魔力刃
ソレは探索者に怒りを抱いていた。
地上のみならず地下にも踏み入って来る輩がソレの配下を殺すからだ。
餌を得るため、外敵から身を護るため配下が死ぬのは構わない。必要な犠牲だ。
一人で巣穴を出てカブトムシに食べられるような食物連鎖の死は許容する。
荒れ果てた地上にない食料を求め、巣に入って来る外敵も煩わしいが、許容する。倒すに値する量の餌も得られる。
しかし、殺すだけ殺して配下の死体も置き去りに去っていく人間共は許せない。
まるで楽しむかのように惨殺して巣穴を荒らし回るのだ。
かつてはここも人間共の住処であったことを知らぬソレは怒っていた。
群れを増やすべく配下達が持ってくる餌を食べ、新たな配下を産む。
その繰り返しに専念するソレが時折探索者を殺すためだけに地下深くから登って来るほど、怒っていた。
単体の性能を落とし、効率的に数を増やすため配下に分配した能力を全て持つソレが出れば、大抵の探索者は殺せた。
旧水路都市ではそこそこの実力に分類される三級探索者。
彼らが持つ魔防壁など容易く砕く大顎で噛み砕き、大したリソースにならない人間共を貪った。
群れを破壊される恐れではなく、群れを破壊された怒りから暴れ、人間共を肉塊に変えたのだ。
だが、ソレは初めて怒りではなく恐れを覚えた。
今までの比にならない程大量の配下が女王が持つモノより濃密な魔力に消し飛んだ。
何やら巣穴でちょこまかと暴れている複数の人間共のために配下は動かしている。
なにより、あんな魔力の前では配下が役に立たない。
感情ではなく本能でソレは地上に出た。
獲物を見つけたはいいが、厄介な人間は他にもいた。
小粒の弾を飛ばしてくる従来の輩とは違っていたが、ソレが誇る大顎を防いで見せた。
その内ソレに飛び移って配下を育てるためのリソースタンクに攻撃してくる始末。
なんとか振り払い、念のため始末しておこうとソレが動き出そうとして本能が再び疼いた。
配下を焼いた濃密な魔力とは違っていたが、女王に警鐘を鳴らすに値する火力を持っていた。
妨害すべく前へ進み出るも、得体のしれないモノに殴られ足を止められ──
ソレは光に灼かれた。
ひたすらに磨き続けた鎧を焼かれ、遠距離攻撃に反撃するための砲台も焼け落ち、自慢の大顎は融けて形を失った。
──けれども、ソレはまだ死んでいない。
*
猛烈な光が駆け抜け、直線上の建物すべてに風穴を開けた。恐ろしい光の暴虐にその身を投じた女王は原型を失い、一回り小さくなった黒焦げの体がぷすぷすと煙をあげている。
「……はは……やっと死にやがったぜ」
女王の巨体は倒れ伏したままピクリとも動かない。
光に灼かれた有象無象が軒並み消え去っているのに、肝心の女王が体を残している。
どれほどの生命力なのかとレオが文句を垂れるが、拳銃とエネルギーパック含め数十万Cを投げ捨てた価値はあったようだ。
「レオ!」
ナノが駆け寄ってくる。
レオを心配してか、彼女の顔は随分と歪んでいて。
安心させるためなるべく笑顔で手を振る。
「おうナノ、助かったぜさっきの──」
「まだ! 死んでないッ!」
「は……?」
レオの顔が弾かれたように女王へ向き直る。
辛うじてアリと認識できるフォルムこそ残っているが、探索者達を蹂躙した武装はどれも残っていない。
けれど──
巨体を支えていた脚が震えながら立ちあがる。
鎧の奥で潜んでいた赤い眼が光を灯す。
群れの長たる意地が、種を存続させるべきと訴える本能が、女王を突き動かし目の前の脅威に向けて前進する。
もはや自慢の顎はなく、遠くを破壊する砲台もなく、圧倒的な防御を誇る鎧もない。
あるのはただ大きい女王の図体。
しかし、全長10mの体は人間にとって十分な脅威。
踏み潰されればひとたまりもない。
「死んで──!」
ナノが殺意を口に、弾丸をばら撒く。
鎧を失った女王の体に突き刺さり、当たった場所全てから緑の血が吹きこぼれる。
それでも女王は止まらない。
先程よりも遥かに遅いが、それでも逃げるレオ達など簡単に追いつける。
「G………!」
女王の眉間に弾丸が突き刺さる。
ヒスイのトラックから煌めく僅かな光、スコープからの反射光。
ルーバスの狙撃だ。
黒こげの女王から悲鳴とも判別がつかないくぐもった声がもらえる。
