいっ! ──え、なんではだ──!?」
店主の世話になったことは瞬時に察したのか、礼節のためにと立ち上がり頭を下げ──自分の惨状にようやく気が付いた。
申し訳程度のマントが自分の体を隠しているものの、首元で結ばれているだけでまともに隠せていない。
恐らくトーハに裸を見られている。
百歩譲ってクレハは良い。同性だからだ。よくないけど。
だが──トーハは駄目じゃなかろうか。
理性では仕方ないことだと分かっていても感情がリィルを突き動かす。
「……み、見ないでください!!」
「──!?」
年端も行かぬ少女の怒りをかったトーハは正面から突き飛ばされていた。
リィルの気持ちを欠片も理解できない少年は、無様に尻餅をついて目を白黒させている。
彼の空っぽ過ぎる辞書に羞恥心なんて言葉はなかった。
「……騒がしい子たちだね。──まったく」
羞恥心から騒ぎ立てる少女と、少女の気持ちを理解できずおろおろする少年。
あほらしい騒ぎだと老婆は椅子に座り直し、つい持ち上がってしまった口角を今日の朝刊を広げて隠していた。