閑話・とある組合職員の驚愕
探索者組合リオドラ南エリア支部、情報室。
組合員、あるいは一定等級以上の探索者が入室を許可される組合が集めた情報の宝庫。
荒野の外にある物理的データを収めた各地の大書庫よりはるかに多くのデータがここのコンピュータに詰まっている。
その一角で一人の女性組合員が端正な眉をひそめて画面とにらめっこをしていた。
彼女の黒い前髪が悩むように揺れている。
「七日前の旧水路都市での騒動に関わっていた探索者……」
組合の制服である黒のタイトスカートと白のブラウスに紺のネクタイ。
女性組合員の制服であるそれを一つも崩すことなく身に着けている。
団子にされた黒い細かな髪も、組合員の整った印象に沿っていた。
彼女の名はロチェリー。リオドラ南エリア支部で最も若い組合員だ。
まだ二十にも届いていないが、厳しい試験を乗り越えた才女である。
配属は三級探索者以降から認可される組合のサービス、専属メンター部。
特定の探索者に直接依頼できる指名依頼の仲介、斡旋。その他探索者のスタイルに合った武装の提案など、様々な形から探索者をサポートする。
そのメンター部に配属されてはや一月。
つい昨日部長からロチェリーの担当探索者が決まったと通達を受け、その探索者がここを訪れるまでに情報を得るよう命令された。
「これ、かな。えっと……魔昆虫typeアント、特殊個体クイーンアント」
トーハ達が死闘を繰り広げたアリ達の正式名称。
旧水路都市の地下にアリが巣くっており、得られる魔石と難度の乖離から避けられがちな地域であることは組合員には周知の事実。
当然ロチェリーもよく知っていた。そんな旧水路都市で起きた迷宮暴走。
後日の調査で複数の匂い玉が確認され、単独の探索者パーティではなく、組織だった人為的迷宮暴走を推測されている。
「迷宮暴走を起こした連中の目的は未だ未確定。不可解なのはクイーンアントの死体が一部ないこと。──素材が目的ってこと……?」
先日の旧水路都市の騒動をまとめた報告資料を読みながらロチェリーが思考を巡らせる。
旧水路都市はリオドラから最も近い迷宮。ロチェリー自身壁の外に出ることが基本的にないため、この手のテロ染みた事件には敏感だった。
「……とりあえずこっちはあとで。担当はそのクイーンアントを倒した探索者──うわ、LOPだ。着々と力つけてるよねあそこ……。ちょっと他のチームより扱いにくいって聞くから嫌なんだけど……」
討伐に大きく関わったのはヴァンがリーダーを務めるLOPの五人。
等級内訳は四級探索者三人、五級探索者二人。
「……なにこれ。情報おかしくない?」
怪訝な顔をしながら文面をより一層睨む。
魔昆虫typeアントの特殊個体は基本クイーンアント。百匹以上の配下を連れて現れるクイーンアントの性質上、推定戦力は最低でも三級探索者十数名──三級探索者以上をメインに構成された1チームが要求される。
迷宮暴走発生で組合が出した緊急依頼を受諾した三級探索者が二十名足らず。
これはクイーンアントとの戦闘に関わったと思われる人数だ。
その後駆けつけた者を省いてこの数。
確かに最低限の戦力はある。
だが──
「緊急依頼受注者でクイーンアントと戦闘した者の帰還率……10%未満……!? もしかして五人も居ないの?」
生存者からのレポートを見る限り、大半の受注者はクイーンアント接敵時点で壊滅している。
「……迷宮暴走で兵士が分断されて先に倒してたんだ。──魔術の炎で一掃……? 訳わっかんないわ……」
魔術と似て非なる物が使われていたことには気付けない。
既に誤解が生まれていた。
どちらにせよ、読んでいて頭が痛くなるレポートだ。
ロチェリーに命令を下した部長が大変そうだが頑張れと苦笑していたのを思い出す。
最年少として才女の自覚もあり、期待されているのだと張り切って返事をしたが、既に後悔の念が湧いてきた。
まず、銃撃戦のレポートが少なすぎる。
