紅き血の真価
「あ、アリどもだ! 逃げろぉぉぉ!!」
どこからか声がする。誰かが挙げた悲鳴を引き金にすれ違う探索者たちが誰も彼もここから逃げ出そうとしている。
武装を見るに、リィル達のような駆け出しも居れば、レオ達のような四級探索者らしい整った武装の者もいる。
一度接敵したアリ型魔昆虫の戦力はそれほど高くないと分かっている。
なのに、この警戒度だ。
旧水路都市の地上にもアリたちが這い出てきてるようで、銃声がそこかしこから聞こえてくる。
転がっている死骸を見る限りさほど多くのアリが出てきているわけではなさそうだが、数が武器のアリたちが平地で襲い掛かって来る光景はリィルもぞっとする。
「【ファイアバレット】……可能な範囲で援護します。独断では出ないように」
「はい」
手負いの探索者が攻撃型アリの顎に捕らわれる間近なのを見逃せず、リィルが火球を放つ。
一瞬援護した探索者がリィルの方を見るが、逃げるのに必死なのかお礼を言う余裕すら見せず遁走していく。
獲物を奪われ、怒りに身を震わせるアリが標的をリィル達に移す。
「──」
リィルが魔拳銃を構える。
命中は二の次、注意を引ければ十分だった。
推進力を全て魔力で賄う魔弾は爆発音もなく発射される。
無反動ではない為、リィルにはまだ銃身を支えきれず弾がブレるも、甲殻や足に命中し魔昆虫が足を止める。
その隙に右から迫っていたトーハが発達した顎ごと頭部を切断。
ごとりと頭が落ちるのも見届けず、リィルの元へと戻る。
「これも悪くないですね」
魔術よりも即効性に優れた武器に口角を上げつつ、目的地へと足を進め続ける。
「ど、どいてくれぇ!?」
「──えっ、わわ──!?」
倒壊した建物の隙間から飛び出してきた探索者がリィル達を突き飛ばしながら通り抜けていく。
瓦礫の上を這って来たのは防御型アリだ。大盾のごとき頭部には弾痕こそ残っているがどれも貫通した様子はない。
逃げて来た彼の武装では有効打がなかったのだろう。
全体的な防御力こそはカブトムシに劣るも、頭部の強度は並の銃では歯が立たない硬さだ。
「さがってください」
「──うおッ!?」
主への妨害もあり、トーハは件の探索者に足をかけ、邪魔にならぬよう通路へ投げ飛ばす。
そのまま剣を抜き放ち──
「【絶】」
火球も、魔弾も防ぐ強靭な盾を一太刀で両断してみせる。
硬く重い頭部がごとりと落ちるのを尻目に、トーハが投げ飛ばした探索者を助け起こす。
「だいじょうぶ、ですか」
「…………あ、ああ」
目の前で起きた出来事を理解できず、トーハの呼びかけに反応が遅れるも、なんとか彼の手を借りて立ち上がると頭を下げて逃げていった。
「りぃるさま、いきましょう」
「ええ──!」
ほんのり不満顔だった主は一連の出来事に気分を良くしてはにかんだ。
*
合流地点付近。目印である時計塔跡の真下。
リオドラ方面には下り坂が続いており、車両などが出入りしやすいため乗り物を持つ探索者たちがこぞって脱出していた。
真ん中の広い道を組合主導で動かしているバスが占有し、その脇のスペースをバイクや小型車両に乗る少人数編成の探索者が駆け抜けている。
どこにいても邪魔になりそうで、リィルがどうしたものかと右往左往しているとバス前の制服を来た組合員がずかずかやってくる。
「お前達! 五級探索者か?」
「は、はい」
「MGも持ってないのか……? 組合から緊急連絡が来てるはずだ。旧水路都市地下で迷宮暴走が発生してる。バスは怪我人優先だからお前達は乗せれないが……今から走れば余裕で逃げれる」
「緊急連絡……?」
リィルがおもむろにMGを取り出すと、確かに一際派手なアイコンの通知が出ており、今言った通りの内容が記されていた。
「……はぁ。とにかく逃げろよ」
緊急連絡は探索者がすぐに目を通すべき通知だ。関係があると思われる地域に居る探索者全てに無秩序に発信される通知は届くことが危険を意味する。
それを目にしてなお要領を得ない反応ということは、それも知らない新人だ。
無知は罪だが、間に合うのなら命ぐらいは助かるべき。そう考えていた組合員は忠告を残し、バスへと戻る。
「──?」