だが、崩れない。止まらない。
廃都市のコンクリートごと踏み壊して歩く女王の進行は淡々と進み続ける。
水路に足を突っ込むのも構わず、水底で沈むゴンドラを踏みつぶし、焼き焦げた体に水がしみるのもいとわない。
「……不死身かよッ────」
あれだけの攻撃を受けて尚しなない魔物の生命力にレオが吐き捨てる。
まだ握力が戻っていない手で銃を引っ掴んで標的も見ず弾をぶっぱなす。
反動で暴れまわる銃の制御を諦め、足止めに徹する。
少しでも距離を稼ぐべく僅かな力を振り絞って走る。
「追い付かれる……」
凹み、横転したトラックの荷台を遮蔽にルーバスもひたすら銃撃し続ける。
攻撃は確かに聞いている。威力に富んだルーバスの射撃は一射で女王を怯ませ、声を漏らさせる。
けれど、歩みは止まらない。
レオとナノを追いかけ続け、いずれはルーバスが居るトラックにまでたどり着くだろう。
残り数百m、といったところか。
ひたすら引き金を引き続け、弾が着れてはリロードする。
「──ヒスイさんッ。──早くッ!」
ここにいない運転手に祈りながら、ルーバスはひたすら弾を撃っていた。
*
倒壊した瓦礫群の中、つなぎを着た女性が必死な顔で瓦礫を退けて何かを探している。
「はぁ、はぁ……トーハくんッ! いたら早く返事しなさいってばぁ──!!」
女性は翡翠武具店の店主、ヒスイだ。
自分のトラックでダイナミック突撃したあと車体を乗り捨て、最後の一押しになれるであろう少年を探していた。
武具など重量物を扱う職なのもあって、日常生活を補佐する簡易増強服を身に着けている。
しかし、探索者らしい力仕事は慣れていないし、トーハを探して女王がいつこっちに向かってくるとも分からない。数分間瓦礫を引っ掻き回したが、トーハの姿は見られない。精度の悪い地図の位置情報データからおおよその場所は分かっている。しかし、高さまでは正確ではない為、どこまで深く埋もれているのかも分からないのだ。
「こんの──世話ばかり焼かせるんだからッ────」
このままでは諸共全滅だ。
日常生活ではちっとも感じない血と死の匂いがヒスイに焦りと不安を産んでいた。
レオが過剰充填エネルギー弾を放ってなお、ヒスイのトラックに積まれていた魔物探知機が示す女王の反応は消えていなかった。
それを見たヒスイがナノとルーバスに女王の足止めとレオの救出を頼み、彼女は一人トーハを探している。
「どうしたら…………」
どうにかしてトーハを目覚めさせる方法はないかとヒスイは考えを巡らせる。
その結果、藁をも掴もうと微かな可能性に彼女は縋る。
「……早くしないとッ、リィルちゃんが殺されちゃうわよぉッ!?」
よぉ、よぉ──、よぉ────。
生きる者達は一帯から逃げおおせたか、あるいは殺されたか。
彼女たち以外誰も居なくなった空間にこだまする。
──がらり
どこからか音がした。
「……トーハくん!!」
平面座表は概ね分かっている。
あとは上か、下か。
そして音は上からだった。
ヒスイは瓦礫の山を駆け上がり、ある程度登ってから右手、左手と瓦礫をひっつかんでは後ろへ放り投げる。
一秒ですら惜しい時間は恐ろしく長く感じた。
その繰り返しの果て、少年のものらしき細腕を見つける。
「はっ、はぁっ……────いたぁぁッ!!」
ひっつかみ、増強服のアシスト全開で引っこ抜く。
ぶち、とあまりよくなさそうな音も聞こえたが、それを考慮している時間などヒスイにはない。
「ひゅぅっすッ──ごほッ! ひゅっ──ゴホッゴホッ──!!!」
閉じ込められていたせいで窒息状態にしかったからか、トーハの本能が新鮮な空気を欲し、過呼吸気味な呼吸を繰り返す。
息を吸い込んでは、砂交じりの血を吐き出す。
「生きてるね……! 起きてるッ!!?」
「こふっ────」
せき込んだトーハが瞼を震わせながら持ち上げる。建物に打ち付けられ、瓦礫に埋もれ、暗闇に閉じた最後の記憶とは裏腹に、網膜に焼き付く光。
思わず目を細め、その狭い視界に焦燥に駆られるヒスイの顔が見えた。
「……ひすい、さん……?」
「起きた? 起きたわね! 起きてもらわないとアタイも困っちゃうからね!?」
「おき、ました」
眩しさに慣れて来たトーハが目をぱちりと開いた。
最後の記憶と今の状態を繋ぎ合わせ、主の無事を確かめるため起き上がろうと地面に手を付く。
