世界を刻む
空気を裂いてトーハは地を駆ける。
瓦礫に打ち付けられた体は打撲の跡だらけ。右足指は切れたままで踏み込む度鈍痛が走った。
空気に触れるだけで敏感になった神経が脳に悲鳴をあげる。
擦れた空気が摩擦となる。
砂交じりの空気を裂く度、肌が焦がされるように熱い。
けれど手足は動くし武器はある。
近づいて斬ってしまえば終わり。クロスレンジにおけるトーハの戦力は五級探索者なんて枠にまるで収まらない。
気を抜けば倒れてしまいそうな体に鞭を打って、推定100mにまで距離を縮める。
「トーハ! 無事だったんだなッ!」
「ナイスタイミング」
銃だけを後ろに突き出して、弾をばら撒き続けるレオとナノに合流する。
弾が切れたらしいナノはレオを支えながらサムズアップで破顔した。
「あれは、おまかせください」
紅く染まった魔力刃を構える。
トーハが見上げるは散々苦しめられた旧水路都市の親玉。
アリ達の女王。文字通り虫の息のそれは依然として彼らを踏みつぶすべく歩き続ける。
標的を改めて狙い定める。
標的の脅威度は既に下がり切っている。
例えトーハ達が倒れたとて、救援依頼に駆け付ける探索者たちが集中砲火で安全に処理するに違いない。
ここまで追い込んだ時点で既に女王の死は確定している。
人間が踏み入り辛い地下で住んでいるだけならともかく、地上に出て暴れまわったなら探索者組合とて無視はできない。
だから、トーハにとって、彼の主にとってこの戦いの意義はリィルが彼を賭けて臨む一発逆転のギャンブルだ。
レオが損ねたバトンは確かに落とされた。
だが、まだ勝負は終わっていない。バトンは生きている。
「……ッ!」
「Gti……!」
少年が鋭く息を吐き、女王は既視感のある紅に怒りを思い出した。
トーハが一歩踏み出し、勢いよく飛び出した。魔力刃の紅い残光が軌跡となって彼の足跡を残す。
逃げ続けた彼らの最後の反撃。
真正面は流石にまだ無理だ。
女王との接触前に一太刀浴びせられるが、一太刀で断絶しきれないならトーハの負けである。
顎こそないが、トーハもまともな防御手段を失っていた。
急所を守るために付けていた鉄製の胸当てなどはとっくに粉々になっている。
衣服と呼ぶのも怪しい布を被っただけ。半裸と変わりない。
だからトーハは跳躍した。
高さ4mにも及ぶ黒き影に向け、迷わず跳んだ。
けれど、少年の身体能力はその壁を越えられるほど高くはない。
女王の額が目の前に迫る。
女王が鎌首を持ち上げ、トーハを喰らうべく鎌のない口を開けた。
足りない一手。
その一手は彼の剣が埋めてくれる。
「【絶】」
紅い軌跡が駆け抜ける。女王の体は柔らかいが、紅き線はたとえ女王が鎧を纏っていようと切り裂いただろう。
当然のごとく女王の額ごと鮮やかな紅が分断する。
【断絶剣】の本質はリィルが行使した魔法に近い、あらゆるものを断絶するという一種の法。
無論その効果は魔法より劣るし、コンマ数秒ほどしか斬撃の軌跡は残らない。
けれど、少年の背中に呼応する魔力刃はよりこの世界に適応した形で紅く染まっている。
紅い軌跡に裂かれ、鮮血の代わりに緑の血が宙を踊った。
そして、その紅は持続する。
少年の剣は世界に軌跡を残すのだ。
「Gy──!!?」
紅い線は残り続ける。それ即ち、線に触れることは断絶を意味する。
額が削がれ、そのまま同じ高さの女王の体が全てそぎ落とされた。
低くなったハードルをトーハはそのまま超えていく。
削ぎ落された肉の体を踏み歩き、そのまますれ違って女王の後方へ。
「GG……」
体積を大きく減らし、緑と黄色の液体を垂れ流しながらも、女王は生きていた。
前進しかしてこなかった女王は紅い軌跡の元をたどるように、トーハを狙い体を反転させる。
だが、その傷で反転する行為そのものが致命的なロスを産む。
「──【絶】!」
「Giiii────!?」
回る途中の足に向け、紅い軌跡を走らせる。
慟哭が響いた。
残された斬撃の跡を通過した足が斬り落とされ、女王の体が崩れ落ちる。