しかし、彼はふと違和感を感じた。
この話をして真っ先に逃げ出そうと考えなかったのはなぜだろうか。組合員に礼を言う間もなく駆けだしたっておかしくない。
だが、バスがある出口方面に歩いている組合員と同じ方向に彼らの姿はない。
怪訝な顔で振り返った彼が目にしたのは我先に逃げ出す探索者たちの波へ走り出す少年少女の姿だった。
*
「……確かにアリが増えてきました」
生きているものは焼却するか、斬り捨てながらリィルとトーハは突き進む。
戦闘能力の高い探索者は迎撃に出ているのか、銃声はうるさく死骸の数がやたらと多かった。
逃げ切れなかった探索者の遺体らしきものもあるが、どれもロクな原型をとどめていない。見るだけ精神を削がれるだけだとリィルは意識するのを辞めた。
リィルが再びMGに目を落とす。
彼女が睨んでいるのはヒスイから送られてきたレオ達の位置情報。
なんとか生き延びているらしい彼らの反応はリィル達が居る出口へと近づいていた。
「……トーハここを死守します。出口で挟み撃ちにされるなんてのはごめんですから」
「はい」
「──の前にっ!」
いざ、と飛び出そうとしたトーハの方をぐいと掴む。
護衛対象を振りほどくわけにもいかないトーハは成すがままに引き止められ、勢い余って尻餅をつく。
「……!?」
予想出来なかった主の行動に疑問を隠せず彼女を呆然と見上げる。
彼女の顔はやけに硬かった。
「ちょっとやってほしいことがありまして」
「……なにですか」
彼女の顔の硬さから見て取れる緊張は色濃く映っていたが、どこかもじもじとためらいがちにトーハに頼もうとする姿は今の切羽詰まった状況に似合わぬ悠長さだ。
しかし、葛藤するだけの何かがあるのか、リィルはうんうん唸りながらトーハの肩を掴んでいた。
「えっと、ですね──」
「はい」
口元をもごもごとさせ、眉をひそめる。
言いたいことは決まっているらしいが、それを口にする勇気が出ないといった塩梅か。
トーハもそんな主に口出しすることもなくじっと返答を待つ。
──普段ならそうだった。
しかし、時間がそれを許さない。
この時間の浪費はレオ達の危険に繋がる。
誰かを救うことを、義理を果たすことの優先順位がリィルと同等になっているいま、トーハは黙ったままではいない。
「りぃるさま、れおたちが──」
「分かってます!」
トーハの声を遮る。そんなことはリィルも承知の上だった。
それでも、頼むのに躊躇があって。
そうして数秒が過ぎた後、彼女の口から絞り出したような声が漏れ出す。
「──叱って、くれませんか……?」
「しか……?」
「いえっ、これには深い理由もなくてっ! こう──景気づけにというかっ、気を引き締めて欲しいといいますかっ!」
「……?」
だからなんだとトーハは首を傾げるばかり。レオ達を救出するという目的こそ掲げてはいるが、トーハの本質は自我の薄い少年であることに変わりはない。そして、トーハは彼女の奴隷であり、どれだけ待遇や関係性が良かろうとも彼女の命令に従う傀儡であることも変わらない。
命令を待つだけの人間に理由を並べたところで意味もなく、そんな彼の態度が彼女の焦りとも照れとも判断がつかない──とりあえず何かを隠したいことは分かるリィルの口数の多さに拍車をかける。
「とりあえずっ、やってもらえるだけで良いのでっ! 巧さとかは問いませんし……あっでも、できればファイっぽくしてくれた方が嬉しいと言いますか……」
「……つまり?」
「えっと──その……率直に申し上げて──怒って欲しいのです」
観念したようにリィルが項垂れる。
他に誰か彼らの会話を聞いていたなら疑問符で頭を埋め尽くされるか、少し変な趣味を持った少女に呆れ笑いを浮かべていることだろう。
ともあれ、命令を訊いたトーハが目を伏せて考え込む。
彼女の言葉を拒否することは基本的にない。
悩んでいるのは行動の是非ではなく、どのように実行するか。
端的に言えば、主に大してどう怒るべきかが分からなかったのだ。
おまけに師匠のように怒れなんて厄介なオプション付き。
「……はい」
「──」
否定という選択がないトーハはとりあえず頷いて、師匠の振る舞いを思い出し、見様見真似でリィルに向き直る。