配下の魔昆虫を一掃したのは魔術の炎。一回の魔術でここまで出来るのは少なくとも二級探索者級の戦力であることを除けばまあ、頷けなくもない。
強固なクイーンアントの鎧を滅したのが光銃。これもまた購入が許されるのは二級探索者の武具。
遺物で入手して売らずにとってあった、など入手手段がゼロではないためこれもなんとか納得する。
「頭おかしいんじゃないの……?」
問題はその後、鎧を引きはがしたあとのクイーンアントの死体だ。
弾痕こそ大量に残っていたが、大部分の傷は綺麗な切断面を残している。
つまり近接武器、剣系統の類で殺しきったのだ。
足だったり、頭部の一部が斬り落とされているのは百歩譲って良いとしよう。
極めつけは頭から尻まで真っ二つに割れたクイーンアントの写真である。
何が起きてそうなったのか見当もつかない。
しかも標準的なクイーンアントのサイズである5mの四倍、20mクラスの異常個体だ。
各種武装もそれ相応に強く、救急依頼を受けた探索者が壊滅したのも当然と言えよう。
二級探索者を引っ張りだすべき案件だ。
討伐に関わった探索者のログを追う限り、かなりギリギリの戦いであったそうだし、情報を見る限り単体火力に優れているとも思われた。
奇跡的な噛みあいでクイーンアントを討伐したということで理解する。
「で、担当するのは五級探索者のほうなんだ……どうせ担当する頃には上がってるんでしょうけど……」
クイーンアントの魔石は探索者組合で買い取った。
買い取り額は750万C。ロチェリーの月の給料二十倍。レオが鎧を引きはがすのに使った武装十倍分の金額でもある。
およそロチェリーの給料二年分を一匹討伐しただけで稼いだ探索者に思わず下唇を噛む。
「で、魔術を使うほうの子──アイリィルさんが腕の治療中……と」
この戦いでかは知らないが、腕がなかったらしい。この額があれば腕の治療など余裕だろう。
「これを真っ二つ……? にしたトーハさんはアイリィルさんの回復待ちね」
トーハは探索者になって五日も経っていない。リィルも誤差程度。
意味の分からない五級探索者二人にロチェリーは常識が崩れ落ちる音を聞いた。
「……ともかく、組合に黙って迷宮に潜ってた輩とでもしましょう。今の等級は……」
一端不可解すぎるレポートは忘れて、リィルとトーハの現在情報にアクセスする。
まだ女性と呼ぶには幼い細指が躍るようにキーボードを叩いた。
「……準三級探索者?」
四級探索者でもなく、三級探索者でもなくその境目。
一度に二階級上げることは稀。そもそもあり得ない。
しかし、彼らの実績はその例外に該当する。推奨戦力三級探索者十数人の魔物、しかも長く放置されたせいで育った異常個体。
準を付けるなら二級探索者の方があっているように見える。
「……あ、違うわ。戦力的な話じゃなくて政治か、これ」
三級探索者に付与されるとある権利を思い出したロチェリーが一人納得する。
「そりゃそうよね……探索者なり立ての部外者なんかを中に入れる訳」
呟きつつも、自らの言葉に違和感を感じた。
「……? 私が付くって事は依頼を受けさせたい上の考えがあって……。仲介する依頼は偏屈なあの賭博士令嬢殿。しかも直々の指名依頼……」
募る疑問。積み重なる違和感。
それを形には出来なかったが、何かに巻き込まれそうな予感だけはあった。
けれど、彼女は余裕の笑みを見せる。リオドラ南部エリア支部最年少の組合員としての自負があった。
「……いいわ。難題だろうとやってあげる」
不敵に微笑む彼女はコンピュータの電源を切り、立ち上がる。
資料やメモの類は彼女の手元にない。今見たモノは全て頭に叩き込んだ。
暗記は大の得意。驚愕に心を揺らされながらも全て記憶して退けたのはまさしく彼女が最年少で組合員になった所以だろう。
「──私、優秀なんだからっ」
新たな出会いとこれからの大仕事、全てこなした先で己がなりあがる姿を夢想して。