「あーあー! ちょいまち!」
「──ぐえ」
武器もない癖に轟音響かせる女王の元へダッシュしかねなかった少年を慌てて引き留める。
勢い余って掴んだ襟を叩きつけてしまったが──ご愛敬だ。少なくともヒスイ自身はそう思った。
「すとぉーーっぷっ! そのままいくつもりかバカぁ」
「……なに、ですか」
無謀すぎるとヒスイが怒るが、肝心のトーハはどこか怒っているような剣呑な目つきである。
主のために急行するのを止めたせいか、あるいは叩きつけたせいか。はたまた両方か。
「仕方ないんだから。はい立って」
ヒスイが倒れさせたトーハを引っ張り上げる。
気が気でないのか彼はそわそわとしているものの、ヒスイはそれに構わない。
「えーっと。どこだったかなーっと──これだ!」
つなぎのあちこちに着いているポケットをまさぐり、やがて一本の黒い棒を取り出した。
──刀身のない短剣の柄。見慣れない鈍い黒の金属で出来たそれは魔力刃と分類される魔術具だ。
見慣れない金属。しかし、トーハと彼の主は一度これを目にしているし、手に取ったこともある。
「……これ」
「そ。リィルちゃんから買い取った魔術具よ」
いいのか、とトーハが目で問いかける。この期に及んで気遣いだけは一丁前な少年にヒスイがはにかむ。
渡す時点で答えは決まっているようなものだが、一応ヒスイも商売人だ。
言うことは言わねばならない。
「もちろん? ただとは言わないわよ? トーハくんがあれをぶった斬ればあれの報酬とかで車含め余裕でプラス。これが投資ってやつ?──あっはっは……」
自分で言いながら馬鹿みたいな屁理屈にヒスイは笑ってしまう。
ただの主従なら。見慣れた奴隷と主の一組なら。ただの客なら。
ここまではしなかった。
彼女自身情が入っている。入れ込み過ぎているなんて承知の上。
一番高い商売道具の車、積み込んでいた魔術具諸共台無しだ。
これで収入が無ければ赤字なんて話ではない。
どうしてこんなことしてしまったのかと頭を抱えたい気持ちだった。
祖母に怒られるなんてものじゃすまない。店を持つことなど未来永劫許してもらえないに違いない。
死ぬかもしれないことへの不安より、生きて帰れた後の不安が大きい。
いっそ死んだ方が楽な気さえする。
ハイリスクハイリターンどころか、ハイリスク&ハイリスク・ハイリターンだ。
──でも、勝算がないわけじゃない。
負けるつもりだってさらさらない。
あの子が焼き払ったアリの数は伝わっている。
この子が扱う【断絶剣】の強さを知っている。
ならば賭ける価値は十二分にある。だからヒスイは言い切ってしまう。
「──御託はいいの! トーハくん。これでアイツ──真っ二つにしてやりなさい!!」
肩にのしかかる不安も焦燥も、今後の展望も、結果悪化しそうな店の帳簿も。
全部全部、今は忘れて魔力刃の柄を突き出した。
「──はい」
トーハが差し出した魔力刃の柄をつかみ取る。
元はこの旧水路都市で眠っていた古の武具。
金属剣より軽く、持ち慣れない柄だけの剣をトーハがしかと握る。
ぺこりと頭を下げてヒスイとすれ違いながら、指でスイッチを弾く。
トーハの魔力が流れ、魔力刃は緑に光る刃を生やした。
光剣と似て非なる刀身。その違いは原動力が柄自体にあるか、扱う本人にあるかだ。
──ふと、トーハは背中の疼きを感じる。
「──え」
今まで知らなかったトーハの背中。素肌に刻まれた大きな赤い刻印。奴隷紋とは違う何かしらの効果を持つそれが一度だけ光を放った。存在を初めて知ったヒスイが声をあげる。
同時に、本来緑色である魔力刃の刀身が紅く染まる。
魔力そのものに色を付けようとすると大概は緑になる。
中性色の波長が次元の違う魔力との距離に適しているからだ。
それが赤いことは何を意味するか。
暖色は波長が短い。すなわち近く見える。
子細はどうあれ、色の紅さはそれだけ次元の違う存在である魔力がこの場の次元に近いということ。
「ちょっとそれ──」
「おまかせ、ください」
その意味を真に理解できるものはトーハ含め誰も居なかった。
ヒスイがついそれを尋ねようと声をかけるが、彼は口に馴染んできた返事を残して荒野の砂地を蹴飛ばした。
もう一話今日中に上げる予定です。