彼の目つきがどこか諫めるような、責めるような、罪悪感を煽る物へと変わってリィルが思わず竦んだ。
「こんなときに、ばかですか?」
「──うふ」
「……?」
気のせいだろうか。
言われた通りに彼女の行動に指摘を入れ、責めてみたはずなのに、肝心の主はどこか嬉しそうに体を震わせた。
「……はやく、ちゃんと、してください」
「……あっは♪」
今は救出を急いでほしい。そんな懇願を込めたトーハの微かな怒り、もしくは想いはリィルの耳に届いた。
少年の感情を直に受けた彼女は顔を俯け、肩を震わせた後、顔をぶんぶんと振る。
頬が紅潮し、目と口は艶やかに弧を描いて──少女の年に似合わない色気を放っている。
「りぃるさま?」
「──いえ、大丈夫です。行きましょう──【ファイアバレット】!」
先程の妙な態度はいづこへ、毅然とした態度で手を付き出し、ハリの良い声で魔術を唱える。
そんな彼女の振る舞いに感化されてか、飛び出した火球もどこか轟々と燃えているように見えた。
火球の狙いはたったいま地下鉄に繋がっていたであろう入り口から這い出した一匹の攻撃型アリ。
自慢の顎ごと頭部を焼き尽くし、アリがしばらく悶えた後にころりと動かなくなった。
しかし、一匹倒した傍から入り口だけでなく付近の地中からも地面を掘り進めたアリたちが這い上がる。
「出て来てるぞ! 撃て撃て撃てェ!!」
これもリィルの魔術で接敵に気付いた迎撃の探索者たちがハチの巣に。
周囲には両手で数えられる程度の探索者たちが備えていた。そんな彼らの銃撃を受け、たちまち第二陣が殲滅される。
それを嘲笑うように、地面が更に盛り上がる。
穿たれた穴は十以上。地下鉄の入り口、その闇の奥からは支援型アリが吐き出す粘液が飛び出してくる。
死に体となっても、命止まらぬ限りその粘液はアリたちを修復する。
顎によって地中を掘り進める攻撃型アリの後ろに続くのはアリたちの盾である防御型アリだ。
三種の連携によって回復され、仕留めようとした探索者たちの銃撃も大盾のごとき頭部には効き目も薄い。
たちまち前線にいるアリは二十匹を超え、今もなお増え続けている。
ここを放棄すればレオ達の退路は確保できないだろう。
踏ん張りどころだ。
しかし、探索者たちの銃撃もリィルの魔術もトーハの斬撃も、すべて合わせたところでとても火力が足りない。
アリたちの連携を崩すには単なる数よりもあの大盾ごと全てを殲滅できる重火力だ。
文字通り全てを一刀両断するトーハの【断絶剣】。しかしながら、威力はともかく範囲が足りない。
だから──
「……トーハ、時間を稼いでください。──いえ、【私を守りなさい】」
「お任せください」
少女は決断し、少年は迷いなく従う。
同じ命令のように見えて少し違うのはリィルがトーハがどれだけ傷つこうとも構わないと割り切った覚悟の差。
──否、正確にはトーハならやり遂げてみせると信じているからこその命令だった。
そして、彼はそれを信じて疑わない。
「……すぅ」
少女が深く息を吸い込む。
吹きすさぶ荒野の砂塵、水路に満ちる濁った汚水、アリ達がぶちまける得体のしれない粘液。
空気は酷く不味かった。生じた不満を叩きつけるが如く、少女は地面に手を添える。
「【私は紅い】」
少女の言葉に応え、彼女の手を中心として地面に円状の赤い紋が浮かび上がる。
同時に、少女から魔力が溢れ出す。あまりの魔力にリィルの周囲が陽炎の如く酷く歪んで見える。
周囲の魔力密度が急激に高まり、付近にいた探索者たちは魔力密度によって生じる体感重力増加──魔圧に動きを鈍らせた。
魔圧の対象は人間だけではない。もとは魔力から出来た魔物達もまた同じこと。
アリたちもまた動きを止め──魔力で出来た生物故に強大な魔力から原始的な恐怖に煽られ、すべてのアリの矛先がリィルへと向かう。
【民を前に──色褪せぬ──淀みなき紅】
アリ達の視線に捕らわれて尚、リィルは竦まない。もう覚悟は決めた。
トーハはその視線を遮るように位置取り、荒野ではゴミと呼ばれた鉄剣を構える。
アリ達が本能に塗り潰される。連携も構わずアリたちがリィルへと雪崩かかった。