片側の足が斬り落とされ、女王はもう立つことすらままならない。
それでも、女王は芋虫の如く這い進む。
恐ろしい生命力だ。本能が故か、群れの長たる矜持故か。
もはや女王自身も分からない何かに突き動かされ、目の前の紅に復讐すべく生きている。
再生はもう機能していない。
黄色い粘液をため込んでいた腹部のタンクは最初の一太刀で破壊され、その中身を垂れ流した。
女王の進行速度も巨体とは言え芋虫のような進み方では逃げ切れる程度。
再生もままならぬボロ雑巾のような姿ではいずれ朽ち果て魔力に還るだろう。
「【絶】」
それでも、トーハは斬って捨てる選択肢を選んだ。
飛び上がり、空から流星のような紅い線を刻みながら落下する。
世界に刻まれた紅い線が女王の頭を分断する。残された体が慣性に従って進み続け、それもまた両断する。
紅い線を分岐点に、液体と血肉が混ざり合う何かが通り過ぎていく。
燻製のごとく体の半身を綺麗に分かたれた女王の死体が二つになって地面に倒れる。
女王の意志自体は潰えていないのか、両断されて尚、女王の体はぴくぴくと痙攣を繰り返す。
感情はどうあれ、女王は生命としてとっくに限界を迎えていた。
女王に力を与えていたであろう一抱えはある大きさの魔石が血肉の海から浮かび上がる。
魔石が失われた女王は痙攣する速度を徐々に落とし、やがて──完全に動きを止めた。
線を刻み、結果的に女王すら両断したトーハ。
飛沫こそ浴びたが、女王の残したそれらを浴びることなく剣を片手に突っ立っていた。
まだ何かあるのではないかと訴える危機感が少年に安堵を許さない。
しかし、旧水路都市における長き戦いはもう終わった。
女王は死に、リィル達は生き延びる道を勝ち取ったのだ。
「……」
長き戦いを繰り広げた相手だったものを見下ろし、トーハは佇む。
遠くではレオ達が彼の方へ駆けつけてくるのが見える。
彼らが浮かべる満面の笑みは間違いなく彼が寄与した成果だ。
さらに遠くでは一応まだ動くらしい酷い見た目の軽トラックが近づいてくる。
荷台から伸びる細腕は遠くでも見間違えない彼の主のものだ。
片腕では荷台から顔を出すのは難しいのか、トーハの視界には彼女の顔が見えない。
けれど、ぶんぶんと振られる手が生き延びた喜びを物語っている。
主を守ることが出来た。それは果たして強くなったことの証明になるのか。
彼自身まだ分かっていない。きっと道半ばなのだろう。
主を守り、共に戦った仲間も守った。共に生き延びることが出来た。
それはきっと良いことだ。漠然とだが、トーハはそう思っている。
胸に満ちる小さな充足感。あるいは満足感。
張りつめていた糸は耐えきれなくなったように弾け、戦い続きだったトーハの体は今度こそ沈黙した。
──口の端をほんのりあげて。
*
「やっと見つけた。あたしの同族」
倒壊から免れた廃ビルの屋上。
女王との戦いの一部始終を見届けていた少女が居た。
スカートも袖もフリル一杯の装飾華美、どこか幼さを感じる黒基調のゴシックロリータ。
落ち着いた色合いは大人しそうに見えるが、背中は派手に開いている。
その背中には奴隷紋と違う何かの刻印が大きく刻まれていた。
トーハの白髪と近い、色素のない灰髪。
少女の指先にはどれも糸が巻き付けられている。
「迎えに行くから」
愛おしいものを見る目が艶やかに細められる。
まるで人形劇をするかのように両手を吊り下げ、指をゆらゆらと動かした。
「……それじゃあ、あたしのお人形さん? あれ、持ってきて」
語りかけるように少女は呟く。けれど、この場には生命の息遣いは存在しない。
そして返事も聞かぬまま少女は廃ビルを飛び降りた。
土、日にもう二章後日談となる閑話をあげますが、一旦これにて二章完結となります。ありがとうございました。
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次章の投稿予定は三月、四月予定です。
詳しい内容は活動報告の二章後書きをご覧ください。