「【絶】」
積み重なる連戦で魔力が尽き賭け、呼吸が乱れるのにも構わずトーハは断絶する。
斬撃の壁はリィルに襲い掛かった三匹のアリ全てを両断した。
そして、彼の間合いには四匹のアリがもう襲い掛かろうとしている。
「【守るべき責任────果たすべき義務────血を血で洗う紅】」
彼の背後で言の葉を編むリィルの髪が金がかった紅へと移り変わる。それに伴い地面の紋様も輝きを増した。
実践的に、効果的に、即物的に改良された技術の塊である魔術ではない。
血に由来し、祖先に由来し、受け継がれた言の葉によって語られる御伽噺の存在。
魔法である。
人間が戦う術として身に着けた技術ではなく、遥か昔人間ではない者が世界を書き換えるために使っていた理──世界の法。
強い弱いの概念ではとらえられず、これから起きるであろう事象は今の技術で十分再現できる。
「【私は────民を────敵を────」
溢れ続ける魔力を抑えきれず、リィルが口元の筋肉を鈍らせるほどにまで至っていた。
だが、アリ達は待ってくれない。地面から、地下への入り口から這い上がり増え続ける。
太陽の下に躍り出たアリたちはすぐ近くで燃え盛ろうとする紅に気付き、本能から襲いにかかる。
「あの娘を守れぇ! 時間を稼ぐんだッ!!」
魔圧に動きを止められていた探索者達もリィルが何かしでかそうとしていることに気付いて援護に回ってくれる。
本能に駆られるアリ達は連携を失い防御も支援もせず、ただ雪崩れようとするばかり。
おかげで探索者たちの銃撃もアリ達の横っ腹を叩き数を削るが、増える数の方が勝っていた。
増えた結果、多大な負担が少女の前で全てを断絶するトーハにのしかかる。
「【絶】──! ハァ、はぁっ……! 【絶】ッ!!」
疲れた体で行使する技術ではない。トーハの体が悲鳴を上げ始め、外傷はなくとも体内の血管と筋繊維が破裂し始めていた。
そこかしこで起きる内出血がトーハの肌を紫に染め上げ、まるで幽鬼の如き様相に仕立てる。
しかし、少年は躊躇わず剣を振るう。
キレを失い始めた断絶剣がアリを斬れども勢いまでは殺せず、はじけ飛んだ死骸の欠片がトーハの体に鞭を打ち始める。
「────全て────濯ぎ尽くす────気高き紅ッ】」
額には大粒の汗が流れ落ち、瞳に落ちて視界を滲ませ、口元に入って塩気の不味さに顔を歪ませる。
少女の体は魔法を十分に扱える程完成されていない。
だから、過去居た従者の誰からも認められなかった魔法の代償を払っている。
周囲の人間が動きを止めるほどの魔力を放つ本人が一番その被害を受けている。
トーハよりも華奢で細い体は魔圧なんてものを耐えきれるわけもなく、膝と手を地に付けて顔だけは前を向いていた。
しかし、今は五体投地の如く地面に伏せているのと変わらない状態になっていた。
「【ここにぃ────宣言するッ────!!】」
それでも言葉を紡ぐのは辞めない。上下の唇がへばりつくような重みに抗い、口を動かす。
こめかみを握りつぶされるような頭痛に抗いながら、最後の言葉を紡ぐべく顔を持ち上げる。
「────!?」
リィルの紅くなった瞳がトーハの背中ではなく、視界一杯にギチギチと怒りに燃えるアリの頭部を映した。
探索者達の銃撃を生き抜き、弱まっていくトーハの断絶剣も耐え、唯一たどり着いた一匹のアリだった。
驚きに目を見開く。
赤く染めあがった瞳が揺らぎ、紅色の中に元の碧が混ざり合う。
逡巡も許されぬ一秒にも満たない時間。アリの顎がリィルの頭を噛み砕こうと大きく開かれる。
これだけ口の前に居るのに臭いなどは感じられない。
アリに口臭という概念があるのか分からない。
リィルの鼻はそこら中にばら撒かれた粘液と雨のように降り注ぐ弾丸の元、硝煙の匂いで真面に働いていなかった。
食われるという認識すら追い付かない。
だから──恐怖を忘れ少女は開き直る。
どうせ腕がないのだからと、アリの顎へ自分の右肩を突っ込ませる。
閉じようとしていたアリが口に異物を突っ込まれてえづくように震えた。
『【燃やし尽くせ私の紅】ッ!」
──同時に王女の魔法が完成し、朽ちた廃都市に紅蓮が咲き誇った。




